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結局、一時間ほどで捜査会議は終了した。意気消沈した辰巳のもとに弁当座談会のメンバーが集まってくる。
「一緒に弁当を食べただけなのに、公開処刑を受ける羽目になるとは驚きましたね」
同情気味の速水の横で、亜須香がおろおろしながら言った。
「あの家に被害者がいるかもしれないなんて全く思い当たりませんでした。不甲斐ないです。伊達さんは何か気付きましたか?」
「僕も何も。リビング以外の部屋はドアで閉めきられていましたし、家の奥が見たいと言っても許可してもらえなかったでしょう。あのときの眞木さんの態度は疑われて然るべきですが、だからといって……」
珍しく言い淀む伊達に、その場の全員が注目した。
「僕の個人的な意見です。令状が発行されたら否応なしに家宅捜索が始まります。でも、本当にそれでいいのかという気がするんです。あの人が警察に盾ついてまで守ろうとしたものを、僕たちが暴いていいのでしょうか」
「暴くも何も、刑事相手に怪しい動きをすれば疑われるのも当然だ。心にやましいところがある人間ほど強硬な態度に出るものだ。違うか?」
速水はそう言って、いまだ立ち直れない様子の辰巳を見た。被害者救出と犯人の身柄確保の機会を逃したと言われたことが相当応えたらしい。
「――一旦仕切り直しだな。俺たちの仕事は大きく分けて、捜査員を率いて眞木祐矢の家に向かうこと、それから御手洗議員と関係者の接点を調べること、その二つだ」
聞き覚えのある声に全員が振り向くと、いつ来たのか、輪の中に桜庭がいた。皆と同じように捜査情報をメモした手帳を持ち、ペンの先で顎を掻いている。
「いつからそこにいた?」
「会議には遅刻したが、肝心なところは聞いていた。署長も一緒だ」
桜庭は前の長机を指さした。刑事部長は令状の手続きのため不在で、ひとり残った渡の隣に田所署長がいた。両者とも難しい顔で言葉を交わしている。
「これから会見なんだそうだ。新たに入手した情報を忌憚なくマスコミに明かす、それが協定の条件だからな」
長机の二人の会話はすぐに終わり、田所はせかせかと小走りにやってきた。渡から何を言われたのか、いつも以上に青白い顔をしている。
「誘拐犯潜伏の疑いがある家に上がり込んで、見張りもつけずにのこのこ帰ってきたというのは本当かい? 会見では、犯人蔵匿および証拠隠滅の疑いがある人物の自宅に捜索に入るとだけ言っておく。容疑が固まれば実名を言っても構わないだろう」
この男はこれから会見場で記者に質問攻めにされるわけで、緊張感の裏返しか、妙にイライラしている。たまにカメラの前に立つのが好きな管理職もいるが、田所はそういうタイプではなかった。
「署長」
「桜庭か。何か付け加えることでも?」
「報告が遅れて申し訳ありません。実は昨夜から今朝にかけて、管内で不審死が相次いでいます」
「不審死? 藪から棒に何の話だ?」
田所は口を半開きにして固まった。誘拐事件でいっぱいの頭に不審死という単語が入り込み、よく理解できなかったらしい。
「一件は自分の妻が歩道橋から転落死した事件。もう一件は、弁護士の飯塚英生の家で妻の夏苗が死亡した事件。この二つは徒歩圏内で起きていて、さらに関連性を示唆するメモが見つかっています」
何度も見るうち憶えてしまったのだろう、桜庭は何も見ずに内容を暗唱した。すると田所は不愉快そうに唸った。
「無能な警察とは失礼な。その長谷部千尋というのが君の奥さんかね」
「はい。長谷部は妻の旧姓です」
「で、もうひとりの飯塚なんとやらの妻も不審死を遂げていたと」
「飯塚夏苗は昨夜午後九時から十一時の間に、千尋は日付が変わった午前零時から二時の間に亡くなっています。先ほども言いましたが二つの現場は徒歩圏内にあり、犯行声明のようなメモの存在も気になっています」
「もしこれが連続殺人なら今後も続くか、もうすでに起きているかもしれない。言いたいことはわかったが、なぜ今言うんだ?」
謎に包まれた誘拐犯の素性を明らかにするため、民間人の家を捜索しようという矢先である。証拠が出ればそれで大騒ぎになるが、出なかったとしても人道上の理由で問題になる。民間人に対する強制処分はそれだけ重いリスクを伴う。
「できれば誘拐事件が解決してから報告したかったというのが正直な気持ちです。しかし連続殺人の犯人は警察の事情など考慮してはくれません。今日か明日にも第三の事件が起こるかもしれません」
「う、うむ……」
「手をこまねいている間に次の殺人が起きたら、しかもそれをマスコミに嗅ぎつけられたら、間違いなく利峰署の不祥事になります」
