第三十七話
「それで小好君はもう小学校の先生の夢は追いかけないんですか?」
「うん、そうだね。教育学部のある大学まで行って無理だったから諦めたよ」
「あと少しじゃないですか! 何で諦めたんですか? 勿体ないですよ!」
そう、本当にあと少し。手を伸ばせば届きそうな距離の位置にはあった。
でも、一瞬にして一番遠い位置まで落とされた。
まるで、上ってきた階段が急に滑り台になり一番下まで落ち、その勢いのまま遠い遠い知らない真っ暗な場所へ行ってしまった。そんな感覚だ。
それより諦めた理由なんて、話せるわけないので「まぁ色々とね」と質問の答えを濁す。
「そうですか。ですが、絶対に! また夢を追いかけたほうがいいですよっ!」
「いやいや、とっくに諦めたんだって」
「それは一人だったからじゃないですか?」
その返答に横目で日高さんを一瞥し、「ど、どういうことだ?」とその言葉の意味を問う。
「小好君は一人で夢を追っていたから諦めることになったと思うんです。周りにその夢を応援する人や後押しする人、一緒の夢を持つ友達がいれば変わっていたと思うんですよっ!」
日高さんは力強い声で僕に訴えかけるように言葉を放つ。
しかし、何一つ僕に刺さる言葉はなく、一切反応せずに無言で運転を続ける。
数十秒、車内に沈黙が流れ、日高さんは小さく「だから」と口にして話を再開する。
「だから! 私と一緒に小学校の先生の夢をもう一度追いかけませんか?」
「悪いが止めておくよ」
視線を変えることなく、冷めた感じに二つ返事でそう返す。
事情を知らないとはいえ、ここまで色々言われると少しイラッときた。
別に日高さんは悪くない。責める気もない。
ただ、さっさとこの話が終わってくれないかなとだけは思う。
「何で⁉」
「何でもだ。それに僕にはこの仕事がある」
「じゃあ! 私が小学校の先生になるために手伝ってください!」
「は?」
予想外の言葉に動揺し、ハンドル操作を誤り車が大きく横に揺れる。
「わ、悪い。大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
見た感じ頭は打ってなさそう。そのまま会話を続ける。
「それでどうして僕にそんなことを頼む?」
「私は来年から大学に通います。そうなると、大学とバイトでかなりの時間を割かれるのは避けられないでしょう。なので、短い時間で密度の濃い勉強がしたいんです」
「で、その教える役を僕にやってほしいということか」
「はい」
確かに教員免許取得まであと一歩だった僕を頼るのは正しい。
それに同じ屋根の下で暮らす点を利用し、勉強する時間を合わせるのも楽だ。
一緒に夢を追えないと分かった瞬間、この切り替えは凄いというか何というか。
最初からこれが目的だったと考えるほうが納得できる。
年齢も年齢だ。使えるものは使おうと考えたのだろう。
その考えは良かったが、僕には管理人の仕事がある。勉強を教える時間を取れる気がしない。
「もちろん勉強を教えてもらう時間を確保するため、小好君の家事を手伝うつもりです」
「あまり家事を甘く見ないでほし――」
「こう見えても料理や洗濯など家事全般をこなせます。それに私が家事するようになれば、苦戦している光に関する家事も代わりにやってあげられますよ」
管理人である僕からすれば、住人に家事させていいものなのか悩みどころだ。
まだ日高さんの家事能力も実際に見ていない。どこまで出来るか不明。
だとしても、星坂さん関係の家事をやってもらえるのは本当に有り難い。
今まで星坂さんに食事すら振る舞ってあげれてなかったから健康状態が心配だった。
日高さんがいれば、日高さんを通して星坂さんと話せ、色々と状況を把握できる。
家事能力が微妙だったとしても、悩みが一つ減るのは大きい。
僕の長考を伺いながら、日高さんが再度口を開いた。
「それでどうですか? ダメですか?」
「だ、ダメってわけじゃないけど……」
正直、すぐに決められることではないので少し考えたい。
なのに、前を向いても目が吸い寄せられるほど強烈な上目遣いが、現在、僕を襲っている。
このままでは運転に集中できず、二人揃ってあの世行きだ。
「んーはぁ……家事の代わりに勉強を教えるよ」
「本当ですか! ありがとうございますっ!」
満面の笑みでこちらに一礼し、足元で小さくガッツポーズをする日高さん。
――ホント可愛いなぁ~。
この表情と仕草をこのような容姿でやられたら、頬が緩み、そう思うのは当然のこと。
先ほどの上目遣いやガッツポーズ、その他の仕草、言動一つ一つがこれだけ可愛いと僕の理性が持つ気がしない。頼まれたら何でもしてしまいそうだ。
それは置いといて、何となく日高さんの掌で転がされた感じだが気にはしてない。
僕にもメリットはあった。ウィンウィンの交渉だったと言える。
それに僕の代わりではないにしても、日高さんが小学校の先生を目指すのは嬉しい。
おかげで僕の悔しい思いは少しマシになった。
羨ましい気持ちは変わらないが、今は出来るだけ力になってあげたい。
僕の分まで小学校の先生になって子供たちを楽しませてほしい。
そんな気持ちでいっぱいだ。
「こちらこそ助かるよ。これからよろしくね」
「はい! よろしくお願いします! 小好先生っ!」
「おいおい、先生呼びはやめてくれ」
僕の分かりやすく嫌がる姿を見て、可笑しそうに笑う日高さん。
無邪気な笑顔を横目に、僕はほっこりして頬が軽く緩む。
今回の一件を通して日高さんとの距離感がグッと近くなった。
出会った当初と比べれば、信じられないぐらいだ。
これからは家事や勉強を共にする仲になる。今までとは少し距離感が変わるはずだ。
だからといって、管理人と住人という関係は変わらない。
でも、少しずつ関係を深められたらいいなと思っている。
僕のためにも、日高さんのためにも。
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