第9話 帰郷


 真夜中の空を飛ぶドラゴンの背中から降下した俺は、人差し指にはめた指輪型の魔法具に込められた簡易飛行魔法でふわりと着地した。



「ふぅ。毎度毎度、この瞬間は焦るな」



 今日もぺしゃんこにならなかったことに安堵しながら、役目を終えて砕け散ったリングを草むらに捨てて歩き出す。


 人族の津田つだ 高峯たかみねはすでに死んでいて家がない。

 こっちに戻った時の拠点がないというのは実に難儀だ。例えば、購入した大量の食料品をどこに保管しておくのかとか。



「じゃ、多種族同盟軍のジジイ共を起しに行くか」



 一本角(プラスチック製)のカチューシャを取り、コートのポケットに仕舞ってフードを目深に被る。

 これで向こう側から俺の顔は見えないはずだ。


 俺も足元しか見えないけど。


 その辺は魔力探知で空間の把握をすればいいだけの話だ。

 これもクシャ爺に教えて貰った技術で習得には苦戦した。


 今更だけど、クシャ爺ってなんであんなに俺によくしてくれるんだ?

 

 俺が鬼人族だからか?

 でも、ダークドラゴン族と鬼人族の間には規約があるとかなんとか聞いたし、そこまで仲が良いわけでもなさそうだけど……。


 それに任務が終わったら俺は誰にも告げずに魔王国を去るつもりだ。

 そのとき、クシャ爺はどんな反応をするのだろう。


 俺が人族のスパイだとバレた上で、俺が流した情報を元に奇襲した多種族同盟軍に討伐されたりしたら……。

 クシャ爺はきっと俺を恨むだろうな。


 初めて会ったときに見た寒々とした獰猛な瞳を思い出して全身が震え上がる。


 おぉ、こわっ!

 今は忘れよう。


 頭を振って、多種族同盟軍本部ビル裏口の扉に施された魔法を解除する。



「我、魔物を謀る者なり」



 俺専用の解錠文をつぶやき、自動で開いた扉の向こう側にある螺旋階段をひたすら上る。

 本来であれば正面玄関から入って魔法エレベーターを使うのだが、俺はそれを禁じられているのだ。


 人目につくことは許されず、ジジイたち以外の人間との会話も控えるように言われている。



「長いって。毎回、この階段の上り下りだけで疲労困憊だっての」



 愚痴をこぼしているが、不思議なことにそこまでの疲労感はなかった。


 おかしいな。


 半年ほど前に来ているが、その時よりも楽だ。

 大袈裟かもしれないけど足が羽根のようだ。


 テグスン国の中で一番高い高層ビルの最上階。

 扉を開けると案の定、ハゲジジイ三人衆が待ち受けている……はずだった。



「だ――」



 面食らった俺は、とっさに引き攣りそうになる表情筋を抑え込み、口をつぐむ。

 危うく、「誰だ?」と問うところだった。


 魔力が渦巻いているのを感じる。

 明言はできないが、サキュバス族が得意とする魅了魔法と同じ感覚だ。


 俺を――というかこの部屋に入った者を惑わす魔法が施されている。


 この2年間、俺はこんなにも強烈な魔法に気づかなかったのか!?



「こんばんは……いや、おはよう、が正しいかな」



 見た目は年老いているが、サラサラの長い白髪の男性。

 腰には剣を帯びている。


 まさか、ジジイの一人がこんなにフサフサだったとは驚きだ。



「どっちでもいいだろ。今回は大量だぞ」



 騙されていたことに気づいたとしても、気づいていない振りをしなければ!


 瞬間的にそう判断した俺は、何食わぬ顔で懐から取り出した羊皮紙を見せつけるように持ち上げた。



「なんとっ!?」



 獣耳の生えた老人が目を輝かせて立ち上がり、手を伸ばす。


 ハゲどころかフサフサを超えてモフモフ。

 灰色の毛並みで獣耳まで生えている。


 狼の獣人――獣と人のハイブリッド種族の善の心が強い方だ。

 ちなみに悪い方はマンティコア族みたいな集団で魔王軍に属している。


 俺はさっと羊皮紙を後ろに隠してフードの下から睨んだ。



「確認だが、本当に俺は元の世界へ帰してもらえるのだろうな」

「もちろん。女神様は貴公の働きをいつでも見ておられるぞ」

「俺、そういうオカルトちっくなの信じてないんすよ。女神様の実績を教えてもらおうか。情報交換だ」


 今回の俺は強気だ。

 なぜなら、俺の手には魔宮殿の地図がある。


 地上部分、地下部分と俺が行ける場所は全部巡って正確に書き写したものだ。


 これまで初代魔王を襲撃できた魔王宮の地図すらも入手できなかった多種族同盟軍。

 新造された魔宮殿の地図なんて喉から手が出るほど欲しいだろう。


 対面に座り、ふんぞり返った俺を苦虫を噛みつぶしたような顔で見下ろす連中の一人はまさかの女だった。


 エルフ族の女性だ。

 性別まで偽られていたとは……。呆れて言葉もない。

 こちらもハゲとは程遠い容姿で、腰まで伸びた金髪と尖った耳が特徴的だった。


「……分かりました」


 声まで美しいときたら、呆れを通り越して脱帽だ。


 重々しく承諾したエルフ族の女性が最年長なのだろう。

 その彼女が語り始めた。



「初代魔王の奇襲作戦に参加した勇者とその従者は、あなたと同じように元の世界への切符を条件に死地へ赴きました」



 なんだと……。

 初代魔王に一矢報いた勇者が俺と同じ転生者!?

