学校生活における探偵の必要性について

寄辺なき

名探偵になりたい少女と幻の四十一人目

 静寂に包まれた空間に、本を捲る音が心地よく響く。

 校舎の隅にひっそりと佇む我らが部室こと地学準備室では、今日も読書会が開かれていた。


 といっても本を読んでいるのはただ一人。

 俺の対面の椅子に座る少女は、黙々と読み勧めている。その様子は真剣そのものであり、時折その口から漏れる感嘆や驚きから彼女ののめり込み具合がうかがえる。


 そんな彼女の趣味を表すかのように、背後の壁際には中身がずっしりと詰まった本棚が置かれているのだが、少し知識のある人間ならその内容が酷く偏っていることが見て取れるだろう。

 シャーロック・ホームズ、アガサ・クリスティー……もう例示する必要はない、彼女が愛読するのは小説、それもミステリー小説と称されるものである。


 彼女が本を読み始めて小一時間が経とうとしていた頃、パタンッと本を閉じる音がスマホ越しに聞こえたので、画面から彼女の方へ視線を移した。


「わたし、今なら何でもできる気がします!」


 しなやかな黒髪が揺れる。

 ギュッと握り込んだ両手を胸の前に控え、こちらを意気込んだ眼差しで見つめてくる少女。

 はっきり言ってしまえば彼女はとても可愛い。美少女と形容しても全く違和感が沸かない容姿をしている。


「で、どうかしたのか?」


 俺は努めて呆れた表情を見せないようにして先を促す。


「頭が冴え渡っているんです。こんな貴重な時間をただ浪費するわけには行きません!」


「それで?」


「謎を見つけて解き明かしに行きましょう!」


 このやり取りも慣れたものだ。

 拳を突き上げる彼女を横目に、この場を出る準備を始めていた。


 この一ヶ月で分かったことがある。


 一つは、この状態になった彼女を止めることはできないということ。

 もう一つは、彼女と共に行動すると頻繁に不可解なできごとが発生するということだ。


 ――彼女との出会いは入学式の日に遡る。




 ◇



「最後に皆さんの名前と顔を覚えたいので、私が名前を言ったら席を立って返事をしてください」


 張り上げた担任の声に俺は目を覚ました。

 どうやら俺は話の途中で寝てしまったらしい。


「それでは一番の……」


 状況を整理する暇もなく、眠気の冷めやらぬままに、最前列の右側から順番に名前が呼ばれていく。

 点呼は滞りなく進行され、あっという間に俺の番が来た。とりあえず返事をしたが、この場に似つかわしくない気怠げな声色だったに違いない。


 役目を果たした俺は再び机に伏せた。

 点呼を終えた先生が何かを話しているが、今の俺にとっては睡眠導入剤でしかない。もう一度眠りに落ちかけた俺の耳朶に心地の良い声が届いた。


「……わたりさん?」


 どうやら声色からしてその声の主は隣の女子生徒のもののようだ。

 横目で相手の姿を盗み見た瞬間、俺の意識は完全に覚醒した。


 脳が急速に回転しだす。状況はおぼろげながら耳に残っている。担任の先生は点呼を終えたあと生徒に向けて、自分が会議から戻るまで隣の人とペアワークをしろ、と言い残し教室を出ていったのだ。

 その内容とは『高校で何を頑張りたいか』みたいな至ってシンプルな感じだった気がする。


 しかし、今の俺にとってそれは死刑宣告に等しいものだった。


 いったい誰が入学初日にもかかわらず教室で居眠りする問題児と会話しようと思えるのだろうか。

 彼女の口から一体どんな嫌味が吐かれるのかと俺は身構えたが、彼女はいたって普通に話しかけてきた。


「わたしは羽角はすみ夢来ゆら、羽と角で羽角、夢が来ると書いて夢来といいます。渡さん、一年間よろしくお願いします」


 言い終えるとともに目で投げかけて来たので、平然を装ってこちらも返す。


わたり翔吾しょうごです。よろしくお願い……」


 と、軽く下げた頭にとある疑問が浮かび、思わずタメ口で声に出していた。


「何で俺の名前を知っているんだ?」


 言っておくが、彼女と面識があるわけはない。当然、幼い頃友達だったなんていう使い古された物語の設定ような間柄ではないだろう。彼女は正真正銘赤の他人であり、席が隣であったという関係でしかない。


