マツリンの噂

山口は二日酔いの中、昨日の神林から得られた情報を整理していた。

松園は偽名。

確かに偽名、というより芸名を使っている芸能人を山口は何人も知っていた。

しかし、それは珍しいことでは無い。と同時に業界に居なければ知りえない情報でもあった。

もしや神林がダンスを教えている人物の中に、「エンジェル・アイ」の内通者でもいるのだろうか。

そこまで考えたが、頭痛が酷いので考えるのをやめた。


山口はライブに行って、酒を飲んで、寝る。そんな生活を過ごしている訳では無い。

この日は仕事があった。

午前中はある週刊誌との打ち合わせ。

午後は、「エンジェル・アイ」や「レモンジュース」の所属会社と同じ会社に所属している舞台俳優への取材があった。

もちろん、午後の仕事の方がモチベーションを持って挑めそうな気がしたが、山口は週刊誌との打ち合わせも嫌いではなかった。

打ち合わせ先の編集長の機嫌がいいと、芸能界の裏話や採れたてのネタを知れるからだ。

そんな楽しみな一日が始まった。


午前中の週刊誌のと打ち合わせは非常に退屈だった。

どうやら、有名企業の子会社の不正について記事を書かないといけないらしい。

しかし、編集長の話し方から機嫌がいいと判断した山口は、芸能界の裏話を聞いて見ることにした。

「山口さん。相変わらず好きだね。今一番新鮮な話だとね。知ってるか分からないけどエンジェルなんとかって言う最近デビューしたアイドルグループがあるだけど、そのメンバーについて裏話があるけど聞きたいかい」

山口はドキッとした。最近デビューしたエンジェルなんとか、と言えば「エンジェル・アイ」しか思いつかなかった。

「もちろんです。聞かせて下さい」

「そのメンバーの松園って子の部屋に、男が出入りしてるらしいんだよね。時々追い返されてるから、復縁を迫る元彼のストーカーなんて噂もあってさ。笑っちゃうよなデビューしてすぐなのに」

山口は「そうですね」と話を合わせて逃げた。

なんて事を知ってしまったのだろう。

マツリンは彼氏がいる。もしくはストーカーにつけられている。

アイドルは恋愛禁止というのは昔からあるが、やはり「エンジェル・アイ」も恋愛禁止である。

だからこの週刊誌の掴んだネタは爆弾である。

マツリンは大変な状況なのだと思いつつ。それを森田と神林に伝えるべきか迷った。


午後の仕事のモチベーションは下がっていた。

当初山口は、社内で偶然「レモンジュース」や「エンジェル・アイ」のメンバーに会えるのではないかとウキウキしていたが、今は違う。

マツリンの壮絶な裏話を聞いてしまってどんな顔をしていいか分からなかった。

結局、メンバーとは会わなかったのだが、舞台俳優の話はつまらなかった。

王子様の役を演じ過ぎたせいだろうか、動作も言動も王子気取りでうんざりした。

しかし、その取材のあと会社のお偉いさんが挨拶に来たのであることを聞いて見ることにした。

「すみません。小耳に挟んだんですけど松園凜音さんって芸名なんですね」

するとお偉いさんは一瞬険しい顔をした。

「よく知ってますね。本当は外部に漏れちゃいけないだけどな。内緒で頼みますよ」

そういうと、お偉いさんは帰ってしまった。


山口は脳がパンクしそうだった。

帰りの電車ではもちろん、「レモンジュース」と「エンジェル・アイ」の曲を聴いていたが、純粋な気持ちで聴くことが出来なかった。

やはり、プライベートを仕事に持ち込むとろくな事は無いと理解した。

今日の事をまとめると、マツリンは彼氏がいる。もしくはストーカー被害にあっている。

そして、神林の言う通り松園凜音は芸名であることが分かってしまった。


さらに、山口は引っかかる事があった。

マツリンの縄跳びとお化け屋敷のエピソードである。

公式サイトを調べると、特技の欄に縄跳びなど書かれていない。

お化け屋敷のエピソードについては、調べようがなかったので森田に連絡した。

「森田くん。マツリンがテレビでもラジオでも雑誌でもいいから、縄跳びのこととお化け屋敷のエピソードについて言ってなかったか調べてくれないか」

森田は突然の依頼に驚いていた。

「確かに、神林くんのその話には驚きましたよ。誰かと勘違いしてたんじゃないですか。酔ってたし」

「念の為だよ。新参者の彼に情報量で負けたくないだろ。僕も調べるからさ」

「わかりました。僕もSNSで繋がってるオタクに聞いたりしてみますね」

森田はそう言うと電話を切った。

山口は縄跳びもお化け屋敷のエピソードも神林の勘違いであればいいと思いながら

様々な資料を調べ、芸能関係者に聞いたりした。


森田からの連絡は意外と早かった。

「山口さん。俺の調査じゃあ限界ですけど情報手に入れましたよ。別のアイドルグループの凜って名前の人に縄跳びが得意な人がいるらしいです。ちなみにその人はカエルが好きで…」

「その後の情報はいらないよ。ありがとう!」

森田の情報が正しければ、神林の勘違いである。しかし、山口は「エンジェル・アイ」と「レモンジュース」が対決したネット配信番組のプロデューサーから衝撃の情報を聞いてしまった。

そのプロデューサーによると、対決内容を決めるために事前のアンケートを取ると、マツリンが特技に縄跳びと書いていたらしい。

しかし、元々プロフィールにある特技の方がインパクトがあるという事でお蔵入りになったそうだ。

また、打ち合わせでは面白エピソードとしてお化け屋敷でお化けタックル事件についても語っていたが、「エンジェル・アイ」というグループ名にあっていないという理由で、事務所から却下されたらしい。

つまり、神林は業界人でもわずかな人しか知らない情報を持っていたのだ。

山口は僅かに恐怖した。

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