第21話 『飛行』の悪役

 悪役ヴィランによくある話として、一般人をターゲットにしたコンテンツが充分に楽しめない問題というのがある。反射神経を使うゲームなんかは欠伸まじりにハイスコアが出るし、ジェットコースターもゆっくり動くように感じて退屈だ。


 エイスケは、映画もそれらと同じ問題を孕んでいると思っている。今日観たサメ映画は最悪だった。征暦せいれき197X年に公開されたばかりの新作映画なのだが、なにしろ緊張感が無い。凶獣を見慣れているエイスケにとってはただ動物には全く恐怖を感じないし、現実にサメに噛まれたところでサメの歯のほうが折れるだろう。


 という訳で、悪役ヴィランにとってはハズレ映画だったな、とエイスケは結論づけたのだったが、隣を歩いているヤツにとってはそうではなかったらしい。


「エイスケ! めちゃくちゃ面白かったな!」

「そうかあ……?」


 ハル・フロストは感極まった様子で、動かずにはいられないのか、街中でシュッシュッとシャドーボクシングを始める。


「主人公の保安官が勇気を出してサメに立ち向かっていくシーンは最高だった!」

「主人公サイドが弱すぎないか? 俺は主人公が無双する感じの映画が好きなんだよなあ」

「強い人間が立ち向かうのは普通じゃないか。弱くても誰かを護るために立ち向かう姿に僕は勇気を貰ったぞ!」


 エイスケは肩をすくめる。ハルとは休日につるむことが多くなったが、大半のところで意見が合わない。しかし、それなりにハルと付き合ってみて気付いたのは、意見が合わないと気が合わないは、イコールではないということだ。エイスケは真っ向から意見がぶつかることの多いハルのことを、そこそこ気に入っていた。


「まあいいや。次は寿司屋に付き合う話だったよな。見ろよこのチラシ、シャーク印の寿司屋だってよ。今日はここで昼飯を食うぞ」

「なんだよシャーク印って。サメが寿司を握ってるのか?」

「なんかの例えなんじゃないか? サメが食いに来るほど美味いとか――」


 エイスケが途中で言葉を止めたのは、目の前を悪役ヴィランがよぎったからだ。その悪役ヴィランは、空中を飛んでいた。背中にマントを羽織り、両手両足を真っ直ぐにピンと伸ばして飛んでいる。


「ふぅぅぅぅぅはははははは! 空を飛ぶのサイコー!」


 空飛ぶ悪役ヴィランの楽しそうな笑い声が遠ざかっていくのを、エイスケは見送った。少し遅れて、「そこの悪役ヴィラン待ちなさい!」と警察車両が追っていく。明らかにケイオスポリスの法律に違反した飛行行為、当然だろう。


 手伝うことは全く考えなかった。今のエイスケとハルは非番である。その上、今のエイスケの舌は寿司の気分になっている。ケイオスポリスは美味い肉料理が多いが、魚料理はエイスケの舌に合うものがなかなか無い。


 寿司を思い浮かべ、口内によだれを溜め込みながらエイスケは悪役ヴィランとは逆方向に歩き出して、ガシリとハルに肩に掴まれた。


「おいハル、まさかとは思うが」

「捕まえるぞ」

「せっかくの休日だぞ!? 早く行かないと寿司が売り切れちまう!」

「僕、生魚苦手なんだよなあ」

「じゃあなんで付き合う約束した!」


 そういうところだぞ、とエイスケが抗議するのも虚しく、ハルはエイスケの首を掴むと全速力で走り出した。街中の人混みを避けるため、ハルは通りのビルの壁を駆け上ると、そのまま壁を走り続ける。エイスケは首を掴まれたままだ。鯉のぼりのようにたなびきながらエイスケは寿司をそっと諦めた。


 ハルほどの悪役ヴィランの身体能力ならば、本気を出せば追いつくのは簡単だ。すぐに空を飛んでいる悪役ヴィランを補足した。エイスケとハルが走って追ってきているのを、飛行悪役ヴィランも気付いたようだった。瞳が赤く染まっているのが分かる。アデリーやブラハードと同じ症状の悪役ヴィランだ。


悪役対策局セイクリッドか!」

「大人しく捕まって寿司をおごれ!」

「ふぅぅぅははは! 捕まらんよ、今日はコウモリ男はいないのだろう?」


 なんでそれを知ってやがる、とエイスケはひとりごちる。


 空を飛べるアレックス・ショーがいれば、と思うが、今は別件で離れた場所を捜査している。飛行悪役ヴィランに限らず、最近の事件では第十二課テミスの情報が漏れていることが多くなった。結果、悪役ヴィランの対処に困って時間が取られ、それによって次の悪役ヴィランの対処に困る悪循環が続いている。


 忙しさに押し潰されそうになりながらも、今日はようやく取れた非番の日だった。


「アレックスがいなくても僕とエイスケなら大丈夫だ。エイスケ、合わせろ」

「分かってるよ!」


 泣き言を言っている暇は無い。ハルが言わんとしていることを汲み取り、エイスケはハルの動きに集中した。

 ハルがビルの壁を駆け上がって、空に向かって飛ぶ。しかし、このままでは全く飛行悪役ヴィランには届かない。


「やけになったのかな? ふぅぅぅははは……はっ!?」


 飛行悪役ヴィランが驚愕したのは、そのまま空中を走り続けるハルを見たからだ。正しくは、ハルの動きに合わせて、エイスケが『不可侵』の悪望能力によって立方体の障壁を作り、足場にしているのである。エイスケが合わせるのをしくじればハルはそのまま落下するというのに、ハルが恐れる気配は全く無い。


 エイスケとハルのコンビネーションは、事件を解決するたびに洗練されつつあった。


 あっという間にハルは飛行悪役ヴィランに追いつくと、そのまま『正義』の悪望能力で剣を具現化し、思いっきり振るった。直撃した飛行悪役ヴィランが気絶する。ハルは飛行悪役ヴィランを器用に抱えると、エイスケが障壁によって作った透明な階段を降りてきた。

 事件解決。エイスケとハルは笑って拳と拳をかち合わせた。

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