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  • 総括への応援コメント

    企画運営ありがとうございました。
    読み合い推奨のジャンル不問企画に、読者層が厚いとはいえない時代・地域の転生チートなし歴史小説で私が参加できたのは、方角システムによる異文化交流の空気ができていたからでした。
    そして異文化交流の空気が醸成されていたのは、フィンディルさんの日頃のフィン感の活動と、簡単な感想もふくめた企画運営によるところが大きいと考えています。
    楽しい企画でした。おつかれさまでした。

    作者からの返信

    参加ありがとうございました!
    確かに「読みあい推奨のジャンル不問」で大衆受けしない作品を出すのってちょっと憚られるところがあるかもしれませんね。あえて尖らせたい小説書きは別として。本企画は見た感じでは大衆受けしない作品が多く投稿されていますから、それは方角システムやフィンディルが出す空気感によるところが大きいのだろうと思います。久志木さんがある種の安心感をもって企画参加されたことは、本企画の価値を顕著に示しているものと思います。
    ただ私個人としては大衆受けする作品を排除していない(大衆受けする作品も複数投稿されている)のが、今後の本企画にとって大事になるだろうなと思います。
    大衆受けする作品の投稿を憚らせる企画風土は、最初のうちは新規性があっていいのですが、回が進むにつれて大衆受けしない作品の投稿を憚らせる企画風土と似た空気感になりますからね。歓迎に偏りがあるという本質は同じですから。
    大衆受けにも非大衆受けにも均一な歓迎度を示す企画趣旨を維持していければと思います。今後も開催するなら、ですが!


  • 編集済

    感想ありがとうございます。

    おっしゃるとおり、本作は「中国歴史物としては強めのエンタメストーリーと中国歴史物としては強めの難解語彙叙述が同居している」作品として執筆しました。
    パーツをカスタマイズできる車のイメージです。
    高い馬力が出るがハンドリングの悪いエンジン(「中国歴史物としては強めの難解語彙叙述」)を搭載し、ハンドリング性能を高めるパーツ(「中国歴史物としては強めのエンタメストーリー」)で固めると、どうなるか。
    実際にそのようなマシンがレースで有用かどうかは別の問題ですが、技術的に可能な場合、一度くらいコースを走らせてみたくなります。
    そのような冒険心を出発点のひとつとして、本作を執筆しました。

    難解語彙を用いる際の技術、「読みにくいなかの読みやすい」を表現する技術についても言及いただいて嬉しいです。
    言及いただいた箇所を例にあげれば、使われた技術は大きく三種類に分類できるかと思います。
    1、字面で推測できるようにする。二字熟語のうち一字は一般的な漢字をふくむ熟語を採用する(「劫灰」)
    2、文脈で推測できるようにする(「陋屋と豊屋の区別なく火を放って」)
    3、前後に似た文意の文を添える(「しかれば帝王の慣例にならい、貴君を冊封し宗廟を継がせ、臣として迎え入れるために来たのです」)
    あくまで歴史小説の一読者でしかない私の個人研究ですが、どれも歴史小説がエンタメ(「大衆文学」)の一角またはそれ以上を占めていた時代に、商業歴史小説作家によって発明された技術だと考えています。
    「現代の語彙相場と明らかに一線を画することによるタイムスリップ感、歴史実感」で(大衆)読者を楽しませつつ、(大衆)読者にとっての通読性を確保するために用いられた、真北的技術だと推測しています。
    もしコメントまで読まれていて「難しい語彙を使いたいけど、読みにくいと言われるんだよね」と悩まれているかたがいらっしゃるなら、参考になれば幸いです。

    先に引用してしまいましたが、「読みにくいなかの読みやすい」を表現する技術を駆使してまで難解語彙を用いる意義についても、読み取っていただいき嬉しいです。
    フィンディルさんの予想通り、主人公の宦官は作者が想像した架空の人物です。歴史上の人物はともかく、架空の人物にまでここまで一切の救いがない結末でよいのか、という考えは執筆途中で頭をよぎりました。
    けれどもそれ以上に、凄惨な歴史的事件の凄惨さをそのまま書きたいという欲求がありました。凄惨な歴史的事件を凄惨なまま小説に落とし込むにはどうしたらよいか。しかもその小説は、性質としては真北近くに位置させたい。こういった問題に頭を悩ませながら執筆しました。
    ですから、
    ――――
    しかし難解語彙を贅沢に用いて、宦官を含めた作品全体にタイムスリップ感・歴史実感を演出することで、宦官および宦官の顛末に強い説得力を持たせているように思います。
    そして永嘉の乱という歴史事象の凄惨さを、エンタメに過度に阿ることなく小説作品に落としこむことができているものと考えます。
    ――――
    とフィンディルさんに伝わったことに安堵しています。

    ご指摘についても興味深く拝読しました。
    「其は宦官です」という男の発言は、髭のない遺体が宦官の遺体であると「歴史の知識がある人にも、ない人にも伝わる」ようにしたい、という作者の意図しか感じられない。そのため発言に必然性がなく野暮(「作品的妥協」)と映る、というのが指摘の大意だと考えています。
    ただ私としては指摘の本筋ではない箇所に衝撃を受けました。
    男の「其は宦官です」という発言は噛み砕けば「この遺体は宦官のようですが、他の人と同列に扱うのですか?」と仏図澄に問いかけていた、というのは作者の意図と一致します。
    髭のない遺体が宦官の遺体であると「歴史の知識がある人にも、ない人にも伝わる」ようにしつつ、仏図澄のこの時代にしては革新的な平等さを、この時代の平均的な価値観を持つ男の反応によって強調したい、という意図がありました。
    しかし男が驚いたのは「この遺体は宦官のようですが、他の人と同列に扱うのですか?(宦官は帝の側近であることが多く、地位が高かったらしい)」からではありません。
    作者としては逆に「いやしい宦官まで同列に扱うのですか?」という驚きを書いたつもりでいました。

    どうして作者と読者(フィンディルさん)の間でこのような大きな齟齬が起こったのか、理由を二つ推測しました。
    まず考えられるのは歴史知識の有無でしょう。中国の歴史において身分としての宦官がどのようなものであったのか、作者には知識があり、読者にはありません。
    作者には宦官について「綿々と子孫をつなぎ親をふくめた祖先をまつることを一番重要だと考えている儒教が浸透した中国において、子をなせない宦官は忌避される存在である。しかし子をなせないという特殊性から、後宮などで皇帝の側近として重宝された。その結果、皇帝を裏から操って権力を握り政治を乱す存在として、嫌悪されてきた。宦官、外戚(皇后や皇太后、および彼女たちの父などの男系親族)、官僚による権力闘争は中国王朝の宿痾であった」という知識(便宜上すごくおおざっぱに書いています)がありますが、読者にはありません。
    しかし作者の考えでは身分としての宦官がどのような存在であるかの説明を、歴史の専門用語である「宦官」の語だけに頼ったわけではありません。小説本編のところどころで、宦官が下に見られ差別されるシーンを盛り込みました(「宦官のくせに碧血(忠誠心が高い)」と”ほめられる”、真っ先に内通を疑われる、踏み台にされる、呼びかけられるときに名前ではなく「宦官」とだけ呼ばれる、など)。

    というところから齟齬が起こった理由の二つめを推測するのですが、「中国歴史物としては強めの難解語彙叙述」をやりすぎたのだろうと考えています。
    「頻繁に出る難解語彙を調べつつでないとなかなか読みきれない」ため難解語彙の読解に読書リソースを取られて、宦官という特殊な存在のニュアンスが伝わらなかったのだろうと推測しています。
    さらに踏み込めば、宦官という特殊な存在のニュアンスが伝わらなかった以上、本作で書きたかったテーマも伝わらなかったと考えています。

    最初に本作は「高い馬力が出るがハンドリングの悪いエンジン(「中国歴史物としては強めの難解語彙叙述」)を搭載し、ハンドリング性能を高めるパーツ(「中国歴史物としては強めのエンタメストーリー」)で固め」た車だとお話ししました。
    そのような車が「永嘉の乱という歴史事象の凄惨さを、エンタメに過度に阿ることなく小説作品に落としこむ」というコースを走りきったっことを嬉しく思います。
    しかし、この車にはさらに荷物(テーマ)が積載されていました。
    主人公を暗に差別されている宦官にすることで、明らかに差別されている胡人と対応させる。
    最初から登場している個人としての宦官も、クライマックスに登場する個人としての胡人も、意思疎通できるふつうの人として描くことで、差別は偏見にもとづくものだと提示する。
    最後に差別する主体である帝側が負けることで旧時代が終わり、差別しない仏図澄が登場することで新時代の到来を予感させる。
    という荷物です。
    この荷物の存在について、フィンディルさんがお気づきかどうかはわかりません。気付いているけれど言及されなかっただけかもしれません。
    ただ宦官について齟齬が発生している以上、作者の意図したとおりには伝わらなかったものと考えています。

    そして伝わらなかったのは作者の力量不足だと反省しています。
    「中国歴史物としては強めの難解語彙叙述」を強めすぎました。
    より正確には、宦官や胡人といった歴史の専門用語をテーマに据えるには語彙が難解に過ぎたのだと考えています。難しい専門用語かける難しすぎる語彙、難しいの二乗でさらに伝わらなくなるのだとわかりました。
    ただ伝わらなかった、という経験は大きな収穫だったと考えています。
    歴史物など現実世界の知識を土台に書かれた、真北付近を志向するフィクションにとって「知識がない人には伝わるし、知識がある人も満足させる」ことは永遠の課題だと考えます。この課題をクリアするにあたって有益なフィードバックが得られたと考えています。

    ありがとうございました。

    作者からの返信

    本作のコンセプトや「読みにくいなかの読みやすい」など、一通り作者の意図を読みとれていたようで良かったです。
    「高い馬力が出るがハンドリングの悪いエンジン」と「ハンドリング性能を高めるパーツ」の組みあわせ、中国歴史物らしさを存分に出しつつ大衆を楽しませるひとつの選択肢として良いものだったと思います。北北西をちゃんと指し示せているといいますか。

    後半の指摘についてのフィンディルの“誤読”、その原因については別所にてじっくりお話ししたいと思います。ここでは割愛と。
    ただ印象として、久志木さんは「中国歴史物ならではの難しさ」に囚われすぎているように感じました。フィンディルは思う“誤読”の原因は、中国歴史物(≒難解語彙叙述)とはそんなに関係ないと考えています。

  • 総括への応援コメント

    お疲れさまでした。とても楽しく参加させて頂きました!

    作者からの返信

    おじさ~ん!
    ありがとうございました!

  • 総括への応援コメント

    企画運営ありがとうございます! そしてお疲れさまでした! このような場を設けてくださり本当にありがたかったです。

    作者からの返信

    水木さん、参加ありがとうございました!
    水木さんの魅力が迸る作品達は、本企画にはすごく合っていたと思います。
    ありがとうございました!

  • 総括への応援コメント

    ありがとうございました!!
    楽しかったです!!

    作者からの返信

    桜庭さん、参加ありがとうございました!
    楽しかったなら何よりです!
    ありがとうございました!

