閑話 ルベル地獄ヘ赴く

 今私はあの彼女の部屋の前にいる。

 できれば彼女の協力は仰ぎたくない。それは即ち、姉に大きな借りを作る事になる。しかし非力な今の自分では、彼と戦い勝てる気がしない。気が引けるが、彼女の立場を利用する他ないのも純然たる事実。意を決してドアをノックする。


 運動は正直苦手だが、きっとあの姉が受け持つ騎士団だ。結構緩い雰囲気でやらせて貰えるだろう。


 ドアをノックすると何やら物音が聞こえ、ドアが開かれた。


何様なにようかしら……あら、ルベルじゃない! 貴方なら大歓迎よ! どうぞ入って!」

「失礼します。姉上」


 部屋に入ると相変わらず鞭やギャグボールが床に捨てられている。


「また、やってたんですか?」

「もちろんよ! 今ね? 亀甲縛りを1人で――」


 あいも変わらずこの人は……。


「いや、聞きたくないんで良いです」

「その……鋭い目つき良いわぁ……! 『またやってたのかこの腐れメス豚女』って思ってたんでしょ!?」

「そこまでは思ってません……」

「じゃあ、思っていたのは本当なのね! グッジョブ! 何なら声に出して言ってくれても良いのよ?」

「結構です。今日は貴女にお願いがあってきました。実はですね――」

「ダメよ」


 まさかの反応だ。いつもの狭量のいい姉ならすぐに聞いてくれるのに。


「理由を聞いても?」


 彼女はいつになく真剣な表情で僕の目の前に立ち、右手の握りこぶしを作り人差し指をピンと立てると、前かがみになり僕の鼻に指を軽く当てる。


「いい? 良く聞きなさい? マゾに要求は1番やっちゃ駄目な事よ。禁忌きんきよ! タブーなのよ!」

「じゃ、じゃあどうしたらいいんですか!」

「そんな事もわからないの? 全く仕方ないわね。教えてあげるわ」


 そう言うと彼女は後ろに向き直り、臀部を私に向けてきたのだ。


 ま……まさか……。


「さぁ、私のケツをぶっ叩いて一言メス豚と罵るのよ! そうすればどんなインモラルなお願いだって聞くわ! さぁ、私と貴方で王族も姉弟をも超えたロイヤル主従関係を結ぶのよ!」

「な、何を狂った事を言っているんだ貴女はああああ!?」

「弟にキ○ガイ扱いされるなんてマゾ冥利に尽きるわぁ! さぁ、早く! 何か頼み事があるんでしょ!? さぁ早く早く! 何なら放置プレイでも良いわよ! ケツ突き出したまま何時間でも待ってあげるから!」


 何だこの状況は? どうしてこうなった? 何故彼女は嬉しそうに目を輝かせながら、私に尻を向けているんだ?


 やるしかないのか……?


