8-4

 かつて、プロ目前で女流育成会をやめた人。音沙汰もなく、金髪の大人として戻ってきた人。鍵山アズサに勝った人。全国大会に出たアマ。

 様々な肩書がある。けれども今美利は、一人の敗者だった。

 感想戦をしなければ。検討すべき局面はたくさんあった。

 しかし、声が出なかった。

 見上げると、じっと初那大が美利のことを見つめていた。

「あの……」

「何?」

「女流アマスターカップって……知ってますか?」

 美利は、腕を組んで首をかしげた。聞いたことはある気がしたが、出たことはなかった。

「ええと……」

「あ、すみません。知っている世代かと思って」

「ごめんなさい。アマの大会はあまり出ていなくて」

「そうですか……。私こそ変なこと聞いてごめんなさい」

 美利は、考えを巡らせているうちに、昔のことを思い出してきた。「今度さ、教室のみんなが団体戦に出るんだ」剛也は、嬉しそうに言っていた。教室とは、彼が手伝っていた会館の初級者教室である。「結構有望だと思うんだよね」講師としての喜びだと思っていた。当時は、彼のことを疑ってなどいなかったのだから。愛していたのだから。

 だが、今なら疑える。

「そういえば、あったかも。お母さんが出ていたとか?」

「はい」

「将棋を習ったの?」

「いえ。私の前では、指しません。隠しています」

「お父さんから?」

 初那大の視線が、厳しくなった。

「いえ。今のお父さんは、将棋を知りません」

 美利は、それ以上何も聞けなかった。



 光りたかったのだ。

 美利は、夢見ていた。田舎から出るだけの理由が、あるような自分になりたい。例えば女流棋士。例えばお嫁さん。

 何か。何かが欲しかったのだ。確かに将棋は好きだった。少女にとってそれは、キラキラと光る宝石のようなものだった。すごくほしいのだけれど、どんな価値があるのかまではわかっていない。

 そして彼のことも、宝石に見えてしまったのだ。都会の青年。自分より強い人。自信に満ち溢れていて、かっこよくて。

 子供ができたとわかったとき、「主人公になれた」気がした。高校生で、母親になる。プロになる道を、あきらめなければならない。壁が高ければ高いほど、自分だけの特別な人生なのだと思えた。

 けれども気が付いたら、壁は壁のままで、いろいろなものを失っていた。

 光れなかった。

 美利は、夢をかなえられなかった。

 初那大はどうだろう。「今のお父さんは」と言った。失ったものを、探しているのか。本当に、プロ棋士になりたいのか。

 夢は何だろうか。

 そんなことは聞けるはずもなく。

 大会は終わった。


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