  • 総括への応援コメント

    この度は、素敵な企画をありがとうございました!
    私は今回初参加で、2作も出させていただきましたが、とても楽しかったです。

    作品の方角のシステムを知り、自分の得意なことや何を大切に思っているかなどを、改めて知ることができました。
    また、それぞれの方角に違った面白さがあることも感じられました。いろいろな「面白い」があって良いのだな、と少し安心しました。

    また、機会がありましたら、是非とも参加させていただきたく思います。
    ありがとうございました……!

    作者からの返信

    夜桜さん、参加ありがとうございました!
    ツイッターでも夜桜さんが本企画から色々なことを吸収されている様が見えてきて、主催者としてとても嬉しい気持ちになっていました。
    投稿サイトで活動しているといつの間にか「良い小説」像に縛られてくるのですが、その凝りを少しほぐせる役割を果たせていたら何よりです。
    もちろん「良い小説」像には相応の価値はあるので否定することなく、上手く夜桜さんが充実して創作活動を行えるバランスを見つけてもらえればと思います。
    フィン感への応募もありがとうございます。明日くらいに読みますね。ありがとうございました!

  • 総括への応援コメント

    企画ありがとうございました!お疲れ様です。
    書くにも読むにもいい刺激になる、楽しいイベントでした。

    作者からの返信

    雨蕗さん、というかキッカーさん、参加ありがとうございました!
    私の印象として、作品の方角システムへの理解度が第一回のころよりぐっと向上している印象がありました。
    キッカーさんとゆうすけさんが挙げてらっしゃる方角は、私の解釈と一致することが多かったです。
    またよろしくお願いしますね。ありがとうございました!

  • 総括への応援コメント

    フィンディルさま、この度は素敵な自主企画をありがとうございました。

    フィンディルさまのことは、以前から存じてはおり、今回勇気を出して企画に参加してみました。
    この企画を通して、普段読まないジャンルの作品を読む機会も多く、非常に学びが多かったです。参加して本当に良かったと思っています。
    もし、いつか次の企画開催があり私の時機が合うようならば、その時は東南方向に挑戦してみたいですね。

    改めまして、企画の運営お疲れ様でした。

    作者からの返信

    泡沫さん、参加ありがとうございました!
    企画参加の感じから、泡沫さんは作品の方角システムがすごく合う方なんじゃないかなあと思ってます。
    創作の面白みの広さや深さをすごく積極的に楽しもうとしてくださっている印象がありました。
    第三回はもちろんのこと、よろしければフィン感についても興味を示してくださると嬉しいなーと思います。
    ありがとうございました!

  • 総括への応援コメント

    お疲れさまでした!! こちらの感想も含めて面白い企画でした。参加できてよかったです。

    作者からの返信

    竹神さん、参加ありがとうございました!
    私の感想は企画コンテンツに入るような入らないようなグレーな感じで提供しているのですが、込みで楽しんでいただけたようで良かったです。
    ありがとうございました!

  • ご感想ありがとうございます。
    「宿花」に愛崎アリサさんが下さったコメントに「南も入ってそう」という一言がありました。南は感性の方角。自認とは違ったのですが、創作の始点で言うと、自分の感性の中から書きたいものを掬い取る過程があり、そこを指摘された気がしました。最終的な方角が北西あるいは北北西としても、一度南下してから北西方面に向かう、平仮名の「し」の字のような弦曲線に沿って動いた感触を覚えたのです。
    この弦曲線が自分の書き癖のような気がしたので、それを炙り出すために書いた作品が「釣果」です。
    三人の兄弟は自分が創作をするときに使う思考を具象化したもので、書きたいものを決める直感が長男、書く対象物がどうあるべきか設定を作り出す次男、どういった物語が作られるか方向性を決める三男、と三つの人格から成ります。非常識な長男に対して、弟二人が常識的な整合性を働かせて物語を整えていく感じです。
    普段の創作では次男>三男>長男くらいの作業量で働いている動きを、この作品では三人の作業量がほぼ等しくなるよう意識して書いてみました。相対的に感性の動きが強くなるので、南に寄るんじゃないかな、と考えていましたが、出来上がった作品は継ぎ接ぎだらけで、よくわからないものが出来上がってしまいました。ご指摘通り「こういう趣の作品を作ろう」という意識が薄くなっていますので、無色でニュートラルな素体感が出ていますね。
    夢を見ているときに、見ているものから連想したものが出てくる事があります。鯨の夢を見ていて「鯨は竜に似ているな」と考えたら鯨が竜になっていた、みたいに。この作品を書きながら、ぼんやりと夢を見ているときの感覚に近いものを感じていました。同文構造なんかも意識して取り扱ったわけではなく、無意識のうちに採用しています。多分、僕はこういう語感が好きなのでしょう。
    最後のコンピューターゲーム的な表現は、竜というより兎が人間を殺すところからの着想でしょうか。人間を殺す強力な兎は、モンティ・パイソンの映画かウィザードリィRPGくらいしか知りません。殺さず互角に戦えるという条件ならピーターラビットやバックスバニーがいますけど。僕は竜にはゲームよりも物語の中の生き物を感じますね。この点以外はフィンディルさんの考察通りだと思います。
    フィンディルさんとしては「短い」この感想だけで、作者の僕より作品の本質を看破している。ものすごく勉強になりました。

    作者からの返信

    『平仮名の「し」の字のような弦曲線』というのは(あるいは「J」)、実は共感できる小説書きは少なくないんじゃないかなぁという気がします。メジャーではないかもしれませんが。
    着想は非エンタメだけど、それを作品に具現化していく過程で北が付着していく感じ。食材は大衆向けではなくて、それを他意なく調理するつもりなのだけど、無意識のうちに既存の調理技術に当てはめてしまう感じ。中華料理人が非中華食材を使って料理をすると、別に中華料理を作るつもりがなくてもどことなく中華料理っぽくなる感じ。そんな感覚なのかなという気がしないでもありません。わかりませんけども。

    三兄弟にそれぞれの役割を持たせるという方針は、あんまり作品表現として主張してこない感じがありました。そもそも芝中さんとしては、その作品表現を読者に届けるという意思があまりなかったのかもしれませんが。「三兄弟に役割を持たせている」ことを表現することに興味があるのではなく、「三兄弟に役割を持たせている」ことでどんな作品になるのかということに興味があるのかなと。
    結果として素体感が出たと。

    あるいは「三兄弟に役割を持たせている」をもっともっと極端に色付けしてみると、それが作品表現として顔になってくれるかもしれないと思いました。
    「宿花」でもそうだったのですが、芝中さんが作品に込めた方針や表現があんまり主張してこない印象があります。「作者はこうしたかった」が作者解説からしか覗けないというか。
    なので「ちょっとここまでやっていいのかな?」というくらいやってみてもいいかもしれませんね。「作者はこうしたかった」の内容そのものには、きちんと可能性を感じますので。
    それが不条理の北西・北北西になるか実験の北東・北北東になるかは実際に作品を見てみないとわかりませんが。


  • 編集済

    フィンディル様、こちらの作品にもご感想をいただき、ありがとうございます。

    方角は北西でしたか。ただ判断は難しいと……
    皆さんにいただいたご意見では、それぞれ違った方角だったので、どうなのだろうと思っていました。なんとなくで西北西を宣言しましたが、もう少し北寄りだったのですね。判断の理由を詳しく読んで、納得しました。

    「木でできたおもちゃ」の説明、なるほどと思いました。概念が持つ感覚、文章にするのはとても難しそうですが、表現できたらそれは面白そうだな と思いました。南向きの作品とはどのようなものなのか、よく分かっていなかったので、勉強になりました。
     
    また、南西方面の“溶け”についても、良いな と思いました。文章自体が崩れて、溶ける……興味深いです。
    西南西の作品として、フィンディル様の作品を読ませていただいたのですが、文章に引き込まれる、のまれるような感覚を覚えたのです。そういった感覚にさせるような作品が、南西方面なのだなと改めて思いました。
    そう考えると、この作品は、書いている私自身は俯瞰していたように思います。おっしゃる通りです。
     
    私としては「春の良さを伝えたい」というのが、この作品を書き始めるきっかけでした。作者である私自身の好きな「春」を、文章にして伝えたい……と。タイトルも、最初は「春風」でした。
    なので、最初は「彼」も出さずに延々と春の雰囲気だけを書いていくつもりでした。でも、それでは良さが伝わらないのではないか、と思って彼を出すことにしたのです。
    フィンディル様の言葉をお借りすると、「とある環境に包まれるなかで誰かを想う」というのが私の中にあったのだと思います。それでも、彼がどんな存在なのかは私自身にも分からなかったので、その先は書けませんでした……

    微睡みや浮遊感は、表現したかったことだったので、褒めていただいて嬉しいです。ありがとうございます。

    この作品は、自分でも、私の他の作品とは違ったものになったと思っています。
    私の中には「分かりやすい文章にしないと伝わらない、それは怖い」という自分と、「私の思うままに、感じるままに書きたい」という自分がいて、普段は前者が強く出ているのだと思います。
    対して、この作品では後者が強く出たというよりは前者が弱まったのだと思います。
    そう考えると、序盤はまだ前者が強かったのかな と思いました。きっちり説明しないと分からない、伝わらない、という自分がいたのだと。
    でも、書いているうちに楽しくなってきたので、後半は好きなように書けたのだと思います。

    自分の文章を、もっと信じてみても良いのですね。
    どうしても、私の文章はふらふらして分かりにくいと思ってしまいますが、もっと信じてみたいと思います。

    ご丁寧な感想を、ありがとうございました……!

    作者からの返信

    概念が持つ感覚の言語化、感想を書いてから感覚質(クオリア)のことを思いだしました。個人的にすごく懐かしい語彙ですが、感覚質(クオリア)の言語化ということですね。南の主要な題材だと思ってます。

    南西方面の“溶け”については、私が見知ってきた南西にそういう傾向があるということなので、そうでない南西もあるかもしれません。
    ただ溶けている文章は、読むのも書くのも面白いんですよね。北半球がソフトドリンクなら南半球はアルコール飲料のイメージを持っています。
    私が今回書いた「悪心」がまさにそうですね。
    本作も「『私』と春の距離」だけでなく「夜桜さんと春の距離」を近づけることができると、全然違った読み味になるだろうと思います。おそらく読者は減るでしょうけども。

    確かに本作は「私の思うままに、感じるままに書きたい」を意識しつつも、どこかぎこちない印象がありました。どこかおそるおそるというか。「彼」の存在もそうだと思います。
    もちろんそのバランスを突き詰めていくというのもひとつの道なのですが、「私の思うままに、感じるままに書きたい」を恐れずに踏みだしてみるのもひとつの道だと思います。
    北を残していくのか、西・南にもっと近づけていくのか、そういう塩梅を調節してみると夜桜さんが落ち着ける創作領域が見つかるかもしれませんね。

