薄っぺらな嘘

きょうじゅ

許されざる者

 その男、ドンは画家で、そしてゴブリンと呼ばれる種族の出身だった。彼が生きた時代、ゴブリンという種族は忌まれ憎まれるだけの存在であり、特にエルフによって占有されていた画壇という場においては、評価の対象となるどころか、そもそも論評されること自体があり得ないという扱いだった。


 ドンはゴブリンとしては長寿であると言うに足る三十年の歳月をひとり洞穴に暮らし、その生涯のほぼすべてを費やして、ただ孤独に絵を描き続けた。その作品総数、現在までの研究で明らかにされた限り、恐らくは三十七点。こんにち、仮にドンの作品の真作がオークションにかかったとして、金貨一万枚以下で取引されることはあり得ない。彼の作品がオークションにかかるということ自体が稀であるが、最も新しい公的な記録によれば、かつて最大の高値で落札された彼の作品は『天使の自動筆記』と題された最晩年の作品であり、その絵はとある非公開の個人コレクターによって、美術品オークション史上で歴代第二位となる、金貨二十万五千枚の価格で落札されたと言われている。


 さて、この事実は現代の美術史家の誰一人として知らないが、ドンは若い頃、たった一度だけ、付け髭をつけてドワーフに変装し、みやこへ行って自分の絵を売ったことがある。高慢なエルフの画商は、彼が持ってきた数枚の油絵をざっと眺めて、一枚の絵にのみ、俗な土産物屋に卸して売ることができるだろうというだけの価値を認めて、彼に対して銀貨一枚を支払った。これがドンの生涯においてたった一度の「絵が売れた」出来事なのであるが、残念ながら、神ならぬ美術史家たちがこの事実を知ることは、おそらく向こう百年あり得ないであろう。


 なお、ドンはすべての自作について、裏側に自分の名と、作品名を記す習性を持っていた。その絵に付けられた名は、『神の不在証明』と言った。


『神の不在証明』は、どういう運命の転変のためか、土産物屋に売り払われることはなかった。手違いでもあったのか何なのか、画商の所有する倉庫に放り込まれたまま忘れ去られ、そして二百年ほどのち、倉庫が火事に遭った。『神の不在証明』は焼失だけはかろうじて免れたが、煤で真っ黒に汚れてしまい、焼け跡から掘り返されたのち、ゴミとして捨てられた。


 とある乞食が、ゴミとして捨てられているその『神の不在証明』をゴミの山の中から発掘し、額縁の状態がよいことに気が付いた。そこで男はその額縁を、真っ黒になった絵はそのまま残した状態でノミの市に持っていき、銅貨五枚で売り払って、一本の酒を買った。『神の不在証明』の行方は、これで完全に辿ることが不可能になった。

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