第20話 思惑

徳川領 岡崎城



酒井忠次が、徳姫の下にやって来た…徳姫に嘘の報告をして信長への書状を書かせるためだ。


「築山殿が武田と内通してます」


「それはまことですか?」


「これにどうやら信康様も係わって家康様の暗殺を企んでいるようで…」


「…なんと恐ろしい事を」


「そこで、徳姫様から信長様に、この事実を伝えていただきたいのです」


「…徳川の、御家騒動を信長様に?」


「そうです…書状を書いて下さい、私が直接信長様にお渡し致します」


「…なぜ徳川家の事を、父上に?」


「家康様は徳姫様の事を心配しておられる、徳川家でこの謀叛を裁けば信康様は追放か冷遇される、それはまた徳姫様も冷遇される事になる… ですが、父上の信長様がこの件を裁けば徳姫様に悪いようにはしないはず、信長様に裁いてもらうのが最善だと…」


 徳姫は信長と話した事などなく、ただ側室の母親に貴女の父上だと言われ、信長様には絶対に逆らってはいけないと教えられていただけだ…自分の父親だと言う実感は無い…


 しかし、酒井忠次に父親の信長様が貴女の悪いようにはしないと言われ、子供の頃に抱いた父親に甘えたいと言う感情が沸き上がり、書状を書いたら心配して優しくしてくれるかもという淡い思いから、信長への書状を書く事を決めた。


「…分かりました、今から書状を書きます」






 思惑通り徳姫に謀反の書状を書かせた酒井忠次は、その書状を信長に渡しに行く事を家康に伝えてから信長の居る安土城に向かった。





織田家領土 安土城



小姓 森蘭丸

「信長様、徳姫様の使いで徳川家の酒井忠次様が来られました」


「徳姫?」


信長には実子は居ない…徳姫も形式だけの長女で興味が無く、とうぜん名前すらまともに覚えて無い。


「徳川家の嫡男に輿入れした織田家の長女です」


「そう…まぁいいわ、行きましょう」


 酒井忠次が徳姫の書状を持って待つ部屋に信長がやって来た


深々と頭を下げる酒井忠次…


「お久しぶりでございます」


「それが徳姫の書状?」


「どうぞ、お読み下さい」


 信長は書状を時々笑いながら読んでいた…

 一通り書状の下見をしていた酒井忠次は、信長が書状の何処が可笑しくて笑うのか分からず困惑した…


書状の内容は築山殿が武田と通じてる事、婿の信康が元今川の家臣だった者の娘を側室にした事、家康に謀叛を起こそうとしてる事などの信長に対する裏切りの報告だが… 信長はこれを、徳姫の婿と姑が、自分の廻りに嫌な奴を置いてムカつくと言う愚痴を書いてると受け止めていた。


