こわれものを抱いて

真野魚尾

第1話 はじまりはドラマのように

 アルバイトで新しい子が入って来た。


はらりんです。よろしくお願いします!」


 夕礼の場で挨拶をする声は、まだちょっと硬くて。


「よろしくね。大学の、えっと……二年だっけ?」

「はい、に、な……なりました」


 だけど、芯の強さを感じた気がした。


「オレとタメッスね! イニシャルまで同じッスよ!」

「あ、はい……」

「この子は無視していいから。あたしは――」


 思えばこの時、もうあの子に惹きつけられてたんだ。

 梅雨明け間もない、あの夏の日。


「…………」


 下ろし立てのユニフォームにも着負けしない、すらりとした長身。


「……ひろさん?」


 艶やかな黒髪と、涼しげな目元。

 そして――


「ねぇ、広田さん。聞いてる?」

「――っ!? は、はい! ひ、広田みどりでっひゅ!」


 あぁ……またやってしまった、と思ったけれど。

 和やかに笑う同僚たちの顔の中に、あの子の遠慮がちな笑顔もあったから。


「よろしく……お願いします。広田さん」


 小原さん、あんなふうに笑うんだ。




  *




 住宅街の外れにある交差点。小さな美容室とコインランドリーに挟まれた、リサイクルショップが私の職場だ。


 夏休みだっていうのに、午後の店内は静かなものだった。

 買い取り希望のお客さんでもいれば別だけど、この暑い中荷物を抱えて来るのはしんどいに決まってる。


ひろさん、新人ちゃん手空いてるみたい」

「はぁい」


 何気ないふうを装って、りんちゃん――はらさんに近づいて行く。あんまりベッタリくっついてるのもどうかと思うし。

 あと、心の中での名前呼びも自重しなきゃ。


「もう並べ終わったんだ。早いね」

「あ、はい。ちゃんと……できてますか?」


 棚にいっぱいに揃えられたCDの数々。市内じゃもう取り扱ってる中古店も少ないから、うちに集まって来がち。

 私がまだバイトだった頃は、先輩にディスク研磨機の手順とか教えてもらったっけ。今じゃそんな手間もかけられないから、ケースだけ拭いて棚に詰め込んでる。


「うん、バッチリ。……あ、その仕切り板……」

「これですか?」


 棚上に取り残された備品を、小原さんはひょいと手に取る。やっぱり背高いな。私じゃそんな簡単に届かない。

 っていうか、脚長すぎ。ウエストの位置、私の胸ぐらいない?


「あの……何か……?」

「いや~、今の子はすごいなぁって」


 ……ヤバい。「今の子」とか言っちゃってるし! 無意識にしたその発言は、私がすでに四捨五入をためらうお年頃な事実を思い出させた。


 驚き青ざめる私を前に、小原さんが取った行動。


「……ごめんなさい」


 いきなりの謝罪。えっ? 内から外から二度びっくりだよ。


「ど、どうしたの? 急に」

「わたし、いろいろ……態度、失礼だったかも……と。その、初日とか……広田さんのこと、笑ったりしてしまって……」


 今になってそんなこと蒸し返さなくても……とは思ったけど、まずは弁解しないと。


「あー、そういう意味で言ったんじゃないの。小原さん、真面目に仕事してくれてるなぁって」

「それは…………広田さんが、優しく指導してくれるから」


 優しい――というより多分、甘いんだ、私。


 同じ社員の中には「そこまで言わなくてもいいのに」ってぐらい、ルールやミスに厳しい人もいる。

 私は他人にそこまで強くは出られない。私自身、出来た人間じゃないって自覚があるから。


「指導なんて、そんな大したことしてないつもりだけど……」


 でも、ありがとう。そっか。よく話しかけてくれるもんね、小原さん。頼り甲斐のない私だけど、親しみを感じて接してくれてるなら嬉しいな。


 そんな今も、小原さんの琥珀色をした瞳がじっと私を見て――


「すんません、そこの棚ちょっと見せてほしいんですけど」


 ――違った、私の後ろだ! お客さん!


「あ! も、申し訳ごじゃいまへ……!」


 振り向こうとして体勢を崩した私の両肩を、しっかりと受け止める手は優しくて、頼もしくて。

 ふんわり漂うアップルティーに似た香りに、胸が狭くなる感覚がした。


 きっと真っ赤になっている私の耳のすぐ上で、かすかに上ずった声がする。


「大丈夫……ですか?」

「…………うん……ありがと」


 ああ、今になってやっとわかった気がする。

 やっぱり私、こっちのほうがしっくり来るみたいです…………先輩。

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