【ライトノベルとなろう系の差異について】

【ライトノベルとなろう系の差異について】


 ライトノベルとなろう系は別物である、というのが本稿の大前提だ。

 私自身の体験から言うが、なろう系をウェブ上で発表されたライトノベルだと思いこんでいると、その魅力・面白さはまったく理解できない。

 なぜ、この作品がランキング上位なのか、なぜ多くの読者に支持され書籍として刊行されたのか。戸惑うばかりである。

 もちろん、小説は言うまでもなく一義的にジャンル分けできるものではなく、両方の性質を合わせ持つ作品も少なくない。

 ウェブ発祥ながら、私の定義に照らし合わせればなろう系とは呼べず、ライトノベルの延長上にあると考えた方が妥当な作品も少なくない。

(以下、初稿ではウェブ発のライトノベルと分類可能と思われる作品を四作品ほど列挙しましたが、著者の方々にご迷惑がかかるか、クレームが飛んでくるのが怖いので削除しました)


 ではライトノベルとなろう系の差異はどこにあるのか。以下に列挙したい。


 ①なろう系ではセックス、殺人、飲酒などラノベが描くことを避けた事物がタブー視されていない


 ここで再び、杉井光先生の「『ライトノベルの定義』に対する最終回答」から、一部引用する。「ライトノベルはポルノなのか」という提題に対し、杉井光先生は以下の通り論述されている。


(前略)たしかにライトノベルは魅力的な異性を売りとするし、その魅力の大部分は(特に男性向けであれば)性的魅力である。ただしあくまでも「青春期に抱く魅力的な異性への憧れ」であることに留意しなければならない。性行為はあまりに生々しく、また汚濁のイメージを伴い、少年の憧れを醒めさせてしまう危険性が高い。より直截的な表現をするなら、読者はどきどきしたいのであって射精したいわけではない、ということである。(後略)


 対して、なろう系作品では性行為は忌避されていない。セックスに至るまでの過程は作品により様々だが、ごく当然の帰結として性行為が描かれている。


 殺人、という行為についてもライトノベルはセンシティブだ。ライトノベルの主人公はめったに人を殺さない。殺人を犯す時もその罪の意識を背負いこんだり、あるいは育った環境から殺人にためらいのなかった主人公が徐々に人の心に目覚めていく、など”人を殺すことは悪いことだ”という観念が前提になければ成り立たない描写が多くの場合なされる。

 青春期に抱く憧れである主人公は、人を殺すのは避けるか葛藤を抱くのが当然なのだ。


 対して、やはりなろう系では主人公に敵対している相手、非道な行いをしている相手を、ためらいなく殺す。あっさりと。主人公も読者も、相手を殺したことなど次の章に至る頃には忘れているくらい人を殺すことを特別視しない。


 飲酒については、どのみち20歳になれば合法となる行為なのでライトノベルでもあまり神経質になってはいない印象だ。

 だがまあ、中・高校生年代の主人公が酒を飲むということは、異世界であってもあまり描かれない。やはり、飲酒も青春期に抱く漠然とした憧れの対象の一つだからだろう。

 対してなろう系。セックス、殺人にためらいがないのに、酒を飲む程度避けるわけがない。


 忌避されない、どころか上記の行為がなければ作品として成り立たない作品もなろう系には少なくない。

(以下、初稿ではラノベ的タブーを主題としたなろう系作品を列挙しましたが、著者の方々にご迷惑がかかるか、クレームが飛んでくるのが怖いので削除しました)

 なろう系は、ライトノベルができないことを平然とやってのけるのだ。


 ②なろう系の主人公は利己的・功利主義的である

 ライトノベルの主人公は、個性があまりなく”自称”どこにでもいる普通の中・高校生であることが多い。だが、大人になってから読み返してみるなら、彼らはどこにでもいる少年・青年ではない。

 ライトノベルの主人公たちのほとんどすべてが、利他的でヒロイン思いで、決めるべきところは必ず決めるヒーローたちだ。読者に嫌な思いをさせる主人公というのは非常に少ない。

(以下、初稿ではライトノベル作品のタイトルと主人公を列挙しましたが、略)


 魅力的なヒロインのみならず、主人公の姿もまた青春期に抱く憧れの体現者だからだ。


 ところが、なろう系の主人公はしばしば、利己的で自分勝手であるか、あるいはそのように自分で思いこんでいる。

 なろう系の多くの作品で、主人公は冒頭で物語の目標を定める。死亡フラグを回避する・追放されたかつての仲間に復讐する・本のない世界で本を作る・失敗したルートをやり直す・ハーレムを築くetc.

 そうと決めたら、あとはその目的のためだけに行動する。その利己的なふるまいが、結果的にその世界の住民たち、ヒロイン・パートナーたちの利益となり、いつの間にか賞賛され、ますます目的のために邁進する、というのがなろう系の典型的なパターンだ。

 ライトノベル育ちの私はこれらなろうの作品に初めて出会った時は、違和感どころか嫌悪感すら覚えた。いったい彼らのどこに共感できるのだろうか、と。


 ③なろう系に強大な敵は存在しない

 伝統的なライトノベルであれば、主人公の敵は自分達より強大な相手が設定されることが多い。

 バトルものに限った話ではない。ラブコメであっても意中のヒロインと結ばれるまでに幾多の困難が待ち受けている。およそどんなジャンルであっても、初めからうまくいくなんていうことはほとんどない。苦闘の末、仲間達と力を合わせ、心身ともに成長し、やっとの思いでエンディングへとたどり着く。

 そうした苦闘と自己実現の物語が何故好まれるのか、これは考察不要だろう。青年期の憧れに限らずとも、友情・努力・勝利の物語に喜びと快感を覚えることに疑問を抱く人は、ごく少数かと思う。

 ところがなろう系では、主人公は無双の強さを最初から手に入れている。やりたいことは意中のままに実現し、前世の知識から危険は回避され、ヒロインはすぐデレ、あるいは初めから相思相愛の状態で物語が始まり、奴隷はご主人様に忠実、障壁はとんとん拍子に取り除かれる。

 これではすぐに物語のネタが尽きてしまうのではないか、と危惧してしまうが、あの手この手で主人公は更なるレベルアップを果たし、また新たな無双を繰り広げ続ける。


 以上、細かな違いを指摘すればまだまだ相違点は挙げられそうだが、キリがないのでここまでにしておく。

 これほどまでに、なろう系とライトノベルは性質が異なる。場合によっては真逆と言っていいほどだ。

 ポップな文体、キャラクターの特徴、中世ファンタジー風の世界観など、目に見える分かりやすい事象にのみとらわれ、両者を混同すると本質を見誤る。

 近年では、ラノベもなろう寄りに、また逆になろう系作品でありながらラノベ的要素も含む作品が多く作られ、両者の融合が加速しているように体感しているが、ずっとライトノベルの世界に親しんでいた私にとっては、なろう系の存在は衝撃的だった。

 はっきり言ってしまえば、どこがおもしろいのかさっぱり分からず、戸惑うばかりで、ランキング上位作品を勉強するために仕方なく読む、というありさまだった。

 私がなろう系の面白さに気づけたのは、ライトノベルとは別物だ、とはっきり認識してからだ。ライトノベルとなろう系の差異を確認したところで、次項、なろう系の正体に迫りたいと思う。

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