第三十五話

 日高さんの働く会社、否、働いていた会社を後にしてから数分。

 現在、僕の運転でアロエ荘に帰宅中。


「本当に心配かけてしまい、ごめんなさい」

「もういいって! そう何回も謝られるとこっちとしても困る」

「そうですよね。ご、ごめんなさい」

「あ、ほら! また謝った!」


 車に乗ってからというもの、日高さんはずっとこんな感じ。

 深く反省してるらしく、「ごめんなさい」のオンパレード。

 そもそも住人が管理人を心配させることは普通であり、管理人が住人を心配するのは当然。

 今回の件は仕事の範疇だ。謝る必要がないとは言わないが、気にしすぎることではない。


 それに何度も「ごめんなさい」と言われるより一度「ありがとう」と言われるほうが、僕も役に立ったと思えるし、ある程度は許せる。

 実際、先ほど「ありがとう」の言葉をもらい、僕は日高さんを許した。

 日高さんのほうは言動を見る限り、許してもらったとは思ってないっぽいけど。

 こればかりは本人次第。許されたと思ってくれる時まで待つしかない。


「ふわぁ~」


 大きな欠伸を一つ。頬に水滴が流れ落ちた。

 日高さんの件が片付き、ホッとしてるのか猛烈な眠気に襲われている。

 一度、目を閉じれば、開くことは一生ないと思ったほうがいい。

 そうならないためにも、今は面白くない話題でも何でもいいから会話すべきだろう。


「あの――」

「えっと……」


 僕と日高さんの言葉が重なる。


「ごめんなさい。小好君のほうが先でしたよね」

「あーいや、日高さんが先でいいよ。僕の話は長くなるし」


 たまたま思い付いた話題をわざわざ先に喋る気にはなれなかった。

 話は長くなりそうな上に内容は暗い。空気が悪くなるのは目に見えてる。

 だから、日高さんが「なら先に話しますね」とすんなり言ってくれたのは有難かった。


「そ、その小好君とパワハラ上司の争いを見て気になったんですけど……」


 あからさまに弱々しい口調。言いにくいのか一度口を閉じる。

 この言動を見て、日高さんが何を言いたいのか察した。

 僕がパワハラ上司にハサミを振り下ろそうとしたことだと。

 あれはやりすぎたと自分でも思っている。本当に殺人を犯すところだった。

 東雲さんがいなければ、今頃どうなってたことやら。


 どういう結果であれ、日高さんを恐怖させた。色々言われるに違いない。

 これは僕が行った行動の罰だ。日高さんのためだったなどという言い訳は出来ない。

 あの行為は僕自身が感情をコントロール出来なかったのが原因。


「小好君って――」


 ただ日高さんを救いたかっただけだったのに。

 僕は、僕は……。

 今更、後悔したところで遅い。

 殺人行為を目の当たりにして、平然とその人間と関わる人間なんていないのだから。

 たった一人を除いて。


「――私を合法ロリだと思っていたんですか?」

「えっ?」


 予想外の言葉に、僕の瞼が一気に上がり、視線が日高さんに向く。

 ハサミを振り下ろした件でなく、まさか僕が上司に向かって日高さんを合法ロリと言ったことを気にしてたなんて。


 ――そっち⁉


 って心の中で叫んでしまったよ。


「あ、ちょ! 危ないですよ!」


 慌てて視線を前に向けると、前の車にぶつかる寸前。

 急いでブレーキを踏み、間一髪のところで事故を免れた。


「運転中に何よそ見しているんですか!」

「え、僕が悪いの? 日高さんが変なこと言うから!」

「最初に変なことを言ったのは小好君のほうですよ。私は確認しようとしただけです。それでどうなんですか? 私を合法ロリだと思っているんですか?」


 真面目なトーンでこんなことを聞かれたら、以前なら笑ってたに違いない。

 しかし、今の僕には笑えそうにない。むしろ内心は焦ってるというのが本音。


 僕にとって、合法ロリとはロリではなく大人の女性という認識だった。

 だが、今はそうじゃない。数日前、その認識が変わったことに気付いてしまった。

 日高さんの看病をやってるうちに、僕の合法ロリはロリじゃないという概念は、ゆっくりと何かに侵食されるように崩壊してしまったのだ。


 つまり、今の僕は合法ロリをロリだと認めている。

 もちろん合法ロリという概念に当てはまる人物だけだが。


「あぁ、えっとですね、それは……」


 日高さんを合法ロリだと思ってると伝えれば、日高さんから冷たい視線を浴び、間違いなく距離を取られる。関係が悪くなるのは避けられないだろう。

 それは管理人の仕事をする上で厄介だ。

 ここは少し心が痛むが嘘で乗り切るしかない。


「その反応はどっちですか?」

「まぁ合法ロリとは思ってる」

「え、本当に……言っているんですか?」


 生ゴミを見るような瞳をこちらに向ける日高さん。

 ロリコンの僕からすれば、その瞳は逆に刺さるが、今は興奮してる場合ではない。

 直ちに日高さんの合法ロリへの認識を変える必要がある。


「ああ、本当に言ってる。でも、僕にとって合法ロリはロリという認識ではない」

「どういうことですか?」

「合法ロリはロリではなく、大人の女性として認識してるってこと」

「ん? なら合法ロリと言わなければいいのではないですか?」


 痛いところを突かれ、背中が凍り付く。

 なかなか鋭いと思いながらも、僕は平然を装い質問に対して答える。


「それはあの時、日高さんをガキと言われ、たまたま合法ロリという言葉で訂正してしまったというか何というか……」


 苦し紛れの言い訳に、僕は完全にお通夜モード。

 ロリコンとして引かれる日々を過ごすことになるなら、今ここで事故って死にたい気分だ。

 あの時、何で日高さんを合法ロリと言ってしまったのやら。

 後悔先に立たず、このことわざが身に染みる。


「小好君、冷静ではなかったですもんね。それでつい自分なりの言葉で表現してしまったと」

「あっ……え?」

「違いましたか? 重度のロリコンである小好君のことだから、そうだと思ったんですが――」

「いや、合ってるっ! 日高さんが言った通りだよ!」


 日高さんの解釈に、如何にも僕もそうだった風に力強く頷く。

 なんか知らんけど、僕は地獄の日々を避けれたようだ。

 本当に危機一髪。自分の発言には気を付けないといけない。そう再確認させられた。

 ある意味、今回は良い機会だったと言える。


「ですが、これからは合法ロリという言い方は止めてください」

「分かってるよ。冷静ではなかったとはいえ、本当に悪かったと思ってる」

「反省してるなら良しとしましょう。次、言った時は怒りますけどね!」

「りょ、了解です」


 低い声音なのに満面の笑みでそう言うものだから、思わず敬語で返してしまった。

 容姿は最高級なロリではあるが、圧のかけ方は大人の中でもトップクラス。

 この不敵な笑みを見れば、怒れば何をされるか分からないと理解できる。

 今後、生活を送る上で最も関わり方を気を付けないといけない相手になるかもな。

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