特権 後編

 家が嫌いだ。

 この木造で立派な檻の中に住むのが嫌になる。餌は毎日、同じ時間に三食与えられ、ふかふかのベッドに様々な着せ替え衣装が用意されている。

 ニコニコと小鳥の機嫌を見ながら、話してくる母親鳥の態度が気に入らない。父親の方にも腹が立つ。ピアノのコンクールや小学生の水泳大会で一位を獲っても、目線の先は新聞かパソコンの画面で、こちらを見ようとしない。そうか、の一言で終わる。


 高校に入ってから、私は充実した毎日を送れるようになった。小さい頃からスポーツをしていたおかげで、初経験のバレーボールで一年の時からスタメンに入っている。


「取った、カバー!」


「眞樹、行くよ!」


「はいっ!」


 ネットより少し高いジャンプで、自身の最高打点に置かれたボールを相手側にたたき落とす。ブロックの壁の横を通り抜け、コート内でボールはバウンドした。ホイッスルと共に自チームに点が入る。部内で行う練習試合の最終点をもぎ獲った。


「ナイス! さすが眞樹だね」


 白綺にボールを上げた先輩が、ハイタッチを要求しつつ駆け寄った。それに白綺は答える。


「いえ、先輩が打ちやすいボールを渡してくれたおかげですよ。私だけの力ではありません」


「もう、謙遜しなくていいんだから。でも、バレーボールはみんなで繋いで戦うスポーツ、眞樹が言う事もあながち間違いじゃないかもね」


 そう言うのは、白綺のいるバレーボール部の先輩でいて部のエースである。スパイカーとして実力を発揮している白綺は、少し彼女に負い目を感じている。


「私、まだまだ南條先輩には及びません。もっとスパイク打って、南條先輩のように点を獲れるエースになりたいです」


 南條は、彼女の尊敬の眼差しに照れくさそうに後ろ髪を撫でる。


「そんな事ないよ。眞樹ちゃんは、もう十分エースだよ。一年の時から才能を発揮して、ここまで凄いスパイカーになってるんだから」


 白綺の事を心の底から褒める南條なのだが、白綺より得点数が少なく、自分との差に悔しさを覚え、誰もいない体育館で涙を流していたのを、白綺は偶然にも目の当たりにした。

 それがずっと脳裏に残り、彼女の笑顔もどこか悲しそうに見える。


 バレーボールが好きだ。

 チームで試合に出て、一体となって戦うから孤独を感じる事は無い。空中で行われるブロックとアタックの対立は、まるで鳥達の戯れ。互いに自由に羽ばたき、己の実力を見せつける。

 もちろん、他の役割を担う人も大事だ。縁の下の力持ちと言うべきか、ボールを拾い仲間に繋ぐ。コート内全員の連携が大事なスポーツ。

 先輩や後輩ばかりだから気を遣うことはおおいのだけど、白綺はここに居場所があると安心している。


「お疲れ様、眞樹は今日もこの後空いてる?」


 南條は、ふかふかのタオルで短い髪から垂れる汗を拭いながら、白綺に声をかける。背も高く、ほっそりとした体型に流れる汗は、白綺にはとても美しく見える。水の滴るいい女とはこの事を言うのだろう。


「はい、大丈夫です。凪湖先輩」


「ありがとう、それじゃあまた後で」


 南條凪湖なんじょうなこ、バレーボール部部長兼エース、周りをよく見て行動し、声をかけて仲間を奮起させる。優しくもあり厳しくもあるその性格で、皆から信頼を集めている。


 白綺と南條は、放課後によく遊ぶ仲だ。ゲームセンターに行ったり、夕飯を食べに行ったり、休みの日には一緒に買い物に行くほど仲が良い。


「凪湖先輩、今日も・・・・・・なのですか?」


「うん、今日も」


「そうですか、じゃあ今日も思いっきり遊びましょ」


「ありがとう、眞樹」


 悲しそうに笑顔を作る南條の手を、白綺は優しく握る。二人の時間は、南條のある一言から始まった。


 帰りたくない。​───────


 これがどういう意味なのか、二人の時間が増えていく毎に理解していく。

 ある日、南條と土手の芝の上に腰をかけていると、自然とため息を吐くように、彼女がこの時間の理由を教えてくれた。


 原因は父親だった。

 南條が中学の頃、母親が突然、姿を消した。友達と遊びに行ってくると言い残し、そのまま出ていってしまい、それから音沙汰もなく近所で姿を見ることもなかった。

 いつか帰ってくるだろうと期待して毎日待ち続けた南條だが、父親は既にしびれを切らして酒に溺れていた。

 仕事は行くが、帰ってきたら酒を飲む。暴力や暴言は一切ないが、無視されることが多くなったという。今では女遊びが増え、娘がいる事を忘れて会社の女性を連れ込んでは、夜通しピーピーと鳴いているそうだ。


「いい加減にしてよ! お父さん!」


 南條もしびれを切らして父親に口を出したが、鬼の形相で睨みつけられ。


 あいつに似ているお前も裏切り者だ。


 そう言われ、南條は諦めたという。家族がまた一つになれる希望を。

 以来、南條はよく放課後は夜まで遊び、出来る限り家にいる時間を少なくしているのだそうだ。父親もそれを望んで、多めに小遣いをくれる為、お金には困らず飲食店でバイトもしていて、家から出て行く為の準備も進めているらしい。


 理由はともあれ、彼女と同じく家に居たくない白綺は安心した。いつかこの時間が無くなってしまうのではないか。そんな不安が、時間が増える毎に膨らんでいたからだ。風船の空気が緩やかに無くなっていくようだった。

 上がっていた肩が自然と下がり、次の瞬間には南條を抱き締めて「これからも遊びましょ」と口を開いていた。


 今日は、以前から気になっていたスポーツ店に買い物へ行く。白綺が長いこと履いていたシューズがボロボロで、新しいシューズを見に行くためだ。

 南條の事が好き。でも、それ以上は無い。友達として同じ部活仲間として、これからも仲良くしていく。

 恋愛もこのくらい上手くいけば、なんて考えたりもする。黒原や笹岼が仲良く黛澄と話している所を見ると、やきもちを焼く。


 ただ、今は部活を優先したい、この時間を失いたくない。その想いが、今の彼女を動かしている。

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