いつもの説明タイム

 お母さんの抱擁がほどかれると、僕はあることを頼んだ。

「ねえ、お母さん……」

「なに?」

 優しい声でお母さんは返す。

「今日、学校休みたい……」

「……わかったわ」

 これ以上、お母さんは何も言わなかった。僕も、何も言ってほしくなかった。


 僕は朝食を済ませ、テレビを消した。お母さんは学校に連絡を入れ、昼食作る暇なかったからと言って、これで何か買って食べてと千円札を机の上に置いた。

 僕は歯磨きとうがいを済ませ、顔を洗った。部屋着に着替え、鏡に向き合いながら、僕はハイイロさんを呼んだ。

「ねえ、ハイイロさん」

「なんだい?」

 背後から声がする。鏡には、僕の背後にハイイロさんは映らなかった。振り返ると、ハイイロさんはいつもの表情で立っていた。

「全部、訊くから」

「わかった。いつもの説明タイムといこうか」


 僕はベッドに体操座りして、自分の膝に目を向けながら、声を振り絞った。

「まず、制限時間を教えて」

「わかった」

 意味も分からないまま縮まった制限時間の中、僕は三回も腕を傷つけた。どれくらいの制限時間を得たのか、僕は予測できなかった。

「あの痛みで、キミが得た制限時間はたったの十二時間半だ。つまり、今日の午後六時で、キミは元の世界に戻ることになる」

「え……」

 十二時間半。あまりにも短すぎるその制限時間に、僕の勉強机の前に立っているハイイロさんに顔を上げた。

 嘘だ……。あんなに傷ついて、あんなに痛い思いをしたのに……。

「どうして、そんなに短くなってるの……? 昨日だって、三日間に縮まってたし……」

 そう訊くと、まるでその質問を待っていたと歓喜するみたいに、ハイイロさんはふふっと笑みをこぼした。

 そしてハイイロさんは、こんなことを言ったのだ。


「なあ、罪って、どのように定義されると思う?」


「え……」

 ハイイロさんの問いに、僕は言葉が出なかった。

「いや、正確には、この罰欲センサーは、どのように罪を定義していると思う? と尋ねた方が正しいだろう」

「どういうこと?」

 ハイイロさんの質問の意図が分からず、僕は訊き返してしまう。

「つまり、罰欲センサーは一体何を罪と捉えて、キミの罪をなかったことにしているのかってことさ。罰欲センサーは、どのようなものを罪としているのか」

 そう問われて、僕は考えを巡らせる。それでも、僕は明確な答えを出すことができない。

「罰欲センサーはどのようなものを罪として捉える? 人を傷つけることか? 人の迷惑になることか? 法律に違反することか?」

「……周りが、自分を許さない場合……」

 僕は自分の膝に目を落としながら、やっとのことで声を出す。でも、これが正解じゃないことは分かっている。

「そうかい……」

 やっぱり間違っていたのだろうか。諦念に近い、呆れたような表情をハイイロさんは浮かべる。

「キミはどこまでも、自分を大切にしないよね」

 予想だにしなかった言葉が飛んで、僕はハイイロさんをまた見上げる。朝に言われたお母さんの言葉を、僕は思い出す。

「正解を言おう。この罰欲センサーは、その魔法にかかった人間が罪を犯したと思った場合、それを罪として捉えるのさ。つまり、キミの回答と真逆。自分が自分を許さない場合さ」

「それって……」

「キミは亜黒を殺してしまったと思った。それが自分の背負う罪だと思った。だから、キミが傷ついた時、罰欲センサーがきちんと反応したのさ」

「え……」

「な? この魔法、めちゃくちゃ自分勝手だろ? でもまだ、どうして期限が短くなったのか、これじゃまだ分からないよね? いや、キミはすでに分かっているかもしれないけど」

 僕はごくりと唾を飲む。自分と向き合う覚悟を、僕はする。

「罰欲センサーが与える制限時間は、痛みによっても変わるけど、罪の重さによっても変わるんだ。罪が重くなればなるほど、得られる制限時間は少なくなる。つまりさ、キミは罰欲センサーを使っていく途中で、気づいてしまったんだ。自分を傷つけること自体が、罪になるんじゃないかってね」

