第5話 たまにはこんな

 バイクはいい。誰がなんと言おうと楽しい。


 バイクに乗れば、季節を迎えに行くことだってできる。これはあるメーカーの名言だ。あと確か、バイクに乗れば、普通の旅が冒険になる、って言葉もどっかで見た気がする。


 俺は冒険がしたいんだ。人生を楽しむなんて気安く言える程達人じゃないけど、色んな事をして、色んな体験をしたい。


 だから、恋だの愛だのは後回しで十分だ。


 モグモグモグ……。


「はあ~、清史郎のおかげでサークルのおやつに事欠かないね!」


 彩葉はコーヒーを全員分淹れながら感謝してくれた。


「ホント、役立たずが役にたった。おいしい」


 琴奈は文庫本を読みながら俺をチラリと見た。


「お前はいつか絶対に刺されるぞ」


 物騒な事を言うのは春斗。


「昨日の【バレンタイン強制、俺達を励ませ会】ってさ、僕と春斗の為だったんだね。傷つくなぁ。随分上から見てたんだね」


 にこやかに毒を軽く吐くのは蒼汰。


 そんで俺達は今、俺がバレンタインで貰った莫大な量のチョコをみんなでおやつにしている。


 ここはサークル「いみじくもひとごこち」、スイーツや焼き立てパンの名店を探す冒険家の集まりだ。


「蒼汰ぁぁぁぁぁあ、そんな事いうなよぉぉぉ、いいじゃんかよぉぉぉ、モテてもさぁぁぁ!」


 俺は泣きそうな顔で蒼汰にすがりつく。


「うわぁ、自分で言うなんて腹立つなぁ」


「いいじゃんかよぉぉぉ、ふん、お前なんかこうだ!」


 俺は蒼汰の履いてる靴を素早く奪い取り、窓を開いて振りかぶると、外に向け全力で投げ捨てた。


「「「「あああああああっ!」」」」


 この場の四人が一斉に叫んだ。


「へん、ばーか、ばーか、ばーか」


 俺は悪態をつき、スコップを持って部室から飛び出した。


「清史郎、お前、蒼汰になんて事すんだよ!」


「清史郎、よくもやったな! ってなんでスコップ持って逃げる!」


 春斗と蒼汰が血相を変えて、俺を追いかけて来た。


「知れた事! 二度と発見されないように埋めてやる!」


「「なんて事考えてんだぁぁぁ!!!!」」


 二人は全力で俺を追いかけて来て、穴を掘り始めた所で羽交い絞めにされてボコられた。乱暴な奴らだ。


 あー、でも楽しかった。





 俺はこんな感じで毎日を楽しく生きている。


「まあ、清史郎さん、随分汚れちゃって! バイクで転んだのかしら? ちょっと、キヨさん、救急箱を!」


 俺が家に帰ると泥だらけの姿を見て、母さんは驚いてお手伝いのキヨさんを呼んだ。


「大丈夫ですよ、怪我はありません。友人とふざけただけです。風呂に入ります」


 俺の家は由緒ある家で、色々堅苦しい所がある。お手伝いさんだっている。


 でもそんな事は気にしない。母さんは義理の母親で五年前にうちに来た。落ち着いた和風美人で生け花の先生をしている。義理の息子になる俺を本当の子供みたいに気にかけ、叱り、大事にしてくれている。


 でも、俺はどうしても敬語が抜けない。


 そのせいで傷つけてしまっているのはわかるが、こればっかりはしょうがない。俺の本当の母親は一人だけだし、そこを越えてしまうと、母さんが俺の記憶から消えてしまいそうで怖いんだ。


 俺は二人の母親に対して、何とも言えない中途半端な場所で、ただ想いを燻らせている。そんな俺の想いは、どこか危うげに俺を崩し堕とそうとしている。






 俺はフーズ&バーでバイトしている。有名店の元シェフが隠れ家的に経営する店で、表通りから離れた場所にひっそり佇み、俺はとても気に入っている。ここで俺は家の金に頼らず、バイクのローンとメンテ代とガソリン代を稼いでいた。


「送ってくれませんか? 夜道が怖いんです」


 唐突にこう言われた。


 この人は常連さんの一人だ。とても清楚で上品な二十代後半のキャリアウーマン。いつもは少し年上の出来る系男性と来ていた。


 俺は怖いなら普通にタクシーで帰ればいいだけだと思ったが、少し気になってたので気楽に了承した。


 なぜなら最近の彼女は表情が暗く、常に一人で店に来て夕食だけ済ませ、飲まずに帰る。俺とは挨拶を越えて、少しだけの会話をかわす間柄だ。


 多分彼氏と別れ、夜道のエスコート役に俺を抜擢したのだろう。彼女はバイトが終わるまで待っていてくれて、そのまま送ると、店から少し離れた住宅街のコーポに彼女の部屋があった。


