悪役令嬢はやる気がない

もちづき 裕

第1話

 アルペンハイム侯爵家の娘であるカサンドラが、アルノルト王子の婚約者に内定したという話を聞いたのは十歳の時の事だった。


 クラルヴァイン王国の二大公爵家には年頃の娘がおらず、三大侯爵家となるアルペンハイム家、バルフュット家、エンデルベルト家には年齢の合う令嬢がいた。バルフュットは王家派、エンデルベルト家は貴族派という二大派閥を率いている事もあった為、中立派のアルペンハイムに白羽の矢が立ったという事になる。


「ぶへへっへへへへっへ」


 年頃の令嬢が王子の婚約者になったと聞けば、誰しも飛び上がって喜ぶだろうに、カサンドラは口にしていた紅茶を吹き出した後も、奇妙は発声をやめようとはしない。

 しばらくして、ようやっと落ち着いたのか、口元をハンカチで拭いながら、

「それってお断り出来ない案件ですよね?」

と、父親に向かって朗らかに笑いながら問いかけたのだが、父親は同じような顔で朗らかに笑いながら、断るのは到底無理だと言うように首を振って見せたのだった。


「そうですか・・・」


 カサンドラの膝の上には一冊の本が置かれていた。

遥か東に位置する大国鳳陽(フンヤン)で出版されている恋愛小説であり、幼い時から皇帝の婚約者として育ってきた凜風(リンファ)が、明るく無邪気な少女明明(めいめい)に婚約者を奪われて追放、凛風の家族は没落し、皇帝に愛される皇妃明明が幸せに暮らしましたという話になる。

下剋上が大好きな鳳陽国ではベストセラーとなっているらしい。


「お父様・・・本当に断る事は出来ないんですよね?」


 カサンドラの問いかけに、父は笑顔のまま無言で首を横に振り続けていた。


 クラルヴァイン王国は海洋大国と言われるほど他国との貿易に力を入れている。港湾都市の発展に力を入れてきたアルペンハイム侯爵家としては、王家の力を借りる必要を感じないほど裕福だ。中立派として二大派閥の調整役を任されることも度々あった為、アルペンハイム家の令嬢を王子の婚約者として迎えるのがちょうど良いだろう等と考えられたのだろう。


 王家派のバルフュットは二代前に王妃として令嬢を嫁がせているし、貴族派のエンゲルベルトも4代前に王妃として令嬢を嫁がせている。

 そろそろアルペンハイムから王妃を出しても良いのではないのかという意見もあり、カサンドラは選ばれた事になったのだが、到底納得が出来ない。


 という事で、婚約者として決定した時点で、まずは王子への挨拶の為に王宮へと向かう等という事はせずに、二大侯爵家の令嬢を自宅に招いてお茶会を開く事にしたのだが。


「本日はお招きありがとうございます」

「カサンドラ様、殿下との婚約決定、おめでとうございます」


 コンスタンツェ・バルフェットは紺碧の髪に翡翠色の瞳をした凛とした美しさを持つ美少女であり、カロリーネ・エンゲルベルトは新緑の髪色に琥珀色の瞳をした儚げな印象を持つ美少女となる。


 二人とも、カサンドラが王子の婚約者に決まって悔しさや憎悪に身を焦がしているというよりは、落胆をしているような、気落ちしているような様子で、庭園に用意したお茶会の席に着いた。


 色鮮やかな小さなケーキが並べられ、侍女が紅茶を給仕して下がると、コンスタンツェは小さなため息を吐き出しながら口を開いた。


「カサンドラ様が殿下の婚約者として有力だというのは噂でも聞いておりますし、今の派閥の状況を見ても、カサンドラ様が嫁いだ方が一番問題がないという事も理解しております。ですが、お父様はそうは考えてはいなかったみたいで・・・」


「それを言ったらうちのお父様も同じですわ」

 カロリーネは大きな琥珀色の瞳を潤ませながら言い出した。


「お前が殿下に対して積極的じゃなかったから、こんな事になったんじゃないのかって叱咤されましたの。私が殿下にお会いしたのは王家主催のお茶会が一回だけですのよ?その一回でどうやって積極的にしろというのかしら?」

「私、そのお茶会には出席もしていませんわよ?」

 マカロンに手を伸ばしながら、カロリーナは小さく肩をすくめてみせた。


 アルノルト王子が八歳の誕生日を迎えて一ヶ月後、王家主催で大々的なお茶会が催される事になったのだ。

「確かに、あのお茶会にカサンドラ様は参加されていませんでしたわよね」

「風邪をひいて高熱を出しまして」

 明らかに高熱は嘘だという顔をしている。

 ツンとした表情を浮かべるカサンドラの顔を見て、二人の令嬢は笑い出した。


 十歳になるカサンドラは黄金を溶かし込んだような美しい髪に、紅玉のような瞳を持つ美少女であり、大きな目が少し吊り上がって見えるところから、勝ち気で傲慢な少女にも見えてしまう。王家主催のお茶会となれば、最高級の派手なドレスに身を包んで率先して参加しそうに見えるのに、本人自身にやる気が全くないのはいつものことなのだ。

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