第5話 隣人〈佐久間レイヤ〉

 俺が粗大ゴミを捨ててから二日後、修理の見積りを取りに行かせるので都合の良い日時を教えてくれと不動産屋から、やっと連絡が来た。


 俺はこちらの日時はどうでもなるからと、可能な限り早くの屋根裏清掃と修理を頼んだ。


 結果、翌週の金曜日には修理は終わった。保険金も下りて、俺の損失分も補償されることになった。



 これでやっと普通の生活が出来る‥‥と、思ったのに。



 俺がまた自室を3階に戻した1月第3週の木曜日の夜。


 またもや夜中に、屋根裏からバッタンバッタン音がした。


 ああーもう、うんざりだ!



 駆除業者に連絡すると、もう一度点検に来てくれたが、前回の外壁チェックと隙間シールドは完璧で、当社ではこれ以上の対処は出来かねると言われた。


 


「ねえ、この家にだけ動物が入り込んでいるの? うちに来るんならご近所にもそんなお宅があるかもしれないんじゃない? 誰かに聞いてみましょうよ。もしかしたら何かわかるかも‥‥‥」


 土曜日の朝になって凛花が提案した。


 確かに聞くことはいいかも知れない。俺の中ではそれはネコだとほぼ確信しているけれど、この様なことが近隣で起こったことがあるのなら、その時の対処方法などを聞ける可能性もあるし。


「でもね、私、仕事で昼間いないし御近所のことほとんど知らないの。レイヤは?」


「俺だって、在宅勤務が多いからって、近所付き合いなんて‥‥‥」


「とにかく、事情を話して誰かに聞いてみましょうよ。不動産屋だって当てにならないわ。もう、売ってしまえばこっちのものって感じだろうし、それに‥‥向こうだってこんなこと知らなかったことだと思う。売り主の茉莉児まりこさんは知っていたのかしら? 天井が腐るほどだったのならかなり前からのことよ?」


「だよな‥‥‥」


 凛花は茉莉児まりこさんが亡くなっていることは知らない。


「そうよ、引っ越した時に近所にご挨拶はしてあるし、それくらい教えてくれるんじゃないかな?」



 当時、周りの数軒には挨拶の高級タオルセットを持って二人で挨拶に回ってある。だからと言って普段見かけることすらあまり無いし、付き合いも無い。


「誰に聞けば? あのお喋りマダムには聞けないな。じゃ、左隣の河原崎さんに聞いてみようか? 沙衣くんって人覚えてる? 金髪のひょろいおにーさん。俺と同い年くらいの男」


「うん、引っ越しのご挨拶した時に出て来た人ね。年も近いなら聞きやすいかもね」


「あの人、二見さんの奥さんと親しいのかな? 元旦にうちの粗大ゴミのことで探り入れてきたの、二見さんに頼まれてたみたいだし」


「そう言えばそうだったわね。ねぇ、お喋りな人と親しいなら、その沙衣くんとやらも近所の事情通かもね」


「‥‥もう、10時過ぎてる。昼前の土曜日だし、どうだろう? いるかな? 今、彼に聞いて来ようか? 俺、行って来るよ」


「ありがとう。何かわかるといいけど。私、一応お茶の用意をしておくわ。この際、出来たらうちに招いて、他の近所の情報もいろいろ聞いておきましょうよ」


「了!」




 俺が尋ねた時は、河原崎さんちは不在だった。仕方がないので、メモ書きをポストに入れておいた。このメモに気がついたらいつでも構わないので連絡を下さい、と添えて。


 夜の9時近くになって、玄関のチャイムが鳴った。モニターを見ると沙衣くんだった。


 俺は玄関に出た。


 沙衣くんは、気まずそうな顔をしていた。



「夜分すみません。俺宛てのメモを見たのですが、『少しだけ時間をいただけませんか』って‥‥あの‥‥どうかしましたか? もしかして、俺、何かご迷惑かけてましたか? だったら申し訳なかったけど」



 俺の走り書きのメモで、困惑させてしまったみたいだ。やば。気を悪くしてなきゃいいけど。


 俺は不調法を詫びて、俺の部屋の天井事件を話し、出来れば今から話を聞きたい旨を伝えた。沙衣くんは自分もそれほど知らないと言ったけど、俺たちよりは知っているのは確かだし、少しでいいからこの辺りの情報を聞きたいとお願いして、話をして貰えることになった。



