五話

 光の粒が舞い踊る空には、真っ白な雲がふわふわと浮かび流れ、足下を見れば鮮やかな色の草花達が揃って頭を揺らしている。目の届く最果てに向かって金色に輝く風が緑の大地に頬ずりするように吹き抜けていった。その時に舞い上がった花の香りが何と甘く、かぐわしいことでしょう。


「こんにちは、ペレアリー」


 視線を上げると、頭上にヒヨドリのつがいがやってきていた。灰色の翼を並んではばたかせ、私の体をぐるりと一周すると、ふかふかに生えた草の地面に着地した。


「どこかへ行くの?」


 雄のヒヨドリが聞いてきた。


「ええ。このずっと先までね」


「この先? この先はペレアリーが行くようなところじゃないよ」


「行っても喜びとは無縁の場所よ」


 夫婦揃って引き止めてくるのを、私は笑って返した。


「わかっているわ。でも行かなければならないのよ。頼まれたから」


「頼まれごとなの? それじゃあ仕方ないね」


「うん。仕方ないわね。足留めしてごめんなさい」


「いいのよ。話せてよかったわ」


「こちらこそ。……じゃあご飯を捕って帰ろうか」


「そうね。そうしましょう」


 夫婦は顔を見合わせると、ぱたぱたっと飛び上がり、光が舞う空へ消えていった。……皆、喜びに満ちている。あの夫婦も、風も、草花達も。ここには何も変わった様子はないわ。気にかかることも、不安に思うことも。


 預言師からの報告で、トラッドリアにおかしな気配が現れたということで、私はその原因と不安を払拭するために、まずは周囲に話を聞いたのだけれど、皆一様に普段と変わらず、平穏な時間を過ごしているようだった。やっぱり誰にも異変は起きていないのよ。こちらの誰かの気配というのはなさそう。でも聞いた限り、預言師の勘違いとは思えなかったし、気配は気配として確実にあるのでしょう。私が話を聞いた誰かが嘘を言っているとは考えたくないわ……。とりあえず、トラッドリアの気配のことは皆に伝えて、何か進展があるのを待ちながら、私は預言師の不安を払拭してあげるために、こうして大地の果てへ向かっていた。


 金色の風に背中を押され、どこまでも続く壮麗な花の景色を横切り、その香りを引いて七色に輝く小川にかかった、透明なガラス橋を渡り、白と黒の石畳の道を歩き進むと、辺りの景色はがらっと変わってしまう。


「ここは、悪い意味で変わらないのね……」


 久しぶりに足を踏み入れた私は、その景色を眺めて思わず溜息が漏れた。葉が枯れ落ちてしまった木々が立ち並ぶ道は草が一本も生えておらず、小石だけが転がり、土はえぐれて固まっている。時折通る風も、乾いて何の色も見せていない。ここに来るまでに見てきた、生き生きと輝くような生命はどこにも見つけることができなかった。ここは長年喜びも何もない、こんな景色のままでいる。それはなぜかと言えば、道の先に見える建物――幽閉の塔にいる彼女の影響だ。幽閉された当初、自分への仕打ちに納得できず、抵抗した彼女は、持てる力のすべてを使って逃れようとした。それは塔の外まで影響が及び、もともと他と変わらない景色だったのが、その力のせいで緑の枯れた寒々しいものに変わり果ててしまった。今はきっちり力も封じられ、これ以上ひどくなることはないけれど、彼女の怒りや執念はすさまじいようで、私達がこの景色を元に戻そうと触れてみても、わずかに動かすことすらできなかった。彼女の力が、私達を拒んでいるとしか考えられない。かつては同等の仲だったのに、堕ちた者はまるで別人のようになってしまう。彼女を思い出すたびに、笑顔で話していた頃が懐かしく思えるわ。また同じように話せればいいけれど、そんな期待はしないほうがいいでしょうね……。


 生命を感じられない、静まり返ったでこぼこの道を歩き進み、近付いてくる幽閉の塔を見上げた。黒光りする外壁は何者も拒むような威圧感があり、尖った塔の先端は、空へ刃を突き刺しているようにも見える。この塔も元は白かった。でも彼女は黒く染めてしまった。故意か偶然かはわからないけれど。