 しかも、その仲間も転生者だって!?



「初代勇者は魔王との激戦の果てに死亡しましたが、女神様のお力によって元の世界へご帰還なさいました」

「何百年も前の話だ。それは証明できないはず」

「その通り、証明はできません。ですが、私はこの目で見ています」

「……勇者の従者というのはどうなった? そいつも元の世界に?」

「いいえ。彼女の魂はまだこの世界に。正しくは冥界に眠っているはずです。奇襲後、頭部だけが多種族同盟軍の元へ送り返されていますので」



 実際に見せましょうか、と女エルフ。

 何かの魔法にかけられた直後、俺の脳内には鮮明なイメージが浮かび上がった。



 弧を描いて飛んでくる槍。

 ガキィンと甲高い音をたてて槍が地面に突き刺さると同時に何かが転がり落ちた。


 多種族同盟軍の陣地に木霊する絶叫。


 若き日の女エルフの足元に転がってきたのは、初代勇者と一緒に奇襲作戦に参加した女騎士の頭部だった。



 背筋が凍るような、ゾッとするイメージが遠ざかっていく。

 時間差で訪れる猛烈な吐き気に、たまらず口元をおさえて前屈みになった。


 グロテスクなものを見せつけられたから、というよりも胃の不快感からの吐き気。

 俺の中でボーンちゃんが暴れ回っているのだ。



「こういうことを平気でするのが魔王軍なのです。だから、一刻も早く争いに決着をつけたい。二度と魔王が復活しないように。あるいは、魔王が私たちの領地に進軍してこないように」

「……そんな野郎共の中に俺を放り込んでよく言う」

「それでもあなたは2年も生き伸びている。これはとんでもない快挙なのですよ」


 全然、嬉しくないって。

 快挙祝いで早く撤退させてくれよ。


 うっぷ。

 ボーンちゃん、いい加減、その辺で勘弁してくれ。



「さぁ、こちらは情報を提供しました。その地図をこちらへ」



 女エルフのしなやかな手の上に羊皮紙を置いて立ち上がる。


 さっきの映像といい、この部屋に満ちる魅了魔法といい、ボーンちゃんといい、気持ち悪いことのオンパレードに嫌気が差す。



「最後にもう一つ、耳よりの情報を。その地図と一緒に活用して欲しい」



 白髪の剣士も狼の獣人もエルフも、食い入るように見ていた地図から視線を上げた。



「魔王が婿候補を探している。種族は問わないらしい。現在の四天王――幻魔四将げんまよんしょうに挑んでその力を示せば、人間の勇者だとしても婿候補になれるぞ。期間は2週間。その期間だけは魔王国の関所も、魔宮殿の門も開放され、門番は棒立ちする」



 一人が唾を飲み込み、一人がぽかんと呆然し、一人が訝しむように俺を睨む。



「……罠という可能性は?」

「そこまでは俺も。ただ、この2週間は魔王に取り入りたい魔物共で入り乱れるはず。少なからず、混乱するかと。あ、俺はもちろん不参加っすよ。殺されたくないし、死んだら情報を持ち帰れないので」

「どこでその話を?」



 俺は扉に手をかけて答える。



「魔宮殿。やっと魔王のお膝元まで来た」



 死に物狂いだったけど、と付け加えれば、彼らは我慢できないといった様子で声を押し殺しながら歓喜し、勇者リストを漁り始めた。



◇◆◇◆◇◆



 スパイとして送り込んだツダが退室した後、人族代表の剣聖、獣人族代表の拳聖、エルフ族代表の賢聖は勇者リストから目を離して息を吐いた。



「あんな口から出任せをよくもまぁ、すらすらと」

「嘘も方便ですよ」

「この世界に転生してきた唯一の人族で、強大な力を持つというのに」

「だからこそのスパイです。彼だけの固有スキル『適応ザ・アダプト』は、この使い方が一番だと思いますが? お膳立てしても勇者にはなれませんでしたからね」

「ダークエルフは狡猾な種族と聞くが、貴殿もそう遜色ないだろう」

「私の前でその名を口にしないでちょうだい。殺すわよ」

「……失礼。失言だった」

「先の話を二人は信じるか? 儂は勇者だけを送り込むのは危険と判断するがの」

「有志を募りましょう。罠の可能性も高いですからね」



 エルフの女は不敵に笑い、勇者リストに視線を戻した。

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