第16話 タコハチ

香坂のポケットからコール音が鳴り響く。事務所のメンバー間限定の回線で、どんな状況でも繋がるようになっていた。香坂は慌ててポケットから携帯を取り出して出た。


「はーさん!」

『香坂。時間がないから手短に言うわよ。すぐに町から離れなさい。次元穴から反対の方向に逃げるの。あなたは絶対に私達が守るから』

「達って……まさかあーちゃんも! あ!」


 阿久津と聞いて草間の目の色が変わった。香坂から携帯をひったくり、荒々しい口調で初見に向かって怒鳴った。


「所長! 阿久津に何をさせようとしてるんですか!」

『草間? 良かった、その様子じゃ説得に成功したようね。もう一度言うわ。あなた達はすぐにここから逃げなさい』

「出来ません! あいつは、リッパーは俺の仇です! 俺があいつを……!」

『あんたに何が出来るの! 巻き込まれて死んだら絶対に許さないわよ!』

「ぐっ」


 そう言われては、草間に言い返す言葉は無かった。あれの恐ろしさは、経験した自分が一番良く分かっている。相手は一匹で軍隊をも壊滅させる化物だ。たかだか普通の人間である草間が一人で戦おうとしても、相手になるはずがない。


『お願い、無茶はしないで。全て終わったらまた会いましょう。じゃあ』


 一方的に電話は切られ、ツーツーという虚しい音だけが響く。携帯はするりと草間の手から滑り落ち、乾いた音を立ててフローリングの床に落ちた。

 草間は右手を硬く握りしめて、わなわなと震わせ、力任せに壁に叩きつけた。


「くそ! 本当に何も出来ないのか! リッパーをこの手で倒せなくてもいい! せめて、二人の手助けをするぐらいは……!」

「ありますよ、くーちゃん。私達に出来る事」

「え?」


 さらりと予想外の言葉が香坂の口から飛び出し、草間は驚きで目を見開いた。


「忘れちゃいましたか? 倉庫の地下に眠っているあれを」


 瞬間、草間の体中に衝撃が走った。なぜ思いつかなかったのだろう。あれがあれば、倒すとはいかなくてもリッパーの進撃を食い止める事が出来る。


「そうだ。いける、いけるぞ! やろう香坂! あの二人だけで戦わせたりするものか!」

「はい!」


 居ても立ってもいられず、一目散に外へ飛び出した。


 町の惨状は凄まじかった。人々は我先にと逃げ惑い、あちらこちらから罵声が飛び交う。皆、生き残るために必死なのだ。

 草間達は人波を避けるために裏道を駆使し、ついに事務所の倉庫前まで辿り着いた。と、ここまできて草間は大問題に気付いた。


「しまった! 起動キーは事務所に……」

「安心してください。キーならちゃんとここにありますよー」


 香坂がポケットに入れた手を抜くと、クレジットカードぐらいのメタリックブルーの金属板が出てきた。これが地下にあるものを起動するための鍵だ。


「お前、どうしてそれを?」

「え? えーっと、ですねー。その、万が一くーちゃんを引き止められなかったら……」

「もういい。分かったからそれ以上言うな」


 相変わらずとんでもない事を考える。まあそのおかげで事務所にキーを取りに戻らなくて済んだのは良かった。


 香坂が倉庫の壁に近付き、ひざ下辺りの位置を撫で始める。一見何の変哲もない場所だが、香坂の指に微かな出っ張りが引っかかり、ぱかりと壁が剥がれた。中から現れたのはテンキーと静脈認証パネル。香坂は軽やかにテンキーに数字を打ち込み、右手をパネルに当てた。甲高い電子音が鳴り、倉庫が徐々にせり上がっていく。


「これを見るのも半年ぶりぐらいですかねー」

「ああ。使う事なんて絶対に無いと思っていたんだがな」


 地面から、倉庫のもう一つの巨大な入口が姿を表した。完全に倉庫がせり上がると自動で照明が付き、中にあるものが照らされた。


 OCT―08。全長一五.八m。総重量一七.五トン。最大出力は二五万馬力の八つの長い足を持つ多脚戦車。タコに似た形状から、日本ではタコハチという愛称が付けられている。ほんの十年前ぐらいまで、各国の主力として稼動していた名機だ。現在は実用化された反重力によるフロートタイプの新型に取って変わりつつあるが、パワーはまだまだこちらに分がある。さらにこの機体は草間達が独自にチューンした結果、稼働時間を犠牲に機動性と火力元のスペックより性能が向上されている。総合的に見れば、1.4倍は硬いだろう。さらに初見の趣味で元々青かった機体色が真っ赤に塗り直されている。


 草間達はタコハチに乗り込み、草間は火器管制を司る複座、香坂は操縦席に座った。香坂が正面下部のスロットに先程の起動キーを挿し込むと、低い唸り声と共にエンジンに火が入り、ドーム型のモニターが点灯した。


「くーちゃん、パイロットスーツは?」

「いい。着ている時間が惜しい。香坂、C―50からF―20までマニュアルチェック頼む。特に各種センサーと自動走行制御関連は見逃すな。人を踏み潰したら洒落にならん」

「分かってますよー。ちょっとどきどきしますねー。最後にVR訓練やったのっていつでしたっけ?」

「一年、いやもっと前か。ブランクはあるがやるしかない。三分で完全起動まで持っていくぞ!」


 二人は凄まじい速度で作業を進めていく。モニターに映っていたレッドの四角形は次々にグリーンに色を変え、草間の言ったジャスト三分後、最後の一つがグリーンに切り替わった。


「チェック完了! 香坂!」

「はい! タコハチ起動!」


 香坂が手元のスロットルを引き絞った。べたりと地面に這いつくばっていた足がすっくと立ち上がり、視点が一気に高くなった。さらに、足先に付いている車輪が轟音を立てて回り、急発進で倉庫から飛び出した。


 二人は向かう。これから次元穴の中から這い出してくる、リッパーと戦うために。

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