第31話 紅い瞳

 暗闇に目が慣れ、真兎は改めて周囲を見回した。

 明かりがないために全てを把握することは難しいが、傍の壁に触れればそれが岩で出来ていることはわかる。更に、床も天井も同じような岩。継ぎ目はなく、自然な空間か誰かが掘って作った住むための場所だということは一目瞭然だ。

 真兎は手掛かりが全くないことで諦め、自分の記憶から辿ることにした。


(おれは滝の前で二人組に襲われた。殺されると思った途端、体が熱くなって体が勝手に動き始めたんだ。それからすぐに気を失って……)


 夢の中で天狐と最期の挨拶をして、目覚めた。妙にしんみりとした心地にならないのは、自分が置かれた状況にあるのだろうと冷静に分析する。

 真兎は立ち上がろうとして、腕が自由に動かせないことに気付く。どうやら、後ろ手で縛られているらしい。


(腕は駄目か。でも、足が動かせるならまだましだな)


 幸いにも、足までは縛られていない。真兎はゆっくりと立ち上がり、後ろを向いて木製の格子に触れてみた。頑強な木の感触に、どうやってここを逃げ出すかを考える。

 燃やせば木は失われるが、延焼の危険をはらむ。とはいえ、切るための道具もない。完全に八方塞がりかと思われた。


「たぶん、まだ間に合う。バレるだろうけど、これ以外に方法がない……よな」


 真兎はごくんとつばを飲み込み、自分の中にあるはずの天狐の力に助力を呼び掛けた。


(天狐の力、頼む。ここから、しばらくおれに力を貸してくれ!)


 何かが「応」と言うことはない。それでも真兎は、己を信じて狭い牢の中で数歩下がった。

 下げた足を前に踏み出し、助走をつけて飛び蹴りを放つ。


「はあっ!!」


 格子に足が届く瞬間、清らかな力が湧き上がる。それは足へと届き、破裂した。

 ――バキッ

 普通では考えられない力が発揮され、格子を構成していた太い材木の一部が飛び散った。四方八方へ飛んだそれらは洞窟の壁にぶつかり、力なく落下する。


「……よし」


 丁度人一人が通ることの出来る隙間が生まれた。真兎は怪我しないよう気を付け、そっと牢から脱出する。

 幸い、誰かに音を聞かれたということはないようだ。

 しかし――


「お前、何故こんなところにいる!?」

「見付かったか」


 当たり前のように、見回りをしていた鞍佐に見付かった。真兎は踵を返すわけにもいかず、唯一の進行方向である鞍佐のいる方へ向かって突進するしかない。

 一方の鞍佐はまさか真兎が自分にぶつかって来るとは思っておらず、内心焦りを覚えた。しかしそれを表に出すことなく、棍棒を握る手に力を込める。


(飛んで火に入る夏の虫。来るなら殴り飛ばすだけだ!)


 地面を蹴り、真兎の胸へ向かって現代で言うところの野球のフルスイングをかます。胸にめり込んだ棍棒によってミシッという嫌な音がして、真兎は血を吐きながら吹き飛ばされて死に倒れる。

 そうなるはずだった。


「くっ……」

「お前……っ。そんな得物、何処に隠していた!?」


 鞍佐の驚嘆に、真兎は「言うかっ」と言い返す。彼の手には、先程まで持っていなかった細身の刀が握られていた。装飾はつかの部分に濃緑色の紐が巻かれている以外に少なく、つばの部分に紅い石が嵌まっている。それは天狐の瞳と同じ色で、今の真兎の瞳の色と全く同じだ。

 真兎の刀の刃は鞍佐の棍棒を受け止め、あろうことかその丸太同然のそれに刃を入れて受け止めていた。非力にしか見えない少年の思わぬ守りの技に、鞍佐は息が詰まる程に驚いたのだ。

 しかしそれは、真兎自身にとっても同じこと。


(信じられない程強い力が、溢れて来る。これが……天狐の力)


 戸惑いを顔に出さぬよう細心の注意を払いながら、真兎は手に吸い付くように扱える刀を持つ指に力を籠めた。彼自身まだ気付いていないが、その時、瞳の赤が鮮烈に輝く。


「――っ、うるあぁぁぁぁっ!」

「ぬうぅぅぅぅぅっ!」


 二人の意地のぶつかり合いだ。棍棒を真っ二つにしようとする真兎と、それを防ぎ先に殴り殺そうともくろむ鞍佐の。二人の声は地響きを伴って洞穴に響き渡り、その振動は最奥の泉にいた雷雲と鏡にも届いた。

 わずかに水面に波紋が広がり、雷雲が眉を寄せる。


「これは……」

「兄上? 誰か侵入者でしょうか。見てきま……」

「良い。ワシが様子を見て来よう。お前は、清姫候補が逃げ出さぬよう見張っておけ」

「――はっ」


 すぐさま走り出そうとした部下をその場に留め、雷雲はその体格に似合わず素早い動きで振動の起点へと駆ける。彼の頭にあったのは、前回あの方——左大臣と会った時に言われた言葉だった。

 曰く、天狐の力を甘く見るな。我々が龍神様を崇め奉る心を失えば、天狐がこの国を食い潰す。つまり、決して天狐の目覚めを許すなと。

 しかし、こちらが圧倒されそうな程に強く吹き付けて来る波動は、確かに龍神のそれとは全く違う。強く、まだ不安定で、何故か泣きたくなる。


「天狐とは、何なのだ。……教えて下され、海成様」


 雷雲がその場所に辿り着いた時、彼の真横を大柄の何かが通り過ぎた。それが配下である鞍佐の体だと気付くのは、鞍佐が呻き声を上げてからのこと。

 龍神に仕えているはずの男は、その目に紅く光る瞳を映して目を見開いた。

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