    本企画の参加で何か得られるものがありましたら幸いです。ありがとうございました。


  • 編集済

    感想ありがとうございます。
    地の文を書いているときの思考、台詞を書いているときの思考、物語の進行を考えているときの思考、これらが自分の中では全部別の回路を使っているような感覚で、うまくバランスが取れていないとは感じていました。
    「僕」は「彼女」に恋をしているから、多少大袈裟な表現の方が相応しいだろうと意識していましたが、読み直してみると「彼女」以外に関しても仰々しい表現になっていますね。なるほど癖が強い。
    引用してくださっている一文は勝手に出てきた感覚があり、「僕」の解像度が上がっているときに生まれたのだと思います。
    「僕」の言動と思考の乖離性は、意図して作っていました。「僕」が能動的な行動を起こすときは、主格をどこかしらの部位にして主語を構築しています。「僕」の意志と言動が一致したのは一度だけ。内心の焦燥や衝動に駆られた自身の行動を、多少は大人になった自我が観測している。そういう構図で書いていましたが、同一人物の印象が弱まるとの指摘は考慮していなかった知見です。作者的には地の文が「僕」の素で、どちらかと言うと彼女の前の方が明るく振る舞おうとする「肩に力が入った」人格なのですが。
    ともあれ、この度は貴重なご意見ありがとうございました。もうひとつ参加作品がありますが、よろしくお願いします。

    作者からの返信

    「仰々しい表現」の割合が減って「勝手に出てきた感覚」の割合が増えるようになると、良作化待ったなしだと思います。

    「多少は大人になった自我」の大人感がもっと出ると、地の文と台詞(言動と思考)の意図的な乖離が表現として映えてくるんじゃないかなと思います。現時点の乖離は本当に描写レベル語彙レベルの乖離で、意図的な表現としてなかなか見えにくいものだと思います。肩に力が入った描写をしてしまうケースは一般的に少なくないので、余計に。
    そのためにも人物表現を深めて、「多少は大人になった自我が観測している」をちゃんと人物表現のレベルで示せるようになると良いと思います。人物表現のレベルで乖離が示されると「同一人物らしくなさ」が表現としてポジティブに捉えられるのですが、描写レベル語彙レベルの乖離だと「同一人物らしくなさ」が作者の筆力不足としてネガティブに捉えられてしまう危険があると思います。
    要は、乖離させるならもっと根から乖離させたほうが良いということですね。


  • 編集済

    わーい、褒められた―
    と喜びながら
    感想を書いていきましょう。

    >夜の散歩に出かけて何も特別なことが起こらなければ北西

    最初は、桜を見に行く話だったのです。

    『夜、男の子が家をぬけ出して、桜を見に行く話』を書いていたら、
    妹が出てきて、このようなお話になりました。

    細かい指摘もありがとうございます。
    きちんと書いてくださって、感謝しています。

    >この発言を行うまえにほんの少しの勇気を表現できているとなお良いかなと思います。「って、なに言ってるんだろ。えっと」と「僕」も思っていますし、一握の勇気が示されていると、夜の散歩の性質がより際立つだろうと思います。「里帆の弱々しい声を聞き、僕は立ちどまる。」の後に「……うん。」みたいな間を入れるなど。
    またその細かい表現があると、「わたしも大好きだよ。ありがとう」とノータイムに返した里帆の性質もより際立つはずです。本当に里帆は自分の気持ちを真っすぐ伝えられる人なんだなと。

    そっか、そうだな。と思いながら、読ませて頂きました。
    教えてくださって、ありがとうございます。

    そして、そのあと褒めてくださるというバランス。
    バランスという言葉でよいのかは分かりませんが、なんかそんな感じです。

    とても嬉しかったです。感謝しています。
    素敵な企画をありがとうございました。楽しかったです。

    作者からの返信

    妹が出てくるあたり、やっぱり桜庭さんは北北西が合っている作者なのかなあと思います。
    仮に私が同様のコンセプト(桜を見に行く話)で作品を書いた場合、絶対に妹は出てこないんですよね。誰も出てこない。
    ただ妹の出し方(と「僕」の対応)には、他のエンタメ作家にはなかなか出せない桜庭さんの魅力が出ているなと思いました。

    指摘したあとでも褒めますし、さらにそのあと指摘したりもします!
    褒めと指摘の構成を感想間で統一しないのが、(簡単な感想とはいえ)フィン感のひとつの特徴です。

  • コメントありがとうございます。
    どこにウエイトを置くかによって書き方も変わってくるんですね。
    自分的にそうであっても読者がそうは思わない。
    やっぱり難しいですね。

    作者からの返信

    「作者の意図がどうあれ読者がどう思うかが大切だ」はむしろ北的な創作発想だと思います。なのでえーきちさんなら私以上に馴染んでいる発想なんじゃないかと思っています。
    今回はそれがたまたま方角関連で出てしまって、ちょっと困惑されただけだと思います。

  • えーきちさんはどうしてもエンタメになってしまうそうです! 

    作者からの返信

    それがえーきちさんの良いところですからね。

  • いち参加者の立場で指摘するのも野暮だな、指摘ポリシーに抵触するかもしれないし、と考えて作者さまのコメント欄では避けていた部分の指摘がされていてスッキリしました。
    東の創作が楽しいという意見を除いて、まったくの同意見です。
    東が何なのかがまず分からない。

    作者からの返信

    「東の創作が楽しい」を除いて同意見というのは、本質的には同意見ではないかもしれないですね。全ての意見は「東の創作が楽しい」に端を発していますから。
    私の言う“東”に該当する創作領域が芝中さんにおありなら、本作はその両者を接続するにはうってつけの作品だと思うので、となると色々と擦りあわせは難しいのかなという気がしています。

  • ご感想をありがとう存じますv 水木レナです。

    フィンディルさんの筆致、輝いていますね。
    そんなすごい筆致で分析なんてされちゃうと、ほれぼれしてしまいます。
    フィンディルさんの解析そのものに価値を感じます。
    やはり神!

    作者からの返信

    ありがとうございます~。わーい。

  • お読みいただき、ありがとうございます。

    本作は即興で書いた作品なので、改めてご指摘いただいた部分を確認すると粗が目立ちますね……

    「反転」というテーマをもう少し突き詰めて、本文の中にもいろいろなギミックが仕込めればより読み手も書き手も楽しめる作品にできたのかなと感じました。

    あまり東―南方面で作品を書いている方がいらっしゃらなかったので、「東・南の方角にあたる作品はどのような作風になるのだろう?」という疑問から本作を書くことを決めました。
    今回コメントを頂いたことで、東に対する理解は少し深まりましたので、今度自分が楽しむための「東」の作品を書く際には参考にしたいと思います。
    ありがとうございました。

    作者からの返信

    東向きの作品を書かれたことはすごく意欲的なことだと思うので、そこについて主催者として嬉しく思います。ありがとうございます。
    意欲作に対して品質面であれこれ言いすぎてしまったかなとも反省しているのですが、「どうやらもっと奥深そうだ、今度はもう少し踏みこんでみるか」などと考えてくだされば嬉しいです。

  • はじめに。
    長文の感想となりますことをお許しください。

    初挑戦で、しかも稚拙な作品。
    こんな作品でしたが真面目に考えて、精一杯書いておりましたため、感想を頂けたことがとても嬉しかったです。ありがとうございました。
    貰いました感想について、こちらからも感想を書かせて頂きたいと思います。

    *.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.*
    【1.方角への感想】
    【2.描写のアドバイスにつきまして】
    【3.当初の試み①(東への思い)】
    【4.当初の試み②(南への思い)】
    【5.改善点】
    *.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.*

    【1.方角への感想】

    他の方々からの意見ももらいまして、こちらの作品は北向きだということを思っておりました。フィンディル様からも「真北」とのコメントを頂きありがとうございました。

    南や東の方角を向こうと、工夫してみたものでしたが、どうも北向きになるということがわかりました。
    それであれば、今後は北向きを意識して書いていこうと思いました。
    北向きはこうした方が良いと言われているアドバイスをもとに、もっと真北を向けるような作品を書いていこうと思いました。
    アドバイスありがとうございました。

    他の北向きの方へのアドバイスも参考にさせて頂こうと思います。
    過去の感想についても読ませていただきたいと思います。
    本企画は、とても良い企画だと思います。
    とても参考になりました。


    *.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.*

    【2.描写のアドバイスにつきまして】

    「小説は心理が写り変わる過程を楽しむもの」と、自分自身も常々感じておりますが、それが表現ができていないということがわかりました。
    原因として、主人公が最初と最後とで変わったことを伝えたいという思いが強すぎて「結果」だけしか表現ができていなかったのだと思います。
    ご意見ありがとうございました。

    自分では中々見えないのと、他の方からは中々もらえないような鋭い意見でしたため、とても参考になりました。


    *.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.*

    【3.当初の試み①(東への思い)】

    言い訳がましくなってしまいますが、表現したかったことを書いておこうかと思います。参加された他の方にも参考になればと見えるようにと。

    こちらの作品は、3話構成にしていまして、それぞれ二文字のタイトルをつけております。

    曇天
    薄曇
    好天

    2文字の漢字タイトルをつけさせて頂いています。
    フィンディル様の感想で頂きました通り、主人公の「負の感情」が「正の感情」に代わっていく様を表したかったものになります。

    それを、各話で晴れていく状況を表せればと思った次第でした。
    1話の曇天では暗い気持ち
    2話の薄雲では少し晴れる気持ち
    3話の好天では気持ちがすっかり晴れている。

    結果としては、力不足により表現ができていなかったというところでございました。
    また、心情の移り変わりはそんなにきっちり分別できるものでもないということだとも思いました。
    心情が移り変わる部分、「心情が揺れる様」なんかを今後書いていけたらと思います。

    また、書くにしても配分があるとも思いました。
    曇天で暗い気持ちばかり書いていたため、そこがくどいと感じてしまったかと思いました。
    そして、心情が変わっていく様を楽しむための2話「薄雲」が短い。
    好天で明るい気持ちとしていても、そこもくどくて長くて、同じ表現が多い。
    そこも今後の改善点であると思いました。
    心情が移り行く様を中心に据えようと思います。

    そうは言っても、それが上手くできたとしても「東向き」になるのとは、違うということを感じました。

    東を向こうとしても向けないことが分かったため、北向きを書いていこうと思いました。


    *.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.*

    【4.当初の試み②(南への思い)】

    当初は南東というタグをつけさせて頂きました。
    こちらの作品は、メインストーリーとは別に、セミのお話を書いていたものでした。

    キャッチコピー「自由に飛び回る蝉のように。」

    本文中にも、少しだけセミの描写をとり入れておりました。

    1話曇天
    >最後の夏なのに用意された虫カゴからは出られないのだ。
    >真夏の空の下で、俺は声を上げるだけだった。

    3話好天
    >羽なんて生えてないのに、空を飛んでいる気がした。
    >このカゴから飛び出して。
    >これから自分の進む道は、自分で決めることができる。

    甲子園に出るまでは、土の中で成長する。
    高校生活、もっとその前の中学校、小学校、ずっと野球をやっていた人しか甲子園の舞台には立てないと。
    その後、羽化して一度外に出たということを甲子園の試合に出たことに例えようとしておりました。
    (稚拙なため、全然表現が足りていないというところを反省点しております。)

    甲子園一試合目だけ出ても、すぐに虫カゴへ入れられる生活となってしまう主人公蝉。

    自由にできないながらも、声を出すことしかできない蝉。
    といったことを、声を出して応援するしかできない事に例えておりました。

    また、甲子園は六試合戦って優勝となるトーナメント大会。
    それが終わったあとで解放されて自由になる。残り一日を生きる。
    セミの寿命は七日のため、残り寿命は一日ですが、高校生にとっては秋と冬の二シーズンと違いがあるものの、そんなところが全く表現できていなかったです。

