第28話

「バカ!このバカ!大バカ!大バカ王子!」


 アルマ王国から船で戻ってきたアルノルトを港で出迎えたカサンドラは、そう言いながら、アルノルトの頭を何度も、何度も引っ叩いた。


 アルノルトは頭を叩くカサンドラを抱きしめると、そのまま抱きかかえながら歩き出す。


「ごめん!ごめん!ついカーッとなってしまったんだ」


 ついカーッとなって、異国を襲撃していたらたまったものではない。


 これは王宮に帰って、相当怒られる事になるだろうとカサンドラは思っていたのだが、


「アルノルト!良くぞ無事に帰った!お前の武勇伝は報告で聞いているぞ!」

アルノルトの父である国王陛下は大喜びで息子を出迎えた。


「元々気に食わない王女でしたけれど、カサンドラちゃんを毒殺しようだなんて!とんでもない王女でしたわね!公国への襲撃は当たり前の行為です!」

 王妃様もアルマ公国襲撃については賛成の意見らしい。


 そもそもアルノルトはカサンドラが剃刀で手を切った事に激怒して、港一つを落としてしまったのだ。


「皆様呑気ですわ!めちゃくちゃ呑気ですわ!全く理解できません!」


 カサンドラはあくまで婚約者(仮)である。その婚約者(仮)が傷つけられた事による過激な報復行為に苦言の一つも呈さないなんておかし過ぎると思うのだ。


「まあ、まあ、アルノルトも帰ってきたばかりで疲れているだろうしな、報告は少し休んだ後で良い。カサンドラ、アルノルトを宜しく頼む」


 自国の王子に甘過ぎる国王陛下は、自室で休むようにと言っているらしい。

 婚約者(仮)とはいえ、王太子妃待遇で王宮に居るカサンドラは、アルノルトがゆっくりと休めるように手配しなければならない。


「今すぐ湯殿の準備をさせましょう、殿下、とにかくお話は身綺麗にした後ですわね」

「そんなに汚いだろうか・・・」

 船での移動の最中は、公国との取引の内容を詳細に報告するための準備に追われていたのだろう。アルノルトは、確実に汚れていた。


 王国に到着したのが昼過ぎの事で、湯浴みを済ませて私室へと戻れば、すでに日が沈みかけている。

「簡単にお食事を摂れるようにしておきました」

 テラスには七輪が置かれ、すでに炭に火が入り、アルマ公国から持って帰ってきた燻製肉が大皿で用意されている。

 テーブルの上に用意されているのは塩おにぎりに漬物、味噌汁が鉄鍋に入れられた状態で置かれている。


「ああー〜!帰って来たっていう感じがするなー〜―」

「鳳陽食を前にして帰って来た気がするのもどうかと思いますけど」

「このテラスに置かれた七輪がいいんだよ、この七輪を考えた人間は天才だな!」


 侍女が緑茶を湯呑みに注ぐと、辞儀をして部屋から出て行った。

 小高い丘の上にある宮殿のテラスからの眺めは素晴らしく、広がる王都の街並みが、今は夕日に染まって朱色のグラデーションの中に沈み込んでいるように見えた。


「この燻製肉は、ほろほろ鶏の燻製肉だとお聞きしたのですが?」

「特殊なスパイスに漬け込んだ後に燻製にしたものだから、絶品なんだ。向こうでは鶏よりもほろほろ鶏を飼育しているんだ。この燻製肉は一般に食べられているものだな」


 随分とゴキゲンな様子で肉を並べていくアルノルトは、

「燻製肉はそのままで食べてもいいけど、炭火で炙って食べた方が数倍うまいと思う」

と、キラキラした眼差しで肉を眺めている。


「殿下、私が言いたい事は分かりますか?」

「何?」

「殿下、やりすぎですよ」


 カサンドラは大きなため息を吐き出した。


「私は殿下の婚約者を十歳の時からやっていますけど、いつでも言っている通り、殿下が真実の愛を見つけるまでの婚約者(仮)なのですよ?私が関わる事で、国を巻き込むような騒動を起こすのもどうかと思いますの、分かります?」


「カサンドラは私の事をどう思う?好ましいと思うか?」

「それは好ましいと思います」


 アルノルトは月の光を溶かしたような銀色の髪に金の瞳を持った、顔立ちも整いまくった王子様らしい王子様なので、女性全般がアルノルトの事を好ましいと思うだろう。


「それではカサンドラ、お前を好み、お前を奪いたいと思う他国の王族が現れて、私を暗殺し、我が国を滅茶苦茶にしようと考えていたとしたらどう思う?」

「頭に来ると思います」


 カサンドラには今まで、好意を寄せてきた男が一人たりとも現れた事がないのだが、あえて妄想してみた所、その他国の王族の好意は迷惑以外の何物でもなかった。


「お前だったらその王族に対してどういった行動に出る?」

「そうですね、そのひとが所属する王家に敵対する勢力に対して、資金を投入します。内戦寸前にまで持っていけば、クラルヴァイン王国の侯爵家の娘一人に関わっている暇はなくなるでしょうしね」


