第2話 出世


 あれから2年、俺は見た目が人間に最も近いとされている鬼人族に成りすまして魔王国への潜入を継続中だ。



「ツダ様ーーーッ!!」

「ツダ様はどちらに!?」



 最初は国の隅っこでひっそりと諜報活動を行っていたのだが、あれよあれよと魔王城からほど近い王都的な場所に迎えられ、今では魔王国の運営に関わる重要な部署の配属となってしまった。


 で、今まさに俺は魔物どもに探されている。



「ツダ――」

「うるせえぇぇぇえぇぇぇぇぇ!!」

「でも、九尾族の族長が割り当てられた軍事費に不服を唱えていて」



 俺はいわゆる役人をさせられている。


 人族なのにね。

 魔王国の財政、軍政、その他諸々の事情を全部知っているの。

 おかしな話だろ?



「それは定例会議で決定したんだから黙らせろ。あと、俺は休憩中だ」

「あの……前線からの報告書が上がっていまして。援軍を、と」

「ゴブリン族が勝手に早馬を寄越しただけだろ。前線には獣人族も鬼人族もいるから放っておけ。って、だから俺は――」

「ダークエルフのメイドが一人、産休に入ったらしく。後宮から人材派遣の依頼が」

「その案件はダークエルフ族に投げろ。面倒事は御免だ。俺はきゅうけ――」

「ベヒーモスが発情期で産卵場所を用意しろという意見が殺到しています」

「ドラゴン族と交渉の場を設けると言っとけ」



 休憩室という名の薄汚い蜘蛛の巣の張った小部屋。

 窓に肘を置き、沈み行く太陽を見ながらコーヒーを堪能しているというのに来るわ来るわ、役人たちが。


 少しは自分たちで考えろ。

 俺は今の話を全部、多種族同盟軍に伝えるぞ。



「ツダ様、休憩時間は終わりです。その汚水を捨てて着席願います」



 ハードボイルドを決め込んでいる俺の手からひょいとコーヒー(カフェオレ)が奪われる。


 蛇の下半身を引きずりながら忌まわしげに――また人族の領地に入ったのですね、などとぶつぶつ小言を言いながらカップをゴミ箱に放り込んだ女性に巻き付かれ、俺はまたデスクに向かった。


