第11話 次元獣

 装備を整えた三人が向かったのは、事務所から南に直線距離で約五〇kmにある、うっそうと生い茂る杉林だった。

 呼ばれたのは草間たちだけではないようで、他にも十数名が既に集まっていた。誰も彼も、風格から実力を感じさせる人物ばかりだ。それだけに、どう見ても素人集団のこちらは浮いて見えてしまう。


「結構大掛かりなんですね」

「ま、相手が分からないからね。一応万全の装備は整えたけど、皆油断しないでね」


 草間達の装備は、一般人にはそうそう手に入らないものばかりだった。例えば、下に着込んであるアンダーは多層メスタチルファイバーという素材が織り込んであり、たとえRPG―8が直撃、爆発しても、燃えたり破れたりはしない。刃物も通さないため、動物の鋭い爪にも有効だ。さらにとても薄く軽いので、動きを邪魔する事も無い。

 武器は、ワイヤー針を射出するタイプのスタンガンだ。瞬間電圧は一〇〇万ボルトを軽く超え、連続使用時間も一〇分は持つ。それでいて非力な女性でも扱える重量であるという、非常に高性能なスタンガンである。象相手でも、ものの一〇秒足らずで昏倒させられる。

 阿久津はまだ入って間もないのでアンダーと銃だけだが、訓練を受けている他の三人は、それ以外にもまだいくつか、各自のバックパックに装備が入っている。猛獣相手なら、これだけあれば準備は完璧だ。


 そのまましばらく待機していると、黒塗りの大きなバスが現れた。中からはスーツを着込んだビジネスマンみたいな人達が次から次へと降りてきて、各グループに一人ずつ付いていく。


「初見さんですね。お待たせして申し訳ない。担当の五味淵です」


 草間達の所に来たのは、びっちり分けた七三分けに太い黒縁フレームの眼鏡と、いかにもインテリを絵に描いたような人物だった。口ぶりも堅苦しく、中身がイメージ通りなのは間違いなさそうだ。

 五味淵は初見に手を差し出した。初見は柔らかに笑いながら、五味淵の手を握る。


「今回はご依頼いただきありがとうございます。この通り微力ではありますが、精一杯努めさせていただきますわ」

「ええ。是非ともそう願いたいものです。それでは仕事の話に移りましょう。まずはこの資料をご覧ください」


 五味淵は初見に携帯デバイスを差し出した。初見はそれを見て自分の携帯デバイスを取り出すと、五味淵のデバイスと通信を行う。皆が初見の携帯デバイスを覗き込むと、画面には保護林周辺の森林基本図が載っていて、ある地点が赤い丸で囲まれている。


「その地点があなた方に調査をお願いする場所です」

「ふわー。この保護林ってこんなに広かったんですねー。この場所も、四人で回るのは相当骨が折れますよー」


 香坂の言うように、地図の縮尺から判断すると、この保護林は相当に広い。草間達が指定された場所も、目算で約10万㎡はある。目的地に移動する時間も考えると、回り切れるか怪しいものだ。


「これだけ広大な土地を探索するには、今回集まった人数では足りない気がしますが」


 草間が感じた疑問を投げかける。


「仰る通り、実力を加味して厳選した結果の人数ですので、これだけしか集められませんでした。なので今回はローラー作戦ではなく、目撃された場所や身を隠しやすい場所を、重点的に調査する事になりました」

「なるほど」


 そういう事であれば納得だ。今回だけで解決しようとは考えていないのだろう。正体について何らかの痕跡が掴めれば御の字程度に考えているに違いない。下手に素人を介入させて不幸な出来事が起これば、世間の矛先が向くのは依頼者だ。そのリスクを最小限にするための少数精鋭なのだろう。


「さて、それじゃそろそろ出発しようか」

「よろしくお願いします。何かあれば、これをお使いください。緊急回線ですぐに私共に繋がります」


 五味淵は初見に小型の無線機を渡した。受け取ると、初見は腰のポーチに入れる。


「ありがとうございます。さ、行くよみんな」


 そうして初見達は、未確認生物を探索するために出発した。全員、緊張して強張る様子は無い。リラックスして適度に気を張っているこの状態は、最高のコンディションと言えるだろう。だから誰もが信じて疑わなかった。今回もきっと、何事も無く終わるのだろうと。