「入って」

「えっ?」


 彼女は戸惑う俺の手を握り、強引に部屋の中に連れ込むと、ワンルーム内にあるベッドにいきなり俺を押し倒した。


「……お願いです。黙って抱いて下さい!」


 切羽詰まったその表情は今まで見た事もなく、俺の動揺をかき消す健気な圧を秘めていた。


 だから、俺は強引にキスをして来る彼女を拒まず、ただ言われるがままにその服をはぎ取り抱いた。


 綺麗な裸だった。俺が彼女の中に入った時、その瞳が潤んだ様な気がした。


 清楚な彼女は狂おしい程の女の匂いを振りまいて、激しく、何度も、何度も絶頂を迎え、俺はその吸い付くような柔らかな肌に身を預けた。


 事が終わると俺は彼女の乳房に顔を埋め、無駄な考えは持たず、ただ温かな余韻に触れていた。彼女の乳首はまだピンと勃起していてとても固かった。


 俺はセックスよりも、女性の持つ母性を追いかけている気がする。


 胸に顔を埋めながら、どこか甘えている自分を意識していた。決して死んだ母親を思い出しているわけじゃない。俺はマザコンではない。


 ただ、男の本能として抗いがたい母性は、俺に深い安らぎを与えてくれた。


 俺は彼女の勃起した乳首を吸い、舌で舐め転がし、乳房を優しく揉み、その先にある何かに触れようとした。


「うっ、ううん」


 瞳を閉じて押し殺す様に吐息を漏らす彼女は、俺を包み込む様に強く抱きしめてそっと呟いた。


「……少し前、私は彼の子を堕ろしたの、不倫だった。こんなよくある話し馬鹿みたいでしよう。でも、でも、私は赤ちゃんが本当は欲しかった……」


 切なげに彼女はそう言いながら、自らの乳房を俺に与え、押し殺す様に快楽に抗いつつ悶え始めた。


 小さな声ですすり泣く様に漏れて来る彼女の喘ぎ声を聞きながら、俺は何故彼女の乳首がこんなにも激しく勃起していたのかを悟った。


 俺は彼女の望むまま、その乳房を幾度も幾度も吸い続け、快楽にしかその行き場のない切ない声を聞き、その心を支配する悲しみに向け、一緒に堕ちようと思った。


 俺は俺自身を彼女の中に入れた。最初と違いそこは抱きしめる様に俺を迎え入れ、淫らなぬめりが驚く程に溢れ濡れていた。それは彼女が自分の罪に慄き、償えない罪にただ泣いているみたいだった。その夜、俺は一晩中彼女を抱いた。








 久し振りにバイクで海を見に来た。


 キャプトンマフラーの音は海岸線に良く似合う。


 潮風がバイクを錆びさせるなんて気にしない。砂浜には流木やら廃棄物が転がっていて、とても綺麗なんて言えたもんじゃないけど、それでも海は美しい。


 常連の彼女とはそれっきりで、もう店にも来なくなっていた。俺からも会いには行かない。多分、そういうもので十分だと感じているはずだ。あれは俺にとって祈りみたいな時間だったんだ。


 俺は愛だとか恋だとかに興味がない。その先にあるもっと大きなものが、大事だと思っている。愛や恋はそこに気が付かせる為の劇薬だ。だから、溺れてしまえばひどく苦しんで沼るんだと思う。


 手に掴む物を間違えれば、人は簡単にそのバランスを崩す。俺だってその先にあるものを探す為に、簡単にバランスを崩してしまう。


 俺は女性の母性と言う本能的な部分に囚われ過ぎている。こんなのは依存だ。そうじゃないとわかっていながら、俺は闇に堕ちてゆく。


 快楽は決して裏切らない。だからこそ恐ろしいものなんだ。


 愛や恋は自分を見失ってしまう甘美な闇を秘めている。


 俺はそんな時、海を見るのが好きだ。


 潮風を受けながら、さざめく波の音が俺の忘れていたリズムを引き寄せ、本来のバランスを思い出させてくれる。だから海が好きだ。


 俺が幼稚舎に入学した時、隣の席に座る琴奈がこっちを見てニッコリしてくれた。俺もつられてニッコリした。


 人間同士の付き合いって言うのは、こんなもんでいいんだと今でも俺は思っている。


 余分な物なんて何もなくて、それで十分に完成していた。


 俺達が大人になるって言う事は、余分な物を知って、余分な事を身に付け、余分に苦しんだり、余分に狼狽えたり、余分に喜んだりする。そんで、余分な知恵や、余分な対処方法や、余分な理屈を振りかざすんだ。


