第7話 悪魔④

『生徒会室』と記された引き戸。

 コンコンと優しくノックして、姫はドアを開けた。


「失礼します」


 彼女は端正な所作で一礼すると入室。鈴のような声色で呼びかけた。


「生徒会長さんはいらっしゃいますか?」


 突然に訪れた姫を見て、生徒会メンバーの五人中三人は、誰だろうという顔でいぶかしんだ。

 その反応を見て彼女は、自身の格好の効果のほどを確認する。上手くいっているらしい。


 違う反応を示したのは、残りの二人。

 書記の子は、こっちを見て驚愕していた。訪れた少女が桜木姫だと知っていたから。一体何をしに来たのかと警戒心すら抱いている。

 生徒会長は、姫の姿に見惚れていた。あまりにもタイプな子だったから。彼もおそらく、少女が姫であることに気づいていない。


 そんな生徒会長を見て、本当に清楚な子が好きなんだなと、姫はにやけそうになった。期待以上の反応だ。


 数秒呆けていた彼はようやく自分が呼ばれたことに気がついたようで、頭を振り、冷静さを取り戻す。取り繕ったまま、あくまでも事務的に淡々と尋ねた。


「まずは名前と、クラスか部活は? どういった要件かな?」

「あれ? 先輩わかんないの?」


 わかっていないことを知っていながら、姫はいたずらっぽく笑う。

 眉をひそめる生徒会長に、姫はメガネを外し自らの瞳を指差して見せた。右が薄桃、左が水色の特徴的なオッドアイを。


「君、桜木か!?」

「せいかーい! 二年B組、桜木姫です」


 生徒会長は、驚愕に声を上げた。書記の子以外の他三人も同様だ。

 彼らは今の今まで、目の前にいる少女が桜木姫であると気づいていなかったのだ。普段からあれほど派手な外見をしていて、嫌でも記憶に残るにもかかわらず。


 だがしかし、気づかなかったのも無理はない。

 なぜなら姫の格好は、以前と比べて大きく変化していたから。


 まず、制服の改造がすべて解かれている。

 上下を切り離し、スカート丈を元に戻し、その他の装飾品をすべて外した。指定のものに戻ったその紺のセーラー服を、指定通りに一つの崩しもなくキッチリと着こなしている。

 通常制服の姿がもはや懐かしく、それだけで姫を姫と認識できない者もいるかもしれない。


 そして何より、彼女の印象を最も変化させたのはその黒髪だ。

 地毛の白みがかった茶髪ではなく、艶やかな黒で染め直した。

 ストレートになった長髪は彼女の白い肌によく映えており、コンタクトからメガネに変えたこともあって、文学少女のような趣すらある。


 別人かと見紛うほどに、印象がまるで違う。

 以前の姿はコスプレのようで、学校という調和の社会では浮いた存在であったから、なおさら。


 優等生然とした今の姿は、集団に溶け込み、なおも目を引く別種の魅力があった。

 姫は、奇抜でファンシーな彼女から、清楚な彼女へと一日で変身したのだ。その目的は、


「姫ね、先輩に一目惚れしちゃったみたいなんです」

「え……?」


 姫は再び鈴のような口調を作ると、流し目を送る。生徒会長はそれだけでまた冷静さを失い、大きく取り乱した。


 動揺が冷めないうちに。

 姫は空いたパイプ椅子を引っ張ると、生徒会長の隣に腰を下ろした。

 ぴったりと、くっつくくらいの距離で。


 仕事中だった生徒会室をして、それはあまりにも場違いな行動だった。しかし、突飛すぎる姫のアプローチにみな唖然とし、誰も止めることができない。もちろん、今まさに口説かれている彼でさえも。


