病み上がりの令嬢と公爵家の人々 3

 夜が明けると体調はすっかり良くなっていた。

 本気で専属を狙っているのか意気揚々とやってきたアンナに挨拶をし──今日は着替えのため、寝室から私室へと移動する。


「さあ、リディアーヌ様。どのドレスにいたしましょう」

「……わ」


 寝込んでいた関係で久しぶりに開かれることになった普段着用のクローゼット。

 手伝いを含む三人のメイドを傍らに思わず声を上げる。半分は感嘆、半分は戦慄。二十着以上はあろうかというドレスの大部分は子供用らしく明るい色合いをしている。

 センスは良く、繊細に織られた布地は見るからに滑らかだが、全部ドレスだ。パンツルックの服はない。ひらひらとしたスカートは見るからに防御力が低そうである。

 これを着るのか。

 わかっていたはずなのに男のプライドが拒否反応を示す。助けを求めようにも頼りのアンナはむしろ「どれを選ぶんだろう」とばかりにキラキラした目をしている。


「それじゃあ、これにしようかしら」


 逃げられないと悟った俺は、それでも僅かばかりの抵抗を試みた。

 端の方に追いやられるように存在した黒地の一着。それを指さすとメイドたちから「え?」と意外そうな声が上がる。


「お嬢様、こちらのドレスでよろしいですか?」

「ええ。これも普段着用のドレスなのでしょう? 問題あるかしら」

「い、いえ」


 取り出されたそれは色こそシックな黒であるものの、レースによりきちんと可愛らしさが演出されている。セレスティーヌは白系統を好むので差別化という意味でも悪くない。

 それでも「マジか」という反応なのは俺が今まで地味なドレスを好まなかったからだろう。


「では、リディアーヌ様。こちらのリボンを合わせませんか?」

「いいじゃない。アンナ、つけてくれる?」

「はいっ」


 空気を読んだアンナが助け舟を出してくれる。

 提案された深紅のリボンを胸にあしらうと雰囲気がぐっと可愛くなった。


『やっぱり、わたしってとっても可愛いわ……!』


 内心で自画自賛。

 実際、リディアーヌ・シルヴェストルは美少女だ。マンガのメインヒロインを張れる器だろう。将来、男たちから求婚されるのを想像すると複雑だが……。

 美しさは女にとって立派な武器だ。使えるものは使わないといけない。

 子供特有の愛らしさをより引き立てるためにも、俺はにこりと微笑んでみせる。すると、アンナ以外のメイドも「いいと思います」と頷いてくれた。


「それじゃあ、食堂へ行きましょうか」


 部屋を出るのは何日ぶりだろうか。

 公爵家の屋敷は広い。初見だと迷いそうな廊下を難なく歩いて目的の部屋に到着。

 我が家の食堂は縦長の造りになっている。中央には十人以上は座れる長いテーブル。一番奥の上座には俺の父──シルヴェストル公爵が既に腰かけている。


「おはようございます、お父様」


 食前のお茶を楽しんでいたらしい彼に歩み寄って一礼。

 スカートを持ち上げて膝を折る、いわゆるカーテシーだ。リディアーヌのそれはあまり上手ではなく、少々ぎこちないものだったが、父は端正な顔立ちを一目で分かるほどに崩してくれる。


「おはよう、リディ。心配していたんだ。辛かっただろう? 身体の調子はもういいのか?」

「ええ。もうすっかり」


 それから、わざわざ席を立って抱きしめられた。

 公爵は現在三十歳過ぎ。髪や目の色はアランとよく似ている。

 宰相なので基本的には文官であるものの、剣術も嗜んでいるので頼りない印象はない。もう少し歳を重ねたら「ダンディなおじさま」といった感じになるだろう。


「お父様がお花を贈ってくれたお陰よ。とっても元気が出たの。本当にありがとう」


 伝えた言葉は誇張してはいるものの、本心だ。

 母の死後、早々に後妻を迎えたことは今でも不満だし、その後妻が性悪セレスティーヌだったのは本気で馬鹿だと思っているが、それはそれ。感謝はしているし愛情もある。

 素直な感情を表に出せるのは女子供の特権。リディアーヌは良くも悪くもその性質が強い。すぐ悪口が出るのは直した方がいいが、好意を伝えられる素直さは残していくべきだろう。

 まあ、やるのは俺なので物凄く恥ずかしいのだが。


「これからは元気ですくすくと育ってくれよ」

「わ、お父さま?」


 父の唇が俺の額へと触れる。唇同士でないとはいえ親子でキス。日本ではありえない話だが、これが異世界か。少々呆然としていると目の前のイケメンが「お返しはないのか?」と寂しそうな顔をするので、慌てて同じようにキスを返した。


「お父さま、これ、とっても恥ずかしいわ」

「いいじゃないか。大きくなって結婚するまでは私にしてくれ」


 いや、それ何年後の話だよ!?

