今日も君とご飯が食べたい

島田(武)

プロローグ

 薄墨色の闇の中、一筋の光が室内の石畳を白く染めていた。


 簡素な窓格子を隙間風が通り抜け、鶯色の髪の少女は身震いする。


 初夏といえども夜は冷える。温かい物が良いだろう――そのような話を友人から聞いたのも、今はもう遠い昔のような気がした。


 遠くからは花火の音と賑やかな笑い声が届く。少女の心を占めるのは、悲しみでも怒りでも羨望でもない。


 唯々、純粋に。諦めと安堵の気持ちだけだった。


 自身の腹部を見下ろし、その異変に苦笑する。

 は既に元の形を定めていない。禍々しいもやに包まれ、周りの闇に溶けるようにゆがんでいた。中心には七色に滲む鉱石が淡い光を放つ。


 少女はゆっくりと黄金色の瞳を閉じた。ここ三日のうちの出来事がまぶたをよぎる。


「……お腹減ったなぁ……」


 まなじりから温かな雫が一粒、冷ややかな床へと零れ落ちた。




――




 柔らかな日差しが青々とした若葉と濃い鶯色の髪を照らす。

 爽やかな風が少女の汗ばむ額を撫で、薄桃色の花畑へと吹き込んでいった。季節は初夏。甘い香りが山間の村を包んでいる。


「よいしょ、っと!」

 少女が掛け声よりもずっと易々と大きな樽を持ち上げると、下から小さな蛇が飛び出した。


「ギュッ、ギュアッ! キュッキューッ」

「あっ、待っ! 怪我……」


 おおよそ姿からは想像できない声が響き、声の主は即座に消える。平たく潰れたつるバラをよけ、フィーネは元の位置から少しだけずらして樽を戻した。


(あの子大丈夫かな……?)


 軽やかな歌声で有名な鳥の羽色――モスグリーンの髪を持つ少女の名はフィーネ・クライン。


 ここ魔法王国ヒュームの東端、トリアータ地方のピゴスで生まれ育ち、女学校を卒業したばかりの十七歳だ。現在は遠方で仕入れに専念する父に代わって、小さな草店を営んでいる。


 大きな黄金色の瞳とふっくらした唇、きめの細かい肌は、見る者の瞳も心も奪うと噂される彼女の兄とそっくりだ。


 しかし如何せん、艶やかなモスグリーンの髪を纏める紅のリボン以外、彼女を着飾るものは一切無い。

 体型を隠すほどの大きさのシャツは簡素な生成り。足首までの野暮ったいスカートはくすんだ茶と、年頃の少女が履くにしては些か華やかさに欠けている。


 併せて同年代の少女よりも頭ひとつ大きい高身長は、彼女の第一印象を「大きい」に限定させるには十分であった。


「ああ、いたいた! フィーネちゃん! こっちこっち」

「あっ、はい!」


 フィーネは慌てて答えると、呼ばれた方へと駆けていく。腕にかけていた最後の布袋を玄関へと置くと、ふわりと薬草の香りが鼻腔へ届いた。


「ありがとね。花祭りの準備で忙しいのに薬草の他に染料とか、いろいろ運ばせちゃって。本当にごめんねぇ。でも助かったわ!」

「いえいえ! それよりわざわざ門の外まですみませんでした」


 フィーネはそう告げるとぺこりと頭を下げた。


 西側の一部を除いては山間部が多くを占める影響か、ヒュームの料理には薬草が多く使われる。


 その為、野菜や肉、魚と同じような感覚で商店街には薬草店が並ぶのが一般的だ。フィーネの家も五代前からこの小さな村で食用専用の薬草店を営んできた。


 しかし人口流出や高齢化、若年層に広まる調理の簡略化などで年々顧客数は減少している。


 こうして薬草の配達を始めたのも、父母が大事にしていた店を長く守りたいと思ったから。

 大型百貨店やスーパーと並んで生き残るには、差別化や付加価値なしでは難しいと判断したのだ。


 荷物を届けた染物師のカノンもお得意様の一人である。彼女とはフィーネが物心つく前からの付き合いで、おしめを替えて貰った事もあるらしい。


「また良かったら持ってきますね。カノンさん」

「ありがとう。このお腹もあと少しだけどねぇ」


 カノンは大袈裟に肩をすくめながら笑うと、自らの大きなお腹をさすった。

 当初はお節介かと迷ったが、思いの外喜んで貰えたようである。来年の花祭りの頃には、きっと可愛い女の子が隣を歩いているのだろう。


 微笑ましい光景を想像し、フィーネは頬を緩ませた。


「へへへ」

「どうしたの?」

「あっ、うわ、いや何でも無いです!」


 うっかり漏れ出た不気味な笑い声に、フィーネは顔を真っ赤にさせる。


 すぐに感情が表情や声に出る癖はフィーネの欠点の一つである。

 ともすると一人で笑っている危ない人間に見えかねないこの悪癖。悲しいかな、気をつけていてもなかなか直ることがない。


 幼い頃はまだ良かったが、フィーネもあと少しで十八だ。

 変わった仕草も愛らしい、で済む年齢はとうに越している。

 最近は五つ上の優しい兄からも『このままでは嫁のもらい手が現れないだろう……』などと大きな溜め息を吐かせてしまっている。


「? まあいいわ。これからどこかへ一人で? 噂だと隣町で『影憑き』が出たらしいじゃない? その――可哀想だとは思うんだけれど、気をつけてね。どこに神様が残られているかわからないもの」


