第21話 夢での再会

「――来たか、真兎」

「……。お前は、天狐」


 真兎が瞼を上げると、あの夢の世界だった。天狐がいるのは、何処かの泉のほとり。二人の周りは囲まれており、陽の光が入るはずもない空間、つまりは何処かの洞穴のような景色が広がっている。地底湖だろうか。

 しかし真兎たちの周囲は明るく、まるで昼間のようだ。

 真兎に「天狐」と呼ばれ、狐はおやと驚きに目を見張った。それから目を細め、嬉しそうに獣の口を開ける。白く輝く牙が覗く。


「ようやく知ったか、我が何者なのかを」

「父上が、先祖が書いたという巻物を持っていたんだ。それを借りて、今読んでいる。……おれの知らない、まさに夢物語のようなことばかり書いてあるけれど、腑に落ちた」

「腑に落ちた?」


 首を傾げた天狐に対し、真兎は素直に頷く。


「そう。何故かはわからないけど、おれの心が納得した。お前に会った瞬間に。ああ、おれは天狐の末裔なんだって」

「……だから、『天狐』と呼んでくれたわけか」


 少し、間があったな。そう言って笑った天狐は、笑いを収めると小さく息を吐く。


「ならば、我が語らずともお前にもわかるはずだ」

「語らずとも? それはどうい……っ!?」


 どういう意味だ。そう尋ねるより先に、真兎の頭がズキリと激しく痛み始める。胸の鼓動が不自然に早くなり、脂汗が噴き出す。耐え切れずに膝から崩れ落ちた真兎は、両手で頭を抱えて呻くことしか出来ない。

 自然と涙が溢れ、真兎は叫ぶように声を絞り出す。


「何、だこれ……っ。痛い、痛っ」

「思ったよりも早かったな。それは、お前の体がために起こる痛みだ」

「たましいの、きおく、だと!?」

「そう。……お前は不思議な奴だ。今まで血を繋いで来た者たちの誰よりも我の血が濃く、おそらく誰よりも


 天狐の声を聞いていると、真兎の痛みが少しずつ和らいでいく。

 真兎は胸に手を置いてゆっくりと呼吸を整え、天狐の言葉を復唱する。汗を手の甲で拭い、眉間にしわを寄せた。


「力……? おれには、力なんてない。あったら、藍を見失うことなんてなかったんだ。攫われることなんてなく、今頃は……きっとあいつは、良家に嫁いで幸せになってくれただろう」

「幸せという言葉を使う割には、お前の顔は辛そうに見えるがな」

「は?」

「何でもない、気にするな」


 目を瞬かせる真兎に苦笑し、天狐は豊かな毛並みを持つ白いしっぽをゆさゆさと振った。


「真兎、何か思い出したことはあるか?」

「思い出したこと? ……いや、お前の言う魂の記憶とやらはわからない」

「いずれ、徐々に思い出す。お前は我であり、我はお前なのだからな」

「また意味の分からないことを……。それものか?」

「ああ、間違いなく」


 真っ直ぐな天狐の瞳に見詰められ、月花は思わず目を逸らした。あまりにも美しいものを見た時、人は自分の心のうちさえ見通されてしまいそうに思って目を背けるのかもしれない。

 気を取り直し、真兎は話題転換を試みた。ぐるりと周囲を見渡す。


「それで、そもそもこの風景は何なんだ? 何処かの洞穴のようにも見えるけど」

「……ここは」


 言葉を切り、天狐は耳をぴくりぴくりと動かした。若干迷う素振りを見せるも、それはほんの間の出来事だ。


「ここは、我が最期を迎えた地下の泉だ」

「最期を迎えた? え、お前は死んでいるのか。天狐」


 まさか、と真兎が言う。それに対し、天狐はクスクスと笑ってみせる。


「神としての力を末裔に残すことは出来たが、肉体はとうの昔に滅んでいる。だからこそ、この夢と言う幻の世界にお前を呼び寄せることが出来たのだ」

「とうの昔に……。お前、ここで何があったんだ? どうして神であるのに死んだりなんか。神って奴は、死なないと思っていた」

「大抵の場合、神は死なない。命の刻限はなく、ただ自らが与えられた国を見守り、必要ならば助け、時として試練を与える存在であれば良い」


 しかし、例外はいつの世も存在する。

 天狐の収めていたその時名を持たなかった国を欲した龍神が、天狐を邪魔に思って一方的に傷付けた。龍神を崇め奉る人々がそれに加勢し、気付いた天狐側の人々も加わった。ここに、古来における天狐と龍神の戦いが勃発したのだ。


「しかし、我は徐々に追い詰められた。ついて来てくれていた者たちも。少しずつ龍神の人々に斃され、気付けば我は独りになっていた」

「……」

「我は龍神に仕える者たちによって、この地下の泉に閉じ込められた。そして水以外口にすることが出来ずに憔悴しきっていた時、龍神が現れた」


 天狐の語ることに耳を傾け続ける真兎は、天狐の辿った最後の姿を思い胸を締め付けられる感覚に陥った。


「龍神の得意げな顔、未だに忘れられぬ。我を痛めつけ、意識がもうろうとして建っていることも出来なくなってから、我はこの泉に沈められたのだ」

「……むごい」

「むごかろうがどうであろうが、それが事実だ。我はしばらく魂として目覚めることはなく、ただ夢を漂っていた。漂う中で我の血を引く者たちが命を繋いでいることを知り、声をかけた。……はからずも、それがあやつが動き出す時期と重なるとは思っていなかったが」

「泉に沈められた……。この場所は、お前にとっては生きている間に最期に見た風景だということだな」

「そういうことだ。……そして、今は龍神に供物である娘を捧げる場所として使われている。数代前の娘からは、この泉で潔斎を行なうという。もしかしたら、お前の想い人はこの場所にいるかもしれんぞ」

「何処にあるんだ? あいつがもしもいるのなら……いや。山吹の宮が今年の清姫を拒否したのを、本当かどうか確かめなければ」


 この洞窟と同じような場所で、捜し人が傷付けられているかもしれない。そう考えるだけで気が急く真兎は、天狐の瞳を真っ直ぐに見返した。

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