『赤』の誘い




 その後、俺は何事もなく京都へとたどり着いた。


 駅で整列する同じ学校の生徒たちを尻目に、彼らが宿泊するホテルとは別のホテルに向かうと、そこで意外な再会があった。


 ホテルに荷物を預けていると、あの紳士然とした男と秘書風の女にばったり出くわしたのだ。


 しかし、これには理由がある。


 当初、気ままな一人旅を計画していた俺だが、その一人旅を俺の両親が心配したのだ。両親は俺が修学旅行をバックレることには肯定的で、未成年が宿泊施設を利用するための同意書なども積極的にサインしてくれたのだが、見知らぬ地で一人、頼りもなく旅することには反対していた。


 そこで、いざというときに現地で頼れる大人として、二人を紹介してくれる手筈になっていた。そして、その二人がたまたま新幹線内でいろいろとあった二人だったというわけだ。


 二人と再会した瞬間は、なんというか忘れられない。


 悪戯が成功したようにニヤッと笑う男は予想の範疇はんちゅうだったが、その後ろに控えている女も口元に手を当てて笑っていたのは、本当に意外だった。


 諸々の手続きを済ませてからそんな二人に伝えられなかった感謝を伝えると、


 『私もあの場では胸のすく思いでした。感謝なら私ではなく、この方に』


 『私は今もあのときも愉快な思いができた。礼ならそれだけで十分さ』


 と、言われてしまい、そこからは旅の予定などを聞かれ、しばし頼れる大人との歓談を楽しんだ。






 二度目の京都旅行は二日目の夜を迎え、おおむね順調に進んでいた。


 概ねとついているのは、自由時間で動き回る同じ学校の生徒たちと鉢合はちあわせないようにする必要があったからだ。それにともない、昼はマイナーな観光地へ、夜はメジャーな観光地へというのを徹底している。


 今は日が沈んだこともあり、前々から行きたいと思っていた清水寺を訪れていた。夜のとびりが下りてからの屋外は寒く、吐き出した白い息は闇に消えていく。


 修学旅行として清水寺を訪れていたなら、京の夜景やライトアップされた歴史的建造物を見ることは叶わなかっただろう。


 こうして本来なら叶わないはずの全てを清水の舞台から眺めていると、冷えた手足とは裏腹うらはらに身体の奥が熱くなっていく気がした。


 すると、トントンと軽く肩を叩かれる。


 こんなときに誰だと思って振り返れば、そこには見覚えのある制服を着た少女が立っていた。既視感に釣られて制服をよく見ると、少女が着ているのはうちの学校の制服だ。


 面倒なことになるかもしれないと思いつつ、少女の制服から顔へと目線を移したところで、俺は絶句した。


 もちろん、突発的な一目惚れを起こしたわけではない。俺が言葉を奪われたのは、夜風よかぜにたなびく少女の髪であり、正確にはその髪色だった。


 悪戯な風に浮かされてふわりと舞った少女の髪はまごうことなき『赤』をまとっていたのだ。


 同じ学校の制服に『赤』の髪。


 あまりの組み合わせに言葉を無くしていると、少女はこちらを値踏ねぶみするような視線を向けてくる。


 ショックから立ち直った頃合いで、俺はようやく少女に声をかけた。


 「君はうちの学校の生徒か? いや、うちの学校の生徒だとしたらどうしてこんなところに居るんだ?」


 俺が警戒しながら言葉を投げかけると、少女は思案顔しあんがおで話し始める。


 「どこかで見たことのある顔だと思ったら、やはり同じ学校の生徒でしたか……というより、ここに居たら不味いのはお互い様じゃないですか? もうこんな時間ですし」


 相手も警戒しているようで、その表情はけわしい。しかし、この状況で手をこまねいたままというのはしょうに合わなかった。


 「そのわりに君はやけに堂々と出歩いているが、何か理由でもあるのか?」


 「理由ですか……いて言うならこの髪が理由なんじゃないですか?」


 少女は吐き捨てるように言葉を重ねる。どうやら、髪色にまつわる偏見でいろいろと苦労しているらしく、目の前の苦々しい表情がそれを物語ものがたっていた。


 「そう、ですか……なら、俺たちは互いに勘違いしているのかもしれません」


 自分の口調を厳しいものから普段通りに戻し、俺は少女にとって自分が敵ではないことを伝える。


 少女は言葉少なに俺の意図をみ取ったらしく、観察するような目付きを改めて、互いに探り合うような対話が再開された。


 「勘違いですか……では、あなたは私と同じくホテルを抜け出してきたわけではないんですね?」


 「そうです。俺はそもそもこの修学旅行に参加していません。というか、たまたま日程と行き先が被っているだけで、もともと一人旅のつもりです」


 そう告げると、俺の言ったことが余程意外だったのか、少女は驚きに目を丸くする。


 そうして、一瞬のうちに僅かな時間が流れると、目の前の少女は何かに合点がてんがいったように笑みをこぼした。


 「じゃあ、あなたが初日にいろいろと起こしてた張本人ですね」


 「どういう意味ですか?」


 俺は困惑で怪訝けげん面持おももちになる。


 自分のあずかり知らぬところで自分を知られているかもしれない不快感に顔をしかめていると、少女はすかさず合いの手を入れた。


 「京都への出発時は生徒全員が出席していました。にも関わらず、京都に着いたときは、欠席が一人。そして、生徒が一人抜ける間に先生の一人も不注意でケガを負った。これだけ分かれば、その間に何が起きたのか何となくわかります」