「あの……それって神様が降りるっていう? 『神継者』かみつぐもの……『神継ぎ』の方の事ですか?」

「そうそう。『神継ぎ』のこと。ごめんねぇ。古い人間で。今は『影付き』って言っちゃいけないんだったわね」


 カノンは苦笑いを浮かべると肩を竦める。フィーネは肯定も否定もせずに、ただ曖昧に微笑み返した。


 『神継者』とは特殊な体と鉱石、そして独自の能力を持つ者たちの総称名称だ。


 その起源は古く、『神の能力を継ぐ者』或いは『神が憑く者』として、三千年ほど前の文献にも活躍を記されている。


 現在、先天型が巨人族、獣人族、精霊族、魔族、人間等と同じように種族として存在し、定義が確立されているのに対して、後天型の定義や扱いは地域差が非情に大きい。


 特にヒュームでは後天型の評判は決して良いと言えない。

 それらは三百年あまり前、戦後の動乱期に後天型神継者が起こした凶悪事件に起因する。


 先天的に神の恩恵を受けた者は特別だが、後天的に神の恩恵を受けた者はその重圧に耐えられず力を誤って使ってしまう、力を継がせた神が試練の名のもとに大きな厄災を置き土産にする事がある、聖典に載る逸話や堕落した人間の描写とも特徴が重なる――凶悪な犯人への恐怖から多くの者はそんな様々な噂に縋ったのだ。


 近年の研究では先天型、後転型問わず『神継者』である事と犯罪や問題行動には因果関係は全く認められないとの結果が出ている。


 また後転型神継者が現れた土地と以後の事件や事故の発生率と因果関係が無い事も、聖典の解釈とは異なる事も教会から正式に発表されている。


 未だ謎は多いが、鉱石や能力が綺麗さっぱり消えてしまう者もいる事から、突然変異による体質変化の一環だろうとの見方が濃厚だ。


 一方で国内一部地域での根拠の無い噂や偏見は根強く、後天的に『神継者』と診断された者の多くは地元を離れてしまう。国外に出る者もいれば、新天地では『先天型』だと名乗る者もいるらしい。


 『影憑き』という言葉はヒュームにのみ残る、忌まわしき事件を想起させる差別用語なのだ。


「気をつけてね! 神継ぎには凶暴な輩もいるし、近くに神様がまだ残られてるかもしれないわ。魔物ノラも不審者もいるからね! 一人で夜道を歩くのは辞めるのよ!」


「ありがとうございます。何かあったら、この拳で身を守ります」


 フィーネは苦笑いすると、わざと両手を前に出し相手を殴るような素振りを見せた。


(お兄ちゃんの友達も神継ぎになって、隣の国に行っちゃったなぁ。別れ際、あのお兄ちゃんが泣いてた……。最近は偏見が無くなってきたと思ってたけど……またみんな仲良く幸せに暮らせる日が来ると良いなぁ)


 甘い花の香りに、民家からの香ばしい小麦の焼ける匂いが混じる。


 遠くからは子供たちの笑い声が聞こえ、広大な畑では前掛けをした女性たちが薄桃色の花を摘みながら談笑していた。


 彼が幸せに暮らしていると良い。フィーネは祈るように平和な村の風景を眺め、息を吐いた。


 ポケットからメモを取り出し、午後の配達の残数を確認する。配達はあと二件。一時間半もあれば店に帰れるだろう。


「よーし。頑張るぞ!」

 大きくのびをして、フィーネは来た道を戻る。


 いつかもう一度。兄の友人と兄とで、美しい花畑と収穫と香りを祝う楽しい時間を過ごして欲しい。

 その時に自分の調合したお茶を飲んで貰えたら。


「へへへ……っ! いけない!」


 口元に手を当て、零れ出た不気味な笑いを慌てて抑えて。フィーネは再び赤くなる。周りには――薄暗い森と畑、珍しい青い花。幸運にも誰もいない。


「良かった……」

 ほっと胸を撫で下ろし、フィーネは火照る頬のまま歩みを再開させた。





 長身のフィーネの背を、カノンは窓から不安そうに見ていた。


「フィーネちゃん大丈夫かしら? いくら村一番の力持ちって言ってもねぇ。心配だわ」


 彼女に届けて貰った品を見る。


 薬草200グラムに染料となる草の実5キログラム。ほくほく豚の塩漬けが3キロにホロホロ鳥を一羽分。人参、ごろごろ芋、ボウボウ菜がそれぞれ5キロ。

 その他にも布袋六袋が玄関前に並ぶ。


「……頼みすぎたかしら? まあいっか。この子が生まれたらフィーネには旦那と一緒にお礼をしないと」


 フィーネ・クラインの第一印象は、多くの場合「大きい」に限られる。


 しかし彼女と少しでも関わった者は口を揃えて彼女の印象をこう言う。


 村長の言葉を借りれば『大きいと言ってもそれほどだよ。それよりもあの力。まさに神からの授かり物じゃ』と。


 そしてまた、フィーネは知らない。

 もう一つの村人共通の印象と、兄の言葉の真意を。


 「……ううん。やっぱり旦那はいない方が良いわね」


 とある個性的な人物を思い浮かべて。カノンは一人、嘆息した。

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