第5話

 反論はできたはずだと、黒井はボンヤリ思った。


 彼が保有する魔眼『ルーペ』。それは確かに希少な異能かもしれないが、身体の中の魔力回路が視える以外に実用的なことなど何一つない。良かったことといえば、魔力が身体のなかをどう流れているのかを知ることができ、その勢いや色によって強さのランクを見分けることができるだけ。


 治癒魔術師。それはきっと、魔眼を保有していたからこそ得た職業だった。しかし、アビスの世界にはポーションやエリクサーといった回復薬が存在しており、時には……というかだいたいは、即効性のある薬のほうが役に立つ場面のほうが多い。それでももし、唯一無二のスキルを誇らせてもらえるのであれば、治癒魔術師は欠損した身体を再生させることができる。しかし、完治には長い時間をかけなければならず、その術を戦闘中に使うことはできない。だからといって、負傷した仲間のかわりに戦闘に参加できるほどの力すら持っていない。あくまでも後方支援。黒井は、仲間が戦っているのをただ見ていることのほうがずっと多かった。


 一度くらいの失敗。確かにそれはたったの一度だった。そして、そのたったの一度で仲間たちは死んだ。



 彼女の言うことはわかる。むしろ、正しすぎるまであった。



 それでも……彼らの死を失敗と呼び、まるで成功の母みたく扱うことに、黒井は疑問を感じてしまう。


 なにより、あのとき出会したドラゴンの強さと、助ける暇すら与えられず殺された仲間たちを思い返すと、素直に怖かった。そんな恐怖を植え付けられた奴なんかが最前線で使い物になるなんて思えない。


 反論はできたはずだ。いくらだって、言い返すことはできたはずだった。


 しかし、黒井にはできなかった。


 なぜか? 


 彼女があまりにも強かったからだ。


 黒井には、彼女の在り方がとても強く見えた。


 探索者であるならば、「人類のためだ」と言いながら、心のなかでは「金のためだ」とのたまう輩は少なくない。


 綺麗なままでは生きてはいけず、時には、自分の醜い部分すらも直視しなければならない時だってある。


 なのに、黒井から見た彼女は、「人類のため」と本気で言っていた。少なくとも彼にはそう見えた。


 そう見えたからこそ強いと感じた。感じてしまったが故に……何も言うことができなかったのだ。


「あれは早死にするだろうな」


 探索者においての強さとは正しさじゃない。アビスにおける純粋なステータスだ。


 それは、非力な治癒魔術師をしている黒井だからこそわかる。


 魔物に説得なんて通じなかった。回復を待ってくれることも、当然命乞いすら聞いてはくれない。


 自分の主張をぶつけるだけではいつか痛い目を見る。それが失敗で終わればいいが、探索者であるならば命すら落とすことだってあるはずだ。


 だから、それを目の当たりにした黒井は様々な言い訳を理由にして、諦めてしまった。


 最初はそうじゃなかったのに。


 きっと、探索者になりたての黒井だったなら、何事にも自信を持って挑んでいただろう。


 失敗なんて恐れなかったはずだ。


 そこには、進むべき信念がたしかにあったから。



 ◆



『速報です。ゲート出現から二年経った今現在もなお、立ち入りが厳しく制限されている横浜ですが、探索者シーカーを組織するアストラルコーポレーションが、来月、ダンジョン攻略班を派遣する発表を行いました。横浜のダンジョンランクは国内では最も高いAに指定されており、これまでは海外で活躍するトップランカーの攻略班を待っている状態でしたが――』