「先輩」


 甘い声で呼びかけた。

 最大限のあざとさで、一番かわいい角度で、いじらしい表情で、そそるような上目遣いで、意識をさらうように。


「今、好きな人っていますか?」


 ときめきの音が聞こえる。

 余裕な態度を崩さない生徒会長の心は、面白いくらいに揺れていた。

 落ちたな、と確信して姫はさらに笑みを深める。


 悪魔みたいな人とは、どんな人だろう。

 姫の最近の命題だ。


 その答えを今、彼女は得た。

 それはきっと相手に合わせて姿を変え、相手の幻想を体現し、とびっきりの誘惑を囁くような、そんな人に違いない。


 姫はチラリと、書記の子の方を窺う。

 衝撃と、絶望の一歩手前のような顔をしていた。


 ああ、そうだよ。それ、それ。


 脳内を、快感が津波のように押し寄せる。

 裂けそうなほど口角を上げ、両の目はいやらしい三日月型に歪んだ。


 そういう顔を見てるときが、最高に幸せ。

 生徒会長も欲しかったのが、書記の子のそういう顔はもっと見たかった。


 人の嫌がることをするのって、だぁいすき♡


 なぜ悪いことをするのかと聞かれたら、姫はこう答える。

 楽しいからだよ。



       ♥



 帰り道を歩く。

 部活がない日なのでまだ早い時間だ。


 今日も大遅刻をした。今日もたくさん怒られた。今日もたくさん失敗した。

 姫の学校生活は、一般的な価値観に照らし合わせるなら間違いだらけだ。毎日たくさん出来損なって、毎日たくさんの人に失望される。しかし、姫はいつでも上機嫌だった。


 ああ、今日も楽しかった。

 コンビニで買ったヨーグルトが入ったビニール袋を持って、スキップするように歩く。


 返却されたテストの点は散々だったが、気にしない。

 跳び箱の授業で盛大に転んでみんなに笑われたが、気にしない。

 何人かの先生に理不尽な叱られ方をしたが、気にしない。

 楽しいことだけ考えてるのがいいよ。


 今日の晩ご飯は何かな、と想像しながら坂を降りて行くと、


「ぐすっ……、ぐすっ……」


 幼い泣き声が聞こえてきた。

 声のする方を振り向くと、いつだかの小さな女の子がいた。

また迷子になったらしい。


「あ……」


 向こうもこっちに気づいた。知らない人を見る目で怯えて、様子を窺っている。

 どうも姫のことを覚えていないらしく一瞬悲しい気持ちになったが、姫の方こそ思い出した。

 姫は清楚系に変身したのだ。以前あの子を助けた時の彼女はピンク色の髪に改造制服を着ていたのだから、今の姿を見て別人だと思うのは仕方のないことだった。


「……おねえちゃん?」


 と思いきや、女の子は彼女が姫だと気づいたらしい。その目には安堵がある。

 少しだけ驚いた。子どもの記憶力は案外すごい。


 さてどうしようか、と姫は今日の出来事を振り返る。

 この迷子になっている女の子を、また助けてあげるか否かの精査だ。

 たしか今朝、姫は学校へ向かう途中で空き缶を拾い、ゴミ箱に捨てたはずだ。すでに一つ、いいことをしているのだ。それでノルマは達成している。

 じゃあ、いっか。


 姫は駆け寄ってくる女の子にひらひらと手を振ると、


「ごめーん、今日の一日一善終わっちゃったんだー」

「え……?」


 理解できない言葉。しかし嫌な予感がして、女の子の涙は引っ込んだ。

 そして予感通り、姫は女の子を素通りして背を向ける。


「お、おねえちゃ……」


 追いかけて来ようとする幼子に、中学生のお姉さんは振り返って一言。


「がんば~」


 あまりにも感情のこもっていない、淡白な励ましだった。

 子どもながらに深い溝を感じた女の子は足を止め、その場に置き去りにされる。そうしてしばらく姫を見送ると、また泣き出してしまった。

 泣かせたのは姫だ。彼女の態度は、あまりにも冷たかった。周囲に人がいれば、その行いを盛大に責められたことだろう。


 しかし、姫にその自覚はない。彼女には、悪いことをしている意識は一つもなかった。

 小さな迷子も、ゴミ拾いも、姫にとっては同じだ。同じノルマでしかない。

 それはたとえ知っている子だろうが、慕ってくれている子だろうが、見捨てたら傷つくことがわかっていようが、変らない。


「だって別に、私のモノじゃないし」


 姫のモノでないものがどうなろうと、彼女には関係ないことだった。



       ♥



 夕食後に、買ってきたヨーグルトを食べた。

 特別おいしいとは思っていない。ただ習慣だから食べている。続けてたら、健康になれそうな気がする。


 風呂上がりに鏡を見た。正確には、そこに映る色違いの瞳を。

 姫はこの目が好きだ。綺麗で、鮮やかで、個性的で、何度見ても飽きない。一番の宝物かもしれない。たっぷり三十分は眺めて、満足する。


 寝る前に、一冊のノートを取り出した。

 表紙にはマジックで、『一日一善ノート』と記されている。

 その名の通り、姫がその日してきた良いことを記録するノートだ。小学四年生の頃から使っている。


 一日一善という習慣を守るためのものではあるが、うっかり二善をしてしまったらそれも書いていいというルールもある。そんなうっかりが起きたことは今まで一度もないけど。


 ページをめくり、今日の記録を読む。

 一月十一日 あき缶をひろった

 以上。終わり。


 姫は満足げにうなづくと、ノートを閉じる。


「今日もいいことした!」


 そうして、姫の一日は終わる。


 ヨーグルトを食べる。

 鏡を見る。

 ノートを見返す。


 そんな感じの、夜のルーティーン。




 桜木姫 十四歳 中学二年生


 好きな色:白

 好きな食べ物:砂糖類、油類

 好きなアイテム:光ってるもの、綺麗なもの

 好きなファッション:派手なもの、華やかなもの、鮮やかなもの、個性的なもの、色々


 肌の色:色素の薄い白

 瞳の色:右が薄桃、左が水色のオッドアイ

 外見:変幻自在


 その希少で美しい二色の目で、世界を見たいように見ている。

 強烈な主観は、どこまでも自分を中心とする。

 自分ルールでのみ生きている。


 その人間離れした二色の目で、他者を思うようにもてあそび、惑わす。

 気まぐれに人をいじめて、楽しむ。

 愉しむ。



 悪魔。

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