医者と神の七日間

みーこ

第1話 一日目①

 この一ヶ月程の間、一週間と同じ〝世界〟にいた覚えがない。追えば別の世界へと逃げる相手を執拗に追い続け、また別の世界へ転移したと言うからこちらも揃って別の世界へと移動する。今回は三日か。一日で世界を二つ跨ぐよりはマシだ。私は荷物を纏めて集合場所へと向かった。

「やっと来たか、ロクドト」

 集合場所となっている広場にはもう既に私以外の団員が集まっていた。前方では副団長が声を張り上げて注意事項を述べている。さも最初からいたかのように素知らぬ顔で集団の後列に加わる算段だったが、そこには私が出てきた扉に睨みを利かせ腕組みをする一人の男がいた。同期のギンズだ。

「もう少し早く準備を終わらせる事はできないのか?」

「ふん。ワタシはキミ達よりも荷物が多いのだ。こまごまとした医療器具に実験道具、野蛮人共が倒れた時に寝かせる為のベッド、それから」

「すまない僕が悪かった。そうだな。君がそうやって準備をしてくれているから、僕達は大怪我をしても治らない心配をする必要がないんだ」

「分かればいい」

 副団長の「以上で説明を終わる」という声が聞こえ、二人して前を向く。こいつだって聞きなれた注意事項に真面目に耳を傾ける気がなくて、ずっと後ろを向いて私が来るのを待っていたのだろう。団長が話し始めるまでに来なかったら呼びに行く為に。だがそんな心配はしなくても、その時間には間に合うように準備を終わらせてきたのだ。奴の機嫌を損ねさせると面倒でしかないからな。

 副団長と入れ替わりに団長が前へ出て、大声で演説を始めた。身に付けている黄金の鎧は磨いたばかりなのだろう。目が痛い。

「誇り高きディカニスの騎士達よ! またしても憎き魔王は我が妻を連れて別の世界へと渡った。もし君達の団長が俺以外の人物であったなら、何故何度も奴を逃がすのかと叱責したであろう。だが俺は違う! 俺は諦める事無く幾度も魔王と対峙した君達を称えたい! 魔王の強大な力を前に、怯える事無く、カタ神話の最高神であり戦神であるこの俺カルバスを信じて戦ってくれた事に感謝する‼」

 カルバスの言葉に、団員達は一斉に興奮したような声を上げた。

「ありがとう! 君達が我がディカニスの団員である事こそが俺の誇りだ! さて、そんな君達に朗報だ! 調査の結果、かの魔王は奴が信仰されていない世界へと渡った事が判明した。つまり、奴を捕まえるまたとない機会だ。恐らく奴はこの俺も力を発揮できないと考えたのだろうが、それが奴の計算違いだ。何故なら俺には君達がいる! 君達が俺と共にいる限り、俺は力を発揮する事ができる。君達が俺の力だからだ!」

 またしても上がる歓声を、私は黙って聞いていた。

「このまたとない機会を逃さず魔王を確実に仕留める事も重要だが、我が妻スティルの保護も忘れるな! 魔王に囚われ洗脳され、怖い思いをしているに違いない。一刻も早く救い出すのだ!」

 団員達はまた一段と声を張り上げて叫んだ。スティルを保護した者には特別な報酬が贈られるのだ。愚か者共はその報酬と、カタ神話で最も美しい女神と名高いスティルに近づく事を狙っているのだろう。

(くだらん……)

 その後もカルバスの中身のない演説を大声で聞かされ——熱心な信者であればいたく感激したのだろうが、私はそうではない——何度目かの欠伸を噛み締めた頃に漸く移動となった。

「行くぞ! 誇り高きディカニスの騎士達よ!」

 カルバスの掛け声と共に、私達は異世界へと渡った。


 ディカニスと言えば、カタ王国に住む多くの者にとっては憧れの存在だ。国王に仕える騎士団よりも人気が高い。何故ならカタ王国に古くから伝わるカタ神話の最高神にして戦神、カルバス直属の騎士団だからだ。

 昔は入団する為には剣と魔法両方の技術が必要だったそうだが、今は戦も少ない時代になり、どちらか一方の技術があれば入団できる。その為最盛期よりも質が落ちたそうだが、その時代に生まれていない私には比較のしようがない。

