不死身のオオカミちゃん!

秋乃晃

Type-One→チョコっとビターなオランジェ 〈前編〉

 アイスクリーム屋『シックスティーンアイス』の、半分ほど上げられたシャッターをかいくぐった先。五席ほどのイートインスペースに鏡文月かがみふづきは腰掛けている。お気に入りの『とっても真っ赤なベリーベリー』をワンスクープひとすくいしたカップを左手に、プラスチック製のアイススプーンを右手に、しかし一口も口に運ぶことなく、ぽやぽやと呆けていた。


「アイス、溶けちまうよ」


 開店準備をしていたが、灰色のブレザーにチェックのスカートの制服姿な文月へ声をかける。

 その声色は優しげで、道化師の格好には合っていない。


「おじいちゃん、あのね」


 シャッターの内側には、このピエロと文月しかいない。文月はピエロに「お友だちができたの」と続ける。オレにしてみりゃ、文月も変なところあるんすけどね。横断歩道の白いところしか踏まなかったり、電化製品は叩けば直ると本気で思い込んでいたり。

 ピエロは文月の祖父にあたり、名を轟源次とどろきげんじという。この『シックスティーンアイス』の店主だ。とある名の知れた企業を定年まで勤め上げたのちに、今は亡き父――文月が生まれる前に亡くなった曽祖父――が魚屋を営んでいたこの場所でアイス屋を始めた人物として有名だ。某アイスクリームチェーン店のアイスクリームを初めて食べた時の衝撃が忘れられなかったのだと、客に聞かれるたびに話している。ちょうど文月が小学校五年生になったタイミングでの開業だった。


 文月も見よう見まねで注文に応じてアイスを掬ったりレジを打ったりと手伝いをしていたので、高校生となった今年度からは正式にアルバイトとして働こうと画策している。という名目でなら、本来必要となる高校への届出はおそらく不要だろう。祖父の代の兄弟はみな魚屋を継がなかったが、文月は祖父が勇退したらアイス屋を継ぐ心算こころづもりでいた。


「入学初日からお友だちができたんならいいじゃないか」


 その真っ赤に塗りたくられた唇から紡ぎ出される励ましの言葉を受けて、文月は「うーん……」と唸り、アイスに混ぜ込まれたイチゴをほじくり出して口に運ぶ。


 文月は今日、天助高校の入学式に出席した。

 母親も参加しているが、母親のほうは自宅へ帰っている。


 母親と文月とで、帰る場所が違う。


 というのも、高校から文月は一階に『シックスティーンアイス』の入っているこのマンションの六階で生活していく。なぜなら自宅から通うよりもこちらから通うほうが通学時間が短くて済むからだ。自宅からでは電車を乗り継がねばならないが、こちらからなら徒歩で十五分。申請すれば自転車の使用が認められる。


 上の階には祖父母が住んでいるので、一人暮らしであって一人暮らしではないようなものだ。事実として、朝食と夕食は毎日祖父母と食べている。休みの間は昼食も共にしていた。文月の家は、ほぼほぼ荷物置き場になってしまっている。一通り家具は揃っているものの、文月に料理を作る気はさらさらない。ファミリータイプの住居はあまりにも広すぎた。――本格的に高校生活が始まれば変わるだろう。変わってほしいような、ほしくないような……複雑な気持ちがある。ここまで彼女に肩入れする日が来るとは。


「その子、自分をだって言ったんだよ? みんなドン引きしてた」


 アイスを食べ終えてから、文月はお友だちについて語り出した。


 この世界でといえば(ジャンヌダルクのような歴史上の人物を除いて)侵略者から地球を守ったあののことを指す。彼女は宇宙人と結んだ不可侵条約と報告書を首相に叩きつけ、報道陣には「名を名乗るような者ではございません」と言い放って、奇術のようにその場から姿をくらました。だから、本当の名前は誰も知らない。


 二〇一〇年八月二十六日、侵略者は音もなく東京湾上空に現れた。具体的にはお台場のレインボーブリッジの近くに、戦艦をさらに膨れ上がらせた、としか言いようのない浮遊物が出現したのだ。我が国の中枢部はすぐさま対策委員会を設置し、どう対応していくのかの議論の場に専門家が集められた。結論が出ないまま、また、侵略者側からのアクションもないまま、出現から一週間後に例のはたったの一人で問題を解決していく。


