第3話 変わる世界で変わらないもの

「翔也さん。引っ越すって本当?」


 神社での仕事を終えたころには太陽も傾き始めていた。豆腐売りの音がどこからか聞こえる。

 俺が自転車の荷台を固定するチューブを車体に締め付けていると、唯がそう訊ねてきた。

 何年も昔からの誼好というわけでもないのに唯は今にも泣きだしそうだ。


「そうだな。まだ考えてる段階だけど」

「どうして引っ越すの?そんなに……彼女さんと別れたのつらかった?」

「辛いか、辛くないかで言えば辛かったよ。でもそれが理由じゃないんだ」


 俺がこの町にいる限りは因果は再び本来の世界を形づくろうとして襲いかかってくるだろう。

 一度の告白は断れた。でも、もし次があったら、俺は……鷺谷翔也は三峰秋を拒めない。

 時間が経って思う。あの告白は……バッドエンドを歩む寸前で『俺』という自我が強く芽生えただけであって、平常時はこうして鷺谷翔也に飲まれかけている。

 今こうして周囲が『俺』に違和感を抱かないのはそのせいだ。


「じゃあ、どんな理由があるの?」

「俺が三峰先輩を求めてしまうんだ」

「なにそれ。フラれたのに」

「いやいや!俺が告白断った側だから!」

「え、そうなの?」


 意外そうな唯の表情。悪気がないだけに余計に傷つく。


「なんで断ったの。他に好きな人とかできた?」

「おう。唯、お前が好きだ」

「―ッッッ!!」

「……ってのは冗談で!って痛い!石当てんな!」


 唯は草履で地面を掘り返すと器用に石を俺の足に当てる。

 大人びている唯にもまだまだ子供らしい一面があったようだ。可愛らしい唯のボブショートヘアを撫でる。


「ばーか」

「悪かったって」

「翔也なんて引っ越せばいーんだ」


 完全に拗ねてしまわれた様子。

 しかしこの子も可愛いな。もしかして…ヒロインだったり?

 俺は巫女服を着た唯をつま先から頭の天辺まで観察する。中学生なので子供っぽいあどけなさはあるが、成長するところはしっかりと成長してるし……唯√わんちゃんあるのか?


「ロリコン製造機だろそれ」

「ろりこん?」

「唯は知らなくていい」


 唯は大人になっても純粋なままでいて欲しい。そう思うと同時に唯を汚すかもしれない未来があったことに俺は戦慄する。


(大丈夫なはずだ。好みは先輩みたいなおっきいおっぱい……いや唯もそこそこデカいな。高校生になることには先輩と同じ……いやそれ以上になる可能性も秘めている)


 もしかしたら初体験は唯で、俺は唯を爛れた道へ誘っていたのかもしれない。


「翔也さん?なんで自分を叩いてるの?」

「……心に巣食うロリコンを退治してたところだ」

「……ろりこんってアニメの悪役なの?」

「唯みたいな小さい女の子が大好物な悪い怪人だ。気をつけろよ」


 そんな冗談を交えているうちにも、夕方につれて外の気温は下がり体が底冷えする。

 昼間に降っていたのが粉雪で積もらなかったのが幸いだ。ただでさえ寒い中で砂利道を自転車を押して帰宅するなんて想像もしたくない。


「じゃあな。唯」

「―今日はまた明日って言ってよ」


 自転車を漕ぎはじめる俺の制服を掴んだ唯は、名残おしそうに俯く。

 唯に言われて気づいたが、会話の流れからまるで今生の別れみたくなっていた。


「また明日な。っても明日は土曜日だから俺はそっち来ねえけど」

「遊びに来てよ」

「気が向いたらな」


 行けたら行く的なノリで返事をした俺は神社を出た。

 その足で夕飯を買いに商店街のスーパーに向かう。今日は挽肉と卵がタイムセールで安くなり、主婦の間で争奪戦になるから急いで行かなくてはならないのだ。



◇◇◇


 

 タイムセールにはなんとか間にあったものの今回は負けだ。挽肉は買えたが、卵は逃してしまった。

 俺はいつもよりも重く感じる買い物袋を脇に下げ、自転車を引いて歩いていた。


「あれ?おにいじゃん!」


 ふと背に聞き覚えがある声が。

 振り返ると、…見覚えのある活発そうな女の子が立っていた。


「美晴か?どうしてここに?」

「どうしてって入学手続きだよ!」

 