 尋ねる俺を正面に見据えた彼女は、わずかに頬を吊り上げた。


「気になりますか? いいでしょう教えてあげます。実はわたし、覚えるのが得意なんです! 渡さんの名前は黒板の座席表に書かれていたので覚えました」


 片手を胸に当てて、待っていましたと言わんばかりの表情で彼女は嬉々として答えた。

 その姿が見た目の印象とはあまりにかけ離れていて唖然としてしまうが、当初の目的を思い出して会話を繋げる。


「すごいな。羽角さんだっけ、高校で何か頑張りたいことってあるのか?」


「もちろんです。わたし名探偵になりたいんです!」


 ……メイタンテイ? 

 俺は頭の中で首を傾げたが、ひとまず話を繋げることに徹する。


「そのメイタンテイってやつは何をするものなんだ?」


 俺の中では名探偵という言葉は学校という場に何ら関係のないものと記憶しているのだが、もしすると俺の知らないメイタンテイなるものが存在するのかもしれない。

 そんな僅かな期待をかけて俺は質問をするが、尽く裏切られる結果になった。


「それはもちろん、小説や漫画の主人公のように謎を次々と解き明かすことですよ」


 そう言って彼女はどこかで聞いたことあるような台詞を次々に口にしていく。


 決して俺を小馬鹿にしているわけでも、冗談を言っているわけでもないらしい。彼女の真剣な瞳がそう物語っている。

 そう――彼女は真剣なのだ。


 はっきり言って俺は彼女にどう接していいか分からない。


 これがただの推理モノのファンであるのなら、俺もそれなりの数を読んできたので話は合わせられよう。しかし彼女は名探偵に憧れるのに飽き足らず、現実で行動を起こそうとしている変人だ。


 年頃なんだからそういうのはもう止めよう、と優しく諭してあげる……のは論外だ。初対面の相手に言う勇気は存在しない。かといって、俺はそれに付き合えるようなおちゃらけた人間でもない。