    セミの本分として、鳴いている目的は求愛のためでして、モテたいと思って野球をやっていたような子が、いつしか友達に対して声を出している。
    甲子園が終わっても、メスに求愛をせずに、一緒に過ごした男仲間と高校生活を終える。
    恋愛の自由、性別の自由もあるとそんなことに思いを馳せながら。

    そんなことを裏に控えながら、小出しにしようとしていたら、全然そんな表現が出てこないまま締めくくられる作品となっておりました。
    南東というところで、どなたかそうやってお読み頂けないかなーと淡い期待だけしておりましたが、書いていないことを読み取るということは無いのだと、あらためて分かりました。

    感想にもありました通り、描写をしないものは伝わらないと思いました。
    設定だけ持って行って、強調するような点を打っても、感想でもらいました通りだと思います。

    初見のWeb小説は、書いている人を全く知らないため、書かれていない行間を深読みすることも基本は無いと思い、もっと「適切な表現」で「重複させない」で表すことが大事だと思いました。
    (そもそも行間の表現もできていない文章ですが……。)


    目指していたのは、表層的に読んだら甲子園の話。
    少し深く読むと、タイトル等で何か試みをしているのかなと楽しんで頂けたらなーと。
    (その試み自体が北向きだと、あらためて思いますが。)

    もっと深く読むと、自由恋愛のことを言っていると、そんな風な楽しみ方ができればという作品でございました。

    結局のところ、読んだ方を楽しませようと考えている時点で、どれをとっても北向きになってしまうということは、フィンディル様の感想からわかりました。

    この作品は、真北を向いております。


    *.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.*

    【5.改善点】

    甲子園の話として読む場合の改善点をフィンディル様に頂きましたため、自分が伝えたかったテーマである「自由」をもっと表すためにはどうすれば良いかを、自分なりに書いておきます。

    ①高校に入る前の「土の中時代」の描写が足りていなかったため、曇天に入れるべき。
    ②セミって、オスしか鳴かないといった前提を書いた方が良かった。
    女子がいない生活のことを何にも表現できていない。
    「男に向かって鳴いているなんて、何をしてるのかと」そんな表現を一文でも入れておけば雰囲気が変わったかもしれないと思いました。
    入れるなら2話の薄雲に。

    ③最後、空にかかる虹の描写でも入れておけば何か伝わったかなと思いました。
    良い表現は思いつかないですが、七色の自由をもう少し入れればと。

    それだけだと表現としては、まだまだ薄い気もします。
    恋愛対象となる相手の描写がまるで無いので、それを入れるべきだと思いました。
    ベンチにいる時の誰かなのか、グラウンドにいる誰かなのか。

    もっと表したいテーマを表現として小説に取り込めるように、考えていきたいと思います。


    *.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.*

    長くなりまして申し訳ございません。
    感想をもらいましたお礼、本作に込めた思い、今後の改善でございました。

    この度は、自主企画および稚拙な作品への感想を深く感謝しております。
    次回もありましたら、もう少し上達した作品で望ませていただきたいと思います。

    重ね重ね、ありがとうございました。

    作者からの返信

    本物語および主人公を蝉になぞらえていること自体には、もちろん気づいておりました。
    細部については米太郎さんがご自覚されているとおり拾いきれてはいませんが、「要所で蝉の表現が展開されている」ことは多くの人がわかると思います。「七日」も蝉関連なのだろう、とは。

    そのうえでもっと要所で蝉の表現をアピールして蝉を感じさせるという改善点も良いのですが、私としては「どうして甲子園の話で蝉の表現を重ねてくるのか」をきちんと整備することをオススメします。本作に蝉の表現を重ねる必然性ですね。これが本作には見られないように思います。
    どうして私や他の方が蝉へ言及していないのかというと、蝉の表現が薄いのもそうですがそれ以上に「蝉の表現が重ねられている理由がいまいちわからないから」だと思います。「理由はよくわからないけど蝉が重なってるな、夏だからかな? まあいいか」で終わっちゃうんですよね。「甲子園球児って蝉っぽいですよね」とだけ言われても、そこから面白みをなかなか拾いにくい。

    たとえば「主人公は練習中によく蝉を見ていて、どこか自分と重ねて見ていた」とかでもいいので主人公と蝉との関連性を作ってあげて、本作に蝉の表現を重ねる必然性を確保してあげると、蝉の表現が本作の品質に一気に貢献してくれるようになると思います。
    甲子園球児と蝉の一致度を上げるのも良いのですが、まずは甲子園球児と蝉を一致させる理由があると良いと思います。

  • フィンディルさま、

    ご丁寧な感想を、ありがとうございます!
    このような拙い作品を、ここまでしっかりと読み込んで頂き、的確なご指摘を頂けて、本当に感謝しかありません!

    真北とのご指摘、理由を拝読して心から納得です。と言いますのも、

    >本作は妖魔の話ではなく、田宮の話なのです

    との一言に、あ、そうだったー!と目から鱗、でした。
    妖魔の描写に力を入れすぎるあまり、主人公たる田宮が、私の中で空気になっておりました…笑

    ですので、ご指摘の2点、

    >妖魔を手にした田宮の成功に亀裂が生じる展開の納得感が薄い
    >美を追求する画家ならではの要素が薄い

    本当にその通りです。作者の中で、彼の人生を描写しようと言う意識があまりにも無さ過ぎました。主人公なのに、扱いが雑すぎる…。「妖魔描けた、やったー!」で完全に満足してしまっていました。これではいけませんね笑!

    今後、「作品において最も描写(重視)すべき点はどこであるか?」を考えながら創作に取り組んで行きたいと思います!

    今回の企画、このような初心者が参加していいのだろうか?とビクビクしながら参加させて頂きましたが、フィンディルさまの皆様の作品への感想を読んで大変勉強になりましたし、企画参加者の皆様との意見交換なども、とても楽しかったです。

    小説の方角、という概念については今回初めて知りましたが、創作とは何か、について考えるとてもよい機会になりました。どちらの方角が書きたいか、など希望はないのですが、私はエンタメが好きなのかもなあ、と改めて思いました。

    沢山の作品を読み込まれて、感想を書かれて、大変お忙しいかと存じますが、どうぞお体ご自愛下さいませ。
    素敵な企画を開催して下さり、本当にありがとうございました!

    作者からの返信

    仰るとおり、「作品において最も描写(重視)すべき点はどこであるか?」という意識は方角にかかわらず広く大事だなあと思います。
    本作は妖魔の美しさの描写に非常に力が入れられているのですが、その美しさは「田宮にとっての美を表現する美しさ」というより「一般的に美しいとされる美しさ」なんですよね。なので本作が田宮の物語である以上、どんなに妖魔の描写に力を入れてみても田宮を掘り下げることにはならず、実は作品の面白さを大きく深くするうえではあまり効果的ではないということになってしまうと思います。

    本作を読んだかぎりでは、私も愛崎さんは北のエンタメが合っていると思います。
    「作品において最も描写(重視)すべき点はどこであるか?」という意識づけを企画のお土産にして、今後も創作に励んでいただければと思います。
    積極的に感想交流をしていただきありがとうございました。

  • 感想、有難うございます。
    感想を読み、読み解きの鋭さと細やかな指摘に、この企画に思い切って参加して良かったと、改めて思いました。
    カクヨムを始めたひとつに、こういった感想を少なからず求めていたので、大変嬉しく思います。
    また、ご指摘のあった語彙チョイスの甘さに気が付かされたことは、私にとっては大変プラスになりました。
    語彙の理解度に関しては、前々から甘いのではと思う節もあり、しっかり認識出来たことで、これからの課題として真摯に取り組みたい、そう考えております。

    作品の方角もエンタメとしての骨格を捉えられていての解釈で、純粋に嬉しかったです。
    ここ1年ほど思うところがあり、一から勉強し直した成果が出たと感じられ、本当に嬉しく思います。

    そこでひとつ、そこまでしっかりとしたフィンディルさんなので、この場を借りてご意見が聞きたいことがあります。
    今回、私自信も北西とタグ付けさせて頂きましたが、この作品は実験的な側面も含ませました。
    WEB小説としての1ページの文字数です。
    今回は場面展開を強調するために、2000文字程度のショートショートをあえて十に区切りました。
    見方によってはハート稼ぎと捉えられ兼ねませんが、WEB小説としの利点を模索している中での、あえての選択です。そのことに関して、客観的なご意見をお聞きしたいです。
    また、WEB小説の文字数や展開に関しても、何かフィンディルさんなりの解釈やご意見があれば、お聞きしたく思いますよ。また、勝手なお願いなので、答えがなくても一向にかまいません。

    本当に、この企画に参加出来て、良かったです。
    次回も開催されるのであれば、是非参加したいと思います。
    長文で失礼致しました。

    作者からの返信

    感想喜んでいただけて嬉しいです。
    本感想は「簡単な感想」と称しているとおりめちゃくちゃ簡単に書いてますので、もっとちゃんとした感想をお望みなら「フィンディルの感想」で検索してみていただければと思います。

    エンタメを示すことを意識されていたのであれば、かなり上手くできていると思います。

    質問にお答えします!

    一ページを200文字程度にする手法、これはもちろん是非で括るようなものではない、立派な手法のひとつだと思います。一ページの文字数を自由に決められるweb小説ならではの手法であり、一ページの文字数の自由度が低い紙の本ではなかなか難しい手法でもあります。
    ただ私としては、それだけをとって実験的(東的)とまでは思いません。この手法を使うことでどんな表現を行うのか、その表現に実験性(東性)が宿るのだろうと思います。
    本作はこの手法を使って、場面転換を小刻みに行っています。「場面展開の強調」と文示さんは仰ってますね。これにより場面数が増え、2000字の作品でありながら場面数豊富な満足感ある物語に仕上がっていると思います。
    ただこれは本手法を採用することで実現できる表現の筆頭のようなものなので、これを指して実験的とまでは思いませんでした。「この手法だとこれはできるよね」というもので、作者個人としては実験的なチャレンジだとしても、作品として実験的かは別の話だろうと思います。
    またカットバックの構成になっていますが、カットバックもそれだけを取りあげて実験的と呼ぶのは難しいだろうと思います。カットバックの両場面の選択に面白みがあれば別ですが、本作は演出レベルのそれであると判断できます。

    本手法のメリットの筆頭が「場面転換を小刻みに行える」ことだとしたら、本手法のデメリットの筆頭が「場面転換が簡単にできすぎる」ことだろうと思います。
    文章以外で場面転換を表現する方法としては「改行」「空行」「記号」「ページ遷移」の四つがあります。空行とは文字のない行のことですね。記号は「◇◇◇」みたいなのですね。そして改行<空行<記号<ページ遷移の順に、場面転換の効果は強くなります。仕切り直し感が出るということですね。
    つまり本手法は、場面転換の最強ツールを惜しげもなく使って場面転換を何度も行っているということです。
    これにより場面転換の強弱がつきにくくなるというのもあるのですが、それ以上に、これに慣れてしまうと場面転換の技術がつかなくなるという危険性があります。本作も都度、ページ末ページ頭みたいな文章選びをしているので、これに慣れてしまうと、いざ本手法以外で場面転換を表現しようとなったときに場面転換の表現がままならないということがあるかもしれません。
    本手法を使うと少ない文字数で場面数豊富な内容のある小説を割と簡単に書けるのですが、それは手法に頼っているからであって、文章力や構成力が高いというわけではないと思います。本手法なしに一ページだけで「◇◇◇」もなしに、同じ文字数で同様の物語が書ける文章力と構成力をつけておくことが大事だろうと思います。それができていると、本手法を使ったときの冴えも増すでしょうしね。
    っていうのが、本手法に対して客観的に思うことですかね。要は、便利すぎるということですね。
    もちろん文示さんがどうであるのかについては、私は全く知りませんよ! 本作しか読んでいないので。