 俺、鷺谷翔也には一つ下の妹がいる。

 名前は鷺谷美晴。ちなみにだがヒロインではない。

 美晴は俺の実家がある長野の中学校に通っているが、今年からうちの高校に進学することになることが決まっていて、今日ここに来ているのはその入学手続きだったようだ。


(そうだ思い出した。本来ならここで話がこじれるんだ)


 本来の√なら今も三峰先輩は俺のアパートで同棲している。

 だから妹を追い出す形になるんだが、美晴は新しく部屋を借りることになるんだ。しかも俺の部屋の隣。


(その状況ながらも俺と三峰先輩の営みは変わらず、一枚壁を挟んでの……っと、これ以上はやめておこう)


 俺は特殊プレイがあった本作の√を回顧していたが、実際に当の本人になってみると、エロイとかどうこうよりも気まずさが勝る。

 

「もしかして今日から来るって話か?」

「そうだよ!おにい聞いてなかったの?」


 確認の為に美晴に訊ねると、美晴は不機嫌そうな声で答える。

 やっぱりそうだ。てことは√内のイベント自体はまだ生きている。つまり軌道修正は俺の手でやっていく必要があるということらしい。


「久しぶりのおにいだー!なんかやつれてるー!」

「人相が悪いのは昔からだ」


 俺は久しぶりの妹と並んで歩く。

 鷺谷翔也の記憶に引っ張られているせいか、こうして三年ぶりに合うという設定のぽっと出妹にも懐かしさがあって、俺はつい涙腺が緩んでいた。

 思い出せば三峰先輩ともゲームだけじゃわからないほど、沢山なことがあった。

 咄嗟に蘇った第三者視点があって、強引に関係を断ち切ったが、その反動が数時間経った今になってやってくる。


「おにい、なんかあったの?」

「……なんもない」

「嘘だー!絶対なんかある!彼女と別れたでしょ!」

「なんで女ってこうも的確なんだよ」


 さっきの中学生といい、妹といい、俺が分かりやすすぎるだけなのか?

 俺はぼやけた視界をごしごし擦る。……と、今歩いている商店街から道路を挟んで反対側にある歩道にいた高校生の集団が目に入った。


(三峰先輩だ。それと違う高校の奴ら。男女同じ数いるし合コン的なやつか)


 その少しちゃらけた集団はカラオケボックスに入っていった。


「うわ。めっちゃ美人だったね、あの長い黒髪の」

「三峰秋先輩だ」


 俺の視線を辿って、同じものを見た美晴が呟く。

 同姓の目から見ても三峰先輩は思わず見とれるほどの美人らしい。他にも連れ添っていた女子は一般的に美人と呼べるくらいの整った容姿をしていたのに、並べても尚際立つ存在。


「知り合い?」

「まあ……」


 俺は美晴の問いかけに曖昧な返事をするだけで、ずっと三峰先輩が入っていったカラオケボックスを見つめていた。


(……なにを後悔しかけてるんだよ俺。最低なフりかたしたのは誰だ)


 世界は変わる。俺が三峰秋√を壊したことにより、各々がそれぞれ意思を持って自然に物語を紡いでいく。そんな当たり前のことを確認しただけだ。

 だけど無性に胸が苦しい。ぽっかりと空いた空洞に嫌な感情が押し寄せてくる。


「う、うあ……あ―っ」

「え!ちょ、おにい!」

 

(ああ、クソ。なんで泣いてんだよ)


 俺が三峰先輩をフった癖に。二度と近づくなって言った癖に。最低最悪の脅しまでした癖に。


(俺が望んだ展開だ。三峰先輩は他の男と出会って……それで……それで……)


 ―それで、俺には何が残るんだ?


「ほら!おにいも落ち込まないでよ!あんな美人と付き合えるチャンスって思えば失恋なんて―」

「三峯先輩と付き合えるチャンスなんてもう二度とないに決まってんだろ!」


 美晴の励ましを俺は苛立った声色で遮る。


 ―チャンスはもう二度と来ない。俺が捨てたんだ。

 

 

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