陶酔と狂乱④



 藤原紫貴の蛮行は謎が残るものだった。

 動機の不可解ぶりは言うまでもなく、警察に連行された後は実に令嬢よろしくしおらしくしているという――だがそれだけではない。草薙宅を特定した方法までもが不明瞭なのだ。


 確かに、学校へは草薙さんに関して知らせてある……知らせてあるだけだ。あくまで保護者は三条の家。ここにいるなど知る由もないだろう。


 ――深まった謎は、解かなければならない。


「でっか……」


 ということで、俺と咲弥は草薙さんの使いとして、藤原紫貴の先輩に当たる織田澪子の家を訪問していた。


 学力にものを言わせた高校進学組と聞いていたので、勝手に一般的な中流家庭を想像していたが……ものの見事に裏切られた形となった。

 なにせ、縦にも横にもデカい。邸宅は、デパ地下でしか買えない高級洋菓子詰め合わせを積み重ねたように見えた。

 名門学校に進学できるだけの成績を備えているということは、それだけ勉学に注げる財力があることに他ならない。当人の資質も無視できないが、岩倉女学院の生徒と聞いていたのだから、これくらい予期できなかった俺の非が大きい。


「そう? 三条本家の方が大きいと思うけど」

「山一個と比べんな」


 とはいえ、さもありなん。今更この程度でビビってはいられない。


 ……遠野綿花の自殺から、織田澪子は欠席を続けている。

 ショックを受けたがゆえの体調不良と学校には説明されているらしいが、実態は疑わしい。咲弥曰く、あの告発文を耳にしてからだというのだから、おそらくは仮病だろう。


 いや……ある意味では、あながち嘘でもない。病が外からやって来るものか否かという話なだけで。


 ――「織田澪子さんと同じクラスの鬼頭咲弥です。プリントを届けに来ました」

 ――「ああ、こちらは私の兄です。ほら、おうちの方もお聞きしていませんか? うちのクラスは吸血鬼騒ぎとかで……だから不安で、一緒に来てもらったんです」


 といった具合に、俺は恭しくお辞儀をするだけでスムーズに訪問することができた。嘘も方便である。弁舌まで草薙さんに似てきた気がするのは、決して錯覚ではないだろう。


 そうして織田澪子の部屋に通されたが、これまた外観は見掛け倒しではなかったのだと物語る豪奢なものだった。

 ベッドルームとプライベートスペースが同居したかのような部屋で、全容は仕切られたカーテンで把握できない。だがざっと見ても、草薙さんの事務所を移築しても問題なさそうなくらいの規模はあると思われた。


「織田澪子さん。伺っていると思いますが、鬼頭咲弥です」


 使いの者が先んじて話しかけていたが、答える声は蚊の鳴くようにか細く、カーテンに阻まれた俺達にはただの音としか聞こえなかった――それは咲弥が話しかけても同じことだった。


「ここまで通してくれたということは、相応に信用してくださっているということでしょうか。まあ、信用してくださっていなくてもいいですけど」


 猫かぶりなのか、それともクラスメイトと相対する時の外ヅラペルソナなのか、敬語は崩さない。なんなら一人称もボクから私に変わっており、どうにもそれがムズムズした。


「藤原紫貴さんが私の元を訪ねてきました――刃物を携えて」

「――――っ」

「なにか思うところがおありのようですね?」


 カーテンの奥で明確に空気が震えたのをみすみす見逃さず、咲弥は追撃をかける。


「あ……あなたには関係ないでしょ……!」

「関係ありますよ。だって同じクラスメイト、仲間じゃないですか」

「あの方に目をかけてもらえなかったくせに! 今更のこのこと……!」

「『あの方』――それがくだんの吸血鬼さんですね」

「っ」


 有無を言わさぬ尋問は、蜘蛛か蛇を思わせた。


「吸血鬼さんは、誰ですか?」

「あははは――あははは!」


 堪えきれなかったと言わんばかりの嘲笑が、空虚な部屋を満たす。


「可哀想。あなたは『あの方』に目をかけてもらえなかったばっかりか、『あの方』がもたらす至上の法悦さえも知らない。自慰も知らない生娘みたい、あははは!」

「…………」

「わたしはあなたとは違う。外のうるさい連中がいなくなったら、またあの喜びを与えてもらえる。それまでさなぎになったみたいに静かに過ごすの。蝶になる日を夢見て。そしたら永遠に若く、永遠に美しく、永遠に過ごせる楽園を貰え――――!」


 カーテンが開かれた。

 他ならない、咲弥の手によって。


「なるほどね」


 耳障りな嘲笑も無視して、つかつかと歩み寄っていたのも、ハイになってまくしたてていた織田澪子は気づかなかったらしい。こちらとあちらを隔てる壁を取り払われて、愕然と硬直していた。


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