第8話「歓喜」
ヘイルブル、朝——
ハーヴェンが神殿に着くまで、いつも通りの朝だったように思う。
勇者一家と朝食を摂り、誰かを貶す話が不快だったのもいつも通りだ。
給仕たちの中にイリスが混ざっていたのもいつも通り。
二人の目が合うと、一家に悟られぬよう密かに微笑み合った。
今晩、領主である父に彼女との結婚を報告する。
館を出て神殿へ向かうハーヴェンの心は、嬉しさ半分、不安半分だった。
いや、不安半分というのは大袈裟かもしれない。
本当は不安を僅かしか感じていなかった。
彼女は一家の厄介者だ。
海の向こうへ連れ去ってくれるというのは、一家にとっても良い話のはずだ。
もしかすると、あの馬鹿公子が妹への嫌がらせのために異議を唱えるかもしれないが、その場合もイリスとリーベルへ行くことに変更はない。
ハーヴェンが感じている僅かな不安とは、気分良く送り出してもらえないのではないか、ということだった。
はっきり言って、そんなものは不安の内に入らないだろう。
気分が良かろうが、悪かろうが、二人は絶対に旅立つのだから。
つまり、浮かれる気持ちの方が大きかったのだ。
だからこの後、災難が降りかかるなんて想像していなかった。
災難は唐突にやってきた。
彼が神殿に着き、礼拝所で最後の祈りを捧げていたときだった。
兵士たちが雪崩れ込んできた。
「動くな!」
「!?」
彼らはハーヴェンをぐるりと取り囲み、槍を突き付けた。
「…………」
いきなりの出来事で彼の身体も頭も固まってしまったが、次第に落ち着きを取り戻してくると事態の異常さに気が付いた。
ここは神殿、しかも祭壇のある礼拝所だ。
そのような神聖な場所に兵士が突入してくるのは異常だし、祈りを捧げている巡礼者に槍を突き付けるなんてあり得ない蛮行だった。
ハーヴェンは兵士の輪を割って現れた隊長を睨む。
「ここは神殿だぞ!? 何を血迷って……」
しかし隊長は最後まで言わせずに遮った。
「黙れ、この——」
隊長は血迷ったわけではなかった。
冷静に務めを果たしに来たのだった。
彼の務めはヘイルブル軍司令官たる領主の命令に従い、賊を捕らえてくること。
「この聖剣泥棒めっ!」
「……⁉」
ハーヴェンには身に覚えがない。
そして急な話すぎる。
槍衾を突き付けられても尚、現実感が湧いてこない。
けれど、隊長が読み上げた逮捕状は現実のものだった。
容疑は聖剣の窃盗。
主犯者はリーベル王国神殿魔法兵ハーヴェン。
共犯者はイリスレイヤ。
賊を捕らえよ、と。
「窃盗……でも、聖剣はあそこに!」
縄を掛けられながら、ハーヴェンは隊長に目で訴えた。
視線の先は祭壇の台座。
昨日までと変わらず、鞘に収まった聖剣が立て掛けられている……と思ったのだが、
「あれ?」
彼自ら違和感の声を上げた。
鞘と剣が、一晩の内に別物に変わっていた。
鞘と柄の色合いが似ていたので気付かなかったのだ。
まさかすり替えられているとは思いもしなかったので、まじまじと眺めたりせず、すぐに祈り始めてしまった。
隊長は「往生際が悪い」と言いたげに溜息を吐くと、祭壇から無造作に偽聖剣をとってきて抜剣し、ハーヴェンの眼前に突き付けた。
「こんな新品の聖剣があるか!」
「~~~~?」
何が起きているのか、ハーヴェンにはさっぱりわからなかった。
どうやら本当に聖剣が盗まれたようだが、それがどうして自分の仕業にされているのか?
そして共犯者が、イリス?