 そんなある日、今から一ヶ月程前の事。カルバスがディカニスを結成するに至った要因、魔王ディサエルの姿が発見された。かの魔王はカルバスが神になった時に打ち倒した、という話はカタ神話関連のどの書物にも記載されている。その時に結成した討伐隊が今のディカニスだという事も。だがどういう訳か魔王は復活し、カルバスが我が妻と言い張るスティルと共にいた。それを見たカルバスは憤慨し、己の騎士団を引き連れ二度目の魔王討伐に動き出したのだが、質が落ちたらしいディカニスでは魔王相手に歯が立たなかった。魔王はスティルを連れて異世界へ行き、カルバスは己の妻を救い魔王を屠るべくディカニスと共にそれを追う。ディカニスに所属していれば異世界へ行く機会は年に十数回はあるが、その最多記録をこの一ヶ月で更新した。


 魔王がいるらしい世界に到着した私達は、すぐさま二手に分かれた。魔王を追う戦闘部隊と、この世界でのイェントック(カルバスが初めて異世界に渡った際に快く住処を提供した人物の名前から取って、一時的な拠点として使う場所をそう呼んでいる)を築く為の非戦闘部隊だ。

非戦闘“部隊”と少々大袈裟に書いたが、人員は私を含めても十人に満たない。彼らも剣か魔法の腕はあるが、団員全員分の料理を作るだとか、武具の手入れだとか、そうした裏方の仕事も得意な奴らだ。私は治癒魔法の腕を見込まれ医者として入団した為こちら側にいる。

渡る前にカルバスは「魔王が信仰されていない世界」と言っていたが、なるほどこの世界は魔力量が少ない。魔法が一般的ではないのだろう。そうなるとイェントックとして使用可能な場所を探すのにも一苦労だ。魔力の溜まりやすい場所を手分けして探すと、暫くして教会と思しき建物が見つかった。所々塗装が剥がれ落ち蜘蛛の巣が張っているが、その程度であれば魔法でどうにかなる。今はもう使われていないのか、この世界の名も知らぬ神の気配は無い。その神を称えるものであろう絵画や彫像は埃を被っている。

 この部隊の指揮官であるセンマードンが一人一人に指示を出し、ある者は外観を綺麗にし、ある者は外部からの侵入を防ぐ為に障壁を張る、といった具合にこの教会を拠点として使用できるように整備していく。私は医務室として使えそうな部屋を探し、そこを掃除してから必要な物を鞄から出していく。この部屋はあまり広くないからベッドは二台でいいだろう。縮小魔法を掛けたベッドを取り出して拡大させる。だがすぐに魔王を見つけて一戦交えた場合——魔王にそれだけの魔力があるかは不明だが、ベッドが二台では足りない可能性がある。広間にも簡易的なベッドを幾つか用意しておこう。次に私は室内に元々置いてあった机の上に医療器具を並べていった。戦闘部隊がこちらに来た時に必要になりそうな魔法薬も一緒に並べる。実験道具を元のサイズで置いておくには少々手狭だ。拡大魔法は掛けず、鞄に入れたまま机の下に置いた。

「……よし」

 あらかたの用意はできた。後は怪我人が出るのを待つだけだ。それまで私の医者としての仕事は無い。

 この世界に来た時、辺りは暗く空には月が出ていたが、気づけば窓から朝日が差し込んでいた。どの世界であろうと夜が明ければ朝が来る事に殆ど違いはない。これだけの時間が経っていれば、戦闘部隊の野蛮人共がそろそろイェントックに来る頃だろう。外では調理班が食事の準備をしているのか、換気の為に開け放った窓からは食欲を誘う美味しそうな匂いが漂ってきた。