「ペレアリー様ではないですか」


 塔の入り口に近付くと、そこから鎧姿の男性が現れた。


「……あなたは?」


「私はここの守衛をしております。こんなところへ一体どのようなご用ですか?」


 この男性が塔の見張りをしている兵士なのね。


「もちろん、中の彼女に会いに来たのよ。これでも昔はよく話した仲なの」


「そうなのですか……しかし、以前と同じようにお話しできるかは……」


 表情を曇らせる守衛に私は笑いかけた。


「わかっているわ。少し様子を見たいだけなの」


 そう言うと、曇った表情は少し和らいだ。


「そういうことでしたら、中の者に案内させましょう。その先は指示に従ってください」


 守衛は私に来るよう促すと、塔の中へ入って行った。光を閉じ込めたガラスの照明が照らす内部は、外観と同じように黒く、圧迫感がある。心なしか漂う空気も暗く、淀んでいるような気が――そういえば預言師も、気配に対してそんなことを言っていたわね。淀んでいたと……いえ、まさかね。


 入り口から突き当たりまで行ったところで、新たに現れた守衛に連れられ、私は地下への階段を下りて行った。てっきり塔の上部に幽閉されているのかと思ったけれど、過去の抵抗ぶりから、より厳重に管理できる地下に入れられたという。光や風、様々な自然の輝きが届かない場所に閉じ込められるなんて、本当に気の毒だわ。でもそれは本人の責任。同情などしてはいけないのでしょうね。


「……こちらです」


 渦を巻いた長い階段を下り切ると、そこで守衛は頑丈そうな扉を示した。この先に、彼女がいるのね……。


「力と身動きは封じてありますが、至近距離まで行かれたり、直に触れることはおやめください。距離を開けた状態を保ってください」


「近付いてはいけないのね。わかったわ」


 私の返事を聞くと、守衛は扉に付いた三つの鍵を手慣れた手付きで開け、ぎしぎしと低い音を立てながら扉を開けた。


「どうぞ……くれぐれもお気を付けて」


 真剣な表情の守衛に見送られて、私は扉の奥へ入った。照明は壁に一応付けられているけれど、数が少ないせいか薄暗い。もう少し明るくしないのかしら。足下がやっと見える程度じゃ何だか心が落ち着かないわ――そんなことを思いながら進んでいると、視界は突然開けた。


 広く、見上げるほどの大きな空間が現れて、私は足を止めた。先ほど感じた空気の淀みは、気のせいじゃなかった。ここに来て、それをさらに強く感じた。大きな空間を見渡すと、壁のところどころに照明らしきものが見えたけれど、どれも割れていたり、真っ黒に変色している。外があんな状態なのだから、内側にも当然彼女の力の影響があるようだ。ここの照明が少ないのは、付けたくても付けられないかららしい。新たなものを拒み、抵抗する――彼女の怒りは今も変わっていないのね……。


 暗い空間の中央に目を凝らすと、何やら黒い影がうずくまっているのが見えた。そしてその影の四方から無数の長い何かが伸び、壁につなげられている。よく見ると銀色の環が連なっており、鎖なのだとわかった。これによって彼女は拘束されているのね――私はその鎖とつながる黒い影の顔をのぞき込もうと、一歩だけ前に出た。するとその動きを感じたのか、じっとしていた影はおもむろに身じろぎし、頭をもたげてこちらを見た。


