第7話 猫探し1

 今日も今日とて代わり映えの無い一日。事務所に篭っているには勿体無いぐらいの良い天気で、初見はじっと恨めしそうに外を睨みながら、仕事の資料をまとめていた。

 事務所には初見の他に草間と阿久津がいた。いつもいるはずの香坂は外に出ていて、仕事の話をまとめている。

 もう朝からずっと会話がない。はたから見ていると、胃が痛くなるほどギスギスした空気が、二人の間に流れている。おかげで居心地悪くて仕方無い。出来れば所長室に逃げ込みたいところだが、こんな状態の二人を放っておける訳もなく。


(さて、どうしたもんかね)


 この前の夕食会で少しは角が取れるかと期待したが、結局は香坂がいないといつもこんな感じだ。一体草間の何が気に入らないのか分からないが、ずっとこのままでは困ってしまう。とは言っても、阿久津が草間を嫌う理由を話してくれないので、完全に手詰まりだ。


 頭の痛い問題を抱えてしかめっ面をしながら、初見は依頼された仕事のリストをぱらぱらと流し見していた。すると、一つの依頼に目が留まった。


「……草間。今の仕事について状況を教えてもらえる?」


 初見が草間に話しかけると、まってましたと言わんばかりに、草間は顔を跳ね上げた。どうやら草間自身も、この雰囲気には相当参っていたようだ。


「あ、はい! 例の企業の脱税調査は完了しました。やっぱり黒ですね。物的証拠もしっかり押さえてあるんで、後は明後日にクライアントへ受け渡すだけです」

「それじゃ今は余裕があるってわけだ」

「ええまあ。何か急ぎの仕事でも?」

「ちょっとね。猫探しをしてもらいたいのよ」

「猫探し、ですか?」


 何でも屋を掲げている以上、大小様々な仕事が舞い込んでくる。といってもたった四人の小さな事務所なので、受けられる依頼の数は限度があるが。

 初見はリストに貼り付けられていたチップを外すと、草間に向かって投げた。


「それが迷い猫のデータよ。探査システムにかけてみて」

「分かりました」


 草間はチップを受け取ると、自身のパソコンに差込み、慣れた手つきで操作していく。

 探査システムというのは、警察庁が極秘に配備しているシステムの一つだ。具体的には、監視衛星と秘密裏に全国の公共区域に仕掛けられた監視カメラの膨大なデータから、音声や画像によるマッチングを行って、対象を探し出す。草間は開発要員の一人として参加していて、システムの大部分を設計、構築した。

 普通ならそんなシステムを、こんな得体のしれない小さなところに依頼されるわけがない。だが、実際は非公式ながらシステムを使う事まで認められている。これは初見が裏から手を回した結果認められたもので、契約が成立した当時、初見は草間から随分詮索をされたものである。


 このシステムによって、大幅に捜索の作業効率は上がった。探査精度の高さも相まって、まず見つけられないという事は無い。


「……出ました。約一時間前、西の開発第三区付近にいたみたいですね。おそらくトラックか何かに乗ってしまい、連れていかれたんでしょう」

「ああ、あそこか」


 そこは去年から新しく開発が進んでいたものの、地下の地盤が想定以上に脆く、基礎工事の段階で、一旦開発がストップしてしまっている。


「分かった。私が入ってもいいように話をつけておくわ。草間は阿久津を連れて、さっさと猫を捕まえてきなさい」


 びくっと阿久津の肩が跳ね上がった。その反応は、急に自分の名前が挙がって驚いたからなのか、それとも草間に対する拒絶の反応だったのか。

 それは草間も同じのようで、あからさまに渋い顔をした。


「このぐらいなら自分一人で……」

「一人より二人の方が効率は良いでしょう?」

「む。えっと、阿久津さんは……」

「いいよね、阿久津」


 笑っているものの、瞳の奥で睨みを利かせて、初見は阿久津を見つめる。阿久津は睨まれた蛙のように身を強張らせ、ほんの僅か首を縦に振った。


「はい決定」

「いや、しかし」

「いいからさっさと行く!」

「わ、分かりました! 行こう、阿久津さん!」


 突然の怒号に驚いた草間は、すっくと席を立って、阿久津を手を引き事務所の外に飛び出した。


「さてさて、これで何とかうまくいってくれないかね」


 確証があるわけではなかった。ただ、あの二人だけで一緒に行動させてみたらあるいはと考えただけである。あまりに分の悪い、無謀な荒療治ではあるのは間違い無い。

 初見が二人の関係の修復を急ぐのには理由があった。今はまだ、草間が阿久津に対して同情の念を持っているおかげで状況の悪化は食い止められている。しかし、このまま阿久津が草間に対して理不尽な拒絶を続けていれば、いつか必ず草間は爆発するだろう。理不尽こそ、草間が最も嫌うものの一つだから。そうなれば、もう二度と二人は分かり合えなくなってしまう。それだけは何としても避けたかった。


 誰もいなくなった仕事場で、初見は猫探しの資料に目を通す。そこには赤字でこう書かれていた。凶暴につき要注意、と。

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