第19話「掃討」
ウェスキノを〈子〉らの中に置き去りにしたまま神殿を後にしたハーヴェンは——
後悔で一杯だった。
どうせリーベルへ帰ったら神官をやめるのだから、七日間の祈りに拘ることはなかったのだ。
たった一日でいい。
結婚報告を早くしていたら、礼拝所でイリスが聖剣に触れることもなかった。
今日のことも後悔している。
門番が顔を覚えていたようなので、気付かれてしまったのは仕方がない。
だからそのときに決断すべきだったのだ。
贄池から悪霊たちを引き連れてきていたのだから、門番たちへの〈憑依〉を躊躇うべきではなかった。
密かに馬車を手に入れ、気付かれない内に街を去ることに拘り過ぎていた……
……いや、違う。
心のどこかで死霊魔法を下賤であると卑しむ心がまだ残っていた。
自分もその使い手なのだということを認めたくなかったのだ。
〈毒〉のことがなければ、身につけたくはなかった……
本心をいえば、外法に助けてもらいたくはない、と思っている。
だから師匠の洞窟からヘイルブルまでの道すがら、自分なりの規則を設けていた。
死霊魔法を用いるのは内なる〈子〉を鎮めることだけに限定する。
ニバリースまでの旅路においてモンスターの襲撃を受けたら、神聖魔法で対処する。
〈子〉を用いるのは多勢に無勢で、退路が断たれたときのみ。
いま思えば、何と後ろ向きな規則だろう。
死霊魔法に目を背け、誤魔化そうという考えが滲み出ている。
誤魔化す相手は世の中ではない。
自分自身だ。
自分自身が受け入れられないまま、ヘイルブルへ来てしまったのだ。
受け入れ難いと思っているのだから当然、死霊魔法使いとして生きていく覚悟もできるはずがない。
覚悟がなかったから正体がバレて門番に囲まれたとき、簡単に諦めてしまったのだ。
何と不甲斐ない……
もし覚悟が決まっていたら、門番たちに囲まれるのを待ちはしない。
躊躇いなく死霊魔法を発動し、集まっていた門番と住民を手早く始末する。
そうすれば、イリスが突入してくることもなかった。
——すべて自分のせいだ。いつまでもウジウジと不甲斐なかったからだ。
自責の念が足を重くするが、ハーヴェンは立ち止まろうとはしなかった。
立ち止まったら、悲しみが込み上げてきて動けなくなってしまいそうだったから……
***
絶望が何度もハーヴェンを飲み込もうとしたが、彼は負けなかった。
彼は懸命に歩き続け、今夜の惨劇が始まった地点、イリスのところへ辿り着いた。
「…………」
彼女は斬首されたので、頭部と胴体が離れ離れになっていた。
ハーヴェンは本来あるべき配置に戻そうと頭部を拾った。
そのときだった。
(……ハ……様)
「?」
気のせいか、ハーヴェンは彼女の気配を感じた。
「イリス?」
周囲を見渡すが悪霊が漂うばかり。
彼女の霊体はどこにも見えない。
(……ヴェン……ま)
気のせいではない。
彼女は確かに(ハーヴェン様)と返してきている。
か細く、いまにも消えそうなほど小さいが、これは彼女の心の声だ。
「イリス! イリス! どこだ?」
ゾンビは頭を潰されることで、密封状態が解除されてしまう。
彼女の場合は槍で脳をかき回された上に、斬首までされている。
器たる身体を壊された状態で、霊が留まれるはずはないのだが……
だが、彼女はまだこの世界に留まっていた。
間違いなく彼女はいる。
必死に探した結果、壊されていない部位を見つけた。
彼女の髪だ。
頭も胴体もこれから朽ちてゆくばかりだが、髪は焼かれない限り壊れない。
ゆえに永く宿ることはできる。
ハーヴェンは傍に落ちていた剣で彼女の遺髪を取り、胸のポケットにしまった。
「さあ、リーベルへ行こう……イリス」
彼女の状態は、断崖絶壁から落ちかけている人に似ている。
身体はすでに宙にあり、手指の力だけで自重を支えている状態……
いまの彼女は、そんな危うい状態だった。
頭部の特に顔を見れば、イリスレイヤという女性が存在していたことがわかる。
胴体も、痣やほくろ、傷跡などから彼女を推知できるかもしれない。
でも遺髪を見ただけで、彼女だと推知できる者はいない。
できるのはハーヴェンだけだ。
よって遺髪を紛失した場合、彼が亡くなった場合、イリスレイヤという存在も消えるのだ。
まさに彼女は崖っぷちだといえるだろう。
彼は立ち上がり、その辺の民家を探りに行った。
スコップと荷車が要る。
首と胴体を木立の墓場に埋葬するのだ。
何軒か探し回り、見事両方を手に入れてハーヴェンは戻ってきた。
荷車に遺体を乗せ、門を守っていた〈子〉に開門させた。
跳ね橋も下ろさせる。
ガラガラガラ……ギッ!