「……いつもの守衛かと思えば、これは、また……」


 少しかすれた、しかし聞き覚えのある声が響いた。


「クロメア……どのくらいぶりかしら」


 顔を覆うほどに長く伸びた黒髪の隙間から、怪しくも感じる光をたたえた瞳がこちらを凝視してくる――かつての美しい姿は、もはや見る影もないわ。


「何も感じることができなくなった私が、それに答えられると思うのか?」


「そうね……ごめんなさい」


 これにクロメアは喉の奥で笑った。


「くくっ、頭の足りなさは、変わらないようだな」


「失礼ね。……でも、普通に話せるみたいで、安心したわ」


「口が利けないとでも思ったか。守衛は無視しているからな」


「私のことは無視しないのね。どうして?」


 聞くと、黒髪からのぞく目がわずかに細められた。


「久しぶりの客な上に、それがペレアリーだ。目的が気になるだろう。……なぜ会いに来た。喜びの神に、こんな場所は似つかわしくない」


「あなたの様子を見に来ただけよ。それだけ」


 細められた目が、若干の不審を見せた。


「私を懐かしんだわけではないのだろう。理由は何だ」


 いぶかるクロメアに、私は一瞬迷ったけれど、経緯を教えたところで問題はないだろうと思い、答えた。


「……実は、トラッドリアの預言師が妙な気配を感じたと言って、かなり心配しているの」


「ほお、心配とは?」


「預言師が言うには恐ろしい気配みたいで、それが……あなたじゃないかと疑っていてね。でも、やっぱり考えすぎだったようね。あなたはここにいて、力も使えない状態だわ。気配の原因は他にあると伝えるわ」


「ここに来たのは、それだけが理由か」


「ええ。あと、私も少しだけクロメアに会いたかったのもあるけれど」


「会った感想はどうだ」


 真っすぐ見てくる瞳を見つめ、私は正直に言った。


「会えたことは嬉しかったけれど……反面、悲しくも思えたわ。何もかも、思い出のあなたとは変わってしまっていて……」


「そんなこと、とっくにわかっていたことだろう」


「そうよ。だから期待も何もしなかった。それでもやっぱり、悲しく思えたのよ。かつての友だったから……。お邪魔して悪かったわ。私はもう行くわね」


 彼女と会うのは、これが最後なのかもしれない――一抹の寂しさを感じつつ、踵を返そうとした時だった。


「待て」


 不意に呼び止められ、私は顔を向けた。


「……何?」


「私はいつまでここにいなければならない」


 その問いに、思わず瞠目してしまった。クロメアはまだ、ここから出られるものと思っているの……?


「ずっと、ここにいるのよ。それだけあなたのしたことは重いと判断されたの」


「私は今も納得していないと言っている。誰か話を聞きに来る者はいないのか」


「残念だけど、もう結果は覆せないわ。あなたは人間達の命を意図的に操ろうとし、私達の信用を失ってしまったのだから」


 カーラムリアとトラッドリアは表裏一体。お互いに助け、影響し合うことでより良い世界を構築していく。でもそれは、二つの世界の自主性を重んじることが前提だ。トラッドリアはあくまで別の世界で、私達とはまた違う生命が生きる世界。それをどうこうする権利などないわけで、それを無視して行き過ぎた干渉をすれば、こちらでは重罪となる。そして彼女は、まさにその重罪を犯してしまった。人間の命を、私達に都合のいい形に創り替えようとして……。


「すべてはカーラムリアのためだった。人間達の心と祈りを集めようと――」


「心と祈りを集めるだなんて……それは自発的であるべきものでしょう? 人間は私達の家畜ではないわ。強いた祈りに皆が喜ぶと思ったの?」


「そう思わなければ、あんなことはしなかった。私個人の欲ではなく、この世界のためになりたいと思っての行動だった。合理的を目指し、純粋に考えた結果が、なぜこれほど責められなければならない」


「あれが本当に純粋な考えだったのなら、やっぱりあなたをここから出すことは難しいと思うわ。罪を罪だと思えなかったということだから」


「私を狂人として押し込め続けるのか。誰よりもカーラムリアのために動いた、この私を」


 黒髪の隙間からじっと凝視し続ける目には、憤りがありありと見て取れた。


「……ごめんなさい。皆で決めたことなのよ。あなたは重い罪を犯した……それが、事実なの……。顔を見られて、よかったわ」


 私は凝視してくる目から視線を外し、今度こそ踵を返した。もう、かつてのクロメアはいないのね。身も心も美しかった、笑顔の彼女は……。


「ペレアリー、まだ話は終わっていない」


 背後からの声に思わず足が止まりそうになるけれど、私は口を引き締め、扉へ歩き続けた。


「……そうか。お前も聞く耳は持たないか。慈悲の神なら、足くらいは止めてくれるだろうに」


 低く冷めた声と共に、ジャラ、と鎖の揺れる音が背中越しに聞こえた時だった。


「……!」


 突然、胸の辺りに苦しさを覚え、私は足を止めざるを得なかった。これは、何? 体の内側が何かに強く握り締められているみたいな……。


「どうしたペレアリー。随分と苦しげだが」


 わざとらしい心配の声に、胸を押さえながらゆっくり振り返ってみると、黒い影のクロメアは先ほどと変わらずにうずくまった姿勢でこちらを凝視していた。しかし、そんな彼女を縛り付けている無数の鎖を見ると、それらの表面はうっすらと緑色の光を放っていた。この光は……?