 出発してから丸二時間。一同はようやく指定されたポイントの端に辿り着いた。


「はあー。結構きついですねー」


 ずっと歩き詰めだった香坂が、額に噴き出した汗を拭いながら弱音を上げる。

 枯葉の敷き詰まった、じっとりと湿った足場はとても歩き辛く、さらに整備された道もない。歩き慣れない道は、普段の倍以上で体力を奪っていった。上へ下へと不規則に続く高低差も厄介だ。


 初見が歩みを止める。草間達も同じように止まった。

 初見は携帯デバイスを取り出し、探索ポイントを指差して説明を始める。


「さて、ここで二手に分かれましょうか。私と香坂はこの辺り。草間と阿久津は残りね」


 初見が提示した範囲は、初見達の方が草間達よりも広い。しかしその分、草間達の方は等高線を見ると高低差がきつく、そこを考慮したのだろう。

 だが、二手に分かれるのはどうか。相手の正体が分からない以上、人数は少しでも多い方が良い。二人というのは、装備を考慮しても危険がある。


「所長。二手に分かれるのは、あまり得策では無い気がしますが」

「うん、分かってる。でもこれだけ回ろうとすると、固まってたら時間が足りないのよ。だから、危険を感じたらすぐに逃げて。絶対に二人で何とかしようとしない事」


 初見にとっても苦渋の決断という事だろう。だが仕事を請け負った以上、最善を尽くす義務がある。それは多少の危険があっても、という事だ。それを汲んだ草間は、頷いて初見の案に同意した。


「ありがとう。時間も無いし行こうか。気をつけてね。二人とも」

「はい。そちらも気をつけて」

「くーちゃん。あーちゃんと二人っきりになったからって、へんな事したら許しませんからねー」

「香坂、お前発想がオヤジくさいぞ?」

「な! こんなうら若い乙女に向かってなんて事を!」

「はいはい。ほら、おいで香坂」

「あ、ちょっとはーさん! くーちゃん、この恨み絶対に忘れませんからねー!」

 けたたましく喚く香坂を引き摺って、初見は稜線の向こうへと消えていった。

「……ふふ」


 突然、含み笑いが聞こえた。見れば、阿久津がおかしそうに口を押さえて笑って

いた。


「珍しいじゃないか。そんなに面白かったか?」

「いまのをみてたら、はじめてあーちゃんとあったときをおもいだして」

「ん? ああ。あの時か」


 草間と香坂が初めて阿久津にあったあの時。昼食に出かけようとする香坂を、今みたいに初見が事務所に引きずり込んだ。言われてみればなるほど。確かにあの時の光景とそっくりだった。

 思えば、阿久津がこの事務所に来てからまだ一ヶ月程度だ。最初は仲良くなれるのかと不安にもなったが、今ではこうやって会話も出来るようになった。きっとこんな生活が、いつまでも続いていくのだろう。


「俺達も行くか」

「うん」


 阿久津がいつものように、草間の左後ろにつく。そして草間達も、探索のために歩き出した。



「きゃ!」

「っと! 大丈夫か?」


 足元が滑り、阿久津がバランスを崩して坂から転げ落ちそうになった。だが間一髪、草間が阿久津の手を握り、阿久津の転落を防ぐ。

 歩き始めて早一時間。草間達は小高い丘を登っていた。傾斜はかなりきつく、針葉樹の落ち葉は滑りやすいので、二人は何度も転びそうになっていた。


「あと少しで登りきれる。頑張れ」

「う、うん」


 二人はひたすら登り続け、ようやく丘の天辺にたどり着いた。そこは他と比べると生えている杉の本数が少なく、高台であるため辺りが見渡せる。ここで休憩がてら、上から眺めてみるのもいいだろうと草間は考えた。


「ここで少し休もう。疲れただろ?」

「だ、だいじょうぶ!」


 そう言って阿久津はファイティングポーズのような仕草で元気をアピールするが、汗の量や表情から疲れているのが丸分かりだ。きっと、自分のせいで迷惑をかけたくないのだろう。