    それとは別に、上手い、というか、ちゃんと本手法を扱えているなと思ったのが、ページ末で引きを無闇に使っていないところですね。
    連載物などだとよくページ末で読者に続きを気にさせる文章を入れたりするのですが、本手法でそれをやってしまうとうるさくなりすぎて、文章内容がスカスカになってしまうだろうと思います。
    ただ本作はそれをしていないので、その点は良いと思いました。
    本手法では一ページで用いる文の数は当然少なくなりますので、一文一文を大事にするという意味では、ページ末の引きを排除するという処理は正しいと考えます。だからこそあえて引きまくるのもアリといえばアリなのですが、それは開き直りのアプローチですね。

    WEB小説の文字数や展開については、特に意見はありません。基本的には自由に好きにやればいいんじゃないかなーと思います。どんな方法にも面白みはありますから。
    ただ好みの話をすれば、web小説ハウツーをそのまま採用したんだろうなと感じるのは、我がなくて好きじゃないですね。こうすれば読者を掴めるって言われたんだろうな、こうすれば読者は続きが気になるって言われたんだろうな、このくらいの文字数にするべしって言われたんだろうな、それがバレる程度の練度なら無視するほうが良いとは思います。「異性にモテる人」と「異性にモテようとしている人」くらい違うので。


  • 編集済

    丁寧な感想、ありがとうございました。

    毎回、フィンディルさんの深い読解力には舌を巻きます。
    今回、普段書かない純文学を意識して書いたつもりでしたが、エンタメ気質がぬけきらなかったようです。

    読者が大人であると意識して、年齢が近い母親の存在を思春期の子どもたちを際立たせるために登場させたのですが、そこがそもそもエンタメ的思考だったのですね(笑)

    他サイトの公募に、エンタメを抑えた作品で応募しようと思っていますので、ご指摘していただいたことを念頭に執筆したいと思います。

    作者からの返信

    相対的な存在(母親)を出すのがエンタメ的思考かといわれるとそれも微妙なんですけどね。西でもこういうテクニックがないとは言いませんし。
    ただやっぱりどうも型っぽさがあったのは否めないかなと。効果的過ぎた。
    「赤を感じるように赤を描きましょう」と言われて「中心に赤を描いて、その周囲を補色の緑で埋めました」って、賢すぎるんですよね。私が西向き作品を書いてて補色を思いついたら「お、良い手やん」と「馬鹿野郎賢すぎるだろ!」がせめぎあうんじゃないかなーと。「赤を感じるように赤を描きましょう」と言われたら「とにかく赤いクレヨンでぐりぐり何重にも塗りたくる」みたいな愚直なやり方が、私は西っぽいと思うんですよね。
    伝わるかわかりませんが。

    ちなみに、単にエンタメを抑えるだけなら本作の書き方でもいいと思いますよ。
    「エンタメらしさを抑える=純文学らしさを出す」ではありませんし。
    大衆文学と純文学って、別に対義関係にあるわけではないと思うので。

  • フィンディル様

     ご丁寧な感想をありがとうございました。
     なるほどと納得することばかりです。
     特に『知識を示すことを話題(思考)の推進力にしていて』の部分、おっしゃる通りです。自分的には私の頭が進む知識欲の方向を語ることで、読者の方にも気づきがあったらいいなぁくらいの気持ちで書いていました。だから、私自身の言葉が少なくなってしまっておりましたし、読者の方に楽しんでもらうと言う、正に北的発想が根幹にあったのだろうなぁと。頭を空にして書いていても、多分私の中には北的エンタメ本能が残っているのだろうなと思いました(笑)
     エッセイという、ちょっとタイプの違う文章での挑戦を快く受け入れてくださいましてありがとうございました。色々と勉強させていただきました。感謝です。

    作者からの返信

    知識欲の方向を見せるというのは、南のポテンシャルがあると思います。本作は向いた先の知識を裏取りガチガチにしているので目立っていないように思いますが、知識欲の向かう様、食指が動く様にフォーカスをあててみるとまた違った読み応えになるんじゃないかなと思います。北らしさが減って南らしさが増えるかもしれませんね。

    エッセイ作品をどうするかは次回開催時の私に任せようと思います!
    本作はいけたんですけど「エッセイOKよ!」と言ってしまうのはややリスキーな気もしていまして。

    ありがとうございました!

  •  コメント遅れてしまい申し訳ありません、斑猫です。
     この度は拙作をお読みくださり、方角の判定及びご感想ありがとうございました。
     自己判断で西に傾いていたのは自身が文学に心酔していた時の名残ですね(汗)ですが、確かにホラー要素にて構成されたお話ですし……北寄りですよね。

     ラストの方に関しましても「あ、確かに性急だったな」と反省点にもなりましたので、そうしたご指摘も有難いです。

     色々とありがとうございました。

    作者からの返信

    むしろホラーは北西程度に寄る余地があると思います。
    本作はホラー要素を“衝撃の事実”としてのみ活用していたので真北というだけで。

    ありがとうございました!
    いつかの「あれこれのこれ」のコメントに続き、企画に参加していただきありがとうございます。

  • 感想ありがとうございます。
    真西はある意味で一番盲点でした。書き始めは北西で考えていてなんだかしっくり来なくて意識を南西に振ってみたらいい感じの文章が出てきたという経緯なので、どっちになるだろうと思っていました。
    読んでなるほど納得です。

    普段と違う作風のチャレンジ、ちょうど公募も落ちて次の長編を準備中で何か新しい成長をしたいなあと思っていたところなので、いいタイミングでした。
    実際にこれをきっかけにいろいろやれそうと思って、今のKACもガンガン違う作風を試していて、とっても楽しいです。

    真西判断の根拠である感覚世界のズレの固定、このあたりは直感的に「ここは変化させない方がこの作品にはふさわしい」と思ったところですね。
    当初は筆を取ったあたりから劇的な変化をさせるつもりだったんですが、なんかそういうのじゃないなと思って自然と今の形になりました。
    自分の感覚としても「作中に明示したりはしないけど、『僕』がこの状態になった理由はいろいろ想像のしがいがあるな」と思いましたし、今ある情報から推測できるのはこんな感じかな、と考えて楽しんだりしました。
    世界よりもこの主人公に私の興味が移ったことで、作品として西の形に落ち着いたんだろうなと思います。

    ジャンルのホラー宣言、私もどうしようって思ってうまい手が見つからずに妥協してしまったところですね。
    ホラーと名言しちゃうのはまずいという感覚、確かにあったんですが、じゃあ現代ドラマに置くかとなったらそれも違うし、詩・童話・その他のところに置くのもなんだかなあと思って、結局ホラーにしたんですよね。
    今改めて考えると、現代ファンタジーあたりに置くのがよかったかもしれません。

    とっても勉強になりましたし、楽しかったです。
    本当にありがとうございました!

    作者からの返信

    さすが方角企画、二回目の参加だな~などと思いながら作品を読んでおりました。
    このくらい踏みこまないとこの方角にはならない、みたいな思い切りの良さを感じていました。

    「作中に明示したりはしないけど、『僕』がこの状態になった理由はいろいろ想像のしがいがあるな」というのは仰るとおりなのですが、解釈で論理的に踏みこめるラインがパッツン前髪くらい揃ってたので、そこはむしろ作為的に感じたのも事実です。線の引き方が綺麗すぎて、むしろ作話面での論理さを感じました。
    「あー明示させずに想像のしがいを持たせてるな」というのがあまりにもわかりすぎるので、それはそれで良いんですけど、ここをもう少し無造作前髪にできるようになるとまた、またちょっと混沌が映えるかなという気もしています。

    現代ドラマも現代ファンタジーもピンとこないのはわかります。
    ただこれは私の感覚なのですが、現代ドラマや現代ファンタジーだと「ああジャンル選ばないといけないから仕方なくこれにしてんのね」という解釈に期待できるんですよね。選びたくない人が仕方なく選んでいる、というニュアンスが現代ドラマや現代ファンタジーにはある。
    ホラーはもうホラーを選びにいってる人しか選ばないジャンルなので、よほど察しが良い人でないとホラーとして作品を見てしまうだろうと思います。

  • 『落陽』への感想、ありがとうございました。
    北北西と感じられたとのこと、純文学よりはエンタメ寄りということですね。
    フィンディル様のおっしゃるとおり、執筆中に『一期一会』という単語を思いついたことで作品のテーマが収斂されたようになったと考えられます。
    また、二人の出逢いについて褒めていただき、ありがとうございました。
    また機会がありましたら挑戦したいと思います。

    作者からの返信

    感想中でも述べてますけど、「一期一会」に収斂させるような執筆は必ずしも悪いことではありません。シンプルにすきっと読ませるならば、むしろ効果的なアプローチだと思います。

    ありがとうございました!

  • フィンディルさま。

    丁寧な感想を書いていただきありがとうございます。

    今回の指摘でも色々刺さる物がありました。そもそも、私はギャグとコメディの違いを深く考えずに書いていました。
    物語の着地点、いわゆる「オチ」を付ける事に対しては気を使っているつもりです。なので、時々書いてしまう「オチがない」もしくは「オチが弱い」作品が意外と高評価を受けることがあって、自分としては少し戸惑ってしまうのです。
    フィン感を依頼した「猫ロボの藤吉郎」もその中の一つ。

    さてボボボーボ・ボーボボですけども、あの突っ込み役のビュティさんが可愛いですねえ。他のキャラも皆アレなので、彼女の存在があって綺麗に北西を向くと。彼女がいなければ西を向くか南を向くかは不明。
    なるほどなるほど。私は深く考えたことも無かったのですが、こういう風に作品の方向性が変わるというが、ボボボーボ・ボーボボの例で納得できた気がします。

    もう一つ、お札の肖像の人格ですね。
    現行紙幣だけでなく旧紙幣も登場させるなら是非とも実装したいアイディアです。機会があれば挑戦してみたいと思います。

    どうもありがとうございました。

    作者からの返信

    ギャグなりコメディなりを扱うならば、ギャグとコメディは区別できていたほうが無難だと思います。別に私の区別である必要はないのですが、何らかの区別ができていたほうがいいと考えます。
    でないとギャグもコメディも存在する“ギャグコメディ”になりやすくなり、かつその“ギャグコメディ”がつまらないものになりやすくなってしまう危険があります。理由は割愛。

    オチがなくても好評となる作品はもちろんあるでしょうけど、「猫ロボの藤吉郎」の好評については作品に理由を求めるより読者に理由を求めるほうがいい気もします。

    仮にビュティ(というのですね)を作品から消した場合、自分はボボボーボ・ボーボボを引き続き面白いと思えるのか、というのは考えてみる価値はあるかもしれませんね。

  • 丁寧な感想をありがとうございます。
    北北西でしたか。
    今まで三作読んで頂きましたが、全部「北北西」でしたね。

    褒めてくださっているなぁと思いながら、ニヤニヤしながら読みました。
    嬉しくて幸せです。

    この作品はタイトルを決めてから、お酒を出そうと思い、大人の男主人公にしました。
    大学生の男主人公の短編を書いたことはあるのですが、働いている大人の男性を主人公にしたのは初めてです。
    それで、主人公がお酒を飲んで酔っているので、どんどんと酔っていっているなぁ
    と、読者さんに思ってもらえるような描写を意識したのですが
    元カノとの出会いからのいろいろなことは
    過去の話で、酔っていたわけではありません。
    恋に、酔っていたかもしれませんけれど。