 まあ、早ければ十五、六とかで結婚するのがこの国の貴族社会らしいが。七年は先の話とか考えたくもない。七年は男の額にキスすることになるのも気が遠くなる。『価値観の違いね。早く慣れなさい』。ああ、こういう時に偉そうにされるとイラっと来る。

 ここで父は眉を下げて「見舞いに行けなくて済まない」と言った。


「見舞いたかったのだが、セレスティーヌに『伝染ったらどうするのですか?』と止められたのだ」

「まあ。それはとてもお養母さまらしいですね」

「ああ。あれは少し心配症というか、厳しすぎるからな。少し顔を見るくらいなら問題ないだろうに──」


 こほん。

 さりげない咳払いの音が横手から聞こえた。二人して硬直した後、慌てて振り返れば上品な笑みを浮かべた金髪美女が一人。

 穏やかな笑みを浮かべた養母から強いプレッシャーを感じるのは気のせいか。


「二人とも? それではまるで私が悪者のようではありませんか?」

「せ、セレスティーヌ。いつからそこに?」

「つい先ほどです。リディアーヌとお話をされているようでしたので声をかけられなかったのですけれど」

「すまない。決して悪く言ったつもりはないのだ」


 わたわたと弁解を始める父。セレスティーヌはにこにこしながらそれを聞いている。

 現シルヴェストル公爵は子煩悩かつ女性に優しい紳士なのだが──少々、いやかなり妻の尻に敷かれている。こういう姿を見ると娘として情けなくなる。前世で獲得した語彙を用いて表現するなら、こうだ。


『もう!お父様のヘタレ!』


 養母の機嫌(そもそも半分以上は演技だろうが)が直る頃には残りの家族も到着した。


「おはようございます、父上、母上。おはよう、リディアーヌ」

「おはようございます、お父様、お母様。……お姉様も。快復されたようで何よりです」


 兄のアランは昨夜と変わらない笑顔。一緒にやってきた少女──義妹のシャルロットはどこか強張った表情で俺にしてくれる。

 義妹は俺より一つ年下の七歳だ。父とセレスティーヌは互いに配偶者を亡くした者同士だった。シャルロットは前の夫との子供ということになるが、蜂蜜色の髪もエメラルドのような碧眼も、妖精を思わせる顔立ちも母親によく似ている。

 さっきの表情からもわかる通り、俺との仲はあまり良くない。

 主な原因は俺が邪険に扱ったせいだが、さらにその原因を考えるとなかなか難しいところだ。


「おはよう、シャルロット。お医者様からも治ったってお墨付きをもらったから、安心して?」


 ひとまずは挨拶して笑いかける程度で済ませておく。義妹からは「は、はい」と戸惑ったような答えが返ってきた。


「では、食事にしようか」


 各自の定位置は決まっている。

 長辺の一番奥、父の左右にはアランとセレスティーヌ。アランの隣には俺が座り、シャルロットは母親の隣に腰かける。セレスティーヌが「子供たちの作法をチェックしやすいように」と始めたものだ。

