第7話 老いた父親の魔法

「介護の本当の苦労は、した事がある人だけしか分からない」と言うのは半分当たっていて半分は間違っていると思う。

 正しくは「介護の本当の苦労はした事がある人でも分からない」だ。

 真樹まきは父と二人、冷めてしまった遅めの晩御飯を食べながらそう思った。



 母が六十代の若さで認知症を煩らい十年もの間、父と二人で介護をしていた日の事を思い出した。

 徐々に記憶を失っていく中、初めの頃はまだ良かった。

 物忘れや勘違い、ちょっとした家事のミス。出来なくなる事も父と私とそして母自身、三人で何とかしてきた。だけど症状が進行していくに連れ母は母であったことを忘れていき、そして家族の事を忘れていった。母は体が動く分、料理を作ろうと鍋を焦がしたり、時間感覚が失われた昼夜その時の時間で動く。

 いつかはまだ仕事をしていた時の感覚で。

 いつかは子供を学校に送り迎えしている感覚で。

 いつかは自身の学生時代の感覚で。

 常にどこかに行ってしまうのでは無いか。何をするか分からない。


 そんな怖さがあった。 


 そして、そんな母の最期は実に静かであった。

 子供のように眠り、そして目覚めなかった。


 私は寂しさや喪失感と同時に感じた安堵してしまった気持ちに言い様の無い罪悪感を覚えた。

 息苦しい気持ちを抱えたまま日々を過ごす中、今度は父に認知症の症状が現れた。

 母の介護に父もまた気を張りつめていたのだろう。その張りつめたものが無くなり脱け殻となったのだ。


 父の症状は母のものとまた違うものだった。


 記憶を失っていくと同時に、父は口数か減り会話は少なくなった。動くことが極端に嫌がり眠ることが多くなり、トイレも食事もお風呂も段々と部屋でするようになった。失敗も多くなり、余計に自信をなくす父は益々話さなくなっていった。ご飯も出されたものをこぼしながら食べる。箸は使えずただ口に運ぶだけ。

 私が何か言っても此方を見るだけの父。たまに話すのは「あぁ」とか「そうか」だけだ。


 母の介護に慣れていたと思っていたのに、全然父と家族から離れていっている気がしていた。



 今日もまた二人で冷めた夕食を食べる。

 今日は父の調子が良いみたい。久し振りに食卓を囲むことが出来た。

 何だか久し振りに家族をしているようだった。私がご飯を食べ始めたときだった。

 レンジで温めただけのご飯を見つめていた父が手を合わせながら言った。


「真樹、ちゃんと『頂きます』を言いなさい」


 私は驚いて父を見た。


 父はいつも通りの表情の少ない顔でご飯を食べ始めていた。

 普段優しい父も礼儀作法には厳しかったことを思いだし、目の前の父はやっぱり私の父であった。


「介護の本当の苦労はした事がある人でも分からない」

 でも、大切な家族だからちゃんとやっていける。

 私の中の小さな罪悪感が少し軽くなった。


 そんな夕食を今日、私は父と二人で食べる。



 了









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