桜庭は言いにくいことをずけずけ言った。田所は判断に困ったように目を泳がせている。桜庭に加勢しようと思ったのか、市ノ瀬が横から言った。
「口を挟んで申し訳ありません。飯塚夏苗の事件ですが、あの辺りは裕福な家庭が多く、平日の昼間も家にいて不審な人物を目撃している人がいるかもしれません。たとえば現場の下見に来たブルーのパーカーを着た青年とか」
「ブルーのパーカー? それが事件の手がかりなのか?」
うんざりした表情を浮かべ、田所は宙を振り仰いだ。
「歩道橋の現場に駆けつけたとき野次馬の中にいたんです。十二月なのに薄いパーカー一枚で、俺と目が合うと去っていったので変だなと思ったんです」
同じく歩道橋の現場にいた速水はそれを聞いて思い出した。
「そういやそんなことも言っていたな。俺もちらっと見たが、やっぱり怪しいのか」
「もしかしたら手がかりになるかもしれない人物というだけです。容疑者と呼べるかどうかもわかりませんが、何もしないよりましじゃないですか」
市ノ瀬に問いかけられた田所はため息をついた。反論されるのを見越してか、桜庭が咳払いをして姿勢を正した。
「俺は不審死の捜査には加わりません。誘拐された少女を救うために全力を注ぎます。しかし田所署長、この二つの事件を頭の隅に留めておいてください。被害者の遺族としてではなく刑事として、俺は目の前の事件に優先順位をつけてはいけないと思っています」
桜庭は低い声で言い終えた。田所はまだ何か言いたそうだったが、この場の責任者である辰巳がやってきたので口をつぐんだ。
「話は済んだか? 今回の家宅捜索の現場は
辰巳の紹介で前に進み出たのは、熊のようながっしりした体格の男だった。
「八重樫だ。今さら言うまでもないが、捜査員には相応の緊張感を持って事に当たってもらいたい。県警からは佐久間と畠山、伊達を出すつもりだが、利峰署はどうする?」
「そうだな……。利峰署からは桜庭と速水を出そう。市ノ瀬と桧野はここに残って連絡を待ってくれ」
田所が指示を出し、全員が了解の返事をした。先ほどああ言っていた桜庭も頭を切り替えたのか、表情を硬く引き締めている。八重樫は角ばった顎を引いて頷いた。
「では家宅捜索の段取りを決める。彼らに加わってくれ」
八重樫はすでに捜査員が集まっている机を示した。伊達や亜須香が持ち帰った情報をもとに、捜査員の配置や踏み込むタイミングなど家宅捜索の作戦を練っている。
「田所署長、そろそろお時間です」
県警の広報課員がやってきて声をかけた。会見を控えた田所は顔を引きつらせた。
「すぐに向かう。その前に速水……」
「なんです?」
捜査に加わろうとしていた速水は田所に呼び止められて振り返った。
「桜庭は刑事としての経験も長く、根拠もなしに物を言う男ではない。だが二件の不審死のうち一件は身内が被害に遭っている。奥さんを失くしたショックで見境がなくなって、個人的な感情に突き動かされているのではないかと思う」
「そういうこともあるでしょうが、桜庭が言っていることは正論だと思います。仮に二件の不審死が連続殺人であれば、いつどこで次の犠牲者が出るかわかりません」
「本来すべき捜査を怠ることがどれほどの不始末か、それぐらいわかっている。何か問題が起きたとき真っ先に責任を問われるのはわたしだ。そうならないよう桜庭の様子をよく見ておいてくれ」
田所が何に怯えているか、速水には手に取るようにわかった。連続殺人を見逃していたことが明らかになれば、十中八九責任を取らされるのは現場の人間である。上層部の判断で誘拐事件が優先されまして、と説明したところで世間は許さないだろう。
「市ノ瀬と桧野は家宅捜索が始まるまで手が空いているな。桜庭と速水から連絡があればすぐに知らせてくれ。それ以外の時間は現場の聞き込みに回るんだ」
「いいんですか? 俺たちを連絡係に割り振ったのは署長でしょう」
市ノ瀬が意外そうに目を丸くしたが、田所は素知らぬ顔で言い訳をした。
「捜査本部に留まれとは言っていない。もちろん今の時点で最優先にされるべきは、被害者の身の安全を確保することだ。こちらに進展があれば本部に戻ってもらう」
「なるほど……。誘拐事件を追いつつも不審死を捜査していた事実を作るんですね。異論はありませんけど」
呆れたような感心したような表情で、市ノ瀬は亜須香と顔を見合わせた。田所は自分の英断に満足したのか、胸を張って広報課員とともに去っていった。速水は内心で笑いを堪え、顔を突き合わせている桜庭たち捜査員に加わった。
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