「お前ら! 戦闘部隊が来る前に腹ごしらえしとけよ!」

 外からセンマードンの声が聞こえてきた。その声に釣られて室内で作業していた者達が外に出る。勿論私もだ。非戦闘部隊全員が集まり、速やかに食事をとった。

 戦闘部隊が戻ってくれば、元気な奴には食事を与え、怪我をしている者には手当てをする。怪我人の人数によっては私一人では手が回らないから、非戦闘部隊の他の奴らにも手伝わせる必要がある。その場合は私がこいつらの指揮を執らねばならない。重傷患者は自分で診るとして、軽傷であれば簡単な処置くらいは誰にでもできる。食事をしつつ、誰に何を任せるか割り振った。尤もこうした説明もこの一ヶ月で何度も行っているから、確認作業に等しい。

 食事を終えて医務室に戻り、魔法薬の調合を始めた。傷の程度や種類によって、使うべき魔法薬も変わってくる。誰がいつどんな怪我をしてもいいように、時間のある時にはこうしてストックを作っている。


 魔法薬を瓶に移し替えている時だった。外が俄かに騒がしくなった。どうやら戦闘部隊が来たようだ。一人、また一人と帰ってきて、騒がしさも増していく。喧しい足音も聴こえてくる。

(うるさい……)

 魔法薬が溢れたらどうしてくれるのだ。私は集中力を乱されぬよう注意しながら最後の一瓶に魔法薬を注いだ。丁度その時。

「ここにいたか、ロクドト!」

 医務室の扉をギンズが勢いよく開け放った。

「キミがそんな切羽詰まった様子で来るとは珍しいな。心配しなくても重傷患者が出たのならすぐに診て……」

 魔法薬から目を離してギンズを顧みた私は、そこで言葉を失った。

「それは……!」

 ギンズの後ろにはもう一人騎士がいた。いや、正確に言えば、騎士と、騎士に抱えられた少女がいた。肌も髪も、少し汚れてはいるが服も真っ白な少女だ。少女は気を失っているのか、騎士の腕の中で力なく項垂れている。聞こえてくる呼吸音は荒い。そして視える限りでは、魔力が極端に少ない。

「ああ、そうだ。スティル様を保護したんだ。だが魔王に捕らえられていたせいで見ての通りの様子だ。僕らでは詳しい症状が分からないから、すぐ君に診てほしい」

 魔王に捕らえられていたせいで、だと? 彼女の様子を見て誰も何が原因か分からなかったのか?

(愚か者共が……っ!)

「早く彼女をベッドに寝かせろ! 他の怪我人は広間にでも転がしておけ! 必要な魔法薬は全て出しておくから、誰もここに入れるな! キミ達も出ていけ!」

「分かった」

 ギンズともう一人の騎士は素早くスティルをベッドに寝かせ、すぐに医務室から出ていった。私は今作ったばかりの物も含め、あるだけの魔法薬を広間に出し、鬱陶しい程長い髪の毛を——だからと言って短くする気は無い——一つに纏めた。長く掛かりそうな処置を行う前の気合い入れのようなものだ。

「失礼するぞ」

 聞こえてはいないだろうが、一応声を掛けてから彼女の服を少し脱がし鎖骨の下辺りに手を添える。すると自分の身体がふわりと浮いたかと思った次の瞬間背中に激痛を感じ、視界には天井が映っていた。

「……っ、…………?」

 何が起きたのか理解できずに目をしばたたかせていると、ベッドの軋む音が聞こえた。次いで軽い足音。彼女は血の様に赤い瞳で床に寝転がる私を見下ろした。

「気安く触らないで」

 氷の様に冷たい声で言い放ち、彼女は私の顔に踵を振り下ろした。


 神や魔王といった存在は人間の信仰心を魔力に変換するのだが、信仰心が無ければ魔力を満足に得られないらしい。故に神は己の神話を人々に語り継がせ、信仰心を得る。神によっては複数の世界で信仰を得ている者もいる。その様な神は、信仰されてさえいれば、どの世界に行っても魔力を得られる。またカルバスの様に、己を信仰している人間を連れ添って異世界へ行く神もいる。そうすれば行った先の世界で神として君臨していなくても、連れて来た信者がいるから魔力を得られるのだ。

 では神が異世界へ渡った際、そこで己が信仰されておらず、また信者を連れていない場合どうなるか。信仰心を得られない為に魔力も得られず、魔力不足を起こす。神が魔力不足を起こすと、己の存在を保つのもやっとの状態になり、最悪の場合消滅——つまり人間にとっての死を迎える。