「お尻を叩けば僕の話を聞いていただけるんですね?」

「ええ……」


 私は渾身の力を込め、彼女の臀部目掛けて手を振り下ろした。


「キャヒ!?」


 まるで鳥類の産声の様な声を上げながら彼女は震え出した。


「今日の出来事は一生忘れないわ……。貴方にケツをぶっ叩かれたこの事だけで10年は高みに至る事ができそうよ……ンへへへへへ」

「そうですか……それはよかったですね」


 ピタリと彼女の震えが止まるとスッと姿勢を正した。


「久々に楽しめたわぁ。で、何の話だったかしら?」

「え? 本当に話を聞いて頂けるんですか!? 切り替えが恐ろしく早いですね……」

「他ならぬ弟の頼みですもの。でも、次からはちゃんとケツをぶっ叩きながらメス豚って罵るのよ?」

「……ハァ〜。あの本題にいって良いですか?」

「よろしくてよ」


 私は学園であった事を包み隠さず、全て吐露した。


「あら、やっぱりそうなのねぇ。ブラッディちゃんのデザインが最近になって変わったのはそういうことだったの」

「では、姉上は既に次の段階へ!? ならば、当然その条件もご存じですよね!?」

「うーん……と言われても私はいつものルーチンをこなしてただけよぉ?」

「そのルーチンワークとは?」

「当然、近衛兵達の訓練相手よ。でも、まずルベルには別の問題があると思うのよね」

「僕にある別の問題? それは――」


 体制が大きく崩れ足を掬われた私は天井を見上げる事となったが、姉上が僕を支え、体制を元に戻してくれる。


「ね? 今足払いしたけど体幹も全然だし、反射神経もほぼないじゃないの。そんな状態で戦えるのかしら? 怪我をされたら困るわ」


 全く動いたのがわからなかった……。なんという身のこなし。ドレスを着ながら、これ程の足払いを……。


「自分でも体力がないのは自覚しています! しかしですね姉上! 私のライトニングティアーズはこんな僕でも達人級の身のこなしを可能とするのです!」

「う~ん、魔力が切れたらどうするの?」

「え? いやいやですから、切れる前に倒してしまえばいいんですよ。簡単な事です」

「倒せなかったら?」

「え?」

「え?」

「いや、その、考えていませんでした……」

「そう、決めたわ。ちょっと待ってね。とりあえず挨拶だけでも済ませましょうか」

「そうですね。その方がいいと思います」

「お色直しするから、ちょっと待っていただけるかしら」


 彼女が手を2回叩くとどこにいたのか、部屋にメイド服を着た女中達が次々と入室してきた。


「殿方は部屋から出ていって下さいまし」

「いつの間に……。わかりました。準備ができたら呼んでください」


 私は姉上の部屋から退出し、ドアの前で待機する事にした。




 ――暫く待っているとドアが開き、ゾロゾロと女中達が部屋を後にする。


「準備が終わりました。どうぞお入り下さいまし」

「ご苦労さま」


 女中は私に深々と頭を垂れ、何処かへと去っていった。


「姉上、入ります」

「えぇ、良くってよ」


 部屋に再び入り、私の目に飛び込んできた光景は異質だった。


 赤を基調とした怪しい雰囲気を持つ甲冑を着込んでいる。まず彼女の周りから放たれている謎のピンク色のオーラ。そして一層気になるのが、足の後ろで見え隠れする悪魔の持つ黒い尻尾だ。


「なんですか? その姿は?」

「い、良いわぁ、実の弟による軽蔑の眼差し! これこそ私の求めておるもの! さぁ私をメス豚と罵るのよ!」

「――いやです。それが姉上がレイスさんから買った甲冑ですか?」

「いいえ、甲冑はどこにでもあるものよ。最近、ブラッディちゃんを付けたまま甲冑を着けるとこうなっちゃうの」

『とてもセクシーで似合ってるわよ。エミー』

「ありがとうサキュバスちゃん。さ、行きましょうか」

「どこに?」

「仕事場よ」


 私は姉の後について城を出る。裏手の広大な広場へ行く。その広場の側にそびえ立つ建物こそ、我が国が誇る王立守護騎士団の兵舎だ。


 相変わらず独自の威圧感がある。厚い黒鉄の門は地獄の門と呼ばれている。華やかな城とは明らかに一線を画するこの兵舎の出入りが、昔から私は苦手だった。これ程まで近づいたのは33年間生きてきた中で初の事だ。


「失礼する! 第3王位継承権を持つルベルです! 門を開けてもらえませんか!」

「あー……ごめんなさいね。私の声じゃないと開かないの。クソでもしてんのか! とっとと開けろ! 蛆虫共!」


 いつもの姉とはおおよそ想像もつかない声に呆気にとられていると、黒い扉がゆっくりとその口を開けだした。


「どうぞ、入って」


 姉のであとに続いて兵舎の中へ入っていく。左右に筋骨隆々の兵士達が自分達の何倍もの太さがある鎖を自ら腕力のみで支えているのがわかった。中にはこの国屈指の兵士達が何千とおり、凄まじい覇気を感じさせる。


「こっちよ」

「え、えぇ……」


 石造りの中々に立派な砦が見えてきた。

 しかし何故こんなところに砦があるのだろうか?


