m_002_運命はかくも悲しき

 映像視聴は予約制で、すぐには順番が来ない。

 待っている間フォテスは読書にいそしむ。幸い、図書室は一生かけても網羅しきれないほどの蔵書量だ。

 システム上の都合で、無限に等しい書架から好きに選べるわけではなく、その日用意されたものを片っ端から読んでいる。


「納得いかない。なんだこの人魚姫って話は」


 絵本を手に思わずぼやいたフォテスを、ディアナが苦笑を浮かべながら抱き寄せる。


「仕方ないわよ、そもそも種族が違う時点で結ばれるはずないでしょ」

「それなら地上に行く前に誰かが止めてやるべきだ。だいたい足と引き換えに声を渡すなんて合理的とは言えない、それ以前に尾も失っているじゃないか」

「うーん……それは手数料みたいなものじゃない?」


 そう言われると少し納得しかけるフォテスだった。

 しかし解せない。童話は人生の教訓を与えるもの、とフォテスは認識しているが、この悲劇から何を学べというのだ。

 現実において人と異なる種族の者が恋に落ちる可能性は限りなく低かろうし……であれば、やはり取引は慎重に行うべし、ということか。


 無駄に考え込んでむっつりしていると、ディアナがぱっと顔を上げた。フォテスもつられてその視線を辿ると、壁面のディスプレイに通知バルーンが表示されている。

 立ち上がってそれを確認した彼女は、戻ってくるなりぎゅっとフォテスを抱き締めた。


「わ、な、何」

「機嫌を直してフォテス、いい知らせよ。映画の視聴権が回ってきたわ」

「本当!? やった!」


 ちょうど絵本を読み終えたところだったし、完璧なタイミングだ。ディアナの言葉どおりフォテスはまんまと機嫌を良くした。


 フォテスが笑うとディアナも笑う。いや、彼女が笑っているからこちらにも反映ミラリングされるのか。

 どちらでもいい、二人が同じ幸せを享受していることだけは紛れもない事実だ。

 それだけで胸の奥まで満たされる。



 飲み物を用意して、コンシェルジュと呼ばれる映像配信サービスを待つ。テーブル用の椅子はやや硬いのでソファの代わりにベッドに座った。

 隣に腰を下ろしたディアナは、少しフォテスにもたれるようにしている。

 彼女の艶やかなブロンドから微かにシャンプーの香料が漂った。フォテスも同じ物を使っているはずなのに、自分のそれはほとんど感じないのが不思議だ。


 やがて画面にコンシェルジュのキャラクターが出てきて一礼したあと、暗転する。

 こちらも内容の指定はできない。何が始まるかは観てのお楽しみ。


 どうやら今日の映像は、男女の恋愛を主題にした映画作品らしい。

 残念ながら陳腐な台詞とおざなりな心理描写が続き、脚本もいまいちで、お世辞にも名作とは言い難い内容だった。

 正直言ってつまらない。


 しかし途中から、フォテスはひどく落ち着かなくなった。ラブシーンが妙に過激だったからだ。


 序盤から繰り返される濃厚なスキンシップ。中盤からはいわゆる濡れ場もあった。

 いずれも行為を連想させる程度の抒情的な演出ではなく、はっきりと女優の裸体ヌードが映された挙句に喘ぎ声まで聞かされる始末。


「……」


 フォテスも知識としては知っている。そういう描写のある小説や、生物学の本も読んだ。

 でも、映像でここまで強烈なものを観るのは初めてで、しかもすぐ横にディアナがくっついているものだから、どうにも据わりが悪かった。何しろ頬が熱い。


 隣で彼女が飲みものを口にするたび、嚥下の音がいやに響く。

 これは一人で観ることにするべきだったな、と後悔しても遅すぎて、自分も飲んで熱を冷まそうとボトルに手を伸ばした。……なんてこった、ホットティーだ。

 いや、手汗がすごいのは熱いお茶のせいだってことにしよう、そうしよう、いやそのはずだ、とフォテスが脳内で一生懸命聞かれてもいない言い訳をこねくり回していると。


「……フォテス」


 ふいにディアナに名前を呼ばれ、手に触れられた。ぎくりと身体を強張らせて彼女を見ると、頬をほんのり薄紅色に染めた彼女が、ちょっと困ったような笑みを浮かべて囁く。


「なんだか恥ずかしくなってきちゃった……」

「……うん、だよね」

「うふふ、顔が真っ赤よ、かわいいフォテス。それに胸もドキドキしてる……私も、ほら」


 ディアナはそのままフォテスの手を自らの胸に導いた。布越しに彼女の乳房をやんわりと圧し潰す感触に、フォテスは一気に耳まで赤くなる。とてもディアナの心音を聞く余裕などなかった。

 柔らかい『女』の感触。いつも傍にいて毎日眺めているのに、初めて触れる。

 髪からの人工的で甘い香りと、指先に流れ込む彼女の体温。――ついでに向かいからは女優の嬌声。


 頭がどうにかなりそうだ。どれだけ知識があろうが、そんなものは襲いくる数多の刺激の洪水の前に、何の防壁にもなりはしない。

 どうすることもできず固まったフォテスに、ディアナはくすりと笑った。


「キス、してみる?」


 頷いたかどうかは覚えていない。ただ三秒後にはもう、フォテスは彼女の唇を啄んでいた。


 知識はあっても経験はない。それでも身体は動く、というより、どのように動きたいかを知っているようだ。

 もちろん何度かディアナに「痛いわ」と怒られたので、決して上手にできたわけではなかっただろう。


 二人は映画を真似た。服を脱いで裸になり、ベッドの上で抱き合う。

 そうして互いの身体の、明白に作りが違っている部分を重ね合わせる。

 それこそがこの行為の本意であることも、フォテスは知ってはいただけで、実践するのは初めてだった。



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