    なので、読者さんが北だと感じることになったのだと思います。

    わたしとしては、主人公が隣にいる感じで、彼が語る言葉をそのままに
    できるだけ自分を出さずに書いた結果、このようになったのですが(あと、苦手だと思っていた恋愛を書くことが楽しかったので、たくさん書きました)、
    過去の恋愛が、読者さんに伝わるように書けているとは
    「北北西」になるほど、しっかり北が出ていたとは
    気づかなかったので、
    そうか……と勉強になりました。

    西向きなら細かく書いた方がいいと思ったというか、
    自分ができるだけ、深く濃いと感じられるものを書きたかったので、
    書けるだけ書いた結果、このようになったのです。

    男の人を書くと、おかしいとか中二病だという感想を頂くことが昔あったので、
    そう思われないといいなという気持ちもあったと思います。
    恐れの気持ちから、しっかりと伝わる「恋愛」を書いていたのかもしれません。

    北が苦手だと思い込んでいましたが、北もあるということは、すごいことだなと感じています。
    北も、書けているところがあるのだなと、認めることができたというか。

    「真北」なんて無理。今のわたしが書いても下手だし、変になるに決まってるって思っているので、苦手意識がありますけれど、
    「北向き」が、書けているところはあるのだなと。

    たくさん教えて頂き、今回も気づきがあり、でも、今、言葉にできるのはこれくらいなのですけれど、とても感謝しています。
    ありがとうございます。

    この話を書いたあと、次は「真西」を書いてみたいなと思い、何度か書いてみたのですが、うーんという感じで、満足できない、面白いと感じる作品にならないわたしがいて、考えすぎて書けなくなっていました。

    感想を頂いてから考えようと思い、こちらを読ませて頂きました。

    わたしはなにが書きたいのかな?
    と、ちょっとわからなくなっていますが、
    また、何か書きたい気持ちになったら、書いてみたいなと思っています。

    作者からの返信

    ―――――――――――――――――――
    わたしとしては、主人公が隣にいる感じで、彼が語る言葉をそのままに
    できるだけ自分を出さずに書いた結果、このようになったのですが
    ―――――――――――――――――――
    これが成功していると思います。桜庭さんが思っている以上に成功しているというか。成功しすぎて北になったと。
    「男の人を書くと、おかしいとか中二病だという感想を頂く」というのは私は桜庭さんの魅力のひとつだなーと思っているのですが、本作のような筆致ができることで(また評価されることで)桜庭さんにとって自信に繋がるなら幸いです。
    もちろん、じゃあ真北作品を書けるのかというとまたそれは別なんですけどね。起承転結などの真北構成が組めるかどうかとなると、また別なので。
    桜庭さんが元々持っている魅力と、本作で発揮された技術とが、上手く混ざってくれるといいなーと願ってます。

    あんまり考えすぎないほうがいいと思います。
    方角企画を開いておいて何ですが、方角を狙うという作業はそんなに重要なことではありませんから。狙って考えて何が何だかわからなくなるくらいなら、桜庭さんご自身の魅力を出すことに切り替えてもいいと思います。
    西という方角は考えすぎると遠ざかる方角ですし。

  • 指摘ポリシーへの応援コメント

    フィンディル様

     お忙しいところ失礼いたします。
     今回参加させていただいている作品ですが、エッセイを投稿してしまったのですが、本当は小説だけだったのでしょうか? 今更ですが心配になりました。
     もし、小説でということでしたら取り下げますのでおっしゃっていただけたらと思います。お手数をおかけしますがよろしくお願いいたします。
     後、こちらも今更ですが『役得』の方は参加をとりやめようかなと思っております。
     ちょっとふさわしく無いような気がしてきました。自分なりに挑戦したものでしたが、企画主旨とは違ってしまっているかなと思いまして。
     色々申し上げてしまってすみません。

    作者からの返信

    問いあわせありがとうございます。

    小説の取り下げ、了解しました。
    本企画に相応しい作品相応しくない作品はないと私としては思うのですが、「何か違うよな」と思いながら参加を続けるのは涼月さんとしては辛いところがあるでしょうからね。
    もしお気持ちが変わったときが来ましたら、遠慮せず参加登録しなおしてくださればと思います。

    またエッセイについては企画概要にて言及できておらず、私の落ち度です。申し訳ありません。
    そしてエッセイがOKなのかNGなのかということについては、正直わかりません。問題なさそうな気はするのですが、確かなことは言えない感じです。
    実際に作品を読んでみて「問題なく方角をあてられそうだな」「方角をあてるのは難しそうだな」という判断をしたいと思います。ですのでそのまま参加登録を継続してくださればと思います。
    作品の方角システムを試す良い機会を提供してくださった、ということですね!
    気持ちとしても「あー確かにどうなんだろ、面白いなあ」です。ありがとうございます。

    仮に読んだ結果「方角をあてるのは難しそうだな」という判断をした場合も、今回の開催においては参加登録を取り下げる必要はございません。次回開催に活かすという方向で対応したいと思います。
    涼月さんが企画規約に違反している、などは一切ありませんのでご安心ください。

  •  素晴らしい感想をありがとうございました。
     一読して、芥川龍之介「羅生門」の最後の一行を思い浮べました。
    --------------
     しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪しらがを倒さかさまにして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々こくとうとうたる夜があるばかりである。
     下人の行方ゆくえは、誰も知らない。
    --------------

     この、最後の「下人のゆくえは、誰も知らない。」が要るか要らないか? なんですけれど。
     倉橋由美子が「要らない」と断じているんです。
     要らないときいたら、確かに不要だな~って想うのですが、「要らない」ときく前にはとくに引っかかることがなかった最後の一文でもあります。
     それを「要らない」と想える人、つまりフィンディルさんのような鋭い読み方は、ぜひ自分の中にも取り入れて研鑽したいものです。
     ……無理な気がしますが(;'∀')

     ありがとうございました。

    作者からの返信

    確かに方向性としては似た話だと思います。
    本作の葛西は「下人の行方は、誰も知らない。」をもっと巨大にした感じでしょうかね。「下人の行方は、誰も知らない。」のあとに下人の行方を誰も知らないとする根拠が数文続いているような感じ。
    また(記憶のかぎりでは)下人の行方は「羅生門」にとっては大事ではなかったはずなので、「羅生門」にとって大事かつ不明としている要素(あるなら)に、どうして不明なのかの説明があるのをイメージしてみてもいいかもしれません。

    とにかく、作品の方角を左右するということは、作品の面白さの性質を左右しているということなので、一考の価値はあると思います。
    「下人の行方は、誰も知らない。」よりは派手だと思います。

    ありがとうございました!

  • 感想をいただけて嬉しいです。ありがとうございます。
    おおっ、真北かー! って感じです。

    西の風味を醸し出したいという気持ちで書いたので、コメント欄で頂くエンタメっていう感想には最初びっくりしていたんですが、書き終わって時間が経つうちに意味がなんとなくわってきて、今こちらの感想をいただいて、しっかりわかりました。笑

    たぶん西向きを書くには、整えよう、説明しようとする気持ちが邪魔になるというか、伝わるよう俯瞰して書かねば、って気持ちが出るので、なかなか難しいなと思いました。

    今回も思いついた世界観の説明をすることが一番で、あとはなんか綺麗な雰囲気が出るように描写の粉をパラパラ振っておしまい、みたいな感じで満足してしまいましたし。

    エドの心理描写の連結も、最初に思い付いた設定と後からやっぱりもう少し何かあったほうがいいと付け加えた部分が、そのまま出ている気がしました。このへんは下手に北西を書いてるんだと西を都合のいいように理解したせいで、おかしくなったのかもしれません。

    あと単純にそこまで考えが深くないというのもあるんですが……。どうにも途中で集中とか自作への興味がなくなるみたいです。

    ともあれ久しぶりに感想をいただいて嬉しかったです。
    自分はやっぱりエンタメが書きたい人なんだなと改めて思いました。
    企画の運営、大変かと思いますが、貴重な機会をいただけて感謝しています。ありがとうございます!

    作者からの返信

    西全般にいえることなのですが、「こう書けば西になるだろう」みたいに理屈を用いれば用いるほど西は遠ざかってしまうんですよね。
    理屈をこねずに、胸のモヤモヤをただただ一番相応しい言葉達に変換するという素直な行為が、西に近づくと思います。

    エンタメの筆致が染みているから「説明する」は避けられないが、西向きを目指しているから「整理はしない」というのは、なかなか難儀なねじれが発生してしまっているような気がします。
    落とし穴というか、難しいですね。説明するなら整理は基本的に必要ですし、整理しないなら説明しすぎてはいけないですからね。

    ―――――――――――――――――――
    自分はやっぱりエンタメが書きたい人なんだなと改めて思いました。
    ―――――――――――――――――――
    これも異文化交流の醍醐味だと思います。
    試しにやってみて「あ、自分には向いてないみたい」と思って、自分が継続してきた道を改めて歩く、というのはそれはそれで異文化交流として価値のある体験だと思います。
    とはいえ私個人としては竹神さんには何か西に向けるセンスみたいなものは感じているんですけどね……どうなんでしょうかね。ちょっと読んだ作品数が多くなくて。

    ありがとうございました!