「結構辛いのかしら?」


 信長の、辛いのか?と言う質問に戸惑う酒井… 武田と信康が通じていた事に信長が激昂し、書状の真意を問いただされると思っていた酒井は上手く返答が出来ない…


「えっ…? あっ…そっそれは、徳姫様からしたら敵の武田に見張られてる様でもありますし辛い思いをしております」


「そう…嫌なら何時でも織田に戻って良いわよって言っといて」


「はっ…はい? しかし、他に何かありませんか…?」


「どう言う事…? 武田の事なら家康が自分で片付けるでしょ」


 酒井は、信長の何か問題でもあるの?と言う態度が理解出来ず何をどう説明するべきか戸惑い、会話が噛み合わない。


「…お怒りはごもっともですが、何かあれば信長様のおっしゃる通りに致しますので…」


「はぁ…? だからぁ、織田に戻りたければいつでも迎えを出すって言っといて」


「…しっしかし、婿の信康様が武田と通じた事に対しては、とがめ無いのですか…? 同盟の徳川に謀叛を起こす者は信長様にとっても敵のはず…」


「何それ…援軍でも必要なの?そんなの直ぐに殺せるでしょ」


… やった!殺せると言った、この言葉を書面に書かせれば条件は揃う …


「もちろんです、分かりました!ですが、その御言葉を、謀叛人を殺せと書状にお書き願えないでしょうか、是非ともお願いいたします!」


「なんか… 貴方イライラする」


 必死な酒井忠次を気の毒に思った森蘭丸が助け船を出す。


「姉様イライラは美容に悪いですよ、家康様の家臣の頼みだから家康様の頼み見たいなものでしょ、さっさと書いて帰ってもらいましょう。 今、書道具を持ってきます」


 もしこの助け船が無ければ信長の癇癪で酒井忠次はどんな目に会わされた事か… 酒井忠次は、信長が書き終えるまで頭を下げ続けていた。


「ほら、持って行きなさい」


「あっありがとうございます!!」


 満面の笑みを浮かべてお礼を言う酒井が、ツボにはまり笑いだす蘭丸、それを見て、酒井も何故か笑い出した。


笑う二人に再び苛立つ信長…


「お前…死にたく無ければ早く帰れ‼」


 一瞬にして青ざめた酒井忠次、その顔が更にツボって蘭丸の笑いは止まらない。 酒井は謝りながら部屋を出て、足早に安土城を後にした。


苛立ちが収まらない信長が蘭丸に当たる。


「あれが、そんなに面白いか?」


「すみません、なんか良い年をした家老が青くなったり赤くなったり笑っちゃいけないと思ったら余計に可笑しくなって」


「あんな馬鹿が家老とは家康も可愛そうに」


「でも酒井忠次は、徳川の家老で柴田勝家様を敗走させた事もある名将です」


「勝家を、そうは見えないけど…」


「たぶん、姉様をよく知らないので緊張しすぎたのでしょう」


「緊張?う~ん… なのに最後は大喜び、あの書状、そんなに大事なのかしら?」






浜松城


 信長直筆の書状を持って急いで家康の下にやって来た酒井忠次は、その内容に驚愕する事になる。



「どうぞ、信長様の書状です」


「どれ………?」


 家康は書状を見て何故か笑い出した。


「忠次、何か信長様に粗相でもしたのか?」


家康が書状を酒井に投げた、慌てて書状を読み驚く酒井忠次…


“酒井 なんか ムカつく”


「なっなんだ…これは……

私は、謀叛人を殺せと書くよう、お願いしたのに…」


「ハッハッハ、あの人らしいと言えばらしいか… こうなったら仕方ない、書状は無いが徳姫が信長様に〝信康は謀叛の意思あり〟と書状を出したのは間違いない、忠次は信長様から直に謀叛人は殺すように言われた…」


「間違いありません」


「もう時間がない、この事実で事を成そう…… やつらが決起する前に、信康を信長様の命で二俣城に幽閉しろ」




 信康を信長の命令として幽閉した後、家康は謀叛に関わっていた者の粛清を始める。


 築山殿を移送中家臣に殺害させその後、幽閉している信康も容赦なく殺して、謀叛に関わっていた家臣20人以上に懲罰を課し御家騒動を闇に葬った…

 勿論表向きは信長の命令で、家康は御家存続の為に泣く泣く嫡男を死なせると言う悲劇のヒロインになる。









     【思惑】



天正九年 初春


 信長は安土で行われた左義長の祭で、舶来の衣裳を着て妖艶な舞いを披露…見学に来ている領民達を魅了した。

 この噂が朝廷に伝わり京都御所で再現するようにと要請が来た。


明智光秀

「朝廷より、先日の左義長を京都御所で御覧になりたいとの要請が来てますが、どうやら信長様の舞いが見たいようで…」


信長

「舞いが見たい?御所に来いだと…」


あからさまに怒りで顔を歪める信長…


「光秀、織田軍総動員で馬揃えの準備をしろ!」


… 朝廷のぼんくら共が、まだ分からないようね… 決めるのは、お前達じゃなく私だと言う事が …




 戦国時代の日本は世界でもトップレベルの軍事力を持っていた、その頂点に君臨するのが織田軍である、信長はその巨大な力を馬揃えと言う当時の軍事パレードで、朝廷に思い知らせようとした。


 朝廷は信長の思惑通り、この大規模な軍事パレードには度肝を抜かれ改めて信長の軍事力を恐れた。

 正親町天皇も、信長が京都御所に来たら朝廷の威光で信長に譲位の費用を要求するつもりだったが、左義長の舞どころかそれすらも叶わずに譲位は延期を余儀なくされた。



最近の明智光秀は織田家の重要なポストに付き信長の後継者さながらの立場にいた… 一度は秀吉と組んで信長暗殺を模索していたが、今は秀吉と距離を置いている。



 光秀が後継者さながらの今の状況に満足してしまえば、魔物退治と称し信長暗殺を目論む秀吉は織田家の敵となる…


 光秀が魔物退治の事を信長に密告する事を恐れた秀吉は、信長が後継者を身内から出すと公言すれば、信長の後継者を意識してる光秀は、また信長暗殺に乗り気になるはずだと考え、公言させる方法を画策する。



… 直接、俺が信長様に進言して操ろうとするのは危険だ、見透かされる可能性がある… 俺とは距離のある者に言わせるか …




 信長を魔物と言い恐れている秀吉は、偽りの噂話を信長の小姓や馬廻りの耳に入れ、信長に後継者を公言する事の重要性を進言するように仕向けた。



森蘭丸

「姉様、そろそろ形式だけでも嫡男が跡継ぎだと世間に公言した方が良いかと…」


「後継ぎ?それは、私が死んでからの事でしょ… 興味ない、そんな事より…いま日本は私の国だが、私が死ねば貴方達家臣は敵味方に別れてまた殺し合うわよ、生き残る自信はあるの…」