 俺は困惑が伝わったのか、羽角さんは台詞を中断して正面に向き直った。


「あ、ごめんなさい。一人ではしゃいでしまいました」


 いちおう彼女にも恥じる心を持ち合わせているようだ。肩をすぼませて俯いている。


「大丈夫だ。羽角さんがどれだけ好きなのかよく伝わったよ」

「本当ですか?」


 ずぃぃと彼女の顔が近づく。

 いつの間にか眼前に迫っていた彼女に向けて驚きつつも肯定する。


「本当の本当ですか?」


 いよいよ目と鼻の先にまで近づいてきたので強く肯定すると、彼女はよかったです、と体勢を戻して胸を撫で下ろした。


 いわく中学生のとき、そのせいであまり人が寄り付かなくなったらしい。そりゃそうだと思う。俺も隣の席じゃなかったら関わらなかったと断言できる。


「俺も推理小説をたまに読むからな」


 そう付け足しておく。

 ちらりと羽角さんの様子を伺って、俺は選択を誤ったと悟る。


「渡さんもなんですか!?」


 一体何がなんだろうか。

 もしかしてとんでもない勘違いをしていないか。いや、もしかしなくてもしている。


「いや別に俺は――」

「嬉しいです。私、この学校に来てよかったって今思いました!」


 訂正する暇もなく、両手を握って感謝を伝えられた。

 お仲間に認定されてしまったらしい。


「さっそくですが、謎を見つけたんです。いっしょに考えましょう!」


 俺の平穏な学校生活への歯車が狂う音がした。 





 校門の前に設置された『祝入学おめでとう』というありきたりな看板の周囲に、新入生たちがスマホを片手に子犬のように群がっていた。

 それらを横目に敷地内へ足を踏み入れると、正面の生徒玄関前がかなり混雑しているのが見て取れる。

 どうやらクラス発表の紙が張り出されているようだ。


 寝起きのこの体で人混みをかき分けていく気にはなれず、呆然と立ち尽くす。

 すると近づいてくる人影が一つ、俺の目の前で止まった。


「どうしたんだい翔吾? 校舎を前に立ち尽くしたりして。まさか入学を前に感慨深くなっていたわけではないだろう?」


 玄関から態々こちらに出向いきた彼は、その大人びた雰囲気に似つかわしく、仰々しい物言いで声を掛けてきた。

 俺はそれに対して全く取り合わず、思ったことをただ口に出した。


「光輝か、やっぱりここにきたのか」


 米山高校は地方都市の中心部の数ある公立高校のうちの一つ。平均の生徒が一生懸命勉強するればなんとか入れる程度の高校である。


 もちろん彼がこの高校を受験していたのは知っていた、というか試験の合間に無駄話に付き合わされたので認識してはいたのだが、合格して最終的にここを選んだというのは今日まで知らなかった。


「なんだよ僕が来て不都合でもあるのかい? それより今年も僕たち同じクラスみたいだよ」


 女子が見たら卒倒しそうな笑顔を向けてくるこの男――八木沢やぎさわ光輝こうきとは、小学校からずっと同じクラスの腐れ縁の相手である。故に、その報告を聞いても、喜びなどもとよりなく、わずかな諦念があるばかりだ。


