第9話 彼には秘密、彼の秘密

 それからレイラはどうやって家に帰ったか覚えていない。リュウジに報告するべきだと思うけれど、何から話せばいいか分からなかった。全てを話すべきなのか、すべてを隠し通すべきなのか。


 ふと自分の唇に触れてみた。さっきショウが触れた場所。落ち着こうと深呼吸するが、心臓は鼓動を強めるばかりで落ち着かなかった。リュウジに会いたいけれど、今は会いたくない。うまくごまかす自信がなかった。

 

 リュウジの部屋には明かりがついていなかった。それを見てホッとする自分がいる。そういえば、彼は当直だ。表向きは普通の警察官だから、今頃は制服を着て事務処理や電話応対に明け暮れているはずだ。


 部屋に戻り、ベランダに出て空を見上げる。星が小さな輝きを繰り返している。空を見つめて、自分に言い聞かせた。

「とりあえず、何もなかったことに……」

 明日からも今まで通りにしようと思うのに、思えば思う程、先ほど抱きしめられたショウの力強い腕の感触が鮮明に蘇る。ふとポケットに手を入れる。リュウジがくれたラピスラズリが指先を掠めて、思わずビクッとなった。青い石を取り出して、掌に載せてみる。リュウジがいつか教えてくれた言葉を思い出した。

「あたしの超えるべき試練……か。もう、どうすればいいの」

 全てを振り払うように漏らした声は、誰にも聞かれることのないものだった。


 レイラが帰った後、ショウはベランダから空を見上げていた。手元にあるのは一枚の写真。写真に写る愛しい笑顔が胸を締め付けた。

「10年も経ってフラッと現れて、一緒にいたいだなんて、僕でも都合のいい話だって思うよ」

 自嘲するように小さく吐き出すと、孤独がより一層強くなる。誰より大切にしなければならない存在が消えたあの日から、忘れた事はなかった。

「僕は一人で敵を討つよ。それに、やっぱりきみを巻き込むわけにはいかないんだ」


 翌日からは、あくまでも平静を装ってショウの秘書を務めた。正直、昨日のことを思い出すと、どんな顔をしてリュウジに会えばいいのかがわからない。幸い、今のところ庁舎内でリュウジに出くわす事はなかった。いろんな事がありすぎて、まだ頭の中が混乱している。

 ただ、ショウが近づくたびに緊張してしまい、身体が強張る。そんなレイラを見て、彼は小さなため息をついた。


「よほど嫌われちゃったみたいだね」

「ち、違うの。これは」

「僕のこと、意識してる?」少しだけ嬉しそうな顔でショウは尋ねる。

「どうしていいかわかんない」レイラは正直な気持ちを零した。

 ショウはレイラの頭をポンと撫でて、微笑んだ。

「どうもしなくていいよ。昨日も言ったでしょ。僕はレイラに会えただけで良かったって」

「それじゃあショウが……」

 そこまで言って口を噤む。あたしを見つけてくれたショウが可哀想だよ、と言いかけて、止めた。誰の所為でこうなっているのだ。

「ゴメン」

「だから、謝らないで。さぁ、仕事だよ秘書さん」

 まじまじと彼を見た。制服姿がよく似合っている。ふと気になる事が脳裏に過り、尋ねた。

「でも、よく警察内部に入れたね、それも管理官だなんて」

 レイラやリュウジは、エイジ班長が色々尽力して警察官にしてくれた。けれど、ショウはたった一人でどうやってこの組織に入れたのだろうと考えた。確か『高垣翔』は実在するとリュウジが言っていた。母親も健在で、毛髪も本人と一致すると言っていた。ショウは一体どうやって、高垣翔に成りすましたのだろうか。同じ『ショウ』と言う名前、どこで見つけたんだろう。それよりも、本物の高垣翔さんはどうなったのだろう。 

 眉間に皺を寄せて考え込んでいると、ショウはレイラの考えを見通したようで、にやりと笑った。

「僕がこの10年、ただぼんやりと生きてきたと思う? これでも結構苦労したんだよ。外の世界を知らない僕が、ここまでくるのに、だいたいのことは経験してきた」

「だいたいのことって?」とレイラが聞くと、ショウは「思い出したくないから、この話は僕だけの秘密」と苦笑いした。


「そう言えば、ショウはまだ特別な能力があるの? あたし、とっくに13歳を過ぎているけれど、昔と何も変わらないんだ」

 確か、この人並外れた体力や記憶力は、13歳を過ぎると徐々に衰えてくると言われていた。だから13歳までは集落を出ちゃいけないと言い聞かされていたのだ。実際に両親はいたって普通の人だった。子供たちの方が早く走れたし、高く飛べたし、あっという間に何でも覚えた。みんなを取り仕切る長老も頼りにはなったが、レイラたちのように何かが秀でているわけではなかった。パパやママも昔は凄かったんだと、両親は笑いながら話してくれたけれど、今はもう確認する術はない。


「いや、実は僕も変わらないんだ。歳はとったけれど、体力や記憶力が衰えたという実感がないんだ。何故なんだろうね」

 2人が顔を見合わせた時、ポケットに入っていたスマホが振動した。エイジ班長からの呼び出しだった。


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