「河原崎さん、ありがとうございます。ここではなんですから、上がって下さい」


 俺が招き入れようとすると、


「いえ、ここでいいですよ。俺が話せることなんて、そんなにないし」


「もう、夜ですし、ここで話したら周りに響いてしまいますよ。第一こんな寒々しいところでは二人とも風邪をひいてしまいますよ」


 俺は半ば強引に中に誘っている。


「妻も聞きたがっているのでお願いしますっ」


 頭を直角まで下げた。



「うわっ! やめてくれよ、ただの隣の人にさぁ‥‥わかったってば。だからって、佐久間さんが聞きたいことを俺が知っているとは限らないけど」




 4人掛けの食卓テーブルを挟み、向かい合って座る沙衣くんと俺。



「お飲み物は何がよろしいですか?」


 凛花が、少し緊張気味に彼に聞いた。


「いえ、お構い無く。すぐに帰りますから。お宅のメモ見て、俺にクレームかと思って夜分だったけど伺っただけなんで」



 沙衣くん、ちょっと怒ってるようだ。そわそわ落ち着かない態度。


 俺、強引だったよな‥‥‥



「すみませんでした。無理言ってしまって‥‥‥」


 俺が軽く会釈すると、不機嫌そうに、


「そういうのいいから、質問早く言ってくんない?」


 あー、沙衣くんは、完全怒ってる。



 彼は、一般社会人とは言えない髪型と髪の色。


 前髪で目が隠れているし、ブリーチを繰り返しているような色してる。


 こういうヤンキー上がりっぽい人って、社会的訓練されてなくて、単純で心がそのまま表面に現れてしまいがちなんだろう。分かりやすくていいけど。


 凛花が空気を読んでフォローしてくれた。


「本当にすみませんでした。私たち、家を買った途端に他にも小さなトラブル続きで参ってしまって。立て付けが悪くなっているのか夜中に部屋のドアがカチャカチャしたり、そんなに電気を使ってはいないのに急にブレーカーが落ちて真っ暗になったり、水道からはポタポタ水が垂れるし‥‥‥」


 温かい緑茶を沙衣くんに差し出してから、俺の横の椅子に腰掛けた。


「あ、ども。‥‥そんなの築20年もしたら当たり前じゃないですか。月日が経ってドアの立て付けが歪むなんて、良くあることなのでは? ドアノブだって蛇口だって、確か寿命は10年ですよ? よく使う場所なら、取り替えてなかったら漏れるのは当然ですし、ホームセンターにでも行けよ。ブレーカーは、電力会社に相談なさってはいかがですか?」


 呆れたように、沙衣くんが言った。


 ほぼ、初対面のような関係の人にキツい物言いをされて、凛花がシュンとなった。


 ここからは俺が話を進めなければ。


 沙衣くんは本当に早く帰りたいみたいで、そわそわもぞもぞしている。


「俺に聞きたい話って、佐久間さんちの天井に動物が入り込んで糞尿で天井が腐ったってことですよね? 俺んちにはそういうことは今んとこ無いよ」


「この辺りにそのようなお宅は他にもあるのでしょうか?」


「俺そんなに近所のことなんて知らないし。知る限りじゃ聞いたこと無いけど」


「以前住んでらした茉莉児まりこさんはそれらしきこと、何か言ってませんでしたか?」


「‥‥‥さあね。俺、それほど茉莉児まりこさんと話したこと無いんで」



 ──待って、沙衣くん‥‥‥おかしいな。ほとんど話したこともない隣人の死に涙してたって。


 偶然俺に聞いてしまった二見さんと沙衣くんの立ち話を思い出す。


 沙衣くんは茉莉児まりこさんにラーメンをご馳走になったことがあったんだっけ?



「あの‥‥茉莉児まりこさんて、亡くなられたそうですが」


 凛花には隠していたことを口走ってから、あっと思って隣を見た。


 凛花は驚いたようだったけど、手を口に当てただけで黙っている。



「えっ!?‥‥ああ、そうですね。去年あなた方が越して来てすぐでしたね‥‥不動産屋から聞いたんですか?」


「ええまあ‥‥。あの、茉莉児まりこさんとはそれほど話したことが無いってことですけど、あの‥‥実際、どの程度の間柄だったのですか?」


「‥‥‥なんでそんなこと?」


 長い前髪の奥の薄茶色の目が一瞬泳いでから、俺の顔をじっと見て来た。


 今の質問は失礼だったかと俺はたじろぐ。


「あ、いえ‥‥‥」



「もう、俺が話せることもないから、これで」


 沙衣くんがガタッと立ち上がった時。凛花が。



「‥‥‥沙衣‥‥‥あんた‥‥は‥‥向こうに‥‥‥行ってな‥‥さい‥‥」



 うつ向いて座っていた凛花がふと、呟いた。


「はっ?」


 沙衣くんが怪訝な顔で、うつ向いて座っている凛花を見下ろした。



「凛花?」


 俺の声かけを無視してそのままじっとうつ向いて座っている。



 沙衣くんと俺の困惑の視線がぶつかった。


「おい、凛花?」



 俺が凛花の肩に触れる刹那、ガッターンと大きな音が響いた。


 凛花が椅子を後ろに倒して、勢い良く立ち上がった。


「おっ、おい、凛花!? 何やってんだ!」



 いくら沙衣くんが俺たちに不機嫌をさらしたからって、こんな態度は尋常じゃない。凛花は怒るとツンツンするか黙り込むかで、他人にこんな態度を取ったのを初めて見た。


 普段は、穏やかで優しい女性なのに。



「‥‥‥沙衣‥‥‥邪魔‥‥なの‥‥よ‥‥あんた‥‥‥」



 凛花の顔は、焦点も無いまま沙衣くんを向いた。




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