 それを察した草間は大げさにその場にへたり込み、片手で拝む形を作って阿久津に頼み込む。


「悪い。実は俺の方が限界なんだ。少し休ませてくれ」

「え? う、うん。わかった」


 これは半分嘘で半分本当。まだまだ草間は行けるが、疲労が蓄積してきているのも確かだ。まだ時間もある。少しぐらい休んでも問題ないだろう。


 阿久津は素直に信じると、自分も足を崩して草間の隣に座った。

 そのまま二人して、しばらく下を眺めた。しかし杉の密度が濃く、あまり様子は分からない。やはり直接出向かないと駄目なようだ。

 初夏の風が吹く。疲労と少しきつめの日差しで火照った体が適度に冷やされて気持ちがいい。草間は目をつぶり、つかの間の休息を少しでも満喫しようとした。


ザクッ


 背後から何か音が聞こえ、すぐに草間は緊張を取り戻した。阿久津もはっきりと聞こえたらしく、怯えた表情で草間を見ていた。


 草間は指先を口に当てて、阿久津に静かにするようにジェスチャーすると、音のした方向に目を凝らす。そこは杉と背の高い雑草が生えていて、かなり見通しが悪い。

 頬に一筋の汗が流れる。緊張で口はからからに乾き、地鳴りのように心拍が鼓膜を震わせた。しかし、その分五感は研ぎ澄まされ、ほんの僅かな変化でも感じ取れるように思えた。


 しばらく、視線の先に変化はなかった。しかし、草間はそこから僅かに覗いているものを目ざとく見つけた。

 赤く光る三つの眼が、じっとこちらを見つめている。それと目が合った時、草間の全身の血が凍りついた。


「逃げろ!」


 何者か分かったわけではなかった。しかし、あれはやばい。そう直感がやかましいぐらいに警鐘を鳴らした。

 草間は阿久津の手を引き、反転してその場から脱兎の足で逃げ去ろうとした。だが、上から何か巨大なものが降ってきて、草間達の行く手を塞ぐ。

 衝撃で落ち葉が舞い散り、草間達の視界を塞ぐ。草間は腕で落ち葉を防ぎながら、ついに敵の正体を目の当たりにした。


 体長は約五m。真っ白な色に、昆虫を思わせる見るからに硬そうな体。牙をむき出しにした口からは、毒々しい紫の唾液が垂れ、三つ目のギラギラした赤い瞳は、今にも襲いかかりそうな敵意を持ってこちらを睨みつけている。


「ち! こいつは、はぐれか……!」


 苦々しく、草間は吐き捨てた。

 こんな生物は地球上に存在しない。だが今は次元穴という異世界の入り口から、次元獣という異形の生物がこちらに侵略を繰り返しているのだ。

 日本は次元穴のルートから外れている。だから次元獣とは無縁の国のはずだった。しかし、とある一つの次元穴が日本の南約五〇〇㎞まで接近する時がある。その時、次元穴から現れた次元獣を仕留めきれずに逃してしまい、日本にやってくる事が極稀にあった。それがはぐれだ。


 現れた次元獣は、あちこちに傷を負っていた。もう体液は流れ出ていないものの、深々と傷跡が残っている。この保護林に迷い込んだ後、傷を癒すために隠れていたのだろう。むやみに人に襲いかからなかったのは、相当体力を消耗していたからだ。だが、今は逃げずにこっちに立ち向かってくる。これは十分に体力が回復した証拠に違いない。


(やれるか?)


 まずはバックパックから伸びている紐を引っ張った。これでビーコンが起動し、初見達にこちらで緊急の事態が起こったのが伝わったはずだ。

 そして冷静にこちらの戦力を分析した。通用しそうな武器はスタンガンとスタングレネードに大口径ライフル。あとは大振りのグルカナイフぐらいだ。熊程度ならこれだけで十分すぎるほどだが、次元獣相手では力不足も甚だしい。