「私とお前の思考はよく似ていると思う」

「そうですかね?私はそうは思いませんけれども」


 カサンドラは侍女が用意した味噌汁に口をつけた、ほろほろ鶏の燻製と根菜を煮込んだ汁物はお腹の中から温まるようで美味しい。


「結局、公国に連れて行かれたエルハム王女はどうなったのです?」

「ああ、それについては色々と揉めたな」


 王女のカサンドラ暗殺計画については、後から証拠の品が運ばれてくる事になったのだが、元々、公王から溺愛されている王女の我儘ぶりは公国でも有名だった事もあり、あの王女ならやりかねないと関係者一同が思ったらしい。


 第一王子のクミールと第二王子のシャリーフが揃って謝罪に現れ、娘を甘やかした公王は罪人のような扱いでアルノルトの前に引き出された。


 船で公国まで移動してきたエルハム王女は、家族との感動の再会という事にはならず、クラルヴァイン王国を怒らせ、港湾都市一つに壊滅的なダメージを与えたという責を負うため、公開処刑とするか、どうするかで紛糾する事になったらしい。


 結果、娘を溺愛する公王の懇願によって死刑だけは免れる事になって、大陸の南方に位置するバジール王国に18番目の妃として嫁ぐ事が決定した。


 この王国の後宮は特殊な作りをしており、一度入ったが最後、絶対に外には出られないと言われている。


信じる神が違う関係から、南大陸には修道院というものは存在しない。その為、問題を起こした王族や高位の貴族女性が放り込まれる場所として、バジール王国の名前は度々登場するのだという。


「まあ!それではエルハム様はお嫁に行く事になりましたのね!」


 後宮のシステムについてはある程度知っていても、バジール王国の黒い噂までは知らないカサンドラは、王女が酷い目にあわないで済んだのだと理解して笑顔を浮かべた。


「娘を溺愛し続けた公王だが、政治の手腕は並以下の男であったらしい。第一王子に王位を継承させる事になったのは向こうとしても僥倖だったみたいだな。それに、補佐としてあの女たらしのシャリーフ王子が前に出るようになって・・・」


 クラルヴァインへの訪問は、シャリーフ王子を覚醒させるきっかけとなったらしい。カサンドラが無事である事を知らせた時の王子の様子を思い出すと、アルノルトの胸の中に黒々とした靄が発生していく。


「殿下、どうされたのですか?殿下?」

「あ・・・ああ・・・」


 カサンドラがアルノルトの前におにぎりを差し出してきた。カサンドラは私的な場ではアーンをしてくれない。大勢がいる前でアーンをする事に意義を見出しているからだ。


「公国は自国の非を認めて多額の賠償金を王国に支払う事になった。シャリーフ王子は戦艦の大砲に目をつけたようでね、公国でも購入したいと言い出したんだが」


「鳳陽国から購入したいのですわね、おそらく港湾の守備を強化したいという事でしょうけど、私が間に入りましょうか?」

「いやいい、すでに他の人間に任せている」


 ただでさえ、シャリーフ王子はカサンドラに対して好意を抱いているようなのだ。そんな王子との関わりを増やすわけにはいかない。


「ところでカサンドラ、お前は私に対して好きか嫌いかで言ったら、どっちになる?」

「好きか嫌いかで言ったら好きに決まっているじゃないですか!」


 アルノルトは、米粒を頬につけているカサンドラの美しい顔を見ると、頬にキスをしてついていた米粒を自分の口に入れた。


「は?」

「頬に飯粒がついていた」

「はい?」


 形の良い顎を両手で捕えると、反対の頬と額にキスを送り、そうして彼女の唇に自分の唇を重ね合わせた。


 唇を重ねるだけの軽いものではなく、口の中に割り込む、甘い愛撫にも似た濃厚なもので、ようやっと唇を離したアルノルトはカサンドラの紅玉の瞳を覗き込むようにして、

「ようやっと好きだと言われた」

と言って、艶かしいほど色艶のある笑みを浮かべる。


 呆然としたカサンドラの顔がみるみる間に真っ赤となり、

「なっ・・・なっ・・・なっ・・・・」

一文字しか出てこない。


 今までどれだけ一緒にいても、艶かしい何かが起こる事がなかった二人の間に、抜き差しならない、張り詰めるような空気だけが広がっていく。


「お前は、私が真実の愛を選ぶのを応援するし、もし、私が真実の愛を見つける事が出来た暁には、アルペンハイム侯爵家の全勢力を使って応援すると言っていたよな?」

「はい?」

「だったらいいよな」


 頭の先からガブリと飲み込まれるような視線にカサンドラが硬直していると、アルノルトは軽々とカサンドラを抱き上げた。

 そうして二人の寝室へと移動していくと、朝になっても出てくる事はなかったらしい。

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