 俺は馬鹿々々しく思う。


 俺が掴みたい愛や恋の先の世界は、そういう余分な物を捨てた先にある。


 子供の頃に出来た事が、大人になると出来なくなるって変な話だ。







 常連のお姉さんがホワイトデイの直前、久しぶりに店に顔を出してこう言った。


「田舎に帰ります」


 元気はないけど、決意だけは固まったっていうのが伝わって来た。俺はマスターに頼みバイトを早めに切り上げて、「少しだけ散歩しよう」とお姉さんを誘った。


 もう春が近いって言うのに、急な寒波が襲って来て吐く息が白い。俺達はどちらからともなく手を繋いで、寒さの中でお互いの体温を感じながら歩いた。


 誘っておいてなんだけど、俺は特に喋らない。彼女も特に喋らない。でも居心地は悪くない。俺は近くの公園の自販機でコーヒーを2本買った。凍える彼女に1つ渡すとこう言われた。


「君は不思議だね」


 その瞳はとても綺麗で、映し出された心が全部透き通って慈しみに溢れていた。あの夜の耐えがたい苦しみに身を溺れさせ、痛ましくも潤んでいた瞳とはまるで違う。


「よく言われる」


 俺は少し笑って答えた。


 彼女は俺の胸に頭を寄せ、そっと抱きしめて来た。俺もこの世界で一番大切なものを包む様にふんわりと抱きしめた。


「君が私の中に入った時、あの人より感じちゃった。それがとっても恥ずかしかった。自分が淫らで下品な女だと一瞬思ったけど、君の瞳を見てなんだかほっとした。セックスしてるのに、あんなに感じて痙攣しまくっているのに、君が私を守ってくれてるみたいに感じたの。君が私の中にいっぱい出してくれて嬉しかった」


 俺は今、上辺では見つけ出せない彼女そのものを強く感じていた。


 そしてなんでだか物凄く硬くなってしまった。


「あの、ごめん」


「いいの、嬉しいから。あのね、命を生み出すって、本当はこういう気持ちなんだと思う」


 そう言うと彼女は声を殺してすすり泣き始めた。


 俺はそのまま彼女の無垢な魂を、世界の嘘っぱちから守る様に抱きしめていた。







「駄目じゃん、清史郎はそういうとこあるよね」


 蒼汰が俺に冷たく言い放つ。


「うっせい!」


 ホワイトデイの翌日、「今日は後夜祭だ!」と無理矢理みんなを又集めた。ちなみにここは河原の土手だ。


 俺はとっておきのサプライズとして、ネットで買っておいた大量の花火をみんなに見せびらかした。だが外が寒すぎて防火用に準備していたバケツがきっちり凍っていた。

 

 カチンコチンのバケツを前にして、突然春斗が「コホォォ」と息吹を始めた。


「せい!」


 いきなり固そうなバケツの氷に正拳突きを放ち、見事に厚い氷をぶち割った。


「「「「おおおおおおっ!」」」」


 そこで俺は実は密かにちゃんと準備しておいた、水が凍ってないバケツを出した。


「いや~ぁ、ご苦労!」


 凍っていたバケツは昨夜からの仕込みだ。


「清史郎! なんでそれを先に出さないんだよォォ!」


 春斗が赤くなった拳を悔しそうに撫でている。


「パフフォーマンスタイムだ!」


 呆れた春斗を無視して、俺達は早速花火を袋から取り出すと、どんどん火をつけまくった。ただし!


「くそ、寒い、死ぬ、やっぱり花火は夏がいい」


 琴奈がガクガクと震えている。


 俺は声をあげ励ました。


「ばっか、じっとしてるから悪いんだ。ドラマでもあるだろ、こういう時はなぁ、ほら走るぞぉぉぉぉぉぉぉ!」


 俺は手持ち花火を左右に3本づつ持ちながら、ダッシュを始めた。


「くっ、待て、清史郎!」


 琴奈に続き、みんなも寒さを紛らわす為に、花火を持ちガンガン走り込みを始めた。顔がちょっと真剣で怖い。よっぽど寒かったんだな、はははは。


 たまにはこんなのもいいもんだ。冬の寒風花火大会を我がサークルで公式採用しよう。


 俺はそう決意しながら、くっそさっむい闇夜の中を走った。


 河原の土手はまだ寒々としていたが、ほんのりと春の気配が芽吹き始めていた。冬が終わって春が来て、夏を過ぎて秋を迎える。季節はなんて簡単で、移ろいつつも間違えずに、ただ淡々と生命の旅を続ける。


 俺はそんな旅を冒険に変えるんだ!

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