第2章 内裏の闇

主が為に

第11話 密談

 女御とこうと密談をした翌日の昼、月花は水干姿に着替えて後宮と内裏の間に立っていた。傍目はためから見れば、主人を待つ牛飼い童か下男だと月花は思っている。

 何故そんな恰好をしているのかと言えば、全ては昨日のことだ。兵衛府の使いから女郎花の君が受け取ったという文を手渡され、月花はそれに目を通した。内容は、虎政が自分と話したいというだけのもの。

 ただし兵衛府からの文ということで、同僚の女房たちにあらぬ噂をたてられそうになって焦ったが。


(おれと虎政はそういう関係じゃないっての)


 ため息を漏らしそうになるを耐え、月花は主人を待つ牛飼い童のつもりで虎政を待つ。男の格好をしたこと自体が久し振りで、ほっとしていることもあって何とはなしに空を見上げている。

 すると内裏側からこちらへやって来る足音が聞こえ、月花が前に顔を向けると見慣れた男の姿が見えた。


「虎政……様」

「おう……って変な感じだな、それ」

「仕方ないだろ。——お待ちしていましたよ」

「悪かった。行こうか」


 あくまで従者という体を取る月花に倣い、虎政は月花を先導する。二人は兵衛府の一室を借りて向かい合った。物置として使われるそこは、少し埃っぽい。


「ここなら、邪魔も入らないだろ」

「他になかったのか? まあ、場所は何処だって良いよ」

「俺が真兎まさとの話を聞きたかっただけだしな」

「その名前を呼ぶなよ、虎政。誰が聞いているかわからないだろ」


 眉間にしわを寄せる月花に対し、虎政は悪びれる様子もない。ただ「悪かった」と手をひらひらとさせ、早速本題に入る。


「で、首尾はどうなんだ?」

「気になる噂は聞いた。それも確かなものじゃないから、これから調べていくけれどな」

「じゃあ、俺も。聞きかじったことだけど」


 そう前置きし、虎政は声を潜めた。


「左大臣、海成うみなり様の周辺が騒がしい。藤壺の更衣様にお子が未だ出来ないことで焦りを覚えておられるのか、更に一族の娘を帝のもとに入内させようとしているという話があるんだ」

「……更衣様は、帝一番のお気に入りだ。いつお子が生まれてもおかしくはない」


 何となく女御の気持ちが案じられ、月花はわずかに目を逸らす。そんな月花の気持ちを察しつつ、虎政は話を続けた。


「お前は不服だろうが、更衣様が寵愛を受けられていることに変わりはない。だからこそ、早くこの国を我が物にしたい者からすれば、まだかまだかと催促したい気持ちになるんだろうな」

「……全く、そういう権力闘争からは離れておきたかったんだけどな」


 やれやれと肩を竦める月花に「わかるぞ」と笑いかけ、虎政は表情を改めた。


「同感。だけど、オレたちは自ら首を突っ込まなければいけない……だろ?」

「ああ。どれだけの闇の中だろうと、手を伸ばすって決めたからな」


 決意を秘めた顔で自分の拳を見詰める月花は、ふと視線を感じて顔を上げる。すると、親友がにやにやとこちらを眺めていた。


「……何だよ、気持ち悪い」

「気持ち悪いって酷いな。オレは、お前が必死になってる姿を見られて嬉しいんだよ」

「まあ、そんなに本気で何かやるっていうことはなかったからな」


 苦笑し、月花は自分を省みる。

 そこそこの家柄である程度の賢さを持っていた真兎は、日々を淡々と過ごしてきた。十何年という時間の中、学ぶことは楽しくもあり現実を見せつけられて辛くもある。

 そんな日々に光をくれた存在が、今行方知れずなのだ。照れくさくて本心は口にしない月花だが、気持ちは行動に表れていた。


「月草を、必ず捜し出す。そのためなら、女装だってなんだってやるさ」

「……オレも、気取られない程度に左大臣様の動向を見ておくよ。何かあれば、すぐに知らせる」

「頼む」


 虎政の言葉に頷き、月花も後宮で見聞きしたことを口にする。女房たちの噂話に上るくらいには、百合の君の行動は目立っていたらしい。


「香殿が調べてくれてはいるけど、俺……も出来ることはやっていきたい。あの方も動いて下さったんだから」

「後宮でも動きが、か。その百合の君とやらからは、お前に対して何かあったりは?」

「……あまり首を突っ込むな、と釘を刺されたくらいかな」

「わざわざ? 己が関与していると告げているようなものじゃないか」

「だから、判断をつけられない。彼女には今後も気を付けないといけないけどな」


 軽く肩を竦め、月花はちらりと外に目をやった。戸を閉じているため見えはしないが、そろそろ出ないと怪しまれる頃合いだ。


「虎政」

「わかってるよ、月花。また何かわかったら話そう」

「ああ。またな」


 物置の前に人がいないことを確かめ、二人は同時に別々の方向へと歩き出す。

 後宮の入口を通り抜け、月花は人目につかない道を選んで自分のつぼねに入り込む。そこで手早く女房装束に着替え、水干は唐櫃からびつの奥へと仕舞い込んだ。

 唐櫃の蓋を閉め、月花はほっと息を吐く。


「――よし、これであとは」

「ここにいたの、月花の君」

「お、女郎花の君……」


 突然背後に現れた女郎花の君に驚き、月花は悲鳴を押し殺した。どっどっと早鐘を打つ胸に手を当てながら、出来得る限りの笑みを貼り付けて振り返る。


「離れてしまい、申し訳ありませんでした。何かございましたか?」

「いいえ、むしろあの場にいなくてよかったわ」

「どういう、ことです?」


 意味が分からない。首を傾げる月花に、女郎花の君は声を潜めて教えてくれた。


「左大臣様が、藤壺の更衣様の様子を伺いに来られていたの。そして、帰りに女御様にご挨拶と称して嫌みを言って行かれたのよ」

「それは……」


 左大臣の名を聞いたのは、今日だけで二度目だ。しかも、月草失踪の件で関与を疑っている人物の名。

 確かにその場にいれば、何かの拍子に激高してしまう自分が想像出来た。月花は小さく苦笑いを浮かべると、気を取り直した女郎花の君の後について仕事に戻った。


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