第15話:海菜さんと月島先生

 翌日。彼女はいつものように小森たちと一緒に普通に登校していた。おはようと声をかけると、小森と坂本から挨拶が返ってきて、ワンテンポ遅れて小桜が「おはよう」と書いた紙を掲げて笑う。いつもの笑顔だった。自分もいつも通りに接しなきゃいけない。そう分かっていても、上手く笑い返せた自信はなかった。すると彼女は立ち止まり、小森たちにノートを預けて、俺に向かって思い切り変顔をする。


「ぷっ……」


 思わず笑うと、彼女はふふっと笑い声をあげた。驚くと、彼女はハッとして、困ったように笑ってノートに文字を書く。曰く、笑い声は出るが、意識して発声しようとすると出ないらしい。彼女が口をぱくぱくさせると、喉からすーすーと渇いた呼吸音が鳴る。


「そう……なのか……」


 こくりと頷き、彼女はこう続ける。「でも、声を出せるってことは、喉には問題ないってことだから。大丈夫。時間が解決してくれる」と。いつものように笑って。

 しかし、彼女の声は一ヵ月経っても戻らなかった。その頃から、誰かが言い始めた。『本当は喋れるんじゃないか』と。そう言いたくなる気持ちは正直分かる。だって、声は出るのだから。だけどそれはきっと、彼女が一番思っていることだろう。声は出るのに何でって。それでも彼女は笑っていた。声を失う前と変わらない笑顔で。




 ある日、彼女が過呼吸を起こした。教室はちょっとした騒ぎになったが、その時間の授業を担当していた担任の佐藤先生は珍しく冷静だった。いつもは失敗ばかりしておどおどしているのに。坂本が彼女を保健室に連れて行き、授業が再開する。誰かが「優子ちゃん珍しく冷静じゃん」と小馬鹿にするように言うと、佐藤先生は「珍しくって失礼だな」と複雑そうに笑った。

 休み時間に保健室に様子を見にいくと『ちょっとパニックになっちゃっただけ』と彼女はベッドの上で笑った。いつものように。

 ちなみに後から聞いた話だが、佐藤先生がこの時珍しく冷静だったのは、自分も昔似たような経験したかららしい。だからそういう時の対処法は分かっているのだと、苦笑いしながら語ってくれた。


「……あんた、無理して笑ってるでしょ。私達に心配かけたくないからって。今は私達より、自分のことを気遣ってやりなよ。私達は大丈夫だから」


 坂本が言うと、彼女の顔から笑顔が消えた。そしてぽろぽろと涙をこぼし始める。


「ほら、やっぱ無理してる」


 そう言って坂本は彼女を抱きしめる。何も言わずに嗚咽を漏らす小桜。彼女が泣いた姿を見たのは久しぶりだった。小森の方を見ると、彼女の方に伸ばしかけた手を引っ込めて、俯いていた。かける言葉が見当たらない。小桜にも、それから小森にも。今は坂本に任せてそっとしておいた方がいいと判断して、小森を連れて保健室を出ようとすると、保健室のドアが開いた。


「うぃーっす」


 重苦しい空気を取っ払うような軽薄な雰囲気で入ってきたのは月島先生だった。


「うわっ、なにここ。空気重っ」


 そう言いながら彼女は保健室の窓を少し開けて換気し始める。


「げっ。雪降ってるじゃん……」


 窓を覗きながら月島先生が呟く。その呟きを聞いた小森が「積もりそうですか?」と目を輝かせる。「ガキかよ」と坂本。その腕の中でくすくすと笑う小桜。温かい空気と入れ替わりで冷たい風が入ってきて、少し部屋の温度が下がる。だけどその代わりに、重苦しかった空気も少しずつ外に流れていく。やはり月島先生は不思議な人だ。その不思議な雰囲気は誰かに似ている気がする。そうだ。海菜さんだ。確か幼馴染だと言っていた。


「……幼馴染って似てくるもんなのかな」


 呟きを拾った坂本が「私ら?」と首を傾げる。


「いや、違う。月島先生と海菜さん。なんか雰囲気似てない?」


「あ? 私がうみちゃんに? 似てねえだろ」


 あからさまに嫌そうな顔をする月島先生。「嫌いなんですか?」と坂本が問うと「あれと似てるって言われるのは心外」と苦笑いしながら答える。心外というのは、思い通りではなく不本意なことという意味らしい。すると小桜が何かを書き始めた。書き終えて掲げたノートには「人たらしなところとかそっくりですよ」と書かれていた。「似てねえっつーの」と、月島先生はファイルで小桜の頭を小突く。


「つか、お前の方が似てるわ。あいつに。そういう憎たらしいところとかほんとそっくり」


 そう言って小桜の頬をつねる月島先生の声は、言動に反して優しくて、小桜もどこか嬉しそうに笑っていた。それは紛れもなく、自然な笑顔だった。それを見た小森は「確かに似てるかもね」と複雑そうに呟いた。

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