 そう言い終わると、少女は愉快さを隠そうともせず、これまでとは異質な笑みを覗かせる。


 「それだけでわかってしまうのですか……」


 俺は少女の聡明さに言葉を漏らすと同時に、相対する高みにうすら寒さを感じた。


 少女の推察は止まらない。


 「そうですね。私もあの先生があまり好きではなかったので、どこからか頬をらして帰ってきたときは思わず笑ってしまいました。『ああ、誰かにやられたんだろうな』って。笑っているのを周りに気づかれないようにするのは大変でしたよ」


 少女の推理は予知のようで、一連の流れをどこからか眺めているようですらある。実際、少女の眼差しは遠く、ここではないどこかへと向けられていた。


 「「……」」


 両者の間に沈黙が流れる。


 どうやら、日本に住まう『赤』の人間が限りなく少ない代わりに、とてつもなく能力が高いというのは本当だったらしい。


 俺に『赤』が混じっていてもその片鱗へんりんすら見えなかったので、ただの偏見と断じていたが、案外、噂も馬鹿にできない。まだ彼女だけという線も残っているが、今はそれよりも伝えることがある。


 「俺が唯一の欠席者であることも、先生がそういう事態に見舞われたのも事実です。ですが、先生をやったのは俺ではありません。俺の代わりにやってくれた人がいました」


 「なるほど……てっきりあなたがやったものだと思っていたのですが、違う方だったのですね」


 「なぜそう思ったか聞いても?」


 「あなたなら、やると。いえ、一度見たときの印象なら、やれると思いました。ただ、それだけです」


 少女は根拠のない主観を迷いなく紡ぐ。むしろ、清々すがすがしいまでの自論をまっすぐとぶつけてきた。


 「そう、でしたか……それは髪のことも含めてですか?」


 少女が一度俺を見かけたというのなら、髪色も見られている可能性が高い。


 「それがないと言ったら、嘘になります」


 「なら、今の俺を見たら少し考えが変わるかもしれません」


 そう言った俺は今まで被っていた帽子をぎ、己の髪を少女にさらす。


 「! その髪色は……」


 髪色に対する少女の反応は、今まで見てきた反応の中でぐんを抜いてギョッとしていたが、嫌な感じはしない。そこに悪意はなく、ただ純粋に驚いているだけだった。


 「髪色が変わったんです。あなたが言い当てた出来事の最中と後で」


 「まさか二回も髪色が変わったと?」


 俺はゆっくりとうなずく。


 「はい。あの先生といろいろあったときに限りなく『赤』寄りの髪になったんですが……翌日にはこんな『赤』と『青』が混ざりあったような状態になってしまいました。ですが、変わってしまったことに違いはありません」


 「もともと『青』が大部分で毛先が『赤』だったと記憶していますが、それがまさかこんな……」


 少女はその言葉を皮切りに黙り込んでしまう。しかし、少女が言葉を失うのもムリはないことだ。


 ただでさえ髪色は変わりにくいとされているこの世界で、俺は二回の変化を起こし、今は『赤』と『青』が混ざり合いながら独立した状態にある。この事実を受け入れるのは『赤』と『青』、どちらかを理解しただけでは難しい。


 そう思い、再び少女に目を向けると、そこに驚きの色は浮かんでいなかった。代わりにあったのは、大層不機嫌な顔だけで、少女はポツリと不満を漏らす。


 「……ズルいです」


 「え?」


 「あなたがポンポン髪色を変えたことがズルいって言ったんですよ」


 そして、強烈なジト目で俺を見据えながら、少女はだんまりを決め込んだ。俺は『こんなときに何を』と思いつつ、弁明を試みた。


 「『ズルい』というのは、髪色の変化が予想を越えていて、それを糾弾する意味合いでの『ズルい』ということですか?」


 少女は悔しそうにしながらも、大人しく首を縦に振る。


 「でしたら、俺はあなたの予想は間違っていなかったと思います」


 少女は目線で先を促す。


 「『赤』だ、『青』だなんてものは、結局のところ、ただの色です。それがどんなに明確に示されていようとも、それを証明したのが誰かである限り『絶対』なんてものはありません。しかし、言い切れないのは気持ち悪い。だから、限りなく『絶対』に近い何かを『絶対』にしたんですよ。今回で言うと、『髪色は個人の考えと深く関連している』、『髪色の変化は滅多に起こらない』ということが、それに当たります」


 「……では、髪色の変化は重要ではないと?」


 少女は控えめに問いかける。


 「そうですね。きっと重要なのは髪色ではないんです。一方で、髪色が変化したという事実を切り離すこともできません。ですが、もっと重要で切り離せない事実が、俺はあったと思っています」


 「そんなもの……あるんですか?」


 少女は不安そうに先をたずねる。


 「あります。それはあなたが見えるはずもない俺の考えを言い当てたことです。それは髪色の変化を予測する以上に重要なことで、髪色が変わった事実よりも切り離せないことではないでしょうか。少なくとも、俺はそう思います」


 そうして俺は言葉を終えると、誰かのためではない心からの笑顔を少女に浮かべた。



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