第27話 告白

 配達用の四角いリュックサックを背負うとレンタル自転車にまたがった。スマートフォンが鳴ったのを確認すると画面に表示された飲食店に向かう、注文の品を手早く受け取り、リュックの中に詰め込むと再び背負った。


 スマートフォンに表示された目的地に向かって蒲田はひたすらペダルを漕いだ、マンションのエントランスに着くと部屋番号を入力してインターホンを鳴らす。


「ドアの前に置いておいてくださいー」

 殆どの注文客が置き配を要求してくる、なるべく人との接点を持ちたくない蒲田に取っては好都合なシステムだ、杏奈と二人で東京から逃げるように大阪までやってきたが莫大な貯蓄がある訳でもないので何かしら仕事をしなくてはならない。


 とはいえ命を狙われている身からすれば同じ場所に長時間留まっているような仕事は避けたかった。


 最初の一週間ほどは安いビジネスホテルに宿泊していたが、これから先の事を考えると何時までも割高のホテルに泊まり続ける事も出来ない。


 杏奈と二人で安アパートを探した、あまりこの辺の地理には詳しくなかったが大阪梅田駅よりほど近い都島駅で1K5万円の物件を即決した。二人で住むには手狭だが贅沢を言える身分でもない。


 朝から晩まで自転車を漕ぎ続けておよそ八千円の収入だ、ヘトヘトになって部屋に戻ると杏奈が夕ご飯を作って待っていてくれる、まるで新婚夫婦のようで気分が高揚した。


「お疲れさま」

 カレーをかき混ぜながら杏奈が振り向く、思えば最初に杏奈が作った料理はカレーだった、あまりの衝撃に生死の堺を彷徨ったが、今では少しづつ上達してまともな料理が出てくるようになった。


「ただいま」

 狭い玄関からフローリングの細い廊下が伸びている、左側にキッチン、右側には風呂とトイレに続く扉があった。そのまま真っ直ぐ進むと六畳の四角い部屋に続いている。


 小さなテレビとテーブルだけのシンプルな部屋だった、寝る時は布団を二つ並べて一緒に眠る、貧乏だが小さな幸せがそこにはあった。


「お腹すいたでしょ? すぐ準備するから待っててね」

 エプロンを着けた杏奈は甲斐甲斐しく料理を並べてくれた、蒲田はリモコンを手に取りテレビを付けたが夕方の報道番組では大したニュースはやっていなかった。


「いただきまーす」

 両手を合わせて合唱するとスプーンを手に取りカレーを口に運んだ、蒲田の好きなスパイシーなチキンカレーだ、半分ほど平らげた所でテレビ画面から緊張感のあるニュースが流れてきた。


『昨夜未明、池袋駅西口にある公園の公衆トイレから男性の遺体が発見されました、持ち物から男性は蒲田総一朗さん四十九歳と判明、調べによると直前に立ち寄ったスナックで呑んだ後にコチラの公園に立ち寄り、用を足している所を後ろから刺された模様で――』


「え、親父?」

 

 カレーを食べ進める手が止まっていた、テレビ画面に映る中年の男は紛れもなく自分の父親だったが殺されたとニュースになってもまるで現実感がなかった。

 

 親父が殺された――。

 

『事前に立ち寄ったスナック店主の話によると、蒲田さんが来店した際に連絡をくれたら十万円を支払いますと言う若い男性が数日前に訪れて来たと言うことです、警察はこの男が事件になんらかの関与があると見て捜査を続けています』


「蓮だわ」

 隣に座っている杏奈が呟きながら画面を食い入るように睨みつけている。 


 スプーンを持つ手が震えていた、数分前まで感じていた幸福感はあっという間に萎んでしまい、かわりに死の恐怖が蒲田の心を支配している。


 結局それ以上カレーに手を伸ばすことが出来なかった、震える蒲田を杏奈はそっと抱きしめてくれた。背中をポンポンと優しく叩かれると少しだけ気が紛れる。


「でもなんで敦くんのお父さんを」

 杏奈は向かいに座り直すと疑問を投げかけてきた。

「仲の良い家族なら全員皆殺しにしようと考えるだろうけど、もう何年も合ってないのよね?」


 もう杏奈に隠し事は出来ない、全てを話す覚悟を決めた、親友を殺したにも等しい自分に付いてきてくれた彼女なら受け止めてくれるかも知れない、例え拒絶されても仕方のない事だった。


「親父なんだ……」

「え?」

「一之瀬葵の母親を殺したのは俺の親父なんだ」 


 杏奈は目を見開いて驚いているが構わず続けた。

「事情は分からない、けど親父とその人は不倫関係だった」

 

 蒲田が高校生の時に親父が連れ込んだ多くの女性の中にその人はいた、あまりにも美人だったので記憶に残っていたのだ。ある日、蒲田が学校から帰ると家の中でその女性が死んでいた。


 親父の姿はなかったが警察にすぐ通報した、他の女の所に身を隠していたが程なくして逮捕、殺人の容疑で起訴された。


 いなくて困るような父親ではなかったが頼れる親族もいなかった蒲田は一人で生きていくことを余儀なくされる、未成年後見人や施設入所などの選択肢もあるが、蒲田はその先で自分がどの様な扱いを受けるか容易に想像できた。