 勝ち目はない。逃げ切れるとも思えない。そう判断すると、草間は一つの覚悟を決めた。阿久津の耳元に口を近づけ、そっと囁く。


「合図をしたら一目散に逃げるんだ。そして無線で連絡して、誰かを連れてきて欲しい」


 阿久津はすぐに草間のやろうとしている事を察したらしい。涙目になりながら、狂ったように首を横に振った。しかし、草間は有無を言わせない。


「頼む……さあ行け!」


 草間は阿久津を背後に突き飛ばすと、スタングレネードを取り出してピンを外し、次元獣に向かって投げつけた。即座に効果が自分に及ばないようその場に伏せる。三秒後に強烈な光と爆音が轟いた。これで少しでも隙が作れれば。そう考えたが甘かった。閃光の中、次元獣はこちらに向かって突進してくる。


「くそ!」


 間一髪、地面を転がって突進をかわした草間は、次元獣の体に付いている傷に向かって、スタンガンを発射した。高速で射出されたワイヤー針が、傷口に深くえぐり込む。


「これでどうだ!」 


 草間は即座に電流のスイッチを入れた。超高圧の電流が、傷口から直接流れ込む。普通の生物ならショック死したっておかしくはない。事実、刺さった傷口は焼け始め、胸焼けのする不快な匂いを出していた。


(倒せなくてもいい。せめて、阿久津の逃げる時間が稼げれば……)


 しかし、そんな草間のささやかな願いはあっさりと瓦解した。

 電流は確かに流れている。しかし、次元獣はまるで意に介さず、草間に向かって歩き出した。あの程度の電流では何の意味もなかったらしい。いや、むしろ逆効果だったのかもしれない。次元獣は低く唸りながら、さっき以上の殺意を込めて草間を睨みつけている。


「くそ、こい! さあこっちだ!」


 草間はスタンガンを放り投げ、バックからライフルを取り出すと、後退りしながらがむしゃらに撃ちまくった。何発かが次元獣の外殻に当たったが、虚しく弾かれて残響が山間にこだました。

 次元獣は甲高い声で吠えると、もう一度突進を仕掛けてきた。草間はさっきと同じように横っ飛びでかわそうとしたが、今度は足が次元獣に引っ掛かり、草間の体は宙を待った。


「が……はァ!」


 きりもみした体は、そのまま地面に叩きつけられる。背中を強かに打ち付けられた衝撃で呼吸が出来ない。無様になんとか息をしようとあがき、さらに立ち上がろうと試みた。しかし、


「ぐあああああ!」


 右足全体に鮮烈な痛みが走った。あまりの激痛に、草間は歯が折れんばかりに食い縛る。おそるおそる見ると、右足は骨を軸に時計回りに三六〇度ぐるりと回転していた。本当に自分の足なのかと、一瞬草間は疑ってしまうぐらいひどい状態だった。


「くそ! まだだ、まだやれる!」


 それでも草間は諦めない。なんとか息を整え、ミミズのように地面をはって少しでもその場から遠ざかろうと試みた。だが、何かとてつもなく重い物に背中を押さえ付けられ、その場に静止させられてしまう。

 考えるまでもない。次元獣が草間の背中を押さえているのだ。荷重はどんどん強くなり、背骨がミシミシと嫌な音を立て始めた。


「く、うああァァあアアァ!」


 草間は張り裂けんばかりの絶叫を上げた。ずぶずぶと草間の体が地面にめり込んでいく。あと数秒もしないうちに、草間の背骨は他愛もなく折れてしまうだろう。


(ふざけるな! こんなところで、こんな理不尽に殺されてたまるか! 絶対に、次元獣に殺されてなど……!)


 あの日の光景が脳裏にフラッシュバックして、草間に屈するなと訴えかける。草間の奥底から込み上げるのは、狂おしいまでの怒り。もう二度と理不尽には屈しない。あの悲劇の後に誓った信念が、激痛で気を失いそうになる草間の気を保たせていた。

 だが、それも一時の間。より一層の力がのしかかり。いよいよ草間が耐えられる限界に近づいていく。


 薄れゆく草間の視界。そこにありえないものが写った。女性にしては背が高く、いつも何かに怯えていて、不安の満ちた表情。そう。阿久津だ。


「な……にし、てる! はやく……逃げろおぉ!」


 僅かに肺に残った空気を振り絞り、草間は吠えた。

とにかく、阿久津だけは逃がしてあげたかった。なのに、その阿久津は逃げるわけでもなく、まだこの場にいる。自分のした事を無下にされ、今まで生きていた中で、最も憤怒した瞬間だった。