「……これが気になるか?」


 私の視線に、クロメアは腕に巻き付いた鎖を軽く持ち上げて見せた。


「これは、グルーストが刻んだ封印の呪文だ。私が力を使おうとすると、こうして淡い光を発し、力を封じようとしてくる。何とも迷惑な仕掛けだ」


「封印の、呪文……」


 彼女が力を使うと光を発する――つまり、鎖が光っている今、クロメアは力を使おうとしたということ? その時に私の胸が苦しくなったのは……どういうこと? これは、何が起きているの?


「ところで、表情がかなり苦しそうだが、大丈夫か?」


 そう言いながらクロメアはのそのそと立ち上がり始めた。床に付くほどの長い黒髪を揺らし、埃で汚れた黒い衣の裾を引きずる。全身に巻き付いた鎖はいかにも重そうなのに、その細い体はそんなものを感じさせない動きで立っていた。ジャラジャラと鳴る鎖は緑の光を発し続け、クロメアの顔をわずかに浮かび上がらせていた。


「これは、あなたの、力なの……?」


 半信半疑で聞いた私に、クロメアは目を細めた。


「ここには私とお前しかいない。答えは一つしかないと思うが?」


「でも、鎖が……封印が力を、抑制しているはずじゃ……」


 動けない私に、クロメアは少しずつ歩み寄ってきた。


「この鎖を作ってくれたグルーストには感謝している。本当に、まったくお粗末なものだ。そう長い時間は経っていないはずなのに、こうも簡単に壊れるとは……ほら、見えるか」


 そう言ってクロメアは片腕をこちらに向けてきた。巻き付く数本の鎖は光を放っている。それをよく見てみると、その内の一本の鎖だけ、光が一箇所途切れている部分があった。そこにはひびが入り、力を加えればおそらく切れてしまうことは私にも容易に想像ができた。つまりこれは、封印が完全に果たされていないということなの……?


 息を呑んでクロメアを見ると、彼女は少女のように首をかしげ、私を見つめてきた。


「鍛冶の神の名が泣く出来だ。グルーストの腕も落ちたものだ。重罪人一人もましに拘束できないのだから」


「クロメア、やめて……馬鹿なことは考えないで」


 こんな危険な状況、私だけじゃ足りない。誰か、早く呼ばないと――


「馬鹿なこと? それはお前達が私を閉じ込めたことだろう。……ペレアリー、どこへ行く」


 クロメアの力で動きを鈍らされたまま、それでも私は扉へ向かった。足を動かすたびに全身が苦しみに震えるよう……それでも、耐えて助けを呼ばなければ……。


「かつては笑い合って話した仲だろう。私を置いて行くのか――」


 すると、背後でガシャンと大きな音が鳴り響いた。驚いて振り向くと、クロメアを縛る無数の鎖は、つながっている壁からぴんっと伸びた状態になっていた。こちらに近付いていた彼女だけれど、鎖の長さが足りず、これ以上は近付けないようだ。助けを呼ぶなら今しかない――


「誰か……守衛……」


 胸が苦しくて大声が出ない。これじゃあ届かない。扉は目と鼻の先なのに……。


「ペレアリー、お前はいつも嫌な顔一つせずに私と話してくれた。皆が頭の固いやつと避けているのに、お前だけは、私に付き合ってくれた」


「……クロメア……」


 私はそろりと振り返った。鎖で足留めされた彼女がこちらを見つめている。


「取り留めのない話で私との時間を過ごそうとしてくれたことは、今もありがたいと思っている」


 こんなことを言われるのは初めてだった。あまり感情を表さない彼女からありがたいなんて言われるとは――少々驚いていると、こちらを見つめる目が笑ったように歪んだ。


「だが、内心はうっとうしかった。自分の話を、さも面白げに語る様子は、私にとって目障りでしかないというのに」


「え……」


 目障り、だった? あんなに楽しいと思っていた一時が……?