 カタ神話の最高神カルバスが我が妻と呼ぶスティルも、無論神である。カルバスはこの世界を魔王が信仰されていない世界だと言ったが、カルバスもスティルも信仰されていない世界だと言い換える事も可能だ。カルバスは己の騎士団を率いてきたから信仰心=魔力を得られるが、同じ神話に登場する神であるはずのスティルは、その実正しく信仰されていないが故に信仰心を得られず、魔力不足を起こした。だからこの医務室に来た時点であんなにも憔悴しきっていた。なのに、何故。

(何故、あんなにも急に……)

 魔力不足を起こしているのは目に見えて明らかだった。その為私は魔力を供給しようとしたのだ。魔力供給の仕方は色々あるが、相手の心臓近くに直接触れて自分の魔力を送り込むのが一番手っ取り早いと言われている。だからその方法を取った。否、取ろうとした。私が取った行動は、心臓近くに触れた。ただそれだけだ。魔力の供給は一切行っていない。それなのに何故かスティルにひっくり返された。それだけの力があるようには到底見えなかったというのに。


「気がついた?」

 いつの間にか私はベッドに寝かされていた。恐る恐る顔を触ると、スティルの踵がめり込んだ筈のそこは何事も無かったかのように元の形に戻っている。血も何も出ていない。

「よかったね。あなた達がディサエルを倒してなくて」

 声がした方を向くと、スティルが酷く冷めた表情で椅子に座っていた。

「キミは……ワタシに、何を……」

「ムカついたから殺しただけだよ」

 では、私は死んだのか。先程までいた医務室とよく似た光景のこの場所は、実際には死後の世界なのだろうか。

「死ねないわたしが死後の世界に行ける訳ないでしょ。わたしはあなたを殺したけど、本当は人間を殺す事って許されてないんだよね。だからあなたは殺される前の姿に戻ったの。でもディサエルがいるからあなたは元に戻る事ができたんだよ」

 頭がまだはっきりしていないせいで、話の内容も十分に理解できない。身体を起こしながら彼女に聞いた。

「ワタシはキミに殺された。だが生き返った。それにはあの魔王が関係していると言うのか?」

「そう」

 ディサエルと言えば、カタ神話では史上最悪の魔王として登場する。スティルの事を己の双子の妹と言い、しかし太陽の神だとか最も美しい女神だとか言われるスティルとは違い、破壊の限りを尽くす。その為カルバスはディサエルを忌み嫌っており、悪い事が起きるのは全て魔王のせいだと言って憚らない。だが……。

(それは違う)

 ディサエルはカタ神話以外でも、名前や姿に多少の違いはあるが、様々な世界の神話に登場する。殆どの場合は悪役として。しかしそうではない神話も、私が知る限りでは一つだけある。原初の神と呼ばれる十柱の神が登場する神話だ。曰く、その原初の神々が世界を一度滅ぼした後、新たな世界を創造した。新たな世界では十柱がそれぞれ己の力に合う何か(それこそ創造とか、破壊とか、他には火や水といったもの)を司り、その力を用いて人々を導いた。その過程で様々な神話が新たに生まれ、今語り継がれている神話は新たに生まれた方の神話なのだと。その原初の神の中の二柱がディサエルとスティルで、それぞれが司るものは、

「ディサエルが創造と太陽で、スティル……キミが破壊と月だったな」

「なぁんだ。知ってるんだね」

 スティルは氷の様に冷たい表情から一変して、少女らしい満面の笑みを見せてきた。

「わたしは破壊と月を司る神、スティル。あなた達がバカの妻だとか太陽の神だとか言うせいで、正しく信仰心を得る事ができずに魔力不足を起こした」

 彼女は椅子から立ち上がり、両手を私の顔に添えた。赤い双眸が私を見つめてくる。

「あなたはわたしが本当は何の神なのか知ってたんだね。だからわたしは魔力を得られた。どうもありがとう」

 にこりと笑って私の首を胴体から引っこ抜く。

「でもさ~、急に胸の近くをはだけさせて触るのはどうかと思うんだよね~」

 彼女は私の頭を放り投げた。

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