「笑えない冗談だな」

「つれないこと言わないでくれよ。僕と君の仲じゃないか」


 気持ち悪いことを宣う彼の背後から、トタトタとローファーが地面を打ち鳴らす音が近づいてくる。足音はすぐ側で止まり、制服を着た女子が姿を現した。


「ちょっと光輝、私を置いてどこに行くのよ。私もう足がクタクタなのよ」


 光輝に向けて話しかけたのは、明るい髪色でいかにJKといった容姿の女子だ。不機嫌な物言いの彼女にも柔らかい笑みを浮かべて光輝は応対する。


「ごめん玲奈、見知った顔を見かけてつい……。そういえば朝練があったんだよねお疲れ様」


「そうなのよ。入学式だってのに部活の練習だなんてやめてほしいわ」


 彼女は部活目的で入学した口であり、かなり前から部活動に呼ばれていたらしい。というのは光輝から又聞きしたことだ。


 ここまでくれば説明する必要はないだろう。二人は彼氏彼女の関係である。

 そして、俺とはというと……


「――ッ」


 ふとした会話の間隙に、少女の顔がこちらの方を向く。あからさまな嫌悪が混じった眼差だ。

 それは一瞬のことで、瞬きをした後には再び光輝へ向き直っていた。もちろん先程までの、蛆虫を見るような目はどこにもなかった。


 それからいくつかのやり取りを挟んで、彼女は切り出した。


「こんなやつ放っておいて早く行こうよ。せっかく同じクラスになれたんだし」


 俺も同じクラスらしいぞ、と茶々を入れる声は心の中にしまっておく。すぐに判明することではあるが、わざわざここで伝えてやる道理はない。


 彼女は言い終えるや否や、光輝の袖をがっちりホールドして歩き出し、校舎の中へ消えていった。何でお前たちはそんなに仲が悪いんだ、と言いたげな表情をする光輝。

 それは自分の胸に問いかけてくれ。


 二人が視界から消えてからしばらくして、ようやく俺も動き出した。あの混雑具合だと、また顔を突き合わせる事態になりかねないからだ。


 やっとの思いで自分の名簿を確認する。


『一年三組四十番わたり翔吾しょうご


 寝不足の所為かぼんやりとする頭を抱えながら、新天地へと足を歩ませた。



 ○


「渡さん聞いてますか?」


 今朝のことを思い出していた俺は、羽角さんの呼びかけに意識を現実に引き戻された。

 もう一回話しますから、今度はちゃんと聞いてくださいね、と言う彼女の言葉を黙って聞いていく。


「私の後ろの席を見てください。どうして空席があるのでしょう?」


 後ろを振り返れば、たしかに使われていない席があった。

 しかし俺は拍子抜けしたのを隠しきれなかった。

 名探偵になりたい彼女が謎と呼ぶのだからそれはさぞかし壮大な謎のなのだろう、と勝手に思っていた俺も悪いのだろうが。


「普通に欠席者がいたんじゃないのか?」


「もー。やっぱり聞いていませんでしたね?」


 ある程度の確信をもって返した言葉は、いともたやすく流されてしまった。


 いわく米山高校は一クラス四十名単位で構成されている――これは大体の高校も同じだそう――が例に漏れず我らが一年三組も四十名のクラスだという。

 これは名簿順の最後尾である俺が四十番あるのだから疑いようもない事実だが、そうすると一つおかしなことが浮かび上がる。


「でもそうすると、数が合わないんです」


 簡単な計算問題だ。六掛ける七は四十二、俺の縦列は一つ分短いからマイナス一で四十一。

 つまりこの教室には机が一個余分にあることになる。


「ただの置き間違えなのかもしれませんが、私にはどうにも他の理由があるような気がしてならないんです」


「置き間違えじゃないっていう根拠はあるのか?」


「はい。その、根拠と言えるかどうかは分かりませんが……」


 気になった部分を尋ねると、羽角さんはどこか自信なさげに答えてくれた。


「今日は入学式とういう人生で特別な日です。なので机が足りないなんて事態が起こらないように、机を教室に並べるときは何度も座席表を見比べながら運ぶと思います。一つだけ多くというのは考えにくいと思うんです」


 一理ある話だ。


「確かにその通りだな」


「あ、ありがとうございます」


 いったいどこに感謝する要素があったのか定かでないが、一応受け取っておく。

 ここまで話を聞いてみれば、確かにおかしなことが起こっているようだ。


 彼女に断って少し時間を貰い周囲を見渡していたところ気になるものを発見した。


「一つ聞きたいことがあるんだけどいいか?」


「私でよければ任せてください!」


 ついさっきとは一変して自信に満ちた表情で受け答えた。あまりの変わりように思わず目を瞬かせた。


「こ、このパンフレットだけどさ、いつ配られた分かるか?」


 気になるものというのは、全ての机に置かれたこの高校に関することが書かれたパンフレットことだ。表紙には校舎の写真をバックに高校の正式名称が大きくあり、中には校長の言葉や校舎の見取り図、学校活動の様子が写真つきで載っていた。


「私が教室に入ったときにはもう用意されていたと思います」


「なるほど」


 小さく頷いた俺を見て、羽角さんの瞳が輝いた。


「なにか分かったのですか!?」


「いや、いくつか仮説が立っただけだ。それを確かめるために詳しい話が聞きたいんだけどいいか?」


「もちろんです。そういえば渡さんずっと寝ていましたもんね」


 くすくすと笑う羽角さんには悪気はないのだろうが、こちらとしては酷く恥ずかしい記憶を思い起こされて複雑な気分だ。


 気を取り直してから羽角さんに尋ねる。


「大変かもしれないけど、まず担任の先生が教室に入ってきたときからのことを聞かせてもらってもいいか?」


「もちろんです」


 拳で胸を叩いて羽角さんは意気込んだ。


 えーとですね、と羽角さんは記憶を想起しながら口にしていく。


「長谷川先生は……私達の担任の先生は教室に入ってきたあと一度教室を見渡して、それから自己紹介を始めました」


「話の腰を折って悪いが、そのときに長谷川先生は例の空席について何かしらの反応をしなかったのか?」


「言われてみればそうですね、手元の資料と教室とを何度か見比べていたような気がします。でもそのほかにはなにも……」


「そうか、ありがとう」


 羽角さんはいえいえと謙遜したのち話を続けていった。


「自己紹介の内容も話した方がいいでしょうか? はい、では話しますね。ざっと話をまとめるとこのような感じです」


 名前は長谷川京子、担当教科は国語。テニス部の副顧問。

 スポーツが好きで学生時代は運動部に所属していた。

 未婚。彼氏募集中。

 米山高校へは今年度が初赴任。


 簡潔にまとめられた情報を耳に通していく。記憶がいいと自負していただけあって言葉に淀みがない。

 途中、教師にあるまじき発言が入っていたような気がするが気にしないようにする。


「他に羽角さんが気になったこととかはないか? どんな些細なことでもいいぞ」


 羽角さんは小さな口を開けて、手のひらと拳とを打ち付けた。


「あっ、私としたことがとっても大事なことを忘れていました。長谷川先生が話している途中、とある出来事があったんです」


 どうやら俺は本当に爆睡していたらしい。その出来事とやらについて全く心当たりがなかった。


「自己紹介を始めた少しあとのことです。他クラスの担任らしき先生が訪ねてきたんです。どうやら教室を間違えたらしく、焦った様子で去っていきました。そのあとはですね――」