「っ……」

 僕は息を呑む。ハイイロさんは、自分の中で漠然とした思いをはっきりと言葉にして言った。

「キミは自分を傷つけることも、背負っている罪の中に加算してしまったのさ。キミがそうしちゃったから、罰欲センサーが認識する罪はさらに重くなっちゃったわけだ。こうなっちゃったら、この罰欲センサーはもう、使い物にならなくなっちゃうね。だって、罰欲センサーを使えば使うほど、キミは自分を傷つけ続けることになるんだもん。」

「でも‼」

 僕は目元に涙を溜めながら、ハイイロさんに叫んだ。

「でも僕は分からないんだ! どうして自分を傷つけちゃいけないのか、どうして自分を大切にしなきゃいけないのか!」

 ほぼやけくそ気味で、僕は訊く。ハイイロさんが、何でも知っている存在であるかのように。

 そしてハイイロさんは、はあーっとため息をついて、言った。

「あんたさ、亜黒のやって来たことを知ってでも、おんなじことが言えたんだ。ほんと、キミは考えが足りてないよ」

「……」

「普通に考えてみろよ。逆の立場で考えてみろよ? キミは、誰かに傷つけられたとする。その誰かが、自分の罪を認識する。キミはその誰かの反省を聴く。キミはその誰かを許す。その後に、その誰かは自分が許せないと言って自分の腕を切る」

「やめてっ‼」

 僕はこの部屋に反響するほどに高い叫び声を上げる。

 ベッドから出て、ハイイロさんの肩を掴もうとする。ハイイロさんの口を閉ざそうとする。ハイイロさんの容赦のない言葉に、僕は耐えられない。

 しかし、伸ばした手は空気を掴み、僕はしゃがみ込んでしまう。ハイイロさんはそこから消えた。

 そう分かると同時に、僕は首根っこを掴まれた。

「うわっ⁉」

 体が浮く感覚を味わうと同時に、僕の首は勉強机に打ち付けられる。

「うっ⁉」

 全身に響くような衝撃を感じた後、僕はベッドの上に立って僕を見下すハイイロさんを目に捉えた。

 体に力が入らず、僕は勉強机に背中を預ける。

 ハイイロさんは言う。とても、冷たい表情で。

「要するにさ、キミは自己嫌悪の感情が強すぎるんだ。周りがどれだけキミを擁護しようと関係ない。自分が自分を、とにかく許せないから。そして自分を傷つけていくんだ。傍から見たら、そんな光景痛々しくて見てられないはずだ。キミも亜黒を見てそう思っただろう? だからさ、キミのやっていることはどこまでも自分を大切にしない、自分勝手なことなんだ。そんなことしてもどうにもならないんだ」

 そして、ハイイロさんはふふっと不気味にほほ笑む。

「キミはキミ自身を許すためにこんなことをしているかもしれない。でもさ、元の世界の亜黒の死は、キミが嘘をつかなくても事故死と判別されたかもしれないんだ。意外と、元の世界でキミを許していないのは、キミ自身だけだったりするかもね」

「亜黒は、僕のやってしまったことを許してはくれないよ……」

「はあ。キミは一体、亜黒の何を知っているんだい?」

「ハイイロさんこそ……」

「ふふっ……」

 ハイイロさんは笑う。

「ボクは、キミより前から亜黒のことを知っているよ?」

「どうして……」

「あれ、亜黒の過去を知ったキミなら、ボクの正体くらい簡単に分かると思うんだけどな。最初にボクは言ったよね。ボクは、生まれてくるはずだった存在だって」

「え、ハイイロさんって……」

 ハイイロさんの言葉と、亜黒の話した過去の内容が、やっと結びついた。

「まあ、そんなことキミには関係ないよ。さあ、これからはキミの自由にやりな。罰欲センサーに懲りたら、ちゃんと反省するんだね」

 そう言って、ハイイロさんは消えた。

 ありえないほどに、部屋が静かになった。

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