「あれ? 黒井さんどうしたんですか? 今日はメンテナンスの日じゃないですけど」


 その日の午後、黒井は支部に来ていた。


「すいません。まだメンテナンス日じゃないですけど、ダンジョンに入ってもいいですか?」

「ダンジョンに?」

「なんだか身体を動かさないとやってられなくて。メンテナンスの日には改めて来ますから」


 女性職員は不思議そうに小首を傾げていたのだが、黒井の言葉で何かを思い出したように「あっ」と声を洩らしたあと、何も聞かずに上役へと内線電話で取り次いでくれた。


「許可が降りました。まあ、黒井さんなら問題ないだろうとのことです」


 そう言って、彼女はカウンターにゲートを囲っている施設の鍵を置いた。それを受け取ろうと黒井は手を伸ばしたのだが、寸前で鍵を引っ込められてしまう。


「あの……なにか?」

「黒井さん、自暴自棄とかじゃないですよね……?」

「自暴自棄?」


 彼女の言葉を復唱してから、数秒遅れて理解。


「ああ、俺があのニュースを見て、死のうとしてるんじゃないかと思ったんですね」

「そこまでは思ってないですけど……油断しちゃダメですよ?」

「大丈夫です」


 そう言って笑顔を見せると、彼女はようやくホッと息を吐いてから再びカウンターに鍵を置く。


 黒井はそれを受け取った。


「ありがとうございます」


 彼女の推測どおり、黒井が支部にやってきたのはアストラが発表したニュースをテレビで見たからだった。


 そして、攻略班として挑む探索者たちの中に、黒井を勧誘しにきた女性を見つけたからでもある。



 時藤ときとうあかね



 アストラルコーポレーション所属の探索者であり、現在はランクBの【弓使いアーチャー】。


 まさか、そんな上の人間が勧誘にくるなんて黒井は思ってもみなかった。


 そして、彼女以外にもダンジョン攻略に挑む者たちの顔をまったく知らない自身の疎さにほとほと呆れた。


「他にも有志を募るんだろうが、許可されるのはランクB以上だろうし……あまり集まりはしないだろうな」


 まるで他人事かのような独り言。無論、他人事ではあったのだが。


 そうこうしているうちに、黒井はゲートがある施設に到着する。顔見知りの警備員に挨拶をすると、彼は挨拶を返しただけで通してくれた。


 無機質な色味のない施設内部は硬い合金鋼ごうきんこうでできており、それはゲートから魔物が溢れだしたときの防護壁である。壁は何層にもなっていて、ゲートを拝むには、その枚数分扉を通らなければならなかった。


 そんなマトリョーシカの最内部。


 もはや見慣れたゲート前。


 ゲートは長方形であり、高さは3メートルほどで幅は2メートルほどだった。ちなみにだが、大きさに関しては出現するゲートによって異なる。


 黒井の記憶によれば、横浜のダンジョンゲートは高さだけで5メートル以上はあった。


 その時に気づくべきだったのかもしれない。


 これ、ドラゴンでも出入りできるよなあ……と。


 黒井がゲートに足を踏み入れると、景色は途端に変わり、これまた見慣れた洞窟前の草原へと降り立つ。


 いつもならば、このまま洞窟に直行するのだが、黒井はステータスウィンドウを開き、称号から【鬼狩り】を開いた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


【鬼狩り】

 ゴブリン種を10000体倒した証。ダンジョン【回廊】への資格。一時的な雷耐性を得る。


 回廊へ挑戦しますか? はい/いいえ


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 そして、『はい』の項目を押そうとした直前、黒井はふと女性職員との会話を思いだした。


「死のうとしてるわけじゃないが、死ぬかもしれないな」


 ただ、それは彼の勘に過ぎなかったが、危険はあまりないような気がした。


 その回廊とやらは、称号を得た者――つまり、一人しか挑戦できない仕様になっているからだ。


 もちろん、これ自体が何かの文字バグである可能性もあった。


 しかし、称号を得た以上はそれに見合った報酬が欲しいものであり、それが自身を強くしてくれるものであるならば挑まないわけにはいかない。


「さあ、鬼が出るか蛇がでるか……」


 そして黒井は、『はい』の項目を押した。



――一時的な雷耐性を得ました。【回廊】への挑戦意志を確認しました。


 そんな天の声が聞こえたあと。


「なにも……起こらない?」


 てっきり、すぐにダンジョンへ飛ばされるものだと考えていた黒井は、視界に変化がないことに疑問を覚える。


 しかし、それは杞憂に終わる。


 ゴロゴロ……。


 音がしたのは遥か上空だった。見上げれば、いつの間にか分厚い黒雲が真上を覆っている。


 嫌な予感がした。 


「おいおい、一時的な雷耐性ってまさか――」


 それが確信に変わった瞬間、視界すべてを焼き尽くすほどの眩い閃光が、黒井に落ちた。

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