「日々の喜びしか見ていない、お前の能天気さは、無性に嫌悪感を抱かせる。今すぐ、消してやりたいほどに……!」


 笑ったように歪んだ目が、一転して恐ろしい色を浮かばせた直後だった。クロメアは両手に拳を握り、鎖の力にあらがうように腕を前へ突き出した。その瞬間、壁につながれていた鎖は強引に引っ張られ、壁を崩しながら、もろくちぎれていった。石が崩れ落ちる音と共に埃が舞い上がり、クロメアの姿が隠されていく――封印は破られた! 早くここから出ないと、私の身も――


「なっ、何が起きたのですか!」


 すると、開いた扉の奥から先ほどの守衛が慌てて入ってきた。これで助かるわ!


「クロメアが封印を破ったの! 急いで知らせに――」


 その時、頭上の壁が一斉に崩れ落ちるのが見えた。大小の石が雨のように降ってくる。駄目、避けられない――私は咄嗟に頭を抱えて床にしゃがんだ。ガラガラと、まるで嵐のように激しい音を立てながら、落ちてくる石は容赦なく私の背中に痛みを与えた。辺りには埃が充満し、目も開けていられない。


「……守衛……」


 やっと壁の崩れが治まり、私は目の前にいたはずの守衛を呼んだ。まだ埃が漂う中、無数のがれきが視界一杯に広がっていた。その中を私は人影を探して目を凝らす。と、大きな石の下から何かがのぞいているのを見つけた。……あれは、足? 守衛はがれきの下敷きになっている――そうわかって、私はすぐに歩み寄ろうとしたけれど、胸ではなく、今度は背中に痛みが走り、立ち上がることができなかった。がれきの衝撃で痛めてしまった……急いで守衛を助けないといけないのに……。


「傷だらけで、美しさが台無しだ、ペレアリー」


 声に顔を上げると、守衛を押し潰している石に片足を乗せたクロメアの姿があった。黒い髪と衣は埃にまみれている。そんな体を縛っていたはずの鎖はすでになくなっていた。もう彼女は自由に動ける……。


「……クロメア……助けて……」


「誰をだ? お前か? この足下の守衛か?」


「まずは、彼を……」


「残念だが、こいつはもう死んでいる。助けようがない」


 そんな……彼は、私達とは何も関係がないというのに。


「あなたは、生命を司る者だったのに……どうしてこんな罪を……」


「邪魔だからだ。邪魔な者は、消す……」


 ぺた、と音を立て、裸足のクロメアがこちらに近付いてきた。私も、殺すの? 邪魔だから、同じように――恐怖で身構える私に、クロメアは黒髪の隙間から感情の読めない目で見つめてきた。


「……だが、お前はまだ殺さない」


「……?」


 呆然とする私からクロメアは視線を外した。どうして? 私がうっとうしいはずじゃ……。


「自己満足な時間だったとしても、お前は私と話してくれた。かりそめでも、友でいてくれたよしみだ」


 クロメア……あなたの中には、まだあの頃の美しさが残って――


「助けるのはこの場限りだ。次に会った時は、見逃さない」


 そう言ったクロメアは私に背を向けた。


「どこへ、行くの?」


 力の入らない声で聞くと、クロメアは振り向かずに答えた。


「教えるわけがないだろう。……お前はしばらく眠っていろ」


 するとクロメアの右手が宙に振られた。直後、頭上からまた嫌な音が聞こえて、私は反射的に頭を抱えた。けれど落ちてきた石は私の全身に降りかかり、ひどい痛みを味わわせながらがれきの山を作り上げていく。傷だらけの体で意識がもうろうとする中、うっすらと開けた目の前は暗闇だった。身動きが取れない……がれきをどける力もない……埃が舞う檻に私は閉じ込められたみたい。クロメア、戻ってきて。これ以上、悪いことは考えないで――いつ助けられるかもわからない状況で、私は彼女の先行きを案じるばかりだった。

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