「勘弁して下さい。そうならない為に、後継者を嫡男の信忠様と公言して欲しいのです」


「貴方がそんなこと言うなんて、めずらしいわね…」


織田家の問題に口を出す蘭丸を訝しげに見る信長…細かい事でも気にかける信長の猜疑心、秀吉の恐れている能力のひとつだ。


「妙な噂を耳にしました… 姉様が嫡男の信忠様を遠ざけたり後継者の事を口にしないのは、身内や家臣を信用して無いからだと」


「…なるほど、でも…私は勿論そんなの信用して無いから、その噂あってる」


予想外の返答に言葉を詰まらせる蘭丸…


「えっ…あっいや、ですが…それだと織田家の内情に不安があると思われます…内部から攻略しようとする輩が現れる事になりかねません、面倒な事に巻き込まれますよ、良いのですか…」


「誰かが謀叛を起こすと… それはそれで面白い、誰が私に逆らえるか、興味があるわフフッ」


信長の好戦的な目に怯む蘭丸。


「…そんな事は起きないと思いますが、万が一に備えるべきです」


「誰が来ようが貴方が私を守るのよ」


「とうぜん何があっても姉様を守ります、ですが… 私が死んでしまったら、もう守れません」


「蘭丸が死ぬ… それは困るわぁ」


「私も死にたくありません、ですから…形だけでも嫡男の信忠様が後継ぎだと公言すれば、少なくとも謀叛で私が死ぬ事はありません」


「分かったわ…」



 信長が後継者を公言する場を内外の人が集まる戦勝会の時にしようと決めると、タイミングよく上杉の重臣が急死した… それを、切っ掛けに織田軍は甲州征伐を開始した… そして、これに合わせ徳川家康も駿河に侵攻する。



徳川軍 本陣


酒井忠次

「駿河の田中城城主を成瀬正一が落としました」


徳川家康

「そうか、駿河の制圧も時間の問題だな」


「次は、駿河江尻領主の穴山信君を包囲します」


「調略出来そうか?」


 家康は、信長との話し合いで制圧した駿河領土は自分が貰う事になっているため、戦闘をして城や土地を荒らしたくなかったので、調略に力を入れていた。


「穴山信君は、条件次第で落ちるはず、すでに武田を見限ってますから」


「わかった、穴山は任せる」



 予想通り、穴山はあっさり徳川に寝返り家康の与力として働く事になる。 家康は織田の軍事力を傘に簡単に領土を増やした。


 甲州征伐は上杉の重臣河田長親の急死の隙をつく作戦が功を奏し織田軍があっさりと制圧した。戦勝会では予想通り内外の人が多く集まり、信長は嫡男信忠を後継ぎと世間に公表した。




 信長が、嫡男信忠を後継ぎと世間に公表したことで、織田家のナンバー2的立ち位地の明智光秀は後継者公表に不安を抱く…


 実子の居ない信長が、信忠に跡目を譲る理由が解らない光秀は、信忠の本当の父である誰かが信長を動かしたのかと考える。


 信長の側室は誰かしら重臣達の息が掛かっている…光秀は信忠の父親が誰かを近臣達に捜索させた。



明智家重臣 明智秀満

「驚いた事に、信忠の母親の久庵慶珠は濃姫の元侍女で美濃衆斉藤家の者です」


明智光秀

「濃姫の侍女…」


「子供の居ない濃姫は慶珠が妊娠してるのを知ると、信長様の側室にして信忠様が産まれると養子にした…」


「それで、肝心の父親は誰なんだ」


「それが、美濃衆斉藤家の者らしいと言う事だけしか分かりませんでした…ですが身元が分からないのは身分が低くい証拠です…信長様をどうこう出来ると言う者では無いと思います」


「逆も考えられるな…身分が高いから極めて隠密になってる…」


「可能性はありますね」


「…だが、何にしても濃姫が後ろ楯なのは確かだ」


「マムシの道三の血を引く濃姫です、信長様亡き後、斉藤家の復活を目論んでいるのでは…」


「その可能性は高い…しかし濃姫とは厄介だな」


「血の繋がりが無い、デタラメな話ですが、公式に嫡男で濃姫の後押しもある… 後継者として立派に成り立ちます」



… このまま行けば、織田家を継承出来ると思っていたが、そうも行かなくなってきたな…やはり秀吉と組むしか無いのか …





 秀吉の狙い通り光秀は改めて魔物退治に尽力する事になる…

 天下人になれると言う思いから光秀の欲は膨れ上がり人格にすら影響を及ぼすようになっていた。










濃姫Wikipedia

徳川信康Wikipedia

信長公記参照

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る