第37話 疑心
明日は休みだという連絡を聞き終え、私達は寝室に帰って来た。
ベッドに仰向けで寝転がったベックが気の抜けた声で話しかけて来る。
「暇になっちまったなー」
「そう、だな」
「明日どーする?」
「どうするか、ふむ……。訓練場を借りて鍛練、だろうか」
「お前はブレねぇな」
質問に受け答えしつつも、頭の中で考えるのは別のこと。
懸念の段階でしかない引っかかり。
そもそも領属騎士なら既に気付いていそうなそれを、他人に打ち明けるか自問自答していた。
「……さっきからなに悩んでんだ?」
そのことが態度に出ていたのか、ベックからそんなことを問われた。
「……少し、気になることがある」
「何だよ、言ってみろ」
相談に乗るぞ、と言外に言われる。
私自身、誰かと話し合って考えを整理したかったので渡りに船だ。
軽く周囲を見回し付近の生徒との距離を確認してから、ベックにだけ聞こえる声量で答える。
「実は、マルセル伯爵が怪しいんじゃないかと疑っているのだ」
「えーっと、あぁ、ゼルバーの……」
小声の理由を察したのか、私に合わせてベックも声をひそめた。
ゼルバーは自分の父親が疑われればいい気はしないだろうし、他の生徒も彼を見る目が変わってしまうかもしれない。
憶測の段階で周囲に広まっては色々と不都合がある。
「でも何でマルセル伯爵なんだ? そんな怪しいとこあったか?」
「以前ゼルバーに聞いたのだが、マルセル伯爵は魔導師で地属性魔技を研究しているらしい」
「そういや〈逢魔の闇〉もオリジナルだったか。でも地属性の魔導師ってだけならまあ珍しいだろうけど、探せば領内にも他に居るんじゃねぇの?」
「その通りだ。だが伯爵は地属性魔力を投与して魔物を強化する〈狂騒の注入〉なる魔技も開発していたと聞く」
先日の浴場での会話を思い出しながら言った。
話の流れで魔技についてもそれなりに話を聞いていたのだ。
「え、それもう確定じゃね? あの黒い筋もその魔技なんじゃねぇの?」
「いや、〈狂騒の注入〉の持続時間は通常の付与魔技と同程度だそうだ。それに、体に黒い筋が入るという話もなかった。まだ偶然の一致と言う可能性はある」
加えて、魔物に黒い筋を刻む技を開発したのがマルセル伯爵だったとしても、今回の件が彼の仕業とは限らない。
研究は基本的に一人でしているそうなので助手が黒幕という線はなさそうだが、彼の研究結果を第三者が盗み出したという可能性もある。
決定的な証拠、と呼べるほどの物はなく、これで爵位持ちに嫌疑を向けるにはそれなりの覚悟がいる。
「んー、そうかもしれねぇけど一応伝えといた方が良いんじゃね。騎士の人らも分かってるだろうけど万が一ってこともある」
「……そうだな。聞いてくれてくれてありがとう、おかげで決心がついた」
お礼を言って、先生達の部屋へ向かう。
ノックの後に入室すると、そこにはちょうどアンドラス副団長と他の騎士が数名居た。
今後の対策について話し合っていたのか、実際に現場に行った教師から詳しく聴き取りしていたのか。
「ジークス君、どうしましたか?」
「それが、ですね、少し気になる事があったため、そのことについてご相談に参った次第で──」
逡巡。魔力強化により引き延ばされた思考時間で条件を整理する。
先生達はともかく、アンドラス副団長が敵と内通している可能性はゼロではなく、また、騎士の前で無闇に領主を貶めるような言い方もできない。
限られた時間の中、思いつく限りの要素を比較して最善と思える文面を考える。
「──マルセル伯爵は地属性魔技に長けているそうです。独自の魔技をいくつも開発されているとか。今回の件についてお話しすればお力になってくださるのではないか、と私は愚考しました」
「お詳しいですな、領主様の得意属性までご存じとは。さすがはコウリア騎士学院の生徒さんだ」
「恐れながら、それは買い被りです。ゼルバー君から偶然聞いていただけで、決して私が知に秀でているのではありません」
「成程、ご子息殿と……」
納得したようにアンドラス副団長は軽く首を上下させた。
その様子は純粋に感心しているようであり、痛い腹を探られたような反応には見えない。
そんな彼にティーザ先生が問いかける。
「アンドラス殿、それは本当なのですか?」
「うむ、仰る通り領主様は地属性魔技の専門家です。日頃は政務に研究にと御多忙な身の上であられますが、此度は領地の一大事。必ずや知恵をお貸しいただけるでしょう」
朗らかに答えるアンドラス副団長だが、他の騎士達は目が笑っていない。
伯爵へ疑いが向けていることを読み取ったのだろう。
とはいえ睨んでいるというよりは、気まずそうにしている感じだが。
領主の不祥事は色々と不都合が多いので、可能なら内々で処理したかったのかもしれない。
「……我々がここに来た理由の一つがそれです」
難しい顔をしていた騎士の一人が重々しく言った。
曖昧な表現にティーザ先生は首を傾げる。
「それ、と言いますと?」
「領主様に協力を仰ぐという案です。地属性のことなら領主様こそ適任だと我らも考えておりました」
「ほう、そうだったのか」
「そうだったんですよ、副団長」
騎士側のはずの副団長が何故か意外そうな声を上げた。
ティーザ先生は冷徹に質問を重ねる。
「理解はしましたが、それであるならば相談などせずとも、先に使者を送ってしまえば良かったのではありませんか?」
「……既に人を訪ねるには不躾になる時間帯、我ら一介の騎士が赴くのは憚られます」
妙な間を挟んでから騎士はそう言った。
窓の外の空は茜色に染まっており、たしかに今から訪ねるのは良くないかもしれない。
言葉を一度区切り、騎士は私に視線を向ける。
「そこでゼルバー様を頼ろうと考えた次第です。ご子息であればこの時間に戸を叩いてもおかしくはないでしょう」
「私の生徒は伝令ではないのですがね」
「無論、無理強いはしませぬ。ご本人の希望を聞いてから決めていただければ、と」
なかなかに悠長な対応だが、大きな被害が出ていない以上仕方が無いのかもしれない。
性急に進めては相手を警戒させてしまう、という事情も考えられる。
「……事情は分かりました。打ち合わせの後で打診してみましょう。ジークス君の用件は以上ですか?」
「はい」
「そうですか。まだどうなるか分からないのでここでのことは内密にお願いしますね」
ティーザ先生に首肯を返し、私は部屋へと戻ったのだった。
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