 殺人犯の息子――。


 これから永遠について回る形容詞は自身の目標だった普通の生活を送る事を困難にした、地元ではあっという間に噂が広がり学校の裏掲示板では蒲田のスレッドが立ち上がり教師は勿論、全校生徒から畏怖の眼差しを向けられるようになった。


 登校する意味を失った高校を早々に退学すると日雇いのアルバイトで生計を立てるようになり、伊東陽一郎と出会った。

 

「ごめん、どういう事かわからない」

 杏奈は乾いたカレーをほとんど残したままだ、蒲田に向けられた眼差しは高校の同級生のそれと変わらないように見えた。


「何で殺したのかはわからないんだ」

 親父は犯行を認めずに正当防衛を主張していた、結局裁判所は痴情のもつれと判断し懲役一三年を言い渡した。


「敦が葵を……。 偶然じゃなかったの?」  

 もう駄目かもしれない、また自分は一人になるのだろうか。


「ああ」

 あの日、伊東陽一郎とファミレスで食事をしていると隣のボックス席に制服を着た女子高生が座った。こんな遅い時間に珍しいなと顔を見ると一瞬で体が硬直した。


 美しい顔をした女子高生は三年前に親父が殺した女にそっくりだった、そして自分がこんな人生を歩む原因を作った女の娘が、楽しそうに談笑している姿をみて怒りがこみ上げてきた。


 彼女も被害者だろう、しかし殺された側の遺族は世間から同情され母親を失った悲しみさえ乗り越える事が出来れば何不自由無い未来が待っている。


 俺は違う、永遠に『殺人犯の息子』というレッテルを貼られて削除される事がないネット情報でどこへ行っても、何年経っても迫害されづつける。

 

 俺は何もしていないのに――。 


 この女を強姦する事に何の躊躇もなかった、何かしら犯罪を犯していないと自分が置かれている状況とつり合いが取れない、強姦した後にもしかして人違いかも知れないと思い、生徒手帳を確認するとやはり一之瀬と言う名字だった。


 それから一ヶ月程してから女の学校を一人で訪れた、待ち伏せしてもう一度ヤラせてもらう算段だったがいつまで経っても校門から女は出てこない、痺れを切らしてちょうど出てきた女子高生に一之瀬葵を呼んで欲しいと頼んだ。


「えっ? 葵さんは先日亡くなりましたけど」

 気味が悪い生き物を見るように、女子生徒はそれだけ言うと立ち去って行った。

 

 

「そんな……」

 スプーンを持ったままの杏奈の手は震えていてカチャカチャと音を立てている。


「俺は殺されて当然の人間なんだよ」


 親が犯罪者だろうがまっとうに生きている人間は沢山いる、己の弱さを他人の責任にして八つ当たりした挙げ句に自殺に追い込んだのだ、結果無関係の人間まで巻き込んで不幸のどん底に落とした。


 杏奈にしたって自分の親友を強姦して、死に追いやった人間と一緒になっても不幸になるだけだが彼女と離れることは蒲田にとって命を奪われるのと同義だった。


 それ程に彼女を深く愛していた、蒲田が生まれて初めて愛した女性、いや人間だった。それでも蒲田は決断しなくてはならない、彼女にだけは不幸になって欲しくない。


「別れよう」

 蒲田が言うと、杏奈は奥歯を噛み締めながらコチラを見つめている、その目には涙が溜まっていて今にも零れ落ちそうだった。


「一緒にいたら杏奈まで危険に晒される」

 伊東陽一郎の事件を思い出す、奥さんだけでなく幼い子供まで殺害されている、その殺害方法も凄惨な物だった。


 それだけ一之瀬一家の恨みは強いのだ、そしてそれだけの事を自分と伊東陽一郎はしてきた、自分の犯した罪の代償を払う時が来たのだと蒲田は考えていた。


 今ならわかる、本当に大切な人が出来た、今ならば。

 もし杏奈や、杏奈との間に出来た子供が同じ目に合えば自分も一之瀬と同じ行動を取るだろう、そしてその怒りの炎は生涯消えることはない。

 

「敦くんはもう充分、後悔も反省もしてきたよ、ずっと一緒にいた私が見てきたわ、もう許されてもいいじゃない」


「他人が許しても、俺を殺すまで彼の復讐は続く」


 その時に杏奈が蒲田と一緒にいれば必ず一之瀬は杏奈に手をかけるだろう、それだけは避けたかった。 


「大丈夫よ、日本の警察は優秀なんでしょ、敦くんのお父さんを殺したのが蓮ならすぐに捕まるよ、それまで身を隠してれば平気」


 それで良いのだろうか、伊東陽一郎は犯した罪の代償を支払った、自分だけが何も罰を受けずに逃げ回っている。


「お願い、別れるなんて言わないで」

 杏奈は蒲田に抱きつくと胸の中で泣いていた、ずっと一緒にいたい、この女性を幸せにしたい。


 ただそれだけなんだ――。 

 

 蒲田は自分がどうしたら良いのかわからずに杏奈を抱きしめながら、ただ虚空を見つめ続けていた。

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