対話
「『天は人の上に人を作らず』、だったかのう?」
本当に可笑しそうに、それは
「無能の言い訳に使われているが、あれは『学ばないクズは窮していくだけ』という、当たり前のことしか言っていない。だから『学問のすゝめ』だ。勉強しろというだけだ」
皇直哉は、気休めの言説に訂正を加える。
「アメリカの独立宣言を欺瞞であると、そう指摘する為に引用したさわりの部分。そこだけ有名になり、少しばかり曲がって伝わったものであーるからな」
「知っている。雑学博士気取りならもっと聞き慣れないことを言え」
窓際で眉間に皺を刻みながらタブレットを噛み砕く直哉と、斜め向かいで香りを楽しむでもなく黒い液体を流し込む男。
奇妙な静寂。
戦場に天使のお通りである。
「一杯どうだ?ミルクは入れない派だろう?」、それは正しい情報なのだが、気分では無いので直哉はシカトした。
「でも福沢諭吉も、見通しが甘いと言わざるを得ないわね。この世には、学びたくても学べない人間って一杯居るもの。不平等は、努力不足から来るものだけではないわ」
民族・地域・経済・天候・常識・傷病………。
あらゆる要素が絡まり合い、その相関が立ち位置を決定する。
否、その「位置」を含む土台が、それらで創られる。
「あの本を読めるくらいには、金と時間が有る奴を対象にしていただけだ」
「でもでもぉ、その人達には財産以外の部分で、どうしようもないことがあったかもしれないじゃん?」
個人が頑張ればどうにかなる。
その程度で覆せるなら、それは理不尽とは呼ばない。
「例えばそこに居る彼女だってそうだ。研鑽の果てに、着いたのはあんな狭量な牢。学んだことが幸せに繋がっていない。前提として、そこに通じる道が無いからだ」
それが指すのは、直哉の隣に移動していたアクテである。
少女は今、何故か彼の右腕にしがみついている。顔は彼に押しつけられたまま離れず、表情も分からない。
一度引き離そうとしたが、「ん~」と駄々っ子のような声だけ上げて、イヤイヤと首を振られ拒否された。
直哉としては、そんな命乞いをされたところで、なんらも響く物は無い。
「そもそもやろうとしてない連中は、あんな本を読まねえ。読者の多くは足掻いても儘ならねえ今があって、それでもと可能性を探していた奴だ。そいつらに『努力した者は必ず成功する』と聞かせるなんて、呪いのようだとは思わねえか?」
「別に、どっちでもいい」
彼には一粒の興味も湧かない。
「だからどうした。『福沢諭吉はボケ野郎』と言いたいのか?」
「いや、この話の要点はそこではなくて——」
——人に平等になってほしい。
「そういう話だぜ」
「あ、そう………」
くだらない。
社会主義が破綻してからこっち、そんな世迷言を恥ずかしげもなく述べられるのは、愚民か詐欺師だけだ。
平和とか平等とか、見た事もないものをペラペラと。
「そうだな、そうなるといいな。もういいか?意義のある話し合いには思えずイライラする」
「2001年9月11日。『アルカイダ』を名乗る者達によって、計3機の飛行機が墜落。内二機はアメリカニューヨークのワールドトレードセンタービルに激突。一連の事件での死者数は延べ3000人弱と言われている」
話が変わった。
だが未だ、隔靴搔痒の感が否めない。
外堀を叩いて回るようなくどさ。
着地点が見えて来ない。
「悪名高き9.11事件は、航空業界に一つの教訓を銘じた。それは——」
——簡単にコックピットに入らせるな。
暗証番号と、中に居る人間の意思。それらが揃って解錠される仕組み。
シンプルだが分かりやすいテロリスト対策。
「琉球解放戦線は、入れなかったんだ。だからお前は、機首側を警戒しなくてもいい」
矢鱈とフェアな立場で情報開示がされる。
関係者以外の物理的立ち入り禁止。
理に適った方法に思える。
「2015年。ジャーマンウィングス9525便が、フランスのアルプ=ド=オート=プロヴァンス県に墜落した」
そしてまた、航空機の大破史。
機内で披露するには、笑えないジョークである。
「機材トラブルも無く、決まった通りにセキュリティもしっかりしていた。それなのに航路を派手に外れ、落っこちた。ここで問題!それは何故か?『はい』か『いいえ』で答えられる質問を——」
「パイロットが入れ替わっていた、もしくは急病で動かせなかった。その辺りだろうな。操縦席を守る開かずの扉が、逆に大量死に繋がったと?したり顔が目に浮かぶ」
「……答えが分かったらゲーム性を無視するタイプなの?もう少し楽しむとかあるでしょう?」
「知らん。引き延ばしは好かん」
にべもない。
情報を得る為の探り出しであり、会話する気はまるで無い。
「でもまあ、50点ってところ。惜しくはあるけど」
困ったような声、得意げな姿勢、単なる相槌の間でも、それの笑顔は曇りを見せない。
「汝がこの飛行機に乗るって知った時、ボクは急いで乗務員を交代させた。“選定”の為に」
掴み所が無い。
まだこいつは、手の内を明かしていない。
「『琉球解放戦線』とは知り合いか?」
「はいともいいえとも言えるのん。『部分的にそう』って感じかなン」
「はっきりしないな」
「明確に切り分けられる程、世の中簡単じゃないのサア」
わざと煙に巻いて愉しんでいるのか。
それとも本心で話しているのに、彼我の乖離が甚だしいのか。
「もうすぐ答えが出るぞキミィ。コイントスの結果が」
——あの部屋には、誰も入れないのだから。
「………そういうことか」
謎々の答えが分かった。
難しく考えなければ、ありがちな話ではあった。
何時の世にも、傍迷惑な奴がいたものだ。
「自殺か」
乗客全員と心中したのか。
「彼は生前、精神科医にも掛かっていたんダ!守秘義務によってその情報が止められたことで、不安定な副操縦士が、快適な空の旅に同行出来てしまったんダネ!」
船頭が地獄へ舵を切った。トリックも何も無い単なる乱心の果て。
それを、
「それをここでまた起こそうと言うのか?」
「さあて、そうなるかは知らん。全ては偶然に過ぎぬ」
あっけらかんと、それは言う。
「太古の昔、有機物が集まって液滴となり、生命という単位となった。暑いだとか寒いだとか、そういったことで形を変えた。その連続が海も地も空も埋め、そこからホモサピエンスが発生し、その中でお前さんが裕福な家庭に生まれ、何不自由なく暮らし——」
——成長の過程で、
——途轍もない何かに出会ってしまった。
「偶然だ。みんな偶然によって作られているんだろうよ」
誰も関与できない。
操るどころか、備えることすら。
「誰のどんな行為であっても、その前には等しく塵芥に同じ」
無数の作用が世界を回している。
それらの相乗が命運と呼ばれるなら、俯瞰も客観も歯が立ちはしない。
「今コックピットの内部で動いているのは、機長一人だけとなっております」
乗員達の命を握る者。
「因みに一昨日、鬱病と診断されておったそうな」
直哉の腕を抱きすくめる力が、ほんのりと強まった気がした。
彼はそれを、
鬱陶しいと思った。
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