 担任による点呼が始まった以降のことは俺の知るとおりだが、見逃した部分があるかもしれないので、情報を噛み砕きながら整理していく。


「――そこで寝ていらっしゃる渡さんに声をかけたのです。……どう……でしょうか」


 上目遣いで見てくる羽角さんにドキッとしつつも、率直な感想を伝える。


「ああ、すごく助かったよ」


「良かったです!」


 羽角さんはこれ以上ないまでに破顔してみせた。

 彼女の喜びとはすなわち俺の推理への期待の現れに他ならないだろう。


 果たして俺はそれに答えることができるのだろうか。

 頭に過った逡巡を振り払いつつも、俺の脳は高速回転していった。


「一学年の全生徒の人数は分かるか?」


「全六クラスの二百四十三名だったと記憶しています」


「ありがとう」


 よくやく俺の頭の中で一つの推論ができあがった。

 むろんこれが絶対に正しいとは言わない。そもそも本心では十中八九ただの置き間違えだと考えている。


 だからこれはゲームで、その目的とは謎の机の正体を見分けることではなく、あくまでその推理の過程を楽しみ、羽角さんが満足できるものを提供することでしかない。


「もしや分かったのですか? この幻の四十一人目の謎が!」


 やけに誇張されていいるような気がしないでもないが……


「まあただの推論だけどな。ところで羽角さんは何か思いついたことあるのか?」


「わたしですかッ!? あるといえばありますが……自分の推理に自信がもてないんです。推理小説を読んでいるときいつも犯人の正体に驚いてばかりで、自力でトリックを見破ったことなんて全然なくて……」


 名探偵になりたいと公言しながらも、ところどころ消極的だった理由の一端が垣間見えた気がした。


「名探偵だって最初から名探偵だったわけじゃない。そもそも名探偵だって絶対に推理を間違えないわけじゃないんだ。そうだろ?」


「あはは、そうですよね。なんだから勇気づけられちゃいました。ではまず私から――」


 俺は彼女の口から語られた言葉に目を見開いた。


「私達全員、入るべき教室を間違えてしまったんです!」


 それは彼女の発言が非現実的だったからではない。むしろ逆だ。俺がこのあと語ろうとしていたものと根底を同じくしていたからだ。

 俺の驚きが伝わったのか、羽角さんは勢いよく頭を下げた。


「ご、ごめんさない! やっぱり変でしたよね!!」


「いや面白いと思うぞ。続けてくれ」


「そ、そうですか……?」


 羽角さんは表情に花を咲かせて、自身の推理を説明していった。


「わたしが最初にこう考えたのは、男性教師が誤って私達の教室を訪れてきたのを思い出した瞬間でした。序盤に一クラス四十名で構成されていると言いましたが、正しくはは四十名前後と言った方がよろしかったですね。渡さんが最後に質問された通り一学年全体の人数は二百四十三名です。本校は六クラス編成ですから、四十名のクラスが三つ、四十一名のクラスも三つ存在することとなります」


