16

 県警に戻った捜査員は鑑識課や科捜研と協力して押収品の鑑定を急いだ。また、提出させた身分証から住人の身元を洗い出し、捜査会議の場で共有した。

 静まり返った会議室で、家宅捜索の責任者である八重樫が報告を始める。

「あの家は十六年前、地元の老夫婦が建てたものです。しかし数年後に自宅で相次いで病死し、事故物件として破格の値段で売りに出されていました。老夫婦は息子夫婦との同居を望んでいたようで、寝室は合計四つあり、全室バリアフリーの設計です。家主の眞木祐矢はそこに惹かれて購入したとみられます」

「その眞木という男について詳しいことはわかったか」

 前の長机に座る渡が促した。これには桜庭が挙手し、八重樫と入れ替わるように立ち上がった。

「定期的に通院しているという病院に問い合わせました。中学のころ事故で両眼の視力を失い、それからしばらく入居施設で生活しています。両親は離婚し、母親の行方はわかりません。父親は早くに病死しています。相続した遺産であの家を購入したようです」

「よし。では次は同居していた住人の素性だ」

 あの家の住人、眞木を入れて四人は本部に任意同行されている。別々の部屋で話を聞かれているが、取り乱す様子もなく淡々と応じているようだった。

 まずは住人のひとり、ハルを取り調べた佐久間が報告した。

「ハルと名乗っていた男ですが、本名はしま武治たけはる。彼には軽度知的障害があり、日中はカフェを経営する事業所に働きに出ています。以前はグループホームで生活していましたが、そこでひどいいじめに遭い、施設を飛び出したようです」

「あの家に来たのはそれがきっかけか。彼の両親は?」

「健在ですが、息子のことには関心がないようです。グループホームを飛び出したとき連絡が行っているはずですが、両親が心配して駆けつけたという記録はありません。今どこで何をしているかも知らないのでしょう」

 佐久間がためらいがちに告げると、渡は苦虫を噛み潰したような顔になった。姿を消して誰にも捜してもらえないとは、間接的に存在を否定されたようなものである。

 次に、レイジを取り調べた畠山が立ち上がって手帳を開いた。

「レイジと名乗っていた男、馬場ばば怜司れいじには前科がありました」

「なに?」

「十六歳のとき悪い仲間とつるんで放火未遂事件を起こしています。家庭裁判所の決定で検察官送致され、執行猶予四年の判決を受けています。これがかなり堪えたのか、現在に至るまでスピード違反のひとつも起こしていません」

「少年犯罪の当事者にしては珍しく、真面目に更生しているケースだな。だが身近で誘拐事件が起こっている以上、看過できない事実だ」

 渡はこちらを向いて座る捜査員の顔を見回し、女性刑事の落合おちあいに視線を据えた。

「任意同行した若者はもうひとりいたな。落合に任せたはずだが」

「はい。ジュンと名乗っていた若者ですが、本名は緒方おがた佳純かすみ。彼女は十数年前、子役として活躍していた経歴があります」

 この言葉で会議室がざわついた。中には忍び笑いを漏らす者もいて、落合は少し声を大きくした。

「中性的な容姿が人気を呼びましたが、父親に薬物使用疑惑が浮上し、芸能界を引退しています。その後はアルバイトを転々として暮らしていました。たまたま配属先が一緒になったミユキと知り合い、あの家に引っ越してきたそうです。ミユキは見た目こそ派手だが優しい性格で、誰かを傷付けるような子ではないと言っていました」

「なるほど。しかしあくまで身内の証言だろう」

「確かにそうですが、彼女はあの家の人間模様をよく観察していました。馬場怜司ことレイジはミユキに想いを寄せていたそうです。また、ミユキも誰かに片思いをしているようだったと教えてくれました」

「それが犯行の動機、誘拐教唆および幇助に繋がる可能性もなくはない。押収品の鑑定を急がせる必要があるな」

 そのとき咳払いがして、渡は隣に座る蔵吉刑事部長を見やった。同居人の素性などどうでもいいとばかりにふんぞり返っている。

「四人は証拠隠滅の恐れがあるとして任意の取り調べを受けている。押収品から証拠となるものが出てこなければ逮捕には至らない。大々的に家宅捜索を行なった結果、振り出しに戻るでは困るぞ」