 不可侵条約にあった宇宙人側の代表者の名はアッティラ。報告書によれば、アッティラは〝恐怖の大王〟という存在からの命令で、地球上の人類を掃討するべく、はるばる宇宙の果てから移動要塞でやってきていた。しかし、計算上は侵略行為込みで往復可能の備蓄があったはずなのに往路のみで全エネルギーを消費してしまう。にっちもさっちもいかなくなり、東京湾上空に漂っていたらしい。エネルギーを補填する手段が見つからなければ帰還もできないため、移動要塞内部でもほとほと困っていたところにが馳せ参ずる――という流れだ。


「そんでさ。わたしの両手を握って『お友だちから始めませんこと?』って」

「まるで告白みたいな」

「でしょー?」

「押しに弱い文月ちゃんは、その場でオーケーしてしまったとな」


 祖父にオチを言われて「あぁー、断ればよかったかなぁー……」と両手を挙げて丸テーブルに上体を預ける文月。昔からに弱い。勢いで「はい」と答えてしまい、あとからヨヨヨと悩んで周りに相談する。


「愉快な高校生活になりそうじゃないか」

「そぉかなぁ?」

「おじいちゃんはそういう子、嫌いじゃないな。周りを巻き込んでいく、台風の目みたいな子」

「おじいちゃん自身がそういうタイプっぽいよね」


 孫から図星を指されて、ピエロはガハハと笑った。店の大蔵省会計担当は祖母の役目だ。祖父が仕入れと販売を行い、帳簿整理や在庫の管理は祖母が受け持っている。


「さあて、時間だな」

「はぁい」


 文月はアイスのカップとスプーンをゴミ箱に捨ててから、しゃがんで、シャッターを勢いよく上に押し上げた。

 今日のようにタイミングが合った時は必ず文月がシャッターを上げる。


 その日の営業の始まりを象徴する動きであり、文月が『シックスティーンアイス』を手伝う際の楽しみのひとつでもあった。学生という身分から、毎回できることではない。営業開始の時刻は十四時だ。通常授業が始まったら、できなくなる。


「おっ、ボウズ」


 シャッターの向こう側には詰襟の学生服の少年がいた。この辺の中学に通っているのだろうか。文月にも見覚えがあって「また来たの?」と呼びかける。昨日は二人が話しかける前に逃げられてしまった。


「ちょいとうちのアイスを食べてかないか」


 今日も立ち去ろうとしたが、ピエロからのに足を止める。

 そして、疑いの目で見てきた。少年は一見して日本人のようだが、その瞳はオレンジ色だ。光の加減でオレンジ色に見えるのではなく、しっかりとオレンジ色をしている。


「出た出た。まぁたおばあちゃんに怒られっぞぉ」


 文月が茶化す。

 ピエロはおどけて舌を出してから、それでも手の動きは止めずに『チョコっとビターなオランジェ』をカップによそった。


「……いいんですか?」

「いいよいいよ。店主がいいって言ってんだからいいんだよ」


 少年はスクールバッグのチャックを開けて、おそらくは財布を取り出そうとしたのだが「ロハだよロハ」とピエロがカウンターから身を乗り出してアイスを押し付けた。ロハ、つまりはタダ――要は無料でいいと言っている。子ども好きの源次は子どもにはサービスしてしまう。おかげで実在庫と帳簿上の在庫の数がしょっちゅうズレる。おばあちゃん=妻に怒られるわけだ。


「なんでオレンジチョコを選んだの?」

「男の子には背伸びしたい時があるのだよ」

「ふーん?」


 常時十六種類のアイスが用意されているから、もっと甘くて美味しいのもあるのに。この『チョコっとビターなオランジェ』は甘いものが苦手なオトナにウケがいいフレーバーだ。苦味の強めなブラックチョコレートにオレンジの風味が絶妙にマッチする。合点がいかない様子の文月をよそに「な」とピエロは少年に視線を送った。


 受け取ったはいいものの、少年は現実が受け入れられないような、信じられないものを見るような目で手元のアイスを眺めている。


「溶ける前に食べなさいな」

「そうだよ。おじいちゃんのアイスは宇宙一美味しいんだから。っておじいちゃん、スプーン渡してないよ! ごめんねごめんね」

「こりゃー失礼した! 素手で食べろって言ってるようなもんだった!」

「もぉー」


 文月からスプーンを渡されて、少年は「ありがとうございます、いただきます」と二人に目配せしてから食べ始めた。言葉には言い表さなくとも、表情だけでの感情は十二分に伝わる。


 きっと、この瞬間のために、この店は存在するのだ。

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