「姉上、この砦は?」

「砦って? あれが兵舎よ?」


 前言撤回する。

 側に来てわかった。立派等という次元ではなかった。

 思っていたよりずっとでかい。まるで小さめの城と言っていい程のでかさだ。


 重厚な鉄で出来た扉を姉が片手で、さも当然の様に開けると、入る様に催促した。


「お先にどうぞ」


 恐る恐る中へ入る。

 エントランスは広々としており綺麗に整頓されているが、姉はそんな中で訓練用の大剣が無造作に置いてる所まで行き、安々と担ぎ上げそのまま他の大剣と同じ様にしまい、エントランスの中央へと歩を進めた。


「副隊長リベール! 今すぐ私の元へ来なさい!」

「イエス! マイ・エンプレス!」


 数あるドアの中から1人の美丈夫が出てくると、その見た目からは想像できないスピードでこちらへやってきた。他の甲冑と明らかに違う、猛々しい真っ黒な甲冑を身に着けている。


 あの重そうな甲冑を着けながらよく走れるなぁ。


「よく来てくれました。ルベル、こちら王立守護騎士団副隊長のリベールよ。リベール、私の可愛い弟ルベルよ」

「えっと……どうもはじめまして」

「ハッ! 私の様な取るに足らない蛆虫に挨拶して頂き、至極光栄に存じます!」

「挨拶は済んだわね。ところで先程あそこにある大剣が無造作にも床に落ちていたの。一体どういう事かしら? 渡しはいつも綺麗にしてからちゃんと戻す様にと言ってる筈よね」

「ハ、ハッ! 私の不徳が致す所であります! 何なりと罰を――」

ひざまずきなさい」


 副隊長が跪くと姉がまるで赤子をあやす母親の如く、副隊長の頬に両手をゆっくりと添える。


「違うわよね? これは誰のかしら?」

「それは……ボルトン訓練兵のものかと……」

「このミニマム脳みその筋肉バカが! それがわかっているのなら今すぐそのボルトンとかいう蛆虫をここに呼んでこい!」

「イエス! マイ・エンプレス!」


 そういうと副隊長は立ち上がり、兵舎を出ていき、すぐに兵士を連れて戻ってきた。


 訓練兵だというボルトンという名の兵士はすぐに姉の前で跪いた



「エンプレス申し訳ございません!」

「立ちなさい」

「ハ、ハッ!!」

「そのまま絶対に動いちゃダメよ?」


 姉は再びあの大剣の元へ行き、彼女が片手で軽々と持ち上げそのまま戻ってきた。


「これは貴方の武器よねぇ? 兵士というのは武器と共に生き、武器共に死んでいくものなの。貴方にはこの王立守護騎士団としての覚悟がまだ足りないようね」


 姉は立っている訓練兵の真後ろに立つと、大剣を彼とぴったり隣接させ手をかざす。


「リーフバインド」


 木のツタが発生し、彼と大剣を縛り上げる。無理やり背負わせられる形となった彼は大剣の重みで床に勢いよく倒れ込んだ。


「その状態で広場を1000周なさい。良いわね?」

「イエス! マイ・エンプレス!!」


 そう言うと訓練兵は躰を左右に捻じりながらも移動を開始した。


「副隊長、愛弟あいていに1人付けてあげなさい」

「ハッ! ルベル様を立派な騎士にするべく、このリベールが選りすぐりの兵士を付けさせて頂きます! ではッ!!」


 まさに地獄の様な状況だ。いつもの姉とあまりにも違いすぎる。これが本当にあの姉上なのか。

ん? 待て、今彼はなんと言った? 騎士がどうのこうのと言っていなかったか? 


「ちょっと待ってく――」


 手を伸ばしたが、時既に遅し。リベール副隊長は凄まじい速さで広場に行ってしまった。私はこれからどうなってしまうのか……。


 一抹の不安が頭から離れないでいた。

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