「もちろん別の方面からも捜査を続けています。御手洗議員とその家族に対する怨恨の線から事件関係者を調べ直しています」

「ほう? で、首尾はどうなんだね」

 蔵吉の嫌味ったらしい問いかけを半ば聞き流し、渡は辰巳に話を振った。

「辰巳、報告を」

「リストに挙がった関係者について調べは終えています。大半が警察沙汰とは無縁の一般市民ですが、気になる人物がひとりいました。通報者の入江尚志、彼には前科があります。十四年前、当時住んでいた自宅で娘を死亡させ、実刑を受けています」

 辰巳は手帳に記した情報を読み上げた。それによって渡の眉間の皺はどんどん深くなるばかりで、永遠に消えないかに思えた。捜査の足がかりはなくても困るが、ありすぎても困る。

「当時の供述調書によると、娘には生まれつき脳性まひがあり、自由に身体を動かすことが困難な状態にありました。入江はその子を真冬の屋外に放置し、低体温症により死亡させています。故意にやったのではないかという見方もありましたが、殺意の認定はされず、罪状は保護責任者遺棄致死。九年の刑期を七年で終えています。模範囚だったようですね」

「それが今回の誘拐事件とどう繋がるんだ」

 気の短い蔵吉が痺れを切らし、辰巳の説明を遮った。

「今から申し上げます。今回の一件とは無関係と思えない節があり、速水と芝に確認に向かわせています。先ほど取り寄せた入江尚志の戸籍ですが……」


 同じころ、デイサービスセンターうぐいすの郷の相談室で、速水と芝は横並びに座っていた。約束どおり携帯電話にかけたところ、まだ仕事中だからこちらに来てくれと言われたのである。

 結局十五分ほど待たされ、ようやく入江がやってきた。

「前回は昼食時、今回はお帰りの時間……。来るなとは言いませんが、もう少し気を遣っていただけないでしょうかね?」

 入室するなり、入江は真っ先に不満を口にした。ちょうど高齢者を自宅に送り届ける時間に当たり、例によって他の職員は忙しそうに走り回っている。そんな状況で自分だけ椅子に座っているのはプライドが許さないようだった。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。ただ今回は手短にとはいかないかもしれません。入江尚志さん、あなたには前科がありますね。娘に対する保護責任者遺棄致死罪で、九年の実刑を受けておられた」

 速水の口から告げられた入江は一瞬青くなった。が、すぐに気を取り直し、ぴんと背筋を伸ばした。

「ええ、そうですよ。しかし今は罪を償い、こうしてまっとうに生きています。刑事さんといえど蒸し返されるのは心外です」

「もちろんそのことに異を唱えるつもりはありません。我々がここに来たのは誘拐事件の捜査のためです。こちらをご覧ください」

 速水は懐から折り畳んだ書類を出し、入江に見えるように置いた。

「勝手ながら、あなたの戸籍謄本を取り寄せました。次女の美咲みさきさんは十四年前に死亡。あなたの供述調書には、車いすごと真冬の屋外に放置し、低体温症により死亡させたとあります」

「……」

「奥様は十年前に死亡。あなたがまだ刑事施設に収容されているころですね。我々がお聞きしたいのはここ、美咲さんのお姉さん、長女の美雪みゆきさんのことです」

 その途端、入江の表情ががらりと変わった。早く仕事に戻りたいと苛立つ態度から一転、怯えたような瞳で刑事を凝視する。

「年齢は今年で二十四歳になります。前回お邪魔したときはお伝えしませんでしたが、現場で目撃された女性はミユキと呼ばれていました。この似顔絵、お見せしましたよね」

 速水は前回も持参した似顔絵を広げ、戸籍謄本の横に置いた。入江はそこに描かれた女性の顔を一瞥し、観念したように頭を垂れた。

「わたしが逮捕されてから十四年も会っていない娘です。似ているとは思いましたが、まさか誘拐事件に関わっているとは……」

 ようやく重い口を開いた。速水は目で合図し、芝と質問役を交代した。

「もうひとつあります。あの日、送迎車を運転していたスタッフの方に話を聞きました。するととても興味深い証言を得られました。あなたと御手洗智代さんは以前からのお知り合いでしたね?」

 二人の刑事に交互に攻め込まれ、入江はビクッと飛び上がった。

「まほろば公園のそばに車を停め、高齢者の方々を降ろしている最中のことです。道の向こうからやってきた母娘に親しげに声をかけていたそうですね。顔写真を見てもらったところ、御手洗智代さんと唯花ちゃんの母娘で間違いないと確認が取れました。どうして黙っていたんですか?」

 普段は物静かな機械マニアと評判の芝だが、このときばかりは語気を強めていた。

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