あり得ないことだった。
そもそも聖剣に興味はないし、二人共、夜には館に戻り、朝まで外出していないのだから盗めるはずがないのだ。
きっと自分たちが大切にしていたものがなくなり、気が動転しているだけだ。
嫌なことだが、真っ先に余所者が疑われてしまったのだ。
おそらくそれだけだ。
きちんと説明すれば理解してもらえる。
一家から宿所として貸し与えられていた部屋を調べてもらえば、すぐにわかる。
室内には棚とベッド、あとは机と椅子しかない。
聖剣やそれに間違われそうな細長い物体は何もないのだ。
二人の疑いは、すぐに晴れると信じていた。
***
ヘイルブルは四方を頑丈な城壁で囲まれているため、いわゆる城という建物はない。
街の中央に建つ大きな館が、他の地でいう城の役目を果たしていた。
そのため館は、勇者一家の住居兼役所だった。
よってハーヴェンの連行先は館だった。
但し住居ではなく、館の地下にある牢獄へ。
この後、領主自ら裁きを下す。
……便宜上、〈ウェスキノ一味〉と呼ぶが、昨夜から今朝にかけて一味は忙しかった。
昨夜、館の裏口に聖剣を届けた男は神官長だった。
彼は一味だ。
普段から正室によく飼いならされており、ウェスキノの指示にも従う。
彼は正室の手紙を受け取ると、すぐに街の武器屋で新品の剣を購入し、一家と口裏を合わせるよう指示した。
神殿に戻ると新品と聖剣をすり替え、夜が更けるのを待って館に聖剣を運んだのだった。
そして今朝——
再び神官長の登場。
彼は昨日深夜と同じく、裏口にいた正室付きの侍女に急報の手紙を届けた。
手筈通りに。
——聖剣が偽物にすり替えられ、何者かに奪われてしまった。
犯行時刻は、昨夜の農民たちの騒ぎの後から今朝までの間。
その間、礼拝所に出入りした者はハーヴェンとイリスレイヤのみ。
慌てて出ていく二人を目撃した神官もいる。
二人が盗んだのは間違いない。
ただ、ハーヴェンは神殿魔法兵であり、神殿としては他国の神官を捕らえたくはない。
そこで領主様の兵隊に捕えていただきたい——
この急報に従い、領主は礼拝所へ兵隊を送り込んだのだった。
領主ともあろう者が神官長の手紙一つで兵隊を動かす……
随分と迂闊なことをすると呆れるが、決して神官長の手紙だけを鵜呑みにしたわけではなかった。
朝の館でも、領主に信じさせるために一味は暗躍した。
まずは普段通り皆で朝食を摂り、ハーヴェンが神殿へ出発するのを待った。
彼はいつも一番早く朝食を終える。
今朝もそうだった。
ここで正室付きの侍女の出番だ。
彼女も嫌々ではあるが一味に加えられてしまった。
陰謀に関わりたくはなかったが、主たる正室の命令には逆らえなかった。
ハーヴェンが出発した後、部屋へ忍び込み、ベッドの下に聖剣の包みを隠した。
彼女の仕事はあと一つ。
〈仕事〉を終えたことを主たちに知らせることだ。
朝食中の部屋へ行き、正室とウェスキノに食後のお茶を注ぐ……
これですべての準備が整った。
正室が動く。
「あなた、さっき神殿から報せが届いて……」
「ん? 何の報せじゃ?」
彼女は夫に、神官長からの急報の手紙を読み上げた。
「…………」
手紙を読み上げていくにつれ、領主の不快感が強まっていった。
それはそうだろう。
客人としてもてなしてきたのに、一家の宝を盗んだという報せなのだから。
真実なら許せない裏切りだ。
だが兵隊に逮捕を命じる前に、領主としてやることがある。
あの若者が本当に盗みを働いたのかを確認するのだ。
「ウェスキノ、おまえが連れてきた客人だが……」
「お気になさいませんよう。たとえ友でも盗みは許されません!」
息子の毅然とした返事に、父の不快感が幾分和らいだ。
「よくぞ申した! では付いてまいれ。奴の部屋を確認しよう」
「はい、父上」
ハーヴェンは祈りを捧げる日はいつも丸腰で神殿へ通っている。
神聖な場所へ武器を持ち込まないようにと殊勝な心掛けだが、それは聖剣も身につけてはいないということを意味している。
つまり盗品は室内に隠してあるということだ。
父子がハーヴェンの部屋へ入る。
果たして聖剣はあるのか?
