第八稿 ちゅってしてもいい?

「嘘、うそうそうそうそ……!?」


 手元で『YOULOSE』が画面狭しと躍り回る。私の両手はわなわなと震えだして力なくフローリングに膝をついた。


「対ありでしたっと。見たか、あたしの完全で完璧な大勝利っ!」


 まりもは私を煽るように、画面内だけでは飽き足らず目の前でも屈伸運動を繰り返している。上下に揺れる金色ポニテが恨めしい。ひらひらと翻る短いスカートの中が見えてしまいそう。


「あーそっか。これは嘘で夢で幻! よし、再戦しよ再戦!」

「最初に勝負は1回きりって言ったよね? ま、3日ほどかけてトレーニングしまくってたあたしが勝てない道理がないわけよ」


 余裕ですと言わんばかりのどや顔に私は立ちあがり、


「暇人! 暇人。暇人、暇じーんっ! 人の事言えないくらいに圧倒的暇王。略してマ王おおおおっ!」


 足が痛くならない程度に激しく地団太を踏んだ。


「ふははっ。なんとでも喚くがいい、負け犬勇者よ。実力主義社会のことわりを知るがよい。さてさて、約束を果たしてもらおうかなぁ~?」

「はぁーあ……。わかったわかった」


 向かい合うまりもに対し両手を広げ目を閉じる。

 その直後優しく触れるように彼女から密着された。背中には手を回され、彼女の首元に私の頬が当たっている。そして彼女から漏れる息遣いを感じると思わず目が開く。


「れなって思ってた以上に華奢だね。もうちょっと食べた方がいいんじゃない?」

「ちょっと、くすぐったいから囁かないで。あとそういう感想はいいからはやく終わって欲しいんだけど」


 ふりほどき距離を置こうとすると今度はしっかりと抱きしめられる。すると、自分の気持ちとは関係なく鼓動が早くなっていく。


「まだ終わってないから。あれ、れな……今すごいドキドキしてんじゃん。なんで?」

「だ、だってまりもと違ってそういうの全然慣れてないんだよ。こうなるに決まってるでしょ……?」

「声まで震わせてさ、れなも可愛いとこあるよね。気の強い攻めと見せかけて意外と受けの素質ありそう」

「わ、私の体は処女であり心は童貞なの。だから……乙女の心の童貞を馬鹿にしたら許さないんだからね、この爽やかリア充!」


 恥じらいの勢いだけで変な事を口走ってしまった気がする。

 そう思っていると、


「あっははは、なんだよその迷言! お、お、乙女の心の……ひぃひぃ。笑いすぎてマジ苦しい。あたし、れなのそういうとこ本当嫌いじゃないわ~」


 笑いすぎたのか涙まで浮かべている。

 まりものその反応にじわじわと顔が熱くなる。


「うるしゃいだまれ、今すぐ阿寒湖あかんこに帰れぇ! はぁ……。さすがにもういいよね? そろそろ離れて欲しいんですけど」

「ね。ほんのちょっと触れる程度にするからちゅってしてもいい?」


 間近で見つめ合ったまりもは、息も荒く普段とは違ってふざけてる時のような表情には思えない。次には私の唇に視線を落とし、彼女の顔がゆっくりと近づいてくる。

 私はすぐに手の甲で自分の口を覆いだ。


「ちょっと、キスはだめだって」

「え、別に初めてってわけじゃなかったよね? なんでダメなの?」

「え……。あれは向こうが無理矢理してきただけだもん」

「そっか、れなとしてはあくまでもなかった事にしたいワケね。そういえば、あのおっかない後輩ちゃんって名前なんて言ったっけ?」


 忘れかけていた過去の記憶が蘇ってきそうになると、私は頭を振ってそれを打ち消す。


「今その話はいいでしょ。あのさまりも、変態行為禁止令が発令中なの忘れてないよね?」

「で、あたしはなんだっけ。ドキドキの……? 書類送検されるんでしょ? 前科はマジ勘弁。じゃあ、しない代わりにもうちょっとこのままでいさせてよ」


 さらに強く体を押し付けられると、格差と言うべき柔らかな感触をこれでもかと思い知って真顔になりそう。

 こんな時に想像してしまうのはどうかしてるけど、遠坂さんとこんな風になれたらいいのに。

 深呼吸をしながら私は目を瞑った。


「……た、さん」

「ま、あんまり動揺させて仕事に影響するのはまずいかな。最悪日向ひなっさんにも顔向けできなくなるし」


 彼女の名前が耳に入った瞬間、恋人のように抱きしめ合う日を思い浮かべてしまう。

 それを強く願うとあの凛々しい笑顔が浮かんできた。


 ようやくまりもの体が離れると、彼女は私の肩に手を置いた。


「泣くほど嫌だったならはっきり言ってよ……」


 これまでとは一変して、気まずそうな顔をした彼女は久しぶりに見た気がする。

 その様子に自分の顔を手で覆うと頬の辺りが濡れている。私は涙を流している事にようやく気がついた。


「違う違う。待ってよ、私がまりもを嫌うわけないじゃん!」

「でもあたしもやりすぎたと思う。ホントごめん」

「……もう帰っちゃうの?」

「約束があるの忘れてたんだよね~。じゃあまた明日ぁ!」


 いつものような飄々した表情に戻った彼女は、私の背中をぽんぽんと叩いて部屋から出ていった。

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