  • 編集済

    フィンデルさま、まず、有名な作家ないざ知らず、アマチュアが書いた作品を、ここまで真摯に読むことができるということに、脱帽です。カクヨムのような小説投稿サイトでは、自分の作品を読んで欲しい人であふれています。理解という形の愛が欲しい集団の中で、それを与えられる人は非常に貴重です。私は、他人や他人の作品に、そこまで興味がもてる人間ではないので、その点だけでも尊敬します。

    フィンデルさんの解釈は、私が書きたかった意図とは、少し違うように感じました。他の方のコメントを読んでも、いろいろな解釈があるのだと目からウロコで、非常に勉強になりました。恐らく、私のようなアマチュアにありがちな、「ここまで言っては野暮だろう」と説明を割きすぎたということが大きいかなと思います。読者に解釈を委ねることと、きちんと意図を伝えることのバランスは難しいなと感じます。

    特に、この作品は価値観の違いによって、大きく解釈が変わる作品なのだなと感じました。私は、自分の価値観を「ふつう」と感じており、読者も同じような価値観を持っていると思いがちです。フィンデルさんの感想や、他の方のコメントのおかげで、読者さまはそれぞれ全く違う人生を歩み、違う価値観で生きていらっしゃるのだということを再確認することができました。そのことを留意して書くだけでも、今後の表現に違いが出るかなと思います。

    フィンデルさんの解釈が、私が意図していたものと違っていたとはいえ、フィンデルさんの解釈はとても美しいと感じました。
    特に『愛と欲が絡んで人がそれぞれ懸命に生きるとき、あるいは安心を求めるとき、「勝利」する人なんておらず、誰しも「敗北」しているのではないか。』という一文。なんと美しいのだろうと感動しました。作品を書いているときに思ったことではないのですが、本当にそうだなと思います。

    本作品は、善悪や勝ち負けを軸にして書いたつもりがなかったので、そういう見方もあるのかと勉強になりました。

    「本作は、五年後のリナが当時のリナになりきって書いているような印象を受けました」
    上記のご指摘、なるほどと思います。作者の中では、もう二十代半ばの女性は、恋愛経験や社会経験が少なくても十分に大人です。十歳の娘がおりますが、すでにいろいろな機微を理解しているように感じます。なので、リナが年齢の割に俯瞰しすぎているとは思わないのですが、おそらく、リナの視点で書きながら、作者の視点が入ってしまったのかもしれないと思います。「子ども」か「大人」かというよりは、作者が当事者になりきっていない。当事者の渦中の心理を書ききっていない。そこをもっと工夫できれば、もっと臨場感が増すかもしれません。

    フィンデルさんの、書き手を尊重し書き手に寄り添って書かれる感想、多くの書き手に良いエネルギーを与えていらっしゃると思います。今回、フィンデルさんに感想を書いていただいて、優しさのあふれるプレゼントをいただいたように感じました。

    とても骨の折れる、ご負担のかかる作業だと思います。本当にありがとうございました。どうかご自愛くださいませ〜。

    作者からの返信

    ―――――――――――――――――――
    本作品は、善悪や勝ち負けを軸にして書いたつもりがなかったので、そういう見方もあるのかと勉強になりました。
    ―――――――――――――――――――
    私の感想も同様の主旨ですよ。善悪や勝ち負けを軸にして書いていない作品という解釈です。善悪や勝ち負けを軸にして書いていると解釈していたら真北という判断になっていたはずです。
    もちろん全ての解釈が一致しているわけはないとは思いますけどね。

    またリナが俯瞰できすぎているというのは、まだ若いのに、ということではありません。年齢は関係ありません。二十代半ばはもうこれこれ、ということではありません。
    たとえるなら「森を歩いていると熊と遭遇した」としましょう。熊と遭遇して熊と視線が合って「うわっ」と思う。このときその場で「この『うわっ』はどういう感情なのだろうか」「熊のどういうところに自分は『うわっ』と思わされたのだろうか」を、的確に言語化できる人はそうそういないはずです。そんなことを考えている場合ではないからです。これを的確に言語化できるかどうかに年齢は関係ありません。大人かどうかは関係なく、人生経験が豊富かどうかも関係ありません。酸いも甘いも噛み分けた人も熊と遭遇すれば「うわっ」と思って頭フリーズです。関係あるとすればただただ「熊と遭遇した経験」が豊富かどうか、だけでしょう。
    リナにとっては山崎の妻は熊だったのです。初めて熊と遭遇して熊に殺意を向けられて「うわっ」と思ったのに、リナは「この『うわっ』はどういう感情なのだろうか」「熊のどういうところに自分は『うわっ』と思わされたのだろうか」を的確に言語化できてしまっているのは違和感があります、ということです。

    熊と遭遇した人が「この『うわっ』はどういう感情なのだろうか」「熊のどういうところに自分は『うわっ』と思わされたのだろうか」を分析できるようになるのは、事件からずっと先のはずです。ほとぼりが冷めてからです。
    そして山崎の妻の「うわっ」は熊の「うわっ」よりも複雑であることが想像できるので、リナが「ほとぼりが冷める」と感じて当時を分析するには五年くらい必要かもしれませんね、ということです。リナが五十歳でも五年必要だったと思います。
    私の伝え方がハイコンテクストすぎたのだと思いますが、「“大人”=大人」ということではありません。年齢は関係なく、生き方や考え方の話だろうと思います。

    ―――――――――――――――――――
    「子ども」か「大人」かというよりは、作者が当事者になりきっていない。当事者の渦中の心理を書ききっていない。そこをもっと工夫できれば、もっと臨場感が増すかもしれません。
    ―――――――――――――――――――
    私もこれをお伝えしているつもりです。

    ありがとうございました!

    編集済

  • 編集済

    丁寧なご感想を、また素敵な企画をありがとうございます。

    この作品の方角が気になっていたのでスッキリしました! 北北西ということで、僅かでも西を向いているなら良しとします。
    SFは普段書かないのですが(意図してSFにしたのではなく、プロットを考えている内にSFになり、いつもと違う作風に挑戦したかったためそのまま書きました)、
    「SFが得意とする表現アプローチだと思います」ということで、ジャンルと方角の相性という点で考えると、結果的にはこの方角で良かったのかなと。

    北を薄くしようと思いながら書いたので、仰る通りです(笑)。
    薄くするというのは、北から離れるわけではないという点は勉強になりました。あくまで、その方角が弱くなるということなのですね。

    >北(=鰹出汁)が薄味で、色々な方角(=出汁)が候補に挙がっちゃう
    読者によって方角に関する感想が違うのを見て、それはつまり読者を惑わせているということなので、
    作品の方角の観点から見ると中途半端なのだろうな、と思っていたので納得しました。

    設定についてですが、
    今作はある程度背景設定を考えてあり、ご推察の通り、地球にかつて存在した国々がそれぞれの星の領有権を主張しています。時には星を取り合うこともあるイメージです。そして、未来では領星の領土が足りなくなると、新しい星を探します。

    >一般的なSFって星由来で発生した組織がその星を支配する
    そうなんですか……! すみません、普段SFを書かない(読んだ経験も少なめ)ので、それは知りませんでした。
    設定を考えるのは好きなので(言ってしまうと本文を書くより好きなので)、背景設定をお褒めいただき嬉しいです。

    火葬・墓について、なぜ墓がなくなったのか設定もあったのですが、説明しすぎるのもアレかなと思い「今では墓を作らないけれど、主人公は墓という言葉は知っている」という点を残したのがまずかったのかなと。
    思い切って、これらについての言及をバッサリなくしても良かったのかもしれません。
    未来を生きる主人公が知らなくても(現代を生きる私がお墓はどうしているのかと疑問に思ったとしても)、ある意味それが主人公にとっては、自然なことなのでしょうから。

    >やりとり中に出てくる文化は私達の価値観およそそのまま
    これは仰る通りで、分かった上であえて書いた部分もあります。個人的に、どれだけ時間が経っても変わらないことはあるのではないかと思っていて、そこを描きたかったというのがあります。

    ただ、実は、指切りはプロットになく、書いている途中で入れたのですが、
    入れたいと思ったのは「現代の私」なわけで、「未来の主人公」の思考ではない。その時点で、この物語は現代的な思考・価値観の方へ意図せず寄っているのだと気づきました。
    もう少し未来の主人公に寄った思考が出来れば良かったのかなと、感想を読んで思いました。

    そういった風に、ここは未来の価値観で描写する、ここは現代の価値観に寄せる、という点をしっかりすると、仰っているような「背景に感じる設定の質感とやりとり中に感じる設定の質感」の接続感がより出せるようになるのではないかと考えました。


    改めまして、丁寧なご感想を本当にありがとうございました! 
    本作は自信がないところもあったのですが、フィンディルさまの感想を読んで、書いてよかったなと強く思いました。
    企画参加作品の読みだけでなく、感想もお書きになり、企画の運営をありがとうございます。くれぐれも無理はなさらないようお気をつけ下さい。
    長々とコメント失礼いたしました。

    作者からの返信

    ジャンルで考えてもらったらわかりやすいんですけど、現代ドラマっぽさを減らそう減らそうとしたら中世ファンタジーになるのかというと、それは別の話じゃないですか。和食っぽくない料理を作ろう作ろうとしたら中華料理になるのかというと、それは別の話。

    ただ読者を惑わせるのは決して悪いことではありませんし、中途半端なことも決して悪いことではありませんよ。
    何も北西とは真北にも真西にもなれなかった方角である! ということではありませんからね。真北でも真西でもないからこその良さがあり、それは本作も同様です。北が強くないからこその良さがあると思います。


    私もSF作品に明るいわけでもデータもとったわけでもありませんので、飽くまでイメージの話です。
    ただイメージとして現実の国の領土そのままの感覚で惑星単位になった、というのは面白いなと思います。惑星単位の領土感覚から始まるイメージがあるので。よくわからないオリジナルの帝国ではなくて、あそこは元々アメリカなんだよね、みたいなのが面白いなと。

    ―――――――――――――――――――
    個人的に、どれだけ時間が経っても変わらないことはあるのではないかと思っていて、そこを描きたかったというのがあります。
    ―――――――――――――――――――
    これは仰るとおりだと思います。現実世界とは大きく違うSF世界だからこそ現実世界そのままの価値観を示すことの良さというのは確かにあると思います。SF世界なんだから現実世界とは違う価値観を示さないといけない、ということはありません。
    ただそれがちゃんと作中表現として出ているのかというのは、やはり別のことだろうと思います。
    指きりげんまんも、学校で古い習慣として習っただけなのに、育った環境が違うはずの二人がスムーズに行えてますからね。まるで指きりげんまんが“古い習慣”という名の現役の文化であるかのように。
    作者の意図がどうであれ、作中表現として「現実世界とは大きく違うSF世界だからこそ現実世界そのままの価値観を示す」という見せ方ができているか、「現実世界とは大きく違うSF世界なのに現実世界そのままの価値観が出ちゃってる」という見せ方になってしまっているのか、ここが基本的に大事になるだろうと思います。そしてそれは細部こそが物語るのだろうと。
    こういう作業・技術ってSFならではなのところがあると思うので、面白いなと思われましたらあれこれ考えてみると楽しいかなと思います。

    お気遣いありがとうございます~。
    ありがとうございました!

  • 企画概要への応援コメント

    フィンディル様

     初めまして。涼月と申します。
     企画面白そうだなと、そしてフィンディル様の感想もとてもお勉強になっております。有難いことです。
     一人何作でも良いと言うお言葉に甘えて、タイプの違う二作品で参加させていただけたらと思っております。と言っても、本人だけがタイプが違うと思っていて、実質は変わっていないかもしれませんが(;^ω^) そんなことを知るのもお勉強になると思っております。拙い作品ではありますがよろしくお願いいたします。

    作者からの返信

    涼月さん初めまして! フィンディルと申します!
    本企画に興味をお持ちくださってありがとうございます。投稿お待ちしています! と返信しようと思ってたのですが、すでに投稿してくださっているという。ありがとうございます!

    タイプの違う二作、楽しみにしていますね!