 普段の阿久津なら、それで間違いなく逃げている。だが、彼女は逃げなかった。怖い。そう顔一面に書いてある。それでもなお、なぜその場に踏ん張り続けるのか。


「ぐ、う……ああああぁあー!」


 さらに背中の重量が増した。いよいよ骨は軋み、背骨より先に肋骨が逝った。頭の芯に響く音を立て、一本また一本と次々に折れていく。まるで巨大な岩がが意志を持って、じわじわとなぶるように殺しにきているようだ。


(ちくしょう、が)


 もはや痛みさえ感じない。まともに息が出来ず、酸欠で頭は朦朧とし、視界が赤から黒に染まっていく。


 すると、雷が遠鳴りするような音が聞こえた。あんなに天気が良かったのに夕立だろうか、などと呑気な事を考えていると、急速に頭が冴えてきた。視界が徐々に戻っていく。続いて聴覚。最後に痛覚が蘇り、引き裂かれんばかりの激痛が、体中に走った。


「がは! はあ! はっはっ……はあ。こ、これは一体?」


 いつの間にか、次元獣による拘束が解かれていたのだ。まずは深呼吸して全身に酸素を行き渡らせると、ゆっくり体を起き上がらせて周りを確認した。


 次元獣は草間から一〇メートルは離れた場所で、仰向けになってもがいていた。そしてその前に立つ人物は、草間も良く知っていた。


「……あ、阿久津なの、か?」


 見間違うはずが無い。それは間違い無く阿久津の後ろ姿だった。しかし、明らかに様子がおかしい。髪は真緑に輝き、何か得体のしれない巨大な力が阿久津から放たれているのが見える。


 次元獣が体勢を立て直し、阿久津に向かって突進した。鉤爪のついた右前足を振りかざし、ギロチンの如く振り下ろす。

 だが阿久津はたった片手一本で防いでしまった。ミシミシとひびが入っていく次元獣の腕。それを嫌ったのか、今度は全体重をかけて阿久津に頭から突っ込んだ。


「くう!」


 阿久津は小さく呻くがやられてはいない。もう片方の腕で次元獣の頭を押さえ、必死に耐えようとしている。だが絶大な質量の差か、阿久津の体はどんどん丘の端まで押し込められていく。


 阿久津は両手を次元獣から一旦離すと、跳び箱のように次元獣の背に手をついて飛び、落とされる寸前で難を逃れた。さらに上から鋭い一撃を繰り出し、阿久津の右手は、戦車の砲弾すら弾き返すはずの次元獣の甲殻に深々と突き刺さる。紫の体液が噴出し、阿久津の全身を禍々しく染めた。


 脳内を直接ひっかくような凄まじい声で次元獣が鳴き、全身を狂ったように震わせて、阿久津を振り落とした。阿久津はバランスを崩した様子もなく華麗に着地し、改めて次元獣と対峙する。


(何が、いやそもそもあれは……阿久津だ、それは間違いない! だが、ああくそ! もう訳が分からない!)


 目の前で繰り広げられているありえない状況に、草間の思考はパニック寸前だった。これが夢だと誰かが言ってくれれば、草間は喜んでそれを信じただろう。しかし、この体を走る痛みは間違いなく本物で、それは今見ている事が現実であると物語っていた。


 阿久津が右腕を高々とかざした。同時に、髪がより一層輝きを増して草間は目を細めざるを得なかった。激しい閃光の奥で、草間は阿久津の右手から三メートルはあろうかという、巨大な翡翠色の槍が現れているのを見た。


 だが、草間が見たのはそれだけではなかった。次々と、周りの草や木が枯れていく。あんなに青々と茂っていた植物が、根こそぎ生気を吸われているように、枯葉色を通り越して真っ白に変わっていく。

 さらに草間の体にも変化は現れた。体中から、力がどんどん抜けていく。次元獣から受けた傷のせいではない。もっと直接的に、目に見えない何かが自分から奪っていくようだった。


「あ……く、つ……」


 薄れゆく意識の中で最後に見たのは、阿久津が翡翠の槍で次元獣を一突きにした瞬間だった。まるで、戦乙女のように。

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