7. 深夜の公園にて

 深夜0時。

 やっとバイトが終わって、解放された俺は、家まで「ついて来る」と言う秋子を止めて、

「この後、用事があるからまた今度」

 と無理矢理帰らせようとするものの。


「何でよ? こんな深夜に何があるの? 誰と会うつもり?」

 かなりしつこく食い下がられていた。


 何とか、「親から頼まれごとがある」と嘘をついて、彼女を先に帰らせて、その後しばらくしてから店を出た。


 相当、怪しいというか、秋子を警戒しているのも馬鹿みたいに思えるが、何故かこのことを彼女に知られたくはなかった。


「遅いよ、政志くん」

 手持ち無沙汰気味に、ファミレスの広い駐車場の隅っこの方で、ウォークマンで音楽を聞きながら待っていたガングロギャル、里美。


「ああ、悪い」

 一応、彼女に合わせて、歩幅を小さくして歩く。


 一体、どこに行くつもりなのか。しかもこんな時間に。

 俺の意図とは裏腹に、彼女は俺を家とは反対方向に導く。その頃、俺が住んでいたボロアパートは、世田谷代田駅から下北沢駅寄りの住宅街にあったが、彼女の足は、真逆に向き、環七通りの交差点を越えて、代田4丁目方面に向かっていた。


「どこに行くつもりだ?」

「んー。内緒」

 聞いても教えてくれず、そのまま5分ほど歩いて、小さな児童公園にたどり着いて、彼女の足はようやく止まった。


 その公園に入り、ブランコに座る彼女。俺は、少し遠くにあるベンチに座り、タバコをくわえて火をつけた。


「ねえ。タバコ、ちょうだい」

 彼女にせがまれていたが、


「お前、未成年だろーが」

 さすがに断ろうと思ったら、


「ああー。実は私、20歳だから大丈夫」

 と、あっけらかんと言い放っていた。


「嘘つけ。どう見てもお前、10代だろ」

「人を見た目や身長だけで判断しないでよね」


「じゃあ、何で制服着てるんだ?」

「可愛いから」


「マジか」

 実際、後でわかったことだが、この時の彼女の発言自体が「嘘」で、実際には高校3年生だった。つまり21歳の俺からすれば、4つ違い。


 だが、その時は俺は、迷いながらもタバコを手渡して、火をつけていた。


 そして、タバコの紫煙を燻らせながら、彼女は深夜にも関わらず、妙に明るい声で不思議なことを口走るのだった。

「私にはね。夢があるんだ」

「夢?」


「うん」

「何だよ?」


 当時も今も、若者が「夢」を語ることは珍しかった。というよりも、大半の若者がいいか悪いかはともかく、親が決めた「レール」の上を歩かされることが多いのだ、この国は。

 そんな中、彼女は俺に「夢」を語り出した。


「世界で歌われるような歌手になりたい」

「世界で?」


「そう」

 タバコの先端から地面に灰を落とし、彼女は俺の目を見ながら、先を話すのだった。


「そりゃ、ライブハウスで歌うのは楽しいし、私の実力じゃ、たかが知れてるのもわかってる。そもそもメジャーデビューすら出来ないかもしれない。でも、歌うのは好きだし、いつか後世に残るような歌手になりたい」

「へえ」


「笑わないの?」

 不意に飛んできた彼女の優し気な言葉と視線が、俺の動悸を早めたように感じた。恐らくは18歳の彼女は、この時ばかりは、どこか大人びて見えた。


「笑わないさ。夢を持つことはいいことだし、むしろ羨ましい」

「そっか」

 明るい声で言った後、彼女は、タバコを吸い終えて、吸殻を俺の持つ携帯灰皿に投げた後、さらに、図々しくも、


「もう1本、ちょうだい」

 と俺にたかっていた。


 仕方がない。もう1本を与える。現代よりは、まだタバコの値段が安かった時代だ。当時、セブンスターがまだ一箱250円くらいだった。今考えてみれば、現在は倍以上も高い。


「この話をして、笑わなかったのは、君が初めてだよ」

 相変わらずこの子は、4つも下なのに敬語を使ってこないが、別に俺としてはその辺りは全然気にしていなかった。

 ただ、独特な雰囲気を持つ、ある意味では「気になる」子で、「他と違う独自性」を持っていたから、興味が惹かれたのはあったかもしれない。


 しかも、何を思ったのか、彼女はタバコを一旦、灰皿に突き刺し、突然、楽器もなしに、つまりアカペラで歌い始めたのだ。


―果てしない あの雲の彼方へ―


―私をつれていって―


―その手を 離さないでね―


                   『SPEED』 『White Love』より引用


 SPEEDの「White Love」だった。1998年のヒット曲だ。特徴的なフレーズが耳に響く。しかも、その歌が超絶上手かった。


 一見、遊び人風のガングロギャル。しかし、中身は素晴らしい才能を持っているように思えた。


 しかし、そんな中、ある声が深夜の住宅街に響き渡って、歌声が中断されていた。


「政志!」

 声がする方を振り向くと、公園入口に、仁王立ちしている秋子がいた。


「秋子」

「ありゃりゃ。お邪魔だったかな」


 小さく舌を出して笑いながら、歌うのをやめる里美。

「何しに来た?」


「何しに来た、じゃないわよ。親の用事があるって、嘘をついてまで、こんな小さな子と会ってたなんて。警察行く?」

 怒ってる。明らかに目を燃えたぎらせていた彼女に、俺は言い訳じみた説明を加えて、「嵐」が過ぎるのを待つか、逸らしにかかる。


「こいつはこれでも高校生だよ。多分、18歳」

「えっ。マジで。中学生じゃないの?」


「違う」

「いや、それにしたって、何で」


 そこで、困惑している彼女に、俺が何気なくぶつけていた一言が、この微妙な関係にヒビを与えることになるのだが。


「何でもクソもあるか。俺がどこで誰に会ってようが、お前には関係ないだろ。恋人でもないんだから」

 瞬間、俺の懐目がけて、タッパーが飛んできた。

 驚いて、受け止めると、タッパーからカレーの匂いが漂っていた。わざわざ作ってきてくれたのだろう。


「このバカ!」

 叫びながら、タッパーを押しつけて、彼女は立ち去ってしまう。少しだが、泣いているように思えた。


 その様子を見ていた里美が、若干トゲがあるような声で、囁くように言ってきた。

「追わなくていいの?」


 溜め息を突きながらも、俺は、

「ごめん。ちょっと行ってくるわ」

 と言って走り出していた。


 だが、実はその背中に、彼女が呟いた、小さな一言を俺は聞き逃していたのだった。

「私は諦めないよ、政志くん」

 それが、彼女の「夢」についてなのか、それとも俺、「政志」についてなのかは、今もって判明していない。

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