  • フィンディル様、私の作品を深く読み込んでいただき、ご感想をありがとうございます。

    この作品の方角は真北だったのですね。
    意見交換をする中でも、ストーリー自体はありきたりなものになっているということに、自分でも気が付けました。そのため、なんとなくですが西向きではないのかもしれない、と思っていまして……。詳しい説明を聞いて、納得しました。
    嗜好と設定だけでは、方角はあまり変わらないのですね。勉強になりました。
     
    また、「目的と達成」については、確かに結末が自然なようにしていたな と改めて知ることができました。私は何か目的がないとおかしい、と考えることが癖なのでしょうね……。
     
    「非日常の日常」を意識すると西向きになるのですね。「見るからに異形らしい者が、ふとした時に見せる人間に近い行動」などを意識すればよろしいのでしょうか。解釈が間違っているかもしれませんが、考えてみようと思います。

    そして、「頭を別の物にしても物語は成立してしまう」というご指摘には、一番ハッとされられました。これは本当にそうですね……。
    この作品は、作品名の熟語「冥契」の意味から考えて書き始めたので、「異形と結ばれるストーリー」が先に出来たのです。その上で、頼人の頭は感情表現が分かりやすいものが良いだろうという理由で電球になったのですが……。
    私も改めて読み返してみて、電球である必要性がないように思えました。私にとって、頭は何でも良かったのだと思い、少し悲しくなりました……。
    好きなものの良さを伝えきれていないのは、致命的ですね……考え直したいです。

    電球人間ならではの何か、詳しくご提案いただき、ありがとうございます。
    記述の部分は、橙花の感じ方の変化を伝えたくて書いたのですが……。なるほど、頼人からすれば分かっていることですね。頼人は「気遣いのできる人」という設定でもあるので、確かにおかしいように思えました。

    異形頭の「異形」の部分が、それである意味や魅力を考えて、より良い真北作品にしたいと思います。
    また、少し西向きの北北西や北西の、異形頭を題材にした作品も書いてみたいです。

    この度は、素晴らしい企画の開催と丁寧なご感想を、ありがとうございました。
    とても勉強になり、創作意欲も刺激されました。
    また、「フィンディルの感想」に強く興味を惹かれたので、より詳しいご感想を企画終了後に応募させていただきたく思います。その際はどうぞよろしくお願いいたします。

    作者からの返信

    勘違いしないでいただきたいのが、「何か目的がないとおかしい」と考えるのが癖になっているのはエンタメ書きとしてはすごく良いことだということです。
    特に意識せずに「目的と達成」が成立するような作話ができているのは、エンタメ書きとして素晴らしいことだと思います。
    なので真北を基本に創作していくのならば、その癖は是非維持していただきたいと思います。
    飽くまで「目的と達成を軸にしない創作もあるんだ」という異文化交流に留めていただければと思います。

    嗜好と設定だけでは方角は変わらない。
    本当に嗜好と設定だけの作品だとまた話は別なのですが、およそ夜桜さんは嗜好を出しつつ「良い話にしたいな」という意識もあったはずです。その「良い話にしたいな」の「良い話」が北向きベースなので、作品も北向きになるという話です。

    「見るからに異形らしい者が、ふとした時に見せる人間に近い行動」は、「非日常の日常」というより「日常の非日常」に近しいものだと思います。
    ギャップに焦点をあてるのは視点者(執筆者)にとって取材対象が非日常(=変わった存在)に感じられるからだと思います。変わった存在に感じられるから「ふとした時に見せる人間に近い行動」が映えると考えてしまう。この場合は「日常(視点者)の非日常(取材対象)」になって、やっぱりエンタメの香りが出ると思います。
    「非日常の日常」においては「見るからに異形らしい者」を「見るからに異形らしい者」とジャッジするのは飽くまで(人間である)読者であって、作品側にとっては「見るからに異形らしい者」なんてものは存在しないんです。電球人間こそが普通であって、強いて挙げるなら眼球や鼻や口や耳を頭部に持つ生物こそが「見るからに異形らしい者」という認識なのです。頭部に器官集まりすぎキモ、みたいな。
    「私達(電球)人間の日常を、訳わからん器官集約頭部人間に読ませましょ」みたいな認識で綴った作品が、「非日常の日常」だと思います。夜桜さんも電球人間になりきるのです。

    たとえば夜桜さんがご自身のとある一日を散文調に綴ったとします。何の起伏もない、ただの一日です。夜桜さんは(多分)私達と同じような人間ですから、その散文を我々が読むうえでこれは「日常の日常」です。
    これをそのまま電球人間でやってみる。電球人間が自身のとある一日を散文調に綴る。何の起伏もない、ただの一日。ただ電球人間は我々にとって非日常の存在ですから、その散文を我々が読むうえでこれは「非日常の日常」になる。
    取材・エッセイなのか、日記なのか、という違いだろうと思います。「見るからに異形らしい者が、ふとした時に見せる人間に近い行動」は取材・エッセイなんですよね。夜桜さんが日記を書くような温度感で書けると「非日常の日常」らしくなると思います。


    話が変わりまして、電球人間以外では成立しないような物語にしましょう、は「日常の非日常」的な真北エンタメの考え方です。ここを混同してしまうとややこしくなるのでご注意ください。
    こちらの考え方は、夜桜さんが今後も同様の創作をしていくうえでとても大事になる考え方だと思います。
    その設定でなくても物語が成立してしまうときは、大体その設定の魅力が出ていないことが多いと思います。その設定を変えるとまったく物語が成立しなくなっちゃうよ、という塩梅が基本的に大事だろうと。
    ジェンガの、取っても問題ないブロックなのか、取ったら崩壊必至のブロックなのか、みたいな。
    こちらは夜桜さんに刺さったみたいなので、詳しく紹介しなくても大丈夫だろうと思います。

    フィン感に興味を持っていただいて嬉しいです!
    どの作品で応募されるのかはわかりませんが、楽しみにしています!

  • 北でしたか…! 感想を拝読し、理由に納得です。

    >姿勢は西側に全力で前傾したがっているが立っている地面は北

    なるほどです。
    西を書いてみたいという気持ちでそうなってしまったか……。

    あと、役割語。実はご指摘いただいた以前の作品を直前に直していて、さらに現在の原稿でも「わ」「わよ」に注意していたので、「よしよし、気を付けられるようになったな」と思ったばかりだったのに、また! 隙ありすぎです。さらに精進します。

    この度は企画の開催と丁寧なご感想、大変ありがとうございました。

    作者からの返信

    設定とか雰囲気とか上澄みのほうは西だけど、作品の楽しませ方など土台は北、みたいな作品は前回の方角企画でもありました。
    オレンジ11さんの場合は「西を書こう!」よりも「自分の創作をしよう!」という気持ちのほうが西に寄るかもしれませんね。

    役割語は「わ」「わよ」だけではないですからね。書き言葉の癖になっているところもあるでしょうし、方言の矯正くらい難しいと思います。
    もちろん役割語が効果を発揮する作品もあると思うんですけど(あえてフィクション感を出したりするときには有効)、やっぱり使い分けられたほうがいいよな、とは思います。
    ただそれで口調迷子になってしまわないようにだけ注意してくださればと思います。

    ありがとうございました!

  • フィンデル様。
    感想、とっても嬉しいです。
    丁寧に読み解いて頂き、的確な感想、ありがとうございました。
    実を言うと、この実体験は小学生のころなのです。
    小学校6年生から、中学1年生までの経験で、親から携帯を持たされていたという感覚をそのまま使ってしまいましたが、確かに、高校生設定に置きかえると、不自然ですね。
    実体験とフィクションを織り交ぜた場合、やはりもうフィクションとして物語に没入した方が上手くいったのかも知れません。
    思い付きで書いた作品でしたが、なんだか宝物のように大切に思えました。
    もう誰にも読まれないかも知れませんが、少しずつ改稿して、よりよく仕上げたいと強く思いました。
    丁寧に読んで下さったこと。期待を込めて感想をくださった事、心より感謝いたします。

    作者からの返信

    実体験をもとにするから表現や調整が甘くなる、ということは実際にあると思います。
    “完成されたもの”扱いをしてしまったり、距離が近すぎることでかえって全容が掴みにくくなったり、と。
    ただ本作のその場合はそれに限らず、の細部もあると思いますので創作全般の意識として捉えていただければと思います。

    神楽耶さんの今後の創作に何かしらのプラスがあれば、私としても嬉しいです。
    ありがとうございました!

  • フィンディル様

    しっかりと読んでいただき、また、素晴らしい感想を書いていただきありがとうございます。フィン感と比べると簡単なのでしょうが、カクヨム内でここまで書いていただける方は珍しいと思います。

    先ず一つ。
    作品のURLが間違っているようなので、訂正をお願いします。

    とりあえず驚いた事。
    不条理ギャグは北西!

    言われてみて納得しました。
    天才バカボンをノベライズすると北西になるのか。

    後は、着地点をどうするかで方向性が変化すると。
    これも言われてみて気が付きました。

    私はそういう事をあまり考えていなかったですね。

    もう一つ。
    「緻密と稚拙の読ませ分け」についてもあまり考えていないですね。
    なるほど奥が深い。上手くやればきれいにひっくり返るのか。

    霜川のバイク知識についてはご指摘の通り「霜川がサイボーグである伏線の一環」でありまして、彼は諜報用モデルであるが故、交通、車両、運転などの情報があらかじめインストールされています。しかし、本人に自覚はないという設定です。「あれ?自分は何でこんな事を知っているのか?」みたいな描写が入っていればよかったのかな。

    とにかく貴重なご指摘に感謝いたします。
    どうもありがとうございました。

    作者からの返信

    あー! ごめんなさい! URL間違ってましたごめんなさいごめんなさい!
    たまにやっちゃうんですよね以前も指摘されたことがあります学習しない。変なサイトのURLでなくて良かった!

    「ボボボーボ・ボーボボ」などは特に綺麗な北西なんじゃないかなという想像を持っています。ちゃんと読んだことないんですけど。
    ちなみに作品の方角は漫画や映画などストーリー創作は問題なくカバーできますね。音楽になるとかなり怪しくなるんですけど。

    バイク知識はやはり伏線の一環でしたか。ただ「伏線ですか?」「伏線です」のやりとりを要しないのが真北では基本的に大事かなと思います。
    「あれ?自分は何でこんな事を知っているのか?」を入れてもいいのですが、さすがに登場人物に気にさせてしまうのは直接的すぎる気がします。
    ですのでたとえば霜川はバイクの経験もなければ興味もないということが窺える一文をさらっと入れておくと、「じゃあ何で基本知識はあるんだろう」と聡い読者が気になってくれると思います。
    そういう小さな矛盾を頭の片隅に置いてもらえると、事実を開示したときに「そういうことか」と綺麗に覆りやすくなるんじゃないかなあと期待します。

    ありがとうございました!

  • 前夜/nou への簡単な感想への応援コメント

    こんばんわ! 水木レナです。

    ほう! つまり、真北の起承転結を一部抜粋して演出と角度をつけて描いているってことですか?
    「ほっこりの結部」が描かれていないことで西を感じてしまっていたのでしょうか。

    作者からの返信

    起承転結かまではさすがにわかりませんけどね。
    ただ1000字以下の掌編ではよくある作品構成だと思います。むしろ場面を複数描いたうえでストーリーの開始と終了をきっちり描くほうが文字数的に難易度は高い。
    なのでそういう掌編の事情は加味したうえで方角判断するのが無難だろうなーと思います。

    「ほっこりの結部」が描かれていないこともそうで、(描かれていないことによる)余韻の有無ではなく、余韻の内容で判断するのが良いだろうなと。

  • 企画概要への応援コメント

    こんばんは。
    今、少しずつ短編を書いているのですが、
    方角のタグだけだと、企画が終わったあとに読む方が「ん?」って思うと思うので
    「あなたの小説の方角はどちら?」タグをつけてから、「方角」タグを置きたいなと思いました。
    よろしいでしょうか?

    作者からの返信

    もちろんいいですよー。
    できるだけ齟齬を出さないようにと気遣ってくださってありがとうございます。