何かの間違いであってほしい、と領主だけが願っていた。
入ってすぐに室内をぐるりと見渡すが、盗品を堂々と置いてはいなかった。
隠すとしたら棚の裏側かベッドの下だろう。
領主は棚、ウェスキノはベッドと手分けして探ることにした。
棚の裏とベッド下……
ウェスキノにとって担当がどちらになっても構わなかった。
もし彼が棚の裏担当なら、父がベッド下から聖剣を見つける。
逆なら彼がベッド下から取り出し、父に「見つけた」と報せるだけだ。
なので報せた。
「! 父上、ベッド下に何かあります!」
すると領主は棚の裏側を覗き込むのをやめ、床に伏せる息子の背後にしゃがみ込んだ。
ベッド下から引き戻した息子の手が握っていたのは、布に包まれた棒状の物体だった。
息子はまだ若く、「父上……」と狼狽しているが、領主も一緒になって狼狽しているわけにはいかない。
「……包みを解いてみよ」
「は、はい」
布の中から現れたのは、聖剣だった。
「ハーヴェン……なぜだ……!」
失望したウェスキノが肩を落とす。
たとえ友でも盗みは許されないと豪語していたが、実際に盗品を直視するのは辛かったようだ。
「息子よ、おまえも次期当主としてよく覚えておけ——」
父は息子の肩に手を置いて語った。
人は欲に負けやすい。
大国リーベルの神殿魔法兵も〈人〉だったのだ。
だから彼を館に連れてきた日、父が家のことを尋ねたのはどれくらい欲に負けやすい〈人〉かを測ったのだ。
結果、伯爵家とはいっても大きな領地を有する大貴族ではないし、家督を継ぐ予定の男子でもないことがわかった。
金に不自由していないとは言い難い……
聖剣は勇者の手でなければ真価を発揮しないが、それでも伝説の遺物だ。
他者にとっても〈お宝〉としての値打ちは高い。
ハーヴェンも然り。
彼も〈お宝〉に目が眩んだ〈人〉だったのだ。
領主は項垂れ、へたり込む息子から聖剣を取り、横に少しだけ抜いた。
剣身の殆どが鞘の中だが、露わになった部分が光っている。
「本物か……領外に持ち出される前で良かった」
本物の聖剣である確認ができたので鞘に戻し、領主自ら腰のベルトに繋いで帯剣した。
ヘイルブルが安心できる状態に戻るまで、貴重品は身に着けておくべきだろう。
領主は立ち上がった。
息子を裏切った聖剣泥棒を処罰せねば。
次期当主として裁きと処罰の一部始終を見せるべきなのかもしれないが、息子の落ち込みが酷い。
ずっと無言のまま俯いている。
子煩悩な父は、それでも隣で顛末を見届けよとは言えなかった。
「後はこの父に任せよ。おまえはもう奴らに関わるな」
と言い残し、部屋を去った。
これにて一味の仕事は終わった。
聖剣泥棒は大罪だ。
主犯も共犯も死刑だ。
後は父上が二人を成敗してくれる。
父が去った後もウェスキノは俯いていた。
だから見えなかったが、窓の外では兵隊が集められていた。
大勢の軍靴の音と賊の捕縛を命じる父の声が聞こえる。
やがて足音は大小二手に分かれて遠ざかっていった。
〈大〉は神殿へ向かい、〈小〉は館の中へ入っていく。
共犯者イリスレイヤの逮捕だ。
「ウェスキノ……」
部屋が狭かったので入口で見ていた正室が入ってきた。
すべて息子自身が謀った通りに事が運んだというのに、へたり込んだままでいるから心配になったのだ。
「?」
さきほどの夫のように、肩に手を置いて気が付いた。
息子の肩が震えている。
夫は友に裏切られた怒りや悲しみと解釈したようだが、事情を知っている彼女は違った。
万に一つも失敗することはない、悪魔のように完璧な策だった。
だが息子は生身の人間だ。
悪魔ではない。
人間は自らの器を超える大それたことに恐怖するものだ。
ここまでは「やらねば身の破滅!」という興奮が恐怖を抑えていたのかもしれない。
その興奮が冷めたいま、恐怖が遅れてやってきたのだ。
……と彼女は解釈していた。
ところが、
「母上」
肩の震えがピタッと止まると、ゆっくりと顔を上げた。
「!」
彼女は至近で見た息子の顔に驚いて肩から手を離した。
ウェスキノは恐怖ではなく、歓喜していた。
「母上、うまくいきました! これでもう私たちを脅かすものはなくなる」
彼がずっと俯いていたのは打ちひしがれていたからではなかった。
父の前なのに、喜びがあふれ出てくるのを抑えきれなかったからだった。
それは生の喜び。
明日も今日と変わらない暮らしが続く。
無実の者を陥れてでもその保証を勝ち取った者が浮かべる、歪んだ笑顔だった。
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