跳ね橋を渡り終えたところ荷車を引いていた彼の足が止まった。
辺りはすっかり夜になっているので、街から出ると真っ暗で周囲の様子がわからない。
ハーヴェンは自らに〈暗視〉をかけた。
〈暗視〉は文字通り、暗い場所でも見えるようになる魔法だ。
神聖魔法ではないが、〈探知〉と並ぶ基礎的な魔法として神官も学ぶ。
彼の視界は、昼間のように明るくなった。
ガラガラガラ……
荷車は再び動き出し、真っ直ぐ墓場に辿り着いた。
ここで眠っていた者たちは〈子〉として目覚めたため、あちこち穴だらけだ。
ハーヴェンはそれらを避け、新たな穴を掘り始めた。
ザクッ、ドサッ。
ザッ、ドザッ。
黙々と掘り続け、やがて一人分の深い穴ができた。
汗を拭うと、遺体を穴に下ろして土を被せていく。
彼女の埋葬が完了した。
埋葬を終えた墓にハーヴェンは祈りをあげ始めた。
〈祈り〉ではなく、祈りを。
しばらくして祈りはやみ、ヘイルブルを去ることにした。
ハーヴェンは〈子〉らに閉門を命じ、全員が街の中から出て行かないようにした。
こうして馬に跨り、馬首を南へ向けた。
ニバリースへと。
ヘイルブルといえば、領主に仕えている兵士がいたし、精強な神殿魔法兵がいた。
しかし死霊魔法使い一人に対し、あっという間に敗れ去った。
外法おそるべし。
たった一人で成し遂げたとは。
ただ彼の表情に嬉しさはなかった。
嬉しいはずがない。
一緒だったはずのイリスの姿がもうどこにもないのだから。
あるのは彼女の気配が感じられる遺髪だけ。
ヘイルブルに勝っても嬉しいはずがなかった。ハーヴェンは黙々と夜の街を馬で遠ざかって行った。
待て。
ウェスキノは?
彼ががまだ残っている。
このまま生き残って後で外法について言い触らされる心配があった。
だがその心配は無用だ。
確かに偽勇者のことは人としてくだらない存在だったと思っているが、だからといって死霊魔法使いとしても侮っているわけではなかった。
くだらなくても人は人、すべて目撃者た。
外法の使い手として目撃者を見逃すことはありえない。
トドメを刺さなければ。
いや……
トドメなら偽勇者に刺し終えている。
さっき神殿で捕らえまま別れたときのことた。
偽勇者にとって、術者が遠ざかることがトドメとなったのだ。
ハーヴェンが〈子〉らに出していた命令は「噛むな」だ。
〈子〉にとって親の〈霊場〉内では黙って従うしかない。
だから遠ざかっているのだ。
ヘイルブルから馬を走らせているのは〈霊場〉内の場所を外に変えるためだった。
馬の速さならあと少した。
あと少しで内だった〈霊場〉が外に切り替わる。
その時だった。
「アアアァ……」
「……オオオォ……」
街の最北に立ち、また北を向いていた〈子〉らが南を振り向いた。
まるで何かに気付いたように。
南には神殿がある。
偽勇者という肉がある。
北から南へと彼らは順に振り向いて行く。
〈霊場〉の支配域から解放された〈子〉をもはや〈子〉とは呼ばない。
もはやゾンビだ。
「アアアァァァ……」
「アアアァ」
最北から次に南へ、さらに南へと手を伸ばし、肉を求めて活動を再開していった。
やがて神殿の北側玄関でゾンビ共の声かし始めた。
ウェスキノが捕らわれている礼拝所まで時間はかからない。
彼の悲鳴はあまり長くなかった。
そして……
すべてが静かになった。
ハーヴェンは南へと去って行き、街に死者しかいなくなったヘイルブルは滅亡した。
唯一の生き残りは領主に仕えていた御者た。
彼を覚えているだろうか?
ハーヴェンがニバリースを出発して早々、フロスダンに襲われていた馬車を救ったことがあった。
あの時の御者だ。
御者は領主の命令で少し遠くの街へ手紙を届けに行っていた。
それが三日前のことであり、ハーヴェンとイリスレイヤの騒動もゾンビの襲撃も遭遇することはなかった。
彼か帰ってきたのは、ヘイルブルが死者の街に変わって最初の夜明けだった。
早朝に帰ってくると跳ね橋が上がったまま。
様子がおかしいと外から声をかけるが、誰も返事を返さない。
聞こえてくるのは狼狽の声ばかり。
跳ね橋の向こう側は、朝の日差しに怯えるゾンビ共だった。
ヘイルブルがゾンビの街に変わっていたことに驚いた御者は、直ちに隣の街へ通報。
その日は旅人が誤ってヘイルブルに近付かないないように封鎖し、翌朝、ロンゼラート軍がやってきた。
ロンゼラート軍は相手がゾンビの群れであることをよく知っている。
ゾンビの弱点は陽光だ。
よって日が上るの待ってから怯えるゾンビ共を悉く退治した。
まだこれで終わりではない。
動かなくなった遺体の焼却や建物の処分が残っているが、数日で終わるだろう。
ヘイルブルは既にハーヴェンによって滅ぼされた後ではあるが、ロンゼラート軍によっても跡形残さず滅ぼされたのだった。
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