第24話 絶体絶命〈河原崎沙衣〉

 とろんとした焦点の無い目をしたシンさんの口から、白い霧のようなモヤモヤが細く流れ出ていて、トシエの口と繋がっている。



 やっば!!


 これって昔、二見さんでシンさんがぼかして言っていた妄想話じゃん!!


 妄想だと思ってたけど、本当だった!! 二見さんが言ってた通り、なんか奪われてる。これが生気ってやつ? コワッ‥‥‥



 ──そうだ! 塩撒くように言われてたんだっけ。




 俺が手に持った塩の袋を開けようとした刹那、



 《‥‥‥次、みつけた》



 頭の中に、聞いたことのない女の子の声が響いて来た。


「あん!?」


 顔半分覆うような白くて大きなフード付きの被り物をしてる白い着物を着た女がいつの間にか現れ、俺からシンさんを遮るように立っていた。


 これって白無垢とかいう、昔ながらの花嫁衣装だ。鼻の先と、赤い紅を引いた口許だけが見えてる。


 ハッとするほど神がかって美しく思えたその姿。



 これは、トシエの仲間の幽霊?


 ナイフを取りに行く前に、後ろ姿をチラリと見た。トシエと一つになったり、離れたり、揺らいで見えてた、あの影。



 でも、これはさっきぼやけて見えてた時と違って、本当の実体の人間のような姿だ。トシエと同じような。


 二見さんは、『白無垢さん』って呼んでた。



 ‥‥そうだよ、これって幽霊じゃん!!



「ヒイッ!!」


 一歩後ずさった俺は、足に何か柔らかいものが当たってビクッと飛び上がった。



「あ‥‥‥」


「にゃ~ん」



 俺の足元には真っ黒なネコ。


 そう言えば、さっきもいたよな。茉莉児さんがネコ飼ってたなんて知らなかった。



「しっ、しっ」


 俺は廊下を後退りながら、足を振って追い払う。


 こんな時に来られたって困んだろッ!! 



「あっち行ってろ、邪魔だッ!!」



 追い払ってんのに俺の足にまとわりつく。ジリジリ後ろ歩きで下がる俺、転びそう。



 前方には、美しくも不気味な白い着物の女、白無垢さん。足元には黒猫。



 ──そうだ、塩っ!!



 俺は油断せぬように、幽霊から目線を外さぬまま、手探りで握っていた塩の袋を開けようとビニールに指を食い込ませるけど、このビニール、なんて、丈夫なんだよ? 開かねーッッ!! 丈夫過ぎでしょッ。



 じわじわ焦る俺。



「うわっ、痛っ!」


 右脚にガッと来た重みの衝撃と同時に、チクッと痛みが走った。



 見れば俺の右スネにしっかとしがみついてるネコ。


 なあ、俺のお気にのデニムに爪立てて穴開けんじゃねーよ。



「おいっ、離れろって! ネコッ! こんな時に俺にじゃれてんじゃねーよ! 後で遊んでやっからさ」



 ネコに気を取られてから顔を上げると、白無垢さんとやらと間近で真正面向き合っていた。白い綿帽子に隠れて顔は下半分しか見えない。


 こうして見ると、幽霊とは思えないけど、俺の肩に乗っかってるこの重苦しい空気はこいつのせいだって、感覚でわかる。これは人間じゃない!


 俺は脚にネコをくっつけたまま、頬がひきつってる。



「あ‥‥あんた‥‥‥誰っ?」


 幽霊だってわかっちゃいるけど、焦って咄嗟に話しかけてしまった。



 《‥‥‥‥‥‥》



 幽霊はただ、俺の目の前で佇む。なんで、俺の真ん前に? 俺に何をする気だ?



「お、俺は、か、河原崎沙衣さい。25才‥‥」



 なんで俺は幽霊に自己紹介してんだよ? 焦って、自分でも意味不明な言動。



 《‥‥‥いたわりあう夫婦は見たくない。用が済んだら消した》



 それは抑揚のない、感情の無い声。


 ゲッ!! もしかして、こいつの言ってる夫婦って、もしかして、シンさんの両親のこと?!