 確かに向かいに座った方が一挙一動を観察しやすいとは思うのだが、それなら実の娘を隣に座らせているのはどういうわけか。


『そんなの、わたしとお兄さまへ厳しくする口実に決まってるじゃない!』


 真の理由はともかく、観察されるのはどうも落ち着かない。

 将来必要になるとはいえ、高級レストラン並みの作法を毎回要求されるわけで。貴族の生活も楽なことばかりではないのだ。


「本日の前菜はニンジンとセロリのソテーです。ソースにはすりおろしたピーマンを使用しております」


 メイドによってことん、と目の前に皿が置かれる。

 野菜を使った健康的な料理。ニンジンとピーマンはともかく、焼かれたセロリの姿に頬が引きつる。ちらりと見れば、シャルロットの皿だけは色の違うソースがかかっていた。


「リディ。食べられないようならば何か別の物を──」

「いいえ。このままこちらをいただくわ」


 父が眉を寄せて言ってくれるが、売られた喧嘩は買わなければならない。

 俺はナイフとフォークを手に取ると、セロリを切ってソースと共に口へ運んだ。前世でも苦手だったあの風味が口の中に広がる。思わず顔をしかめそうになる、が。


「……火を通すと、野菜は甘みが増して食べやすいのね」


 美味しいとは思わない。ただ、サラダよりはずっと食べやすい。ピーマンのソースも苦いだけでなく塩気もあっていいアクセントになっている。料理人の腕だろう。


「おお……! 偉いじゃないか、リディ」

「お姉様、お野菜が食べられるようになったのですか……!?」

「ありがとう。苦手を克服できるよう、少しずつ挑戦を始めたところなの」


 どうだ、と養母に視線を送れば、彼女は静かに呟いた。


「ニンジンを食べられるようになった、とは聞いていましたが、セロリも克服したのですね」


 少しは驚いてくれたか。

 この程度では鼻を明かしたことにならないが、それでも嬉しい。俺は上機嫌で二口目に挑もうとして、


「リディアーヌ。姿勢が少し乱れています。それからナイフの持ち方も気を付けてくださいね」

「……はい、お養母さま」


 ああ、うん。こいつ嫌いだ。

 睨みつけたくなるのを堪え、背筋を伸ばして野菜を咀嚼。するとシャルロットも「私も……!」と野菜を口にする。おお、と父が歓声を上げたのも束の間、義妹はニンジンとセロリを一口ずつ食べたところでナイフとフォークを置いてしまった。


「ゆっくり慣れていけばいいのよ、シャルロット」

「はい。すみません、お母さま」


 以降はさすがに俺の嫌いな物ばかり出てくることもなく、食事はスムーズに進んだ。

 セレスティーヌが本題に入ったのはメインディッシュにさしかかった頃。


「リディアーヌ。休止していた勉強ですが、遅れを取り戻すためにも明日から再開します」

「かしこまりました」


 貴族の子は基本、家庭教師を付けて家で勉強する。

 学園に通うのは十五歳──前世で言う高校生から。それまでは各自で勉強し、その成果を学園にて披露するのが通例だ。

 当然、求められる能力のレベルは家の位が高いほど上がる。公爵令嬢である俺はトップに近い成績を取らなければ嘲笑にさらされることになる。

 その大事な勉強を、リディアーヌはサボりまくっていた。

 寝込んでいた分も合わせると結構な遅れになっている。おそらく厳しい授業になるだろう。面倒だが、自分で蒔いた種だ。

 しかし、せっかくだ。

 代わりというわけではないものの、一つご褒美をねだろう。


「あの、お父さま、お養母さま? 実はひとつ、お願いがあるのですが」

「なんだい、リディ?」

「わたしも専属が欲しいのです。あの子──アンナをわたしに頂けませんか?」


 この発言への反応は大きく二分された。


「なんだ、そんなことか」


 養母を含む家族たちは「特に不思議なことではない」という態度。専属と言っても家からの雇用に変わりはなく、ただ「一人の世話を付きっ切りで担当する」というだけのことだ。俺だけ専属がいなかったのだから新たに付けても特に問題はない。

 驚いていたのは端に控えていた給仕のメイドたち。

 彼女らはアンナに視線を送り「どうして」などと小さく呟いている。アンナ自身も、まさかこんなに早いとは思わなかったのか目を丸くしていた。

 しかし、こういうのは早い方がいい。


「ここ数日、アンナはわたしの傍で尽くしてくれました。他のメイドの仕事を代わってまで仕事を覚えようと努力しています。彼女がいてくれると心強いのですが、どうでしょうか?」

「いいんじゃないか? なあ、セレスティーヌ」

「ええ、そうですね。アンナはまだ経験不足ですから、専属であればもう少し経験を積んだ者が望ましいとは思いますが……若い分、気心が知れやすいという利点もあります。リディアーヌがどうしても、と言うのであれば構いません」


 何か欲しい物があるのかと思ったと言う父はあっさりと頷いてくれ、セレスティーヌも消極的ながら同意を示す。『意外ね。邪魔をされないなんて』。若い男爵家のメイドなんてむしろ好都合だったのかもしれない。別にそれならそれで構わない。俺自身が「アンナが良い」と思ったのだ。


「受けてくれるかしら、アンナ?」


 にっこり笑いかけると、彼女もまた笑顔で頷いてくれた。


「はいっ。若輩者ではありますが、精一杯務めさせていただきます」

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