 あとは羽角さんが最初に言ったとおりだ。


「私達一年三組のクラスメイトが四十一名の教室にいるとしたら、この謎の机に説明がつくと考えたわけです」


「推理ものが好きなだけあって分かりやすいな」


「いえいえ、そんなことはないと思いますよ? 改めて言葉にすると色々とありえない事象が起きていることが浮き彫りになりましたし」


 確かに彼女の推理には穴があると言える。

 ただ逆に言えばその穴さえ埋めてしまえば、真実らしいものに昇華させることができる。


「ありえないことって?」


「やっぱり、そもそも全員が教室を間違えることに無理があるかなと」


 教室の目印として、入り口の上部に掲げられたプレート一番に挙げられる。それを全員が見紛うなど集団幻覚でも起きない限りありえない。

 だが――


「全員に教室を間違えさせる方法があるとしたらどうだ?」


「え」


 羽角さんは体の動きを停止させる。

 まるで目の前の相手がいきなり未知の言語を喋りだしたかのように。


「実は俺が考えたものそこまでは一緒なんだ」


 この教室は一年三組のものではない。

 紆余曲折のすえ俺が導き出した結論である。


 ようやく再起した羽角さんが言葉を絞り出す。


「そうなんですか?」


「まあな。でも俺は羽角さんみたいに話すのが得意じゃないから、俺が考えたことを一から言葉にしていこうと思っているんだが、それでもいいか?」


「はい。お願いします」


 俺はもう一度その結論に至るまでの流れを振り返る。

 羽角さんの推理が俺のものと近しいことに驚きはしたが、この推理ゲームの目的を考えたらむしろ好条件だと言える。


 担任が教室を出て既に十分弱。

 おそらく担任が戻ってきた瞬間がタイムリミットになるだろう。


 俺は子供のように爛々と目を輝かせる彼女を裏切る結果にならないように願いながら口を開いた。



「初めの方にパンフレットのことについて質問をしたのを覚えているか?」


「パンフレットがいつ配布されたのか、という話でしたよね」


 あのとき、俺は全ての机の上に置いてあるのを確認していた。例の空席の分も含めて。


「あの机の上にもちゃんと置かれているだろ? そこでこう考えたんだ。この席は誰かのものであるのだ、と。誰かのものだと仮定すると二つの可能性が見えてくる」


 俺は指を一つ立てた。


「羽角さんが言ったように、他のクラスの生徒のものである場合と」


 もう一つ指を立てる。


「一年三組に本当は四十一人目の生徒がいる場合だ」


「え、ですが最初に説明したとおり、一年三組は四十人のクラスですので……」


「百パーセントそうだと言えるわけではないだろ? もしかしたら名簿に誤植があって本当は四十一名のところを四十名であると錯覚したのかもしれない。さらに偶然、クラスメイト一人欠席していたとしたら辻褄が合う」


 羽角さんは目を丸くさせて俺の発言を聞いていた。


「だが後者はとある理由で却下される」


「なんでしょうか?」


「担任による点呼があったからだ」


 羽角さんは手のひらを打ち合わせた。


「わかりました! 仮に欠席者がいたとしたら先生は何かしらのアクションを起こすはずです。点呼が最初から最後まで滞りなく進行された以上、欠席者の存在はありえないということですね」


 頷いて、彼女の考えを肯定する。


「少し話が戻るが、仮にパンフレットが置かれていない机が一つ存在したなら間違いなく四十名と教室だと断定できるが、今回はそうではない。であるなら四十一名の教室である可能性があると考えたわけだ」


「そして点呼によって一年三組は四十名のクラスと確定しているため、この教室が他クラスのものであるとも考えられるというわけですね」


 笑顔でスラスラと語る羽角さん。推理が苦手と言っていたわりに、頭の回転が遅いという印象はない。おそらく推理力には問題ないが、その他の部分が足を引っ張っていると思われる。


「次に、どのようにして我々は入るべき教室を誤認してしまったのか、いやどうのようにして誤認させられたのかが問題になる」


「させられた、ですか?」


「想像して見てくれ。初めて訪れる学校で、一年三組に行かなければいけないとする。いったい何を一番に気にするべきか」


 今朝の自分の行動を思い返しているのだろう。目を瞑ってうんうんと唸っている。やがて思い当たったのか、ぱっと目を開いた。


「教室プレートですね!」


「そうだな。この学校について詳しくない者は教室プレートを頼るほかない。そこでだ、こうは考えられないか? 誰かのいたずらにより教室プレートが入れ替えられていたら、俺たち新入生は迷いなくそれに従ってしまうと」