「お、お、お、俺は違う‥‥‥夫婦とか、そういうの‥‥」



 無意識に後ろ歩きする足元が、洗面所の入り口の小さな段差にかかとを取られてよろけたが、踏みとどまった。


 よく見るとこの幽霊、うちの高校生の夜明よりも幼いようにも見える。



 《それにも増して、若い殿方が憎い》



「‥‥‥お、俺っ?」



 もしかして、俺もこいつのターゲットかよ!? うわーっ、俺はあんたとは個人的には関係ないじゃん。やめてくれよ‥‥‥



 俺がじりじりと下がるとじりじりと近づく。


 いつしか風呂場の手前まで追い詰められていた。



 にゃ~んっ‥‥‥ガッ!! 




「えっ!? おい、コラッ!!」



 脛に抱きついてたネコが、俺の手から塩の袋を、サッとかっさらって逃げて行きやがった。


 なんてこった!! いたずらネコめっ!



 《おまえも償え。黄泉こうせんの客となって》



 塩を失ったと同時に、白無垢さんのゆっくりとした静かな声が俺の中に響いた。



 黄泉こうせんって? 黄泉よみのこと?



 あー‥‥あの世だね‥‥‥



 それって、どう聞いても俺に手向けた呪いの言葉。



 嘘だろ? 俺、ここにて、このよくわかんない幽霊に呪われて死ぬのか? 


 もう、ここは風呂場の行き止まり。窓の外側には柵がついてる。



 逃げ場はもう無い‥‥‥



 情けないことに、うるうると涙が流れて来た。俺の頭の中を、レイラと夜明の顔がよぎる。



 あいつら今頃、何してんだろ? レイラは友だちとカラオケだったな。推しのあの歌、歌ってる? 夜明は勉強会という名目のお泊まりパーティー。友だちと菓子食いながら楽しく内緒のお喋りしてんのかな?


 お前ら帰った時さ、旨いローストビーフ作ってやろうと思ってさ、奮発して旨そうな牛肉買ってあったのに無駄になっちまうな‥‥‥あれ、焼き加減ムズいから俺しか焼けねーし‥‥‥


 ああ、無念だ。俺に迫って来た前のセクハラ上司。こんなことになるならタマ握りつぶして復讐しておけばよかったな‥‥‥


 俺の本に挟んだへそくり万札2枚、発見されずに捨てられちまうだろな‥‥‥



 もう、どうでもいいようなことが頭に浮かんでは消えて行く。これが死ぬ前の走馬灯ってやつ? 俺の走馬灯、なんかショボい‥‥‥



 意識がハッと現実に引き戻された。


 目の前の白無垢さんの純白の着物の腹の辺りが、赤く滲んで来たのが見えて。



《この子は生まれて来てはいけない子と、周りにいたく責められた。だから自分で自分の腹を裂いた。愛を誓った柳の木の下で》



 その、綿帽子で上半分隠された頬には真っ赤な涙が伝っている。


 白かった着物が全身、緋色に染まった。


 不意に風が巻き起こり、白から緋色と化した頭の被り物がめくれた。


 

「ヒッ‥‥‥! これ以上こっち来んなっ!!」



 その目は、底知れぬ二つの黒い穴。乱れて舞う、触手のような長い黒髪。



《この世のすべては仮初め》



 その首の横がスパッと切れて、血飛沫が勢い良く舞った。


 生ぬるい飛沫が俺の顔にピチャピチャかかるのを、皮膚に感じる。



《なれど、我はとこしえに‥‥‥》


《我の不幸の代償で。お前の命をかてにして‥‥》



 俺、今どうなっちゃってんの? 恐怖で声さえ出ない。



 唯一の廊下の明かりも、チカチカして今にも消えそう。



 このシチュエーション。これぞ、ザ・ホラーって定番だ!


 やめてくれ!


 誰か俺をここから出してくれッ!!



 白無垢さんの踊る長い髪が、俺の顔に、首に、覆うように絡みついて来た。



「やっ、やめろッ‥‥うあああぁ‥‥ぐぐぐぐッ‥‥あ゛ぐぅ‥‥‥‥‥」



 絶望がささっと脳裏を過る。


 

 ああ‥‥‥俺、ここで殺される。



 結局、俺は殺される運命だったのか? 


 あの時、トシエから逃れられたとしても。



 息が苦しい‥‥‥顔が熱い。ほんと、俺には神様なんて、いやしねぇよ‥‥‥知ってたけど‥‥ね‥‥‥



 諦め感が俺を支配し始めてた。



 それでも俺の手は、意思を持った生き物のような髪に必死に抗っていた。





 

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