 ちなみに、このラミア族の女性は顔は美人だが下半身が蛇で、発情しようにも理性が拒む容姿をしているから巻き付かれたところでちっとも嬉しくない。


 さて、質素な石造りの建物の中、殺風景な部屋の所々に真っ赤な薔薇の生けられた骸骨がいこつが置かれたオフィスが俺の職場だ。

 他にはびっしり資料が置かれた棚や、人里から盗んできた黒板っぽいものしかない。


 俺は理解に苦しむが、このおしゃれに着飾られた骸骨がいこつが今のトレンドらしい。


 どこぞの勇者か、騎士か、はたまた名も無き兵士か、その辺のむくろだろう。


 安らかに眠れよ。……こんなに騒がしかったら無理か。



「お前らなぁ。俺、今日が最終出勤日なんだけど。こんな調子で大丈夫かよ」



 魔王国の中でも比較的知性が高く、武闘派ではない連中が寄せ集めになっているのがこの局だ。


 だから種族は様々。フロアを見渡せば、小さい悪魔や、犬猫の顔をした化け物や、小鬼や、歩く骨がいる。


 俺のデスクはいわゆるお誕生日席で、一般企業では課長とか部長とかが座りそうなポジションだ。



「不安しかありませんよ」



 誰かがそう呟くと、口々に不満を爆発させた。


 それもそのはず。

 俺がここに配属されるまで魔王国内のまつりごとはいい加減だった。


 全ての確認書類が魔王の元に流れていくのだ。

 決済だろうが、報告書だろうが、嘆願書だろうが全てがだ。


 それを魔王一人がさばいていると聞いた時は目を丸くしたと同時に歓喜した。


 俺は由々しき問題だと大袈裟に提唱し、これまでのやり方を変えるために奔走した。


 理由は簡単だ。

 そうしなければ、俺の元に情報が入らないから。


 魔王国の片隅での情報収集には限界がある。

 何より情報の鮮度が悪い。


 嬉々として重大な情報をメモしても、ちょっと都心にいけば、「それ1週間前の話で今は真反対のことをしてるよ」と教えられた時は絶望したもんな。


 しかも人間の習慣というのは恐ろしいもので、「もうちょっと近くに行ってもバレないんじゃね?」という気持ちが次第に大きくなった。


 それから慎重に王都近辺で活動していた矢先、偶然にもスカウトされて役人もどきになった。



「弱音は言ってられん。明日からは俺たちだけで何とかするぞ! 今日はツダの壮行会だ。残業なしで行くぞ!」



 意気軒昂いきけんこうな一つ目の巨人――サイクロプスの激励でみんなの手の動きが早くなる。


 納期ギリギリの緊迫感と絶望感の中で仕事するのは慣れっこだ。

 でも、この光景も見納めだと思うと少し寂しい気持ちにもなってしまう。


 孤児院でも、多種族同盟軍で配属された部署でも、勇者ギルドでも、こんな風に誰かと一緒に遅い時間まで仕事をすることなんてなかった。



「……身辺整理しないとな」



 その日の夜(正確には夕方)は魔王国で一番大きな居酒屋を貸し切っての飲み会が開かれた。


 魔物の生態として、こいつらは人間と真逆の生活リズムである。

 昼間に寝て、夜から活動する、いわゆる夜行性。


 特に武闘派は昼間は寝ていることが多く、夜に進軍する。


 ただし、内政に関わっている文官たちは昼間に働き、仮眠を取って夜も働く。縁の下の力持ち。


 だが、力こそが全て! を信条としている魔王国の中では雑魚だの、役立たずだの、散々な言われようだ。


 それでも戦う術を持たなかったり、二度と武器を持てなくなった者たちの受け皿になっているのも事実だ。



「ツダ様が魔宮殿に異動だなんて」

「潰されないで下さいね」

「あそこは魔窟だから」

「踏み入っただけで魔素の濃さで卒倒するらしいので気をつけて」



 口々にそんなことを言われてしまっては不安になってしまう。


 俺、見た目は鬼っぽいけど、中身は人間だからね?



「ツダはオーガの上位種である鬼人族なんだから、魔素酔いなんてしないだろうよ!」

「最初の挨拶が肝心ですよ。うちみたいに穏健な人たちはいませんからね。舐められたら終わりですからね」



 秘書であるラミア族の女性がシャーっと舌を出し入れする。


 心配の仕方が斬新過ぎて、最初は警戒されているのかとビビったもんだ。


 懐かしいな。

 俺が入局した当初は、俺もこいつらもビビり散らかしていたもんな。


 俺は人族では常識的に脅威とされている魔物の集団に放り込まれたわけだから、ちびらないように膀胱括約筋に必死にムチ打った。


 今の俺は銀髪赤眼で額に一本の角(プラスチック製)が生えた、肌の色素が薄めの鬼の見た目をしている。

 髪も目も肌も弄っていない。限りなく人間なのだが……。


 鬼人族です! よろしくお願いします! と元気に自己紹介したら、誰も疑わなかった。

 むしろ、萎縮された。


 聞くと、オーガの上位種である鬼人族はゴリゴリの脳筋武闘派で、歳末決済の件でカチコミに来られたのかと戦慄したらしい。


 俺、血気盛んな鬼人族には会ったことがないからね。

 そんな魔王国内の事情は知らなかったから仕方ないね。



「その若さで宮殿勤めなんて一族の誉れじゃないか」

「あー、うん、そうかも」



 だから、こういった話には曖昧な返事しかできない。


 俺は鬼人族はおろか、オーガの居住区にすら行ったことがない。というよりも、自分から近づかないようにしている。


 万が一にも俺が人間だとバレた時に言い訳ができないからだ。


 今のところ一匹を除いて鬼人族は前線で大活躍中だから、俺がこんな場所で酒を飲んでいるのはおかしな話なのだが……。


 ほら、乱暴者の集団にも一人くらいは良心みたいな奴がいるだろ。それに徹しているという設定だ。


 などと昔のことを懐かしみながらグラスを傾けていると、大気の流れが急激に変わったことに気づいた。


 突然吹いた風が居酒屋の薄い壁を殴りつける。


 そして、勢いよく逆巻く風に屋根の一部が引っ剥がされた。



「あの人も変わらないな」



 風が止み、すっと出てきた手が暖簾をめくる。


 ひょっこり顔を出したのは、側頭部から二本の角を生やした年老いた人間に見える化け物。


 顔にはしわがあって、声はしわがれてるのに、白髪が一本も見当たらない艶々の黒髪。

 実に不気味なビジュアルだが、決して若作りしているわけではない。



「やっと角が生えたか」

耄碌もうろくしたか、師匠。ずっと前から角はあっただろ。おっと、無礼講でも触るなよ。敏感(プラスチック製)なんだから」



 このジジイこそが、俺を拾って魑魅魍魎の中に放り込んでこき使う張本人。

 魔王国軍ブラッドローズ家直轄行政管理局、局長――ダークドラゴン族の元ご当主様だ。



「いい気になるなよ、小僧。魔王のお膝元はこんなに生優しい環境ではないぞ」

「はっ! どんな環境でも生き抜いてやるよ」

「心配はしとらん。お前さんならやれる。わしの弟子じゃからの」



 ダークドラゴンのジジイは、カカカッと喉を鳴らすように笑い、俺の頭を撫でやがった。



 ……チッ。



 俺は何が何でも魔王国の情報を持ち帰るんだ。

 そして、元の世界に帰還する。その目的は変らない。



 だけど、こういうことをされるとちょっとだけ――



 ほんのちょっとだけ決意が揺らぐ。



 自分が人族の味方なのか、魔族の味方なのか、ふとした瞬間に分からなくなるんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る