「なるほど、いらずらによって間違えさせられたというわけですね」


 納得しかけた羽角さんだが、慌てて制止の声を入れる。


「待ってください! 新入生はそうかもしれませんが、先生方は異なるはずです!!」


 このような疑問が湧くのは当然だった。

 教室プレートを入れ替えるといっても、デタラメにしていてはすぐに見破られてしまう。そこで犯人はおそらく順番を逆にするという方法をとるだろう。

 しかし、それで新入生を騙せたとしても、学校で一日の大半を過ごしている先生を騙せる道理がない。

 彼女が言う通り、このままでは不自然である。


「いや、羽角さんは先生が騙される瞬間を目撃したんじゃないか? ほら俺に教えてくれただろう?」


「わたしが……ですか……?」


「俺たちの担任が話している途中に乱入してきた男性教師がいたとか言っていただろ?」


 ようやく合点がいったのか、大きな息を漏らす。

 しかしそれもすぐさま疑問に変わる。


「ですがどうして素直に引き下がったのでしょう。教室の位置が変わるなんていう非常事態を見逃すはずがありません!」


「そうだな……これを見てくれ」


 パンフレットを開いた俺はとあるページを彼女に見せた。

 学校の見取り図が載っている部分に指を差す。


「例えば――」


 三組と四組のプレートだけを入れ替える。

 中身を入れ替えることができるが、数字の不規則性から新入生すら違和感を覚えるだろう。


 ならば一組から六組までそっくりそのまま逆にしてしまったらどうだ。

 新入生なら騙せるかもしれないが、確実に教師陣は入れ替わりを察知できるだろう。


「そこでこうするんだ」


 六組の更に奥、空き教室となっている部分を埋めるようにして一つ分ずらす。

 一組の表示が二組の教室に、二組の表示が三組の教室に。といった風に。


「た、たしかにこれなら、ほとんどの人が気づかないと思います。違和感を覚えても、勘違いとして処理されることになるでしょうし」


「それと担任の長谷川先生だったかは今年度が初赴任って言ってたよな? 新入生と同条件と考えれば三組のプレートがある教室に迷いなく入ったことに辻褄が合う」


「では、あの男性の先生は教室を間違えたのではなかったのですね。むしろ彼だけが間違わなかった故に、己が間違ったと錯覚してしまったわけですか」


「そういうことになるな」


 俺が考えていたことは一通り言い終えた。

 羽角さんは推理の余韻に浸っているのか、どことなく頬が緩んでいるようにみえる。


 あとは答え合わせの時間を待つだけだ。

 仮にいらずらで入れ替えられていたとしたら、机が余る教室があれば足りない教室も出てくるだろう。会議にいった担任がそれ伝えないはずがないだろうし、すり替えが発覚するのも時間の問題である。

 担任が戻ってきた瞬間がタイムリミット、というのはそれが理由だ。


 といっても、後日ただの置き間違いであると発覚する結果に終わっても何ら不思議ではない。むしろそれが当たり前だ。


 推理ゲームを始めるときから思っていたように、これは所詮ゲームであり、推理の正誤を一番の目的とするものではないのだ。

 周囲の状況から考え得る可能性を吟味し、その中でもっともらしいことを導き出す。あくまで、その過程こそを楽しむものである。


 だからこんな突拍子もない推理が合っていてはいいけない。

 何もかもが見当外れであることが発覚した瞬間にこう言ってやるのだ。


『まあ現実はこんなもんだ。眼の前で事件が起こることなんて滅多にないし、推理だってほとんどはずれるものなんだ』と


 そんなことを考える俺の心は、焦りの滲んだ乱れた足音が近づいてくるにつれて、動悸が増していった。


 教室の扉が勢いよく開く。


「連絡があります! 至急全員荷物を全部持って廊下に整列してください。そして私の言うクラスに荷物を移動させた後、再び廊下で名簿順に整列してください」


 息を切らしながら担任が言った訳のわかない指示に教室は混乱に陥る。


 顔を青ざめさせながら隣を向くと、羽角さんは口元に微笑を浮かばせていた。

 唐突に彼女の首がこちらに曲がる。


「大正解でしたね、渡さん」


「偶然だ」


 俺はただそう呟くことしかできない。


 動揺で考えがまとまらないが、たった一つだけ言えることがある。

 この結果をもたらしたのは俺ではなく、彼女であると。

 名探偵を志す彼女がこの因果を引き寄せたのだと。


「さあ、わたし達も行きましょう!」


 俺はどこか誇らしげな表情を浮かべる羽角さんに引っ張られ、未